第4話噂話からはじまって

 わたしは今日、1ヶ月毎の定期報告のため領事館へ行ってきた。予備学校が始まって既に3ヶ月が過ぎ季節も変わったことからわたしは制服のうえにトレンチコートを羽織りケピ帽の代わりにソフトを目深に被った。赤シャツが目立つからだ。代わりに怪しさが目立ってしまったが仕方がない。


 相も変わらず勲章をつけフロックコートを着たオヤジにカプチーノを頂く。

 驚いたことにわたし宛ての本国からの指令が伝達される。

「モニカ・エーコと連絡を取り、目立たぬように支援せよ」と。

 これは無理だ。わたしはただの下っ端の下っ端すぎない。そんなわたしに何をどうせよというのだ。

 そこで、本国からの無茶振りを領事館のオヤジに抗議したのだが、「君もダークエルフだ。ダークエルフらしく要領で対処すればいいじゃないか」とオヤジに肩をすくめられただけで終わった。

 わたしは知らなかったが、モニカは派手にロビー活動をしているらしい。オヤジにモニカの活動予定を一応聴いたが、何をすればよいか頭に浮かばないまま学生寮に帰る。


 学生寮に帰ると、なぜかアンヌがわたしの机で何やら数式を書いている。そこへイムレがやってきて肩越しにアンヌが書いているものを覗く。イムレがアンヌに何かパラドックスめいたことを言い、アンヌと口論となる。アンヌはプンプンして退場。

 いつもの風景だ。


 そして、またお茶会と称してエルフのお嬢様方から呼び出しをうけた。お茶会といっても今まで一杯のお茶も出されたことはない。最初に大公女様のご挨拶らしき一言のみ賜ると後は無視される。それからカティになにやら小言を言われ適当に相手をして辞去するのがパターンだ。

 なんのために呼び出されるのか全く意味不明。

 唯一会話するカティも何やらわたしの顔を見るとイラつくらしく、言ってることが理不尽な言いがかりばかりだ。

「貴女、数学でズルしているでしょう。私たちにズルの方法を告白して反省しなさい」とか「なんで貴方はのほほんと外をぶらついて食べ歩きしたり観劇したりしていますの?もっと真剣に人生を考えて行動しなさい」とか。

 数学はアンヌの協力のもと自学自習の努力の成果だ。わたしのマンマじゃあるまいし、わたしが外をぶらつこうがどうしようと勝手だ。わたしは本来留学生に選ばれるはずのなかった下っ端の軍人にすぎない。一応真面目に授業に出て大学に進学するという義務を果たしさえすれば給料分の仕事をしたことになるのだ。

 しかし、本国からの指令か……。何ができるかわからないけど、モニカの秘書官に支援の用意がある旨の連絡を入れるほかないな。気が進まないけれども。


 + 


「ああ、なぜ私は毎日毎日ダークエルフのカリアチンピラーノとヒトのガキのイムレイヤミンスキーに思い煩わされなければいけないのよ。不幸だわ。何がいけなかったのだろう?これって昔お菓子で出来た家を齧ったのを咎めた魔女を竃に蹴り込んだせいかしら?それとも狼男に変身したおばあさんを火掻き棒でブッ叩いたのがいけなかったのかしら?早く誰か白馬に乗った王子様となって私を連れ去って」

 今日は、ゲルトルートの妄想。

「白馬に乗った王子?そんな奴がいたら蹴り落としてふん捕まえて博物館に叩き売ってやる。現実を見てごらん。世の中、クズでアホな男しかおらんよ」(わたし)

「何でも測りたがりの乱暴者(ドワーフ)が白馬に乗った王子様に拐われるなんてありえない発想です。食いしん坊の貴女なら白馬に乗った王子様を期待するより馬刺しでも貰うことを夢見ることをお勧めします」(イムレ)

「うああ。クズでアホな男と嫌味なガキしかいない現実なんて嫌すぎます。現実逃避するため私にも妄想する権利があると思います。あと、乱暴者はカリアだけです。ドワーフにも乙女はいるのです」(ゲルトルート)

「自分でも妄想だと言い切るだけの理解力はあるのですね。足りない頭なのに現実を見る力があるとは感心しましたよ。あと、乱暴者をカリアさんに限定するのは正確ではありません。女性はすべて乱暴者です。姉然り妹然り幼馴染然りです」(イムレ)

「それは自業自得だろ。こんな空気の読めない嫌味の塊、たとえ血がつながっていても優しくする気など起こりえないぞ。自分の姉妹に橋の下に捨てられなかっただけマシと思え」(わたし)


 アンヌがなにやら諦めた顔で3人の暇人を眺めていた。


 +


 大公女たちは知らなかったが、高い地位にあるエルフたちでも心置きなく自分たちの楽しみを追求することができた。彼らは多少の醜聞や悪事を秘匿することぐらいの権力を持ち合わせていたからだ。彼女たちが息詰まる思いをしているのは、ひとえに若く大人の狡猾さを知らなかったからに過ぎない。

 しかし、面白おかしく暮らしているエルフたちにもここエルフランドでは陥穽があった。

 侯爵令嬢エッラ・キルシマイヤ・ハエルコーネンという怪物の存在である。


 エッラはエルフランドのいたるところに自分の息のかかった人物を密かに配置し蜘蛛が自分の巣をつくるように情報の糸を張り巡らしていた。エッラは高位のエルフたちが気づかないままその跡をつけ秘密を暴き監視し、ここぞというときに姿を現し件の人物の耳に囁く。

「大臣様。先週は某の屋敷で随分とお楽しみのご様子でしたわね」「次官殿。予算を流用し公金の一部を懐にお入れになるなんて、おいたがすぎるのではありませんか」「侯爵様。もぐりの賭博場で随分と散財なさったようですわね。御同情申し上げますわ」「男爵殿。実現不可能な陰謀を企てにおなりになるなんて随分とお暇であそばすこと」「若様。政治集会に参加したばかりか反王室の過激な政治パンフレットを書くなんて若気の至りで済ませられることではありませんよ」

 すねに傷持つエルフたちは王宮で彼女と廊下ですれちがう度、背筋が凍った。


 彼女はエルフランドにいるあらゆる人種の、あらゆる地位にいる、あらゆる種類の者の弱みを握り甘い餌をちらつかせて従わせ、自分の情報の糸として巧みに織り上げていた。

 唯一忠誠を誓う女王陛下のために彼女は常にその張り巡らした情報の糸から伝わる不審な振動に注意を払い獲物を確実に狩った。

 だが、彼女は不満だった。獲物がいつも小物すぎる。不正役人?無能な醜聞まみれの貴族?食い足りないわ、私の獲物としては。

 彼女は巨万の富を得ることにも強大な権勢を振るうことにも何ら興味を引かれなかった。

 彼女はその張り巡らした情報の糸を巧みに操りあらゆる人の秘密を探り暴き利用してにっちもさっちもいかなくなるように陥れ、糸に絡まれた彼らが恐怖するのを嘲笑い、そして喰いちぎった。

 この獲物を喰らう瞬間のみが彼女の楽しみであり、生きがいであった。


 この、ヒト族から見ればせいぜい20代前半に見えるエルフの貴族令嬢の正体は常に飢えている人食い蜘蛛という怪物である。


 そんな彼女にも期待できる獲物が2匹が外国からやってきた。

 この2匹の獲物は猪口才にも彼女と同じくエルフランドにスパイという糸を張り巡らそうとしていた。彼女には2匹の獲物の活動がビンビン自分の糸を通じて伝わってきた。

 ゲームの相手としては素人だけどとにかく久しぶりの大きな獲物であることには違いないわ、楽しまなくっちゃ。

 彼女は舌舐めずりした。


 早速、彼女は女王陛下にザールラントからカール・フォン・ドライス博士とメラニア王国からはモニカ・エーコというスパイが自国に来て不埒なことをたくらみ始めた旨耳打ちし、狩りをすることの了承を得た。


 彼女はエルフもヒトもその他の人種も誰であろうと信頼していない。だから、手駒はすべて恐怖で縛るか甘い餌で手なづけた。そして、縛りが緩んでいないか餌が不足していないかについて常に気を配った。今それを確かめに彼女はエーロ・サーリネンという学生責任者に会っている。完璧主義者の彼女はこの手の判断を他人に任すことはしない。


「ですから、彼女の行動に何ら不審な点も見つかりませんし、赤シャツ隊員ではありますが全体主義者であるとすらも思えないのでありまして、これ以上彼女に対する調査は時間とお金の無駄と愚考いたします」

 人気のない公園そばに停められた黒塗りの高級車の後部座席に向かって学生責任者が盛んに言い募る。

「……」


 エッラは後部座席のわずかに開けられた窓の隙間から外の男に冷たい視線を投げたまましばらく沈黙を保った。

 彼女は彼に与えた奨学金程度では餌として足りないのかしら?それともダークエルフの小娘に情がうつりはじめたのかしら?一応無能ではないとしてどうしたものかしら?などと考える。

 彼女にとって手駒自身の判断など考慮に値しない。手駒は言いつけ通り働いていればそれでいいのである。

 勘違いをしているエーロ・サーリネンは自ら己の首を締め付けつつあることに気がついていない。


「このお仕事が気に入らないならば何時でもお辞めになってよくってよ。でも、わたくしが頼んだ事が人に知れると困りますからそれ相応の口止めをさしていただくことになりますけどね。いかがかしら?」


 彼女は餌ではなく恐怖で縛り直すことにしたようだ。エーロ・サーリネンは顔をこわばらせて口をつぐむしかなかった。


 彼女はマリアカリアがモニカの秘書官に会いに行くであろうことも本国から指令を受けたことも知っていた。

 手駒の少ないモニカはいつかはマリアカリアを動かすはず。マリアカリアは随分と荒っぽいらしいから、どんな荒事に扱き使われるのかしらね。

 無論、エッラは未然にことを治めるつもりであり、破壊活動などさせてやる気などない。

 まずはマリアカリアの周りに噂をまき身動きをとれなくしてモニカの様子を見てみましょうか?モニカがマリアカリアを捨てるならばよし。使うならば少し手荒に対処するのみ。


 彼女はそう決めて次の打つべき行動に移った。


 +


 エッラは女王陛下の命を伝えるため密かにエーロ・ヤンネ・ユーティライネン伯爵を呼び出した。

 エッラに言わせればエルフランドの情報局など名に値しない存在であった。

 確かに敵のいるところに潜入して破壊工作をするなどという荒事については手馴れているようだが、肝心の情報戦というものを全く理解していないとしか思えない。せいぜい素人の探偵家気取りの集団であり、繊細かつ周到さが必要なはずの仕事を場当たり的に手荒く処置して台無しにしてしまう。

 エッラはこのどうしようもない連中の代わりに特務機関を新たに作り、そこに情報局本来の役割を担わせようと考えていた。勿論、特務機関はエッラが裏で操る。エッラは特務機関の長としてエーロ伯爵に目をつけ、彼を自身の駒とすることに決めた。エーロ伯爵は身分柄、各人種の上流階級に独自のコネを持っているうえ、著名な行動する考古学者という表の顔はスパイ活動のいい隠れ蓑になる。エーロ伯爵ほど特務機関の長にうってつけな人物はいない。


「エーロ伯爵。女王陛下は貴公に我が国に蔓延る外国のスパイを撲滅するよう期待していらっしゃいます。お励みなさい」


 エーロ伯爵はこの自らをも偽り他人の信頼を裏切ったり利用したりする仕事を内心嫌っていたのだが、女王陛下の命令である以上不満をもらすことなどできるものではなかった。

 憮然とする様子からエーロ伯爵の感情を機敏に察知したエッラはこう言った。

「あら。エーロ伯爵は上品な方でいらっしゃるのね。確かにこういうお仕事はわたくしのような下種にしか向いてないかもしれませんわね」

「……」

「それはそうと、妹君さんのダンスの練習はお捗りになっていらっしゃいますか?なんでも情熱的なダンスをお好みになられるそうですわね」


 ニコリと笑いながらエッラは彼女の糸に引っ掛かった情報の一つを披露して早速エーロ伯爵を縛りにかかる。

 所詮彼女は恐怖に縛られた者か彼女の餌に食らいついた者しか信用できない。見かけ誠実そうな高位の貴族であろうと彼女には関係がなかった。


「他にも妹君さんに関するお話を知っておりましてよ。なんでもお通いになられている予備学校の同級生にダークエルフの女性将校さんがいらして、そのダークエルフさんはモニカ・エーコとかいう外国の独裁者の娘さんにつながるスパイだそうですわね。妹君さん、そんな危ない人物に近づきすぎてやけどをしなければいいのですけど」

 エーロ伯爵はあれほど注意したダンスの鑑賞会についても参加した全員の素性についてもエッラにすべて知られていると覚って、顔を蒼ざめた。

 エーロ伯爵の様子を見てエッラは満足した。


 これでよし。これでエーロ伯爵はわたくしの意のまま。だって彼は妹君さんをそれはもう大切にしているのですもの。裏切ることなんてできやしないわ。


 エッラは大公女たちがマリアカリアを虐めていることまで知っており、そこに兄を通じてスパイの噂が広がればマリアカリアが追い詰められることを明確に予想できた。


 +


 1週間後ー


 今日の夕食はメラリア南部風イワシのパスタである。もちろん作るのはわたしだ。

 まず、オリーブオイルを入れたフライパンににんにくと鷹の爪を投入。弱火で加熱して香りが立ったら下ろしたイワシを入れてソテーにする。さらにウイキョウと松の実、レーズンを炒め、塩で味を調整。仕上げにトマトペーストを加えてソース完成。茹で上がったプカティーニ(太めの乾麺)を皿にとりわけソースに絡め、モッリーカ(乾燥したパンくず)を振りかける。


「各自、適当にエキストラバージンオイルを振りかけて完成だ。さあ。召し上がれ」


 少し辛いが、香辛料好きのプスタリア人のイムレはもとよりロレーヌ出身のアンヌも気に入ってくれたようだ。


「おや。ゲルトルートはどうだい?やはり魚入りのパスタはドワーフの口には合わないのかな?」

「……いや。お料理はおいしいけれど。お料理のことじゃなくて、もっと大切なことがあるでしょ」

「?」


 暗い顔をしているゲルトルートに水を向けると何やら口の中でもごもご言う。


「ねえ。カリア、どうするのよ?」

「どうするって……、なにが?」

「へえっ!」

「ええっ?」

「ひょっとしてまったく気付いてないの?」

「だから、なにが?」

「いやその、たとえばみんながあなたを避けるためにいつもできる半径7メートルの教室内の無人地帯とか。あなたが近付いただけで談笑がぴたりと止まる微妙な空気とか。遠くの陰で囁かれる恐怖の噂話とか」

「恐怖の噂話?」

「入学前にカリアは強制収容所の警備の任務に就いていて機嫌が悪いときには囚人に向けて発砲して日に5人は射殺していたとか。実はスパイでエルフランドに来たのは要人暗殺と破壊工作が目的だったとか」

「はあ?」

「まだあるわよ。エルフランドに逃げ込んだマフィアの裏切り者を人知れず始末したとか。エルフのお嬢様を拉致監禁して身代金を要求しただとか」

「……」

「まあ、荒唐無稽すぎてほとんどだれも信じちゃいないんだけど。ただ一つ。モニカ・エーコのもとで諜報活動しているという噂だけはあり得る話だから……」

「ふーん。どれもひどい内容の噂だけど、実害がないからどうでもいいんじゃないか。わたしが本当にスパイだったら今頃エルフの官憲に拘束されているはずだろうし」

「……」

「ああ。ついでに言っておくが、わたしはハブられることには慣れているのでご心配なく。

 幹部候補生時代、少年行動団から持ち上がった連中以外とはほとんど口をきいたことがない。わたしは実に生意気でね。そして有能だった。だから上級生には絡まれるし教官たちからは煙たがられた。

 まあ、仕方がない。成績優秀。青年行動団賞受賞者。近代5種の全国大会2連覇。特に2回目の優勝時には国の乗馬、ピストル射撃、フェンシングの記録を塗り替えている。

 妬んだ上級生どもからほぼ毎日のように呼び出しを受けていつもボコボコに返り討ちにしていたし、嫌みを言う教官には嫌味で返していたし。

 あの幹部候補生時代に比べれば、この程度、温すぎてあくびが出てしまう。それにゲルトルートたちはわたしの出す食事をいつものように食べてくれる。カーロイなんて学生でもないのにいつの間にか来て食べているし。何の問題もない……と思うよ」

「……カリアが気にしていないんだったらわたしから言うことは何もないわ」


 わたしはキャンティのコルクを抜きみんなに注いで回った。

 みんなの前では平気な顔をしたが、モニカ・エーコの秘書官に会いに行ったことがエルフ側にバレていることを知り、わたしが内心焦ったのは言うまでもない。


 +


 夕食後、例によってエルフのお嬢様方からお茶会に呼ばれる。

 今までわたしには一杯のお茶すら出されたことがないから“お茶会”というより正確にはエルフのお嬢様方によるダークエルフの小娘にネチネチ小言を言いいながらお茶を楽しむ“鑑賞会”だろう。こんなお茶会があってたまるものか。


 いつものように大公女様から「お茶はいかが?」の挨拶からはじまり、“怒りのカティ”の小言が続く。


「相変わらず外をほっつき歩いているそうね、マリアカリア・ボスコ―ノさん?そんなに学業に専念するのがお嫌なら退学なさったらいかが?」

「現実は悲しいものですね、カティお嬢様。学業に専念しても数学で平均点以下しか取れない方々がいらっしゃる反面、料理の買い出しや甘味の食べ歩きに外をぶらついているダークエルフの方が平均より上の成績をとるなんてね。真面目に勉強なさっているお嬢様が妬まれるのもよーくわかりますよ」

「な、な、なんてことをおっしゃるの!ちょっと調子が悪かっただけです。次こそはわたくしが優秀だということを証明してみますわ!」

「残念ながら、お嬢様。数学の小テストはもうありませんよ。これ以上しても一部の方々の成績向上は見込めないとのことで担当の講師がわたしとゲルトルートが教室のみんなに追いついたことをもって満足することにしたみたいですよ」

「「えっ!?」」

「よかったじゃないですか。もう数学の宿題に悩まされることもなくなって。このまま大学へ進学できるかどうかはわかりませんがね」

「「「……」」」


 知らなかったらしい。唖然とした3人のお嬢様方がしばらくお口をポカンと開けてエルフ特有の白痴美人ぶりを魅せてくれる。写真機でも持っていたならばあとでゲルトルートに披露してやるのだが。


「ゴホン。そ、そんなわたくしたちへの心配よりもスパイ疑惑のある貴女自身の心配をなさったらいかが?政府の人間に捕まってひどい目に遭わされても知りませんから。一刻も早く退学なさってお国へ戻られることを強くお勧めいたしますわ」

「……」


 世間知らずのエルフのお嬢様方からもスパイ疑惑を指摘されるとは……。かなりまずい事態になったものだ。誰かが故意に噂をまいてわたしを追い詰めている。だが、何のために?


 わたしが嫌味の返しもせず疑問を検証していると、アンヌが部屋に飛び込んできた。そして彼女は物語に出てくる竜のように怒り狂った。


「私は貴女方に言いたいことがあります。よくお聞きなさい。貴女方は卑怯で下劣で醜い、です」

 たいていの人は日頃大人しい人が豹変するのを見ると恐怖に囚われてしまう。3人のお嬢様方も高位のエルフらしくもなく震え上がってしまった。何故だか3人には痩せたアンヌが大昔の荒くれ共を率いた戦乙女(ジャンヌダルク)のようにみえたらしい。

「貴女方にも分かっているはずです、カリアがスパイでもなく全体主義者ですらないことを。それなのに噂を利用して虐めるとは。それも自分たちの欲求不満のはけ口にするために。なんて身勝手な振る舞いなの!」

 アンヌは3人のお嬢様方の心を鏨で刻みつけるように弾劾した。

「傍から見ていれば、貴女方がエルフの因習やらなにやらに囚われて身動きとれずに苦しんでいるのはわかります。けれど、その苦しみの不満を関係の無いカリアにぶつけるのはとても見苦しいし情けないわ。囚われて苦しいのだったら囚われているものに思いをぶつければいい」

 アンヌの弾劾は続く。

「それをしないのはただの逃げ。貴女方は卑怯なのよ。弱いものを虐めでもしたら現状が何か変わるの?誰かに褒めてもらえるの?」

 アンヌは小さくなった3人のお嬢様方を睥睨するかのようにして言った。

「消去法で噂の出どころは学生責任者のエーロ・サーリネン氏か貴女方3人かに絞られる。貴女方によるものだったら悪質極まりない。貴女方によるものでないとしても利用したのにかわりがない。仮りにもカリアは同級生よ。庇うではなく逆に虐めるとは何考えているんですか!」

「「「……」」」


「カリア。貴女にも言いたいことがあるわ。一緒に来なさい」

 怒れる戦乙女は噂の犠牲者であるわたしを引っ張って外へ連れ出してしまった。日頃なら無礼を咎めたであろう3人のお嬢様方はそれぞれの思いになんとも言えない顔をしてわたしたち2人の背中を見送っている。


 わたしはこの時点ですでにエルフのお嬢様方が噂をばらまいたのではないとの確信を持ったが、そのことは口にしないことにした。


 +


 自分の部屋に戻ってからわたしはアンヌにしれっとして言った。


「一応助かったよ。礼を言う」


 これに対し、アンヌは憮然とする。


「一応ですって。ねえ、あなた何考えているの。噂が流れていたんだから3人のお茶会にノコノコ出かけていったら何を言われるか分かっていたでしょうに」

「いつものことだし。あのお嬢様方が暴力を振るうわけでもないし」


 わたしは肩をすくめてみせた。


「それにしても今日はよくしゃべるな」

「それは私が怒りで爆発してしまったからよ。主に自分に対しての怒りでね」

 アンヌは目をぎらつかせた。

「私はカリアが嫌いだった。勿論、今でも嫌い。

 最初の頃、なぜいらつくのかわからなかったわ。私、もとから他人に対して余り気にする質ではないから。

 でもね。あのお嬢様方を見て解ったわ。焦っていたってね。私の場合、彼女たちとは違い、思い込みによるものだけれどもね。私には数学しかない。マリ先生も期待した。貧しさから脱却するためにもこれに縋るしかない。こういうふうに思い込んでいたの。そんな私が自由奔放に生きるカリアを見て衝撃を受けた。そして、考えたわ。なぜ衝撃を受けるの?なぜ激しい嫉妬にかられるのかって?

 出た答えは単純なこと。私は強迫観念じみた思いからただがむしゃらに数学に縋り付いていた。楽しんで数学に向かったことなど今まで一度もない。数学を楽しむなんて害悪にすら感じていた。それがそうではないと、あなたを見て気づかされた。そういうことなの」

「……」

「カリア。あなたはなにかに縋り付いて生きているわけではない。才能にも(主に身体能力の方だけど)、建前の全体主義にも。

 私は気づかされた。人は何かに縋り付かなくても生きていける。今までの私は自分で勝手に自分を縛り付けていたにすぎない。

 不自由なことね。まったく笑っちゃうわ」

「それはおめでとう。でも、ひどい言われようだな」

「私が必死に縋り付いていたのは、あなたと生きてきた環境が違ったからなのかもしれない。

 私の家は没落していてね。私に高等教育を施すどころではなかった。私はお金を得るためにロレーヌ中を家庭教師になって回ったわ。嫌な思いもしょっちゅうした。美人だったから家庭教師になった家の男共とか教え子のマセたガキとかのいやらしい目つきに晒され続けたわ。貧しかったから蔑まれることも当たり前だったし。

 そんな嫌な思いから逃れるために私は数学に縋っていたのね。結局は逃げていたわけ。私は嫌な思いをさせた人たちにも女性に研究する機会を与えようとしないアカデミーの連中にも拳を振り上げようとしなかった。たとえそれでさらに攻撃されようと拳は振り上げるべきだった。現状を嘆いているだけでは何も変わらない。被害者なんだからそれぐらいしても罰は当たらないはずだったのに。それにそうした方が胸がスカッとしたはずなのにしなかった。それがわたしは悔しいの!

 こんなことをカリアがいっぺんに教えてくれた。最初、私は混乱しこれからどう行動していくか決めかねて焦ったの。そして、今は常に拳を振り上げろと励ますカリアの存在にとても迷惑しているの」

「……わたしは矜持に従って生きているだけだよ。アンヌに言われるほど偉い存在ではない。フン。教官たちから言わせればわたしは『狡猾かつ凶暴残忍』らしいからな」

「偉い存在だなんて一言も言ってないわ。『狡猾かつ凶暴残忍』なダークエルフさん」


 マリアカリアはいつものようにアンヌのためにカプチーノを煎れた。


「私もよ」

 窓際で今まで空気と化していたゲルトルートが突然話し始めた。

「いいえ。私にはアンヌのように縋り付くものすらないわ。そういうことを言いたいんじゃないの。

 あのね。昔からザールラントの恵まれた家庭の子女はエルフランドに留学するの。私のおばあちゃんもそう。昔、おばあちゃんはよく言ってた。エルフランドに行くと、ドワーフの娘は1人ぼっちになって寂しい思いをするって。エルフはもともとドワーフのことを田舎者と蔑んでいるから。まえの戦争を引き起こしたことも根にもっているし。決して彼らは忘れないわ。そして、どんなにドワーフが憧れてもエルフは振り向いてもくれない。

 おばあちゃんの言っていたことはここへ来て実際エルフの冷たい目に晒されて本当のことだとよくわかったわ。

 でも、カリアが来てからそんなことどうでもよくなった。カリアに依存したわけではないのよ。本当、どうでもよくなったのよ。エルフの目にこだわる必要なんてどこにもない。他人の評価によって私は生かされているわけではない。そのことをカリアを見てはっきりわかったから」

 ゲルトルートはフフンと笑って付け加えた。

「少しだけ。ほんの少しだけカリアには感謝しているわ」


 わたしはなんだか蒸し暑い夏の夕暮れにちょっとした雨が通り過ぎたような気分になった。


 +


 実際に予備学校や学生寮に噂をまいたのはエルフのお嬢様方ではなく、エッラに脅されたポロニア人の女性留学生だった。

 完璧主義者のエッラはエーロ伯爵から大公女を通じて噂を広めるという不確実な方法にだけ賭けるほど楽観的ではない。

 ただ、エッラにとってマリアカリアを追い詰めることは自分のゲームのごくごく小さな局面に過ぎず、今はエルフランドにいるポロニア人を取り込もうとしているカール・フォン・ドライス博士の暗躍の方が非常に気になったためエッラはマリアカリアをしばらく放置することに決めた。

 

 ところで、ポロニアとは昔ザールラントの中央東寄りにあってドワーフによって滅ぼされたヒト族の国である。生き残ったヒトたちはドワーフに従属しながらもしつこくその地域に住み続けた。その子孫が現在ポロニア人と呼ばれているものである。

 ポロニア人は一般のドワーフより知的水準が高いと言われている。かつてのポロニア国が忘れられず今でも形なきポロニア大学と称するものをつくって同胞に無料で教育を施しているためである。

 アンヌの先生であるマリ・エイメ旧名マリア・ズグジェムブスカもまた形なきポロニア大学で学んだ1人であった。


 昔からポロニア人は周りのドワーフから暴動を起こされその度に虐殺された。その影響で数多くのポロニア人が故郷から逃げ出し大陸中に散在している。

 現在、彼らを取り巻く環境はとても厳しい。

 故郷ではもとからドワーフに蔑視されてきたうえ、一部のドワーフの民族主義者たちが前の戦争で負けたのはポロニア人が裏切り、背後から突き刺すようなマネをしたからだと実しやかに宣伝し始めたせいで一層肩身の狭い思いをするようになっていた。急激に力を伸ばしてきた国家社会主義労働者党など極右は公然とポロニア人を攻撃の対象にすらしていた。

 ザールラントではなくその他の地域に散在するポロニア人たちもそこに住む人間からみれば所詮余所者にすぎず、厳しい目で見られ続けていた。そのうえポロニア人にはコスモポリタンが多く左翼勢力とも多少のつながりがあったこともあってさらに偏見に拍車を掛けていた。

 アンヌの先生であるマリ・エイメがなかなかロレーヌ共和国で認められなかったのも女性であるばかりかポロニア人であったことへの偏見からくるものでもあった。


 このような状況の下、エッラとカール博士とのゲームはことポロニア人に関する限りカール博士にかなり分があった。

 なぜなら、ポロニアはザールラントにあり、そこに住むポロニア人の生殺与奪をドワーフが握っていたからである。ドワーフにとりポロニア人に優遇という餌をあたえることも弾圧という鞭をあたえることも可能であり、カール博士はそれらをエルフランドにいるポロニア人の耳に囁けさえすればよかった。同胞を人質に取られたポロニア人たちはカール博士に従うよりなかったのである。

 他方、エッラにはエルフランドから追放するという脅ししかない。まだ戦争が始まったわけではなく、独立を支持するという空手形がどれだけ効果を持つか誰も見極められないのである。


 さらに都合の悪いことに、このエッラの分の悪い綱引きに対して思わぬ勢力がつけ込んできた。ドン・チッチことサルヴァトーレ・シャッリーニ率いるダークエルフのマフィアである。

 綱引きに負けてエッラの張った糸がポロニア人のコミュニティーの内部にはとどかなくなっていた。このことは犯罪組織にとって願ったり適ったりの出来事だった。ポロニア人の中にも犯罪者集団がおりマフィアはそれと協力関係を結び、サルヴァトーレはポロニア人の横のつながりを密輸に大いに利用することにした。


 +


 スパイの噂騒ぎがあってからほぼ1ヶ月後のある日、わたしはゲルトルートたちいつものメンバーと例のドナヒュー座に『メリー・ウィドー』というオペレッタを見に行った。内容は男女の意地の張り合いという極々他愛なものであったが、歌が楽しかった。ヒロインはマルギットが演じたが、準ヒロインは声の関係でマグダではなく別人が演じていた。

 いつものように楽しいひと時を過ごせた。それはいい。だが、厄介なことがオペレッタを観終わってから起こった。


 劇場からの帰り、マクソリィというエーラ人の営業しているパブにいつものメンバーで立ち寄った。その店は床にオガクズを撒くような古いタイプのパブで、カウンターの前に椅子など無く立ったまま客にギネスやエールを飲ませた。

 わたしたちが店に入ろうとすると、カウンターの内側からエーラ人のバーテンダーが出てきた。

 バーテンダーはその青い目を伏せながら謝った。


「すみません、お客さん。今の時期、ダークエルフの方は困るんで」


 わたしは空気の読めるダークエルフだ。よくわからないが、中の客の雰囲気がガラリと変わった様子からして本当に困るらしい。バーテンダーに悪意も感じられない。

 そこで、回れ右しようとしたときに、招かれざる同郷人が2人やってきた。

 一目見てわたしがもっとも嫌いなタイプの連中だとわかった。

 一方は紺色のスーツを着て薄茶の黒リボンを巻いたソフトを少し斜めにかぶった男で、その左手のルビーの指輪が嫌に目立った。もう片方は何か食ってきたらしく楊枝をくわえ薄い褐色のダブル・スーツを着た男で、顔を斜めに傾けて手をポケットにつっこんだままこちらをジロジロ眺めていやがった。


「飲ましてやったらいいだろう。その方が儲かるぜ」


 わたしたちが店に絡みに来ているのが丸分かりな連中を無視して帰ろうとすると、酒臭い息を吐きながらソフトの男が絡んできた。


「待ちな、ねえちゃん。しばらくするとギネスが飲めるぜ」


 楊枝をくわえた男がわたしの左の肘を掴もうとする。

 わたしはその時、胸の大きく開いた袖のない夜会服を着て首にストールを巻いていた。足には勿論固いヒールを履いていた。

 掴みにきた男の手をすかし、回れ右風に右足を軸にして左足のヒールの先端で男の股を直撃してやった。わたしはゲスに気安く触られるほど安い女ではないのだ。

 蹲った男に代わり紺色のスーツの男が素早く刃を飛び出させたナイフを右手にもち一歩前に出てきた。この手の男は女性が抵抗したりして面倒くさくなるとナイフで顔を切り裂こうとする。最悪だ。今の服装だとストールを左腕に巻くのが精一杯ではないか。なんとか注意を逸らしてハンドバックからベレッタを取り出すしかないのか?こんなことを考えながらわたしは男の完全に冷えきった目を見つめて対峙した。

 が、次の瞬間、均衡が崩れる。男の首に後ろから縄が掛かり引きずられたのだ。男の一瞬前まで殺気に満ちていた目は大きく見開かれ、死の罠から逃れようと左手で首にかかった縄を掴み大暴れを始めた。しかし、男は声も満足に出せないままズルズルと陰の方に引きずられていく。

 わたしは引き摺っていく男に見覚えがあった。ジュゼッペ・ヴェルディ。サルヴァトーレの用心棒。


「お嬢様。どうもお久しぶりです」

 ジュゼッペがわたしに笑いかけてくる。ついさっきの暴力などまるでなかったかのようだ。

「ありがとう。ジュゼッペさん。おかげで助かったわ」

 マフィアは体面を気にする。特に人前でははっきりした形で礼を述べなければならない。

「お嬢様が使用人に礼など述べる必要はありませんよ」

 これも形式。謙虚にふるまうことが礼儀とされている。額面通りに受け取ってはならない。

「か弱い女の身の上。紳士の助けはやはり嬉しいものです」

 歯の浮くお世辞も処世の習いだ。仕方がない。

「あれはコチラの手落ちでございます。謝らなければならないのはこちらの方ですよ」

 そうか。連中、ジュゼッペの手下か。

 マフィアの幹部はひらの構成員の生殺与奪の権をもつ。ひらは虫の居所が悪かったなどどんな些細な理由から幹部に殺されても文句は言えない。

 ジュゼッペにとってわたしは主筋(サルヴァトーレの父はボスコーノ家の領地管理人であり、しかもサルヴァトーレ自身、若い頃はボスコーノ家の使用人であった。サルヴァトーレの忠実な右腕であるジュゼッぺからしてみればいわずもがなのことである)のお嬢様にあたる。ジュゼッペにしてみれば体面を汚されたのだ。連中を10回くらい殺しても飽き足りないだろう。


「お詫びの印にといってはなんですが、皆さんを招待しますよ。うまいメラリア料理を食わせる店があるんですよ」

 わたしはゲルトルートたちに断るなとアイコンタクトをし、共にジュゼッペにエスコートされてゾロゾロと店に向かうことになった。


 店は5階建てのビルの一階部分にあり、窓からは通りがよく見えた。

 ジュゼッペはもうかなりの年のはずだが、ナプキンを首に巻いて健啖ぶりを発揮した。ジュゼッペの言うとおりその店の料理は美味かった。特にパスタは南部の人間なら泣いて喜ぶほどのものだった。子牛の膵臓料理もいけた。

 ジュゼッペは陽気に振舞ったが、会話の内容は専らわたしが少年行動団に入る6才までの事柄とお国の料理自慢、それと今の生活ぶりについて限られた。

 事情の一切が明らかにされなかった。つまり、これはファミリィの仕事の話であり、沈黙の誓いの対象だということだ。

 ただジュゼッペはわたしの予備学校や学生寮の知り合いについてしつこいくらいに聞いてきた。そして、わたしは彼がポロニア人のカシア・ストラシンスカの名に反応したのを見逃さなかった。

 食事を終え、食後酒を楽しんでわたしたちは引き上げた。


 ゲルトルートに「驚いた。あんた、ギャングの親分の娘だったの?」と言われた。

 カリアからあんたに逆戻りしてしまった。

 一般の人がマフィアに対してどう思っているのかよく分かる。

 無駄だろうが、わたしはゲルトルートにさっき会った老人はわたしの家のもと領地管理人の息子の使用人であると説明しておいた。

 そりゃそうだろう。わたしの知り合いの老人が人間1人クビリ殺そうとしたうえ、その老人とまるで何もなかったかのように食事をしていたのだから。

 ゲルトルートもアンヌもイムレもほとんど食事が出来なかった。失神しなかっただけでも偉いと思う。


 +


 その2日後、思ったとおりカシア・ストラシンスカヤの行方がわからなくなる。

 わたしはあの食事の後教えてもらったジュゼッペとの連絡先へと急いだ。

 すぐに連絡がつき、あの夜とは別のメラりア料理店で落ち合うことになった。


「カシア・ストラシンスカヤを返してもらえますか?ジュゼッペさん」

「それは無理です。お嬢様。カシア・ストラシンスカヤはポロニア人。ポロニア人のことはポロニア人が決めます。彼女は私どもの手の内にはおりません」

「ジュゼッペさんはなぜあの夜カシアのことをわたしに聞いたのですか?」

「どうでもいい話ではありませんか?お嬢様とカシアとかいう女性は親しくなかったはず。なぜそのように気になさるんですか?」

「あまり親しくなかったとはいえ、彼女はわたしの学友です。わたしの目の届く範囲でわたしの知らない誰かがわたしの知らない活動をすることが気に入らない」

 途中から声の質が変わってしまった。格上の相手に己の感情をむき出しにすることはまずいのだが、今のわたしには自分を止められない。

「お嬢様は少しみない間に変わられたようですね。いいでしょう。少しお話しましょう。私はお嬢様の大好きなサルヴァトーレ・シャッリーノ氏からお嬢様の身の安全を最大限保障しろと命じられております」

 ジュゼッペは給仕にわたしのカプチーノの入れかえを命じた。

「まず、私たちはポロニア人と手を結びました。もちろん仕事の面だけですがね。ポロニア人は今エルフとドワーフの賭けの対象として扱われています。エルフ側に落ちたポロニア人にカシアという学生がおりました。大部分のポロニア人にとってカシアはまずい存在なのです」

 ジュゼッペはカプチーノを口に含む。

「実際カシアはくだらない仕事でありますがエルフのために働きましてね。そら、お嬢様が迷惑を被った、あのスパイの噂をばらまいたのが彼女だったのです。

 なにゆえエルフがそんなことをさせるのかという顔をなさっておいでですね。簡単ですよ。お嬢様を噂で身動きできないようにしてモニカ・エーコを困らせようとした。それだけです。私たちでも領事館ぐらいは目が届きますから、あとは簡単な当てはめですよ」 

「サルヴァトーレさんはドワーフとも仲がいいの?聞いちゃいけない話なら聞かないけれど」

「サルヴァトーレ氏とドワーフ共とはなんの関係もありません。私たちはエルフのポロニア人へのしばりが緩くなった間隙を突いて仲良しになったに過ぎません。政治は関係なし。仕事だけのお付き合いです。

 ああそれと、お嬢様を嵌めたエルフの名前ですがエッラ・キルシマイヤ・ハエルコーネン。侯爵令嬢。エルフランドの怪物です。とても危険な人物ですのでお気を付けてください。名前を聞いただけで逃げるくらいが丁度いいぐらい危険です。

 そうですね。いざとなれば、ここに逃げ込みなさい。お嬢様には指一本触れさせはしませんよ」


 たしかにそうだろう。ここはダークエルフの移民が集まって作った下町の地区だ。エルフの巡査でもおいそれと踏み込めるところではない。


「あとはお嬢様が余計なトラブルに巻き込まれることがないよう話しをしときましょう。今私たちはエーラ人との間でシマの取り合いをしています。エーラ人はドワーフと仲が良く、ドワーフはメラリアの全体主義者と仲良くなりたい。メラリアの全体主義者のなかにもドワーフと仲良くなりたがっている野郎がいます。その中の1人にお嬢様さまの助力を断った例のモニカの秘書がおります。そういう関係ですから、私たちがエーラ人をつつくと、奴らはドワーフに泣きつき、ドワーフは全体主義者に頼み込むという関係にあって、ここで派手に騒ぐと国もとが憲兵にくしゃみをかけられるというわけです。お嬢様はモニカの秘書に近づかないでくださいね」


 わたしは聞きたいことを全て聞き、会話は終わった。肝心のカシアはもう戻ってこられないだろう。


 体面。復讐。殺人。暗殺。縄張り。抗争。犯罪。

 暗い情念の世界の住人と関係を一旦結んでしまった以上、わたしは一生彼らに付きまとわれることになるのであろうか。



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