解決編

第六話 尾行

 待ち合わせは事務所に十一時。

 ここからなら、バスで二十分は掛からない。

 はいつも十二時前後に現れるそうだし、お弁当を食べる時間もあるから、こちらの準備も余裕――のはずが、十五分を過ぎても朋華がやって来ない。

「あいつめ。早目九時にメールしてやったのに意味ないじゃん」

 イライラし始めて直電してやろうかと思ったところへ、すっと現れた。


「遅ーい」

「ごめーん。シャワー浴びてた」

 顔を見ちゃうと怒れないんだよなぁ。

「まったくぅ。メールしたときに起きればいいのに。どうせ二度寝してたんだろ?」

正解せいかーい。それにね、乙女は出掛ける支度にも時間が掛かるのよ」

「こういうときだけ、女子力を出してくるんだから」

 彼女が握り締めた右の拳を素早く右手で抑える。

「腹パンはいいから、すぐに行くぞ」

「ふぁーい」

 つまらなそうに低い声で応え、外へ出た彼女の後ろに続く。

 出掛けに「留守番よろしくお願いします」と事務所の奥へ声を掛けると、フリーセルで遊んでいるパソコンから目を離さずに、ユキさんは無言で左手を挙げた。




 区役所のホールへ入ると、時計は十一時四十五分になろうとしていた。

 住民票などの発行に来ているのか、思ったよりたくさんの人が長椅子に座っている。

「どう、まだ来てない?」

 隣の朋華に小声で尋ねた。

「まだ来てないみたい」

 さらに小声で返ってくる。

 よくよく考えてみれば、相手は尾行を警戒しているわけないし、しんとした場所でもないからこそこそしなくても大丈夫なんだけどね。

「あれが例の電話台かぁ」

 集成材で作られた台が、主をなくしホールの片隅にぽつんと残されていた。

 車いす利用者兼用で作られたタイプなので、奥行きも五十センチほどあるし、高さも机代わりにはちょうどいい。

 ご丁寧に椅子まで置いてあるから、お弁当を食べるにはもってこいの場所だ。

「ね、あそこからなら入り口もカウンターの中も見渡せるでしょ?」

 確かに人の動きを見張るにも都合がいい位置にある。

「売店の人には話してあるの?」

「うん」

 そう言って、売店の中にいるおばさんに向かって、胸の前で小さく手を振っている。


「それじゃ、この辺に座って待つとするか」

「なんか、ドキドキするね」

「ただ行き先を確認するだけだから。容疑者を追うわけじゃないからな」

「でもさ、ワクワクするじゃ――あっ、来た!」

 急に朋華が小声になった。

「今、入ってきた人がそうだよ」

 なるほど、スーツ姿のごく普通な会社員、といった感じだ。

 五十代後半か、あるいは俺と同じくらいなのかもしれない。

「このまま、スマホでも見てるふりをしてな」

「わかった」

 文庫本を取り出しながら、彼の様子をうかがう。

 注目されているとは知らず、コンビニの袋を持って定位置の電話台に座り、おにぎりとペットボトルのお茶を取り出して食事を始めた。

 何か考え事でもしているのか、正面の壁を見つめながらゆっくりとおにぎりを頬張っている。


「この後、どうするの?」

「いつもは食べ終わるとすぐに帰っちゃう?」

「うーん、ちょっと分からないなぁ。ずっと見てるわけじゃないから」

「そっかぁ。もし役所の中を移動するようなら、俺がついていくから朋華はここに残って。

 もし俺が彼を見失ったら、ここから外へ尾行つけて行ってね」

「うー、何か緊張するー」

「大丈夫だよ。まだどう動くか分からないんだから」

 それに、ここを出てからは恐らく数分で行き先が分かるはず。


「あっ、どこか行くよ」

 食べ始めてから十五分ほどが経ち、ゴミをコンビニの袋へ入れて彼が立ち上がった。

「それじゃ、待ってて」

 緊張した面持ちで朋華が頷いた。

 彼が歩き始めてから一呼吸おいて、立ち上がる。

 ゆっくりと歩きながら視線は彼へ。

 廊下を曲がった先は――トイレだった。

 思わず苦笑いをして、朋華の隣へ戻る。

「どうしたの?」

「トイレだったよ」

「なんだぁ。もうヤバいよ、緊張して」

 しばらく待っていると、再び彼が現れた。

 電話台へは向かわずにホールを横切っていく。

「外に出るぞ」



 彼に合わせて俺たちも立上り、外に出た。

「人通りも多いから、あまり距離を取らなくても大丈夫だね」

 車二台分、約十メートルほど離れてついていく。

「どこまで行くのかなぁ」

「そんなに遠くまでは行かないと思うよ。歩いて三、四分くらいじゃないかな」

「えっ、そんな近くなの? でもあの人、お仕事していないんじゃ……」

 それには答えず、黙って歩いていく。

 信号待ちの際にはすぐ後ろまで近づいて、青に変わってから俺たちはゆっくりと渡る。

 三分ほど歩き、大通りに面した建物へ彼は入って行った。


「ここって……」

 その建物を見上げて、朋華は呟いた。

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