第三章 バレンタインチョコ事件

事件編 カンナとリンちゃん

 自転車を走らせながら、思わずマフラーに顔をうずめた。

「うわぁ、今朝も寒いな」

 南北に走る川沿いの道を、肌を刺すような風が吹き抜けていく。 

 けれど、空の青さにはうっすらと紗が掛かり始め、師走の頃から季節が少しずつ進んでいることを感じさせた。


「おはようございます」

「おはようございます」

 いつものように声を掛けると子どもたちからも挨拶が返ってくる。

 日課となっている登校班の見守り。

 この日も特別な雰囲気をまとうことなく、いつものように、いつものメンバーで小学校へと向かった。




 午後になってもさしたる仕事はなく、雑居ビルの管理人室を兼ねている探偵事務所でモニターを眺めながらマウスを動かしていた。

 そこへ、扉が開く音がして背中越しに声が掛かる。

「ただいまー」

「おかえりー」

 振り返りもせず声を返すと、重そうな通学バッグをソファーへ置く音がした。

「相変わらず、暇そうだねぇ」

 そう言ったのは朋華ともか、高校一年生。登校班のOGで、俺たち二人を父娘だと思っている人も少なくない。

 母親と二人で暮らしている彼女と、五十歳ごじゅうを越えて独り身の俺とは妙に気が合うだけなのだが。


 事務所ここへも学校帰りにしょっちゅう顔を出している。

 以前、「いつも帰ると誰もいないから、お帰りって言われたことがない」と言っていたのを聞いてからは、「ただいま」と言って入って来いと伝えてある。

「おかえり」って声を掛ける相手がいないのは、俺も同じだから。


「暇な訳じゃないし」

 画面から目を離し、ソファーの方へと向き直る。

「だってネット見てるだけじゃん」

 ま、そりゃそうなんだが。

「こうして世の中の情報をいち早く入手しているんだよ」

「ふーん」

 俺の負け惜しみを、いとも簡単にスルーしやがった。

「それより、朋華は帰りが早いじゃない? まだ三時前だよ」

「今日は先生たちの研修会で四時間授業だったの」

「そうなんだ。でも、今日はここへ来ないで誰かに渡すもの――ぉがっ!」

 輪島功一の蛙飛びパンチを彷彿とさせる動きで、彼女の右ストレートが俺の左ボディーに伸びてきた。

(蛙飛びパンチなんて、イマドキの子は知らないぞ)

 また、どこからか天の声が聞こえるが。まぁいい。

 小鼻を膨らませた朋華は目を細め、あごを軽く反らして言った。

「余計なことは言・わ・な・い!」

 はい、かしこまりました。



「ねぇ、何かおやつない?」

「冷蔵庫にエンゼルパイが入ってるぞ」

「わぁ! わたし、あれ好き。マシュマロとチョコのバランスが最高だよね」

「俺が小学生の頃からあるし、王道を行くお菓子だよ。あれは」

 朋華は冷蔵庫を開けて、エンゼルパイを三個持ってソファーへ戻ってきた。

「そんなに食べるの? またふと――ぉぐっ!」

 右手に一個握ったままの拳を、俺の前に無言で差し出す。

「あ、ありがとう」

 でも二個は食べるつもりなんですね。



 おやつタイムが終わった頃、事務所の扉が再び開いた。

「おじさん、聞いてよぉ!」

 入って来るなり、いきなり不満の声をあげたのは小学四年生のカンナだ。

 ランドセルを背負ったまま、同級生のリンちゃんも連れている。

「学校帰りに来るなんて珍しいね。どうしたの?」

 二人とも登校班のメンバーで、俺と特に仲が良い。(と思っている)


 カンナは如才ないというか、「パパもママも仕事で来れなかったから、親子教室にはおじさんに来て欲しかったな」とか、「妹が出来たから、一緒に名前を考えて」とか、自然にさらっと言ってくる。

 将来、あざとい女と同性から呼ばれそうで少しだけ心配。

 一方、リンちゃんは典型的なツンデレ少女だ。

 俺に荷物を持たせたり、とにかく上から目線で冷たくあしらわれているけれど、ちょっかいを出してくるのはリンちゃんが一番多い。


 そんな二人だけれど、どうやらカンナはだいぶお怒りのご様子。

「こんにちは。何かあったの?」

 それを察して朋華が声を掛けた。

 彼女が卒業してから二人が入学したので小学校では接点がないけれど、登校班で通学するときに一緒になることも多く、お互いを知っている。

「朋華ちゃんも、おじさんも聞いてよ」

 カンナが語った事件とは――。


「今日はバレンタインデーでしょ。

 こっそり学校へチョコを持って行ったの。

 帰りに渡そうと思っていたのに、昼休みが終わったら箱がつぶされちゃってたんだよー!

 これって、ひどくない?」


「そりゃ、ひどいなぁ。誰がやったか分かったの?」

「ううん……私が教室を出るとき、男の子が五人いたからゼッタイあやしいと思って話を聞いたんだけど――」




リョウ「ボクはやってないよ。教室に一人でいたことなんてなかったし」

   「そう言えば、タケシがカンナの机のそばで何かやってたよ。

    あいつがやったんじゃないの?」


ハヤテ「校庭で遊んでたから、分からないな。もちろん、壊してなんかないよ」

   「あぁ、教室を出るときにリンとすれ違ったっけ」


タケシ「オレはやってないぞぉ。カンナのものを壊すわけないじゃんかぁ」

   「オレが教室を出るときはヒカルしかいなかったよ」


レオン「あの後、図書室にずっといたから。教室には三人が残ってたよ」

   「リンちゃん? あぁ、何かを探してたみたいだったけど」


ヒカル「箱? 知らなーい。教室を出たのは最後だったけど何も見てないよ」

   「教室出てからは、ハヤテと校庭で遊んでたもん」



「それで、リンちゃんに話を聞いたの」

 カンナが振り返ったのを受けて、リンちゃんが話し出した。

「私も校庭で遊んでいたんだけど、短縄たんなわの練習しようと思って教室へ取りに行ったんだ」

「その時は誰がいたの?」

 朋華が尋ねる。

「タケシとヒカル」

「うーん……これだけじゃ、誰がやったのか分からないよね。でしょ?」

 そう言って、朋華が俺に話を振ってきた。

「あのぉ……たんなわ、って何?」

 おずおずと質問する俺。

「はぁ!? そこを聞くの?」

 呆れている彼女の横から、リンちゃんが冷たく言った。

「縄跳びのことだよ。みんなで飛ぶ長縄と、一人で飛ぶ短縄。おじぃ、そんなことも知らないの?」

 すいません。知らないことは確認しておきたい性格なので。


 しょんぼりしている俺には目もくれず、朋華が立ち上がって高らかに宣言した。

「よしっ、箱をつぶした犯人を推理しよう!」

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