1-3


 歩き始めてから三時間ほど経った。

 なだらかな坂道の先に、尖塔のような建物が見えてくる。ガンマシェルターの入り口である。建物は見る限り無傷のままだ。だが、所々に人間の血液だろうか、赤い色が見える。

 ふたりは拳銃をもち、周囲を警戒した。死角から狙い撃ちされる可能性もありえる。小型の懐中電灯を内部に向けてらす。思った以上に傷跡や血痕がおおく生臭い匂いまで残っている。


 外見よりも内部の方が酷いとハリーは感じた。口を押さえつつほの暗い廊下をゆっくりと奥へと進んでいく。風力発電の補助バッテリーがまだ生きているためか、電気が通っているようだと、蛍光灯を見上げた。

 しばらく廊下を進むと右と左に扉があり、正面の奥には地下に通じる階段がみえる。

 ハリーは右の扉を注意深く調べる。扉の上部にはプレートが見えるが薄暗く判別が難しい。旧式のドアノブにはこじ開けた跡はなく、ノブをひねれば今にも開きそうだった。

「ハリー、注意しろ!」

 ロウのアドバイスに軽く頷くと、ゆっくりとノブを回す。鍵はかかっておらず、すんなりとドアが部屋側へと開いた。中は物音もなく静まり返っている。

 ドア越しからはベッドの一部が見えた。人の気配がないことを確認し、中へとゆっくり歩を進めた。


 部屋には二段ベッドと監視モニターが設置されている。入り口に設置されている警備室のようだ。変わったものもない。すぐに部屋をでた。

 反対側の部屋も同じなのだろうか、とハリーは直感で思った。

 ロウが反対側の部屋へと足を踏み入れたようだ。ハリーは扉から覗き込みベッドとモニターの位置が全く同じことを知る。

 安心と警戒心を解くと、奥にみえる鉄で作られたであろう螺旋らせん階段を地下へと進んだ。

 3Dマッピングシステムのある部屋は、どの辺りになるのだろうかと周囲を見渡してみる。案内板の見取り図が、壁に掲げてあるようだが緑色の液体で汚れていた。

 階段を下りた先は、更に下へ降りる階段と左右に廊下。正面の奥に扉がみえた。


 ハリーはどの方向に行くか迷っていた。

「ハリー、正面の奥が居住地区だ。注意して進め!」

 後ろを歩いていたロウが、小声ながらも、力強く彼にいった。

 小さく頷いた。

 正面の奥にある扉からは居住地区へと続いているのではと推測する。左右はおそらくどちらかが住民たちのあつまる広場か、連絡用の無線室なのではないか、と予測した。


 廊下の壁には至る所に人間の血液が生々しく残っている。しかし、死体自体がどこにもないことに不気味さがあった。争った跡や引きられた形跡もあちらこちら点在しているものの、遺体が存在していないとなると、どこか、一箇所に集められているのだろうかと、ハリーは背筋に恐怖を感じた。

 このシェルターは危険なのだ、という警告がじわりじわりとからだの奥底から聴こえてくるような気配さえある。万が一、住民が残っているようなら一刻も早く連れ出して、安全な場所へ避難しなければならない。


 逃げおくれた住民がいるかもしれない居住地区の扉を開く。ハリーは指を差し、慎重に足を運ぶ。

 扉を入って右手前が医療室、反対側に介護室がカーテンで仕切られ、他の扉はすべて個室で構成されている。医療室と介護室には扉の上部にプレートが差し込まれすぐに分かった。他の扉にはプレートがなく、ひしゃげて壊れている扉もある。

 ハリーたちは先に、個室の部屋を丹念に調べまわる。そこには生活観があまりなく急いで逃げ出す準備をしていた形跡が残されていた。

 突如として雄たけびとも思える叫び声が聴こえてくる。


ヴウォウォーン、ヴウォウォヴォー


 叫び声は複数だった。人間とはいえない野生の雄たけびに近い、異様な不気味さがあった。

 ハリーとロウは拳銃を片手に身構える。

「なんでしょうか?」

「わからない。早いところ調べよう」

 残るは医療室、介護室だった。

 医療室の扉を開けると医療器具が散乱している。奥にはバリケードらしきガラクタがあり、何かと抵抗した様子が窺えた。バリケードの奥からだろうか、物音がハリーの耳に入ってきた。


 なんだろうか、と密かに呟いた。金属が擦れるような、土を削るようななんともいえない音が暗闇の奥から聴こえてくる。

「ハリー、おい、バリケードの跡だ! もう何も残っていそうにない!」

「ロウさん、来てください!! バリケードの奥で物音が聞こえてきますよ!」

 ふたたびバリケードの奥で物音が聞こえてくる。

「おい、誰かいるのか? 居たら返事をしてくれ!」

 物音が急になくなる。静寂がふたりを包み込んだ。


ヴウォウォヴォー、ヴウォヴォーン


 ふたたび、通路側からだろうか、今度はさきほどの野生の雄たけびがもっと大きく聞こえ響き始めた。

 バリケードの奥からだろうか、ささやく声が聴こえてくる。男なのだろうか、低くこもった声であった。

「早く、早く、こっちへ!」

 暗がりで大人なのか子供なのかが判別できない。だが、たしかに手招きする人間がそこにいるようだった。

 ロウとハリーは、足早に動かす。手作りで作った穴が下へと延びている。

「早くしてください! あいつらが見回りに来る!」

 あいつら? とは何者なのだろう。野生の叫び声と関係があるのか、ハリーは気になった。狂気と化した人間なのだろうか、底知れぬ恐怖を感じ始めていた。

 見ると穴は浅く造られ懐中電灯で照らすと、地面が見える。ロウとハリーは、言われるがままに穴へと飛び込んだ。




 隣には、屈んで蓋らしきものを閉める若者がいる。年齢はハリーより若く見えた。顔は黒く汚れ、服もボロボロである。胸の辺りがすこし膨らんでいるようだ。

 医療室の扉とともに物凄い地響きが聞こえてくる。あいつら、と呼称する人間の足音のようだ。通常の人間なら地響きの起こる足音はしないはずだからだ。

 ハリーたちは息を潜め、静寂を保った。

 あいつら、とは複数人で行動するようだ。足音の数が増える。だが、一向に話し声が聴こえてこない。聴こえるのは不気味な吃音きつおんのような雄たけびに似た声だった。薄い暗闇で顔はほとんど見ることが出来なかった。


 しばらくすると、足音が遠ざかり医療室外の廊下に響く。

 ハリーたちは胸をなでおろした。話し声というよりも発声障害――吃音障害者というべきか――を持っている人種が存在することに驚かされる。

「なんとか隠れることができましたね」

 男は声は低いものの、どこか作っている様子であった。穴で屈んでいたこともあり、わかりづらかったが、ハリーよりも背が低いようであった。

 医療室に出てくると男は、懐中電灯を片手に小声で話し出す。

「ボクはリン・シライといいます。事情があってある男の人を探しているのです。このシェルターには助けてもらったのですが……」


 華奢きゃしゃな体つきからは、想像ができないほど身長が低いことが後でわかった。流暢に英語を早口で喋りはじめる。見るからに東アジアの出身だろうか、髪の色が黒に染まっている。ブラウンヘアのハリーやブロンズヘアに覆われたロウにとっては、珍しいかった。

 リンが説明する中で、自分は『女』であると告白する。話し方は、どうみても男のような慎ましいしゃべり方をしていた。声帯も低い声が主であった。男のように振舞ってしまうひとつの要因かもしれない。


 ハリーたちも南に位置する湖上の砦からやってきたことを明かした。その際、ここに、はるか東にある気象タワーへの道しるべとなる『高性能の3Dマッピングシステム』があると、リンに話した。

「3Dマッピングシステム?」

 彼女が思い出したように指を鳴らす。

「それがあれば、気象タワーという場所にいくのが楽になるんですね。そこなら行く道のりは知ってますけど、途中に問題があって」

 リンが両手で変顔をつくり、あの凶暴化したニンゲンの真似事を繰り返した。どうやら、その場所の位置を守るように、吃音のニンゲンがいるようである。


 ロウが気になったことを彼女にたずねた。

「ほかに、ガンマシェルターで残っている住人はいないのか?」

「いません。たとえ残っていたとしても、食べ物にされているはず。だから、残っているのはボクひとりです。ボクは、地下の奥深くで鉱石の採掘をしていたのですが、戻ってみると惨たらしい光景が広がっていたのです。それに見たこともない野生化した人間たちがシェルター内を徘徊はいかいしているし……」

「それが、さっきの奴らなのか?」

 彼女は頷きを見せる。面白いことに凶暴化した人間に『トグル』というニックネームをけていた。彼女が言うには妖精に出てくる巨体『トロル』と生きるしかばねと貪欲さから『グール』を組み合わせたと答える。巨体なうえに、妖精とは思えないしつこさと貪欲さからだった。

「連絡用の通信室も奴らに乗っ取られ、脱出さえできなかったのです」

 口角を上げ、ロウはニコリと笑顔をハリーに見せる。

「俺たちは幸運の救世主ってわけだな」

 ロウがリンの口調が固いことを指摘すると、

「リン、気楽に話せよ。お前の素直な喋り方でいいんだ!」

 リンもそれに納得するようにハリーたちに接してきた。

「それもそうだね」


 ハリーにはあのトグルが、どれだけ知能があるのかが気になった。言語野に障害を持っているが、同種族とのコミュニケーションが出来るということは、行動認知ははっきりとしている可能性があるといえる。見た限りでは、動きが鈍いように思えたが実際には疑わしい。

 ただ、その行動の先にある欲求は、食欲のために使われているとするならば、攻撃性は凶暴レベルと考えてもいいだろう、とハリーは感じた。

「リン、そのトグルの特徴ってもう少し具体的にないのか?」

「特徴?」

「そう、たとえば、よく使う武器とか、防御する時にする癖や弱点とか」

 おもむろに天井見上げ彼女は、考え込んでいる。

「そう……だね、武器は一般的で原始的な近接武器だよ。包丁とか斧とか金槌かな。身体的にみて太っている奴らが主で、時々、突進もすることがある。だから、モーションが大きいけど、力が強く捕まると身動きができなくなるし、やっかいなんだ。それに、あいつらやたらと噛み付いてくる!」


 リンの観察眼はさすがである。少女でありながら、トグルやつらとなんどか対峙たいじしたことがあるのでは、とハリーは察知した。彼女の特徴はそれだけでなく、少女でありながら粘り強く手先が器用らしい。廃墟と化したガンマシェルターを自由に行き来できるように、手作りで穴を掘り続けていた。自力で生き抜くには、地道に掘り続けていたようだった。

「掘削なんて好きじゃないけどさ。この辺の地下の土が軟らかくて助かった。時々排気口に当たることもあるけど、静かに進むのがコツなんだ」

 彼女が先頭になり、案内役を務めた。ハリーの『気楽に話せよ』という言葉が、心のストッパーの開錠に繋がったのか、移動中も小声で女性らしく喋りっぱなしに口が動く。

 よほど孤独のストレスが溜まり、開放したかったようだ。

 排気口の出口付近に眼を配らせ、辺りを警戒した。

                      4へつづく

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