第3話留学時の話をしよう

 さて、そろそろ留学当初のわたしの辛い体験談をしてみようか。


 大学に進学する人間には2種類あると思う。1つは、これまで研究されてきたことを知識として詰め込み卒業という肩書きを社会に出た時の箔に使うために進学する人。もう1つは、これまで知られていなかったことを研究・発見するために進学する人である。

 どちらがいいとか悪いとかいうわけではない。ただ、2種類いるということだ。そして、後者には圧倒的に天才と呼ばれる人達が多くいるということである。

 わたしは後者の種類の人でも天才と呼ばれる人でもなかった。これがためわたしの留学はかなり辛いものとなった。


 予備学校の教室で正確に平凡と言えるのは、わたし、例の3人のお嬢様方、ザールラントから留学に来たゲルトルート・ヴァイスの5人だけだった。

 あとの25名は誰がどう見ても天才と呼ばれる人たちだったのだ。

 特にプスタリアから来た天才集団。

 生死を問わず大陸で一番頭がいいと言われた男ノイマン・ヤノーシュ。異星人とも言われていた。

 強烈な自我と無敵の自己中心性で全てに嫌われ無機物以外には付き合いを耐えられないと言われ続けたマダーチ・イムレ。放浪の天才とも言われていたな。

 光好きで実験の鬼ことガボール・デーネシュ。言葉は要らない。見て二人が見つめ合えばすべての研究の道が開かれると言われた奇才のバール・エデとバール・ミクシャ兄弟等々。


 そして、ロレーヌ共和国から来た貧乏な数学少女アンヌ・ド・ボージュー。


 すべてが懐かしい……。


 6年前、わたしは留学のためラーラでエルフランドの首都ベルエンネ行の列車に乗り、着いたのは翌日の夜だった。

 それで、わたしはベルエンネ西駅からタクシーに乗り、エルグ通りにある予備学校の学生寮に直接向かうことにした(領事館は既に閉まっていたので、報告は翌日に持ち越しとなった)。


 学生寮は3階建ての石造りの立派な建物だった。

 黒の鋼鉄製の柵状の門の横にある呼び鈴を鳴らす。

 しばらく鳴らし続けると、ようやく若い男が出てきた。一人前に黒の背広に蝶ネクタイ、縞のズボン姿である。

 男は守衛でも舎監でもなかった。強いて言えば、その中間か。舎監の助手のようにもみえた。

 わたしが身分を告げ舎監のところまで案内してくれるように頼むと、じろじろとわたしを観察していた男がツンと頭をそらしてこう曰いやがった。

「失礼ですが、お時間をお間違えではありませんか。日を改めてヌルミ氏にお会いすることをお薦めします」


 エルフというのは初見の相手に対し独特な格付けや品定めをする。そして、主観で自分より格下と見ると極めて冷淡に慇懃無礼な態度に出る。

 わたしは国家義勇軍の制服つまり赤シャツを着ていた。薄い褐色の乗馬ズボンに長靴。頭には空色のケピ帽。

 どこからどう見ても気違いのダークエルフの小娘だ。

 エルフは全体主義者が嫌いだし、そもそもダークエルフを小馬鹿にしている。おまけにわたしは若い女の子。そりゃ当然見下すわな。


 こういう場合、普通のダークエルフならどうするのだろう?

 盛んに身振り手振りを添えて舎監には夜着くと伝えてあるとか自分は予備学校の学生で今夜からここに泊まる権利があるとか言って抗議するのだろうか?それとも今晩泊まるところがありませんとか疲れてヘトヘトですとか言って同情を引こうとするのであろうか?

 わたしは疲れていた。しかも、残念なことに普通のダークエルフと違う異質な存在だ。小娘でも軍人だし。そして、何よりも舐められるのが嫌い質だ。

 だから、口より先に手が出た。


 わたしは大きく息を吐くと、制服のポケットから一枚紙幣を抜き取り、男の口にねじ込んでやった。勿論同時に長靴で男の足の甲を思いっきり踏みつけた。


「チップだ。受取れ。クズ野郎。そして、さっさと舎監のところまで案内しろ」


「下品で気違いのダークエルフの小娘めが」

 男は口から紙幣を吐き出しながらつぶやいた。

 さすがはエルフ。ビビりながらもよく言ったものだ。だが、所詮は負け犬の遠吠え。男は痛みに顔を顰め、白くしていた。


 相手が格下かどうかは見て判断するんじゃない。臭いで判断するんだよ、三下さん。


「よく自分でもそう思う」

 わたしは男に向かってニヤリとしてやった。


 ひと悶着合ったものの、幸い舎監はいた。連絡通り待っていてくれたらしい。

 わたしは案内をもらい、割り当てられた部屋に向かった。


 +


 部屋に入ると、同室人が既にいた。

 ゲルトルート・ヴァイス。

 ザールラントから来たドワーフの女の子。長い濃い褐色の髪をみつあみにして後ろで丸めていた。目の色は光線の加減で緑にもみえるが薄褐色、ヘーゼルというやつだ。背は低く、首の後ろあたりから肩にかけての筋肉がすごい。固太り。上半身が前に飛び出ている感じ。

 わたしはこの時までドワーフというのを見たことがなかった。


 彼女はわたしがジロジロ見たせいですっかりお冠だった。

 わたしはすぐに謝った。わたしでも他人にジロジロ見られるのは嫌だからな。


「マリアカリア・ボスコーノ。国では見ての通り軍人をやっている。少尉だ。あとカリアと呼んでくれていい」

「私はゲルトルート・ヴァイス。医学を学びに来たの。あなたは何を学びに来たの?」

 この問いにわたしは怯んだ。あまり言いたくない。

「……エルフの国文学」


 思ったとおりゲルトルートは驚いていた。

 高い金払って、あんな韻を踏んだ7行詩とか18行詩とか64行詩とか学ぶなんて馬鹿じゃないの?

 そんな顔をしていた。


「大学進学して少ししたら、経済学に転学するつもり」

「……」

「事情があるんだ。この話は終わり」


 モニカ・エーコがエルフの国文学を学ぶつもりだったのだ。身代わりの身としてはどうしようもない。


「それより、どこか食事のできるところ知らないか?定食屋とか?夕食食いはぐれてしまったんだ」

「近くにはないわねえ。それにエルフのやっている定食屋は余り勧められないわ。まともな食事するんだったら下町のニッカネン広場まで足をのばさなくちゃいけないけど、ここからじゃ遠いし。夜の外出は学生責任者が嫌うし」

「その学生責任者というのは、1階の出口付近にいる縞のズボン穿いた奴か?」

「そっ。エーロ・サーリネン。大学で経済学学んでいる学生。外国人に対する扱いが酷いの。そんなに嫌いなら責任者なんてしなくていいのに」

「ふーん。じゃ、そのニッカネン広場まで行ってくるか。君も来るかい?同室になったことを記念して何か奢るよ。学生責任者のことなら心配ない。ちゃんと締めといたから」

「いやいやいや。締めたってなに?それに、あんた、その制服で行ったら帰って来れなくなるよ。あそこは連合諸国の出稼ぎ労働者が大勢いるところで、ひどく全体主義者を嫌っているんだよ」

「へーえ。着替えるのが面倒くさいからやめとくか。まだ荷解きもしていないし」

「そうしなさい。お腹すいてるんだったら何か出すわ。待ってて」


 ゲルトルートは大ぶりの香辛料の効いたソーセージと大きな丸い白パンを出してくれた。わたしもサラミとチーズとキャンティとオレンジを追加した。


「それにしても、あんた。馴れ馴れしいわね。ダークエルフって皆んなこんな感じ?」

「そうだよ。陽気で親切でいい加減。小狡いし、隙があったら平気で掻払うし。エルフの金持ちに対してだけどね」

「……」


「なに?」

「久しぶりに人としゃべったなと思って」

「……?」

「つまりエルフっていうのはザールラントから来るドワーフにとりわけ冷たいのよ」

「なるほど」


 それはそうと、ゲルトルートがテーブルの上に出された食べ物を物差しまで持ち出してキッチリ2等分しようとするのには驚いた。なにかの病気か?


 +


 つつましい夕食が終わってからわたしは確認した。


「ところでゲルトルートは全体主義者が嫌いかい?」

「……」

「怒らないから、言ってみ?」

「嫌いよ」

「わたしのことは?」

「まだ判らない。嫌いかも」

「あっそう」


 わたしの国に戦闘団がいるようにゲルトルートの国にも国家社会主義労働者党(ナチス)という全体主義者がいるらしい。


 +


 朝から赤シャツ隊の制服に着替えて出かけることにする。領事館に報告に行くんだから仕方がない。

 ゲルトルートからは夕べは煩くなかったかと聴かれた。寝ている最中、どうやら彼女には歯ぎしりをする癖があるらしい。わたしは何時でもどんな場所でも寝られるから構わないと答えておいた。12年もの間そうしつけられてきたのだから実際、歯ぎしりしようが寝言を呟こうがわたしは一向に苦にならない。

 午後からゲルトルートと買い物に行く約束をする。


 1階に降りていくと、学生責任者がいた。わたしが正規軍ばりの敬礼をしてやったら目をそらした。よしよし。


 と、背後から声がした。


「あれ、脳みそを母親の体内に置いてきた奴がここで何しているのかな?」


 わたしが後ろを振り返ると、黒い髪、黒い目をした14、5才のガキがいた。

 ああ、わかるよ。こういった手合いのことは。道に糞が落ちているのを見つけるとどうしても踏みつけなくては気が済まない質らしい。おみ足が汚れるよ。それでもいいのかね。


「ふーん。女でしかも胸に勲章とかのオモチャをぶら下げて喜んでるのか。もう救いようが無いね」


 胸につけてるのは勲章ではなく、戦闘団の徽章だよ。バカ。どう始末つけようかな。少年行動団以来お馴染みすぎて迷うな。


 ふと見ると、エーロ・サーリネンがガキに向かって盛んに「逃げろ」とアイコンタクトを試みていた。だが、肝心のガキの方はどこ吹く風のようだ。


「だいたい全体主……、くっ」


 行儀の悪いガキはしつけるべきだ。わたしは右足を一歩踏み込ませると同時に固めた手の甲を振り抜いた。


 バガンっ 


 キュウと目を回して白目剥いたガキは床に倒れてピクリともしない。

 面倒にならないようツボを外したし鼻血が出ないよう顔の中心線からも微妙にずらしたのに。てんかん持ちだったのか。12年ぶりのやっちゃった感に身を苛まれる。仕方がない。自分の尻拭いは自分でせねば。


「あー。学生責任者さん。お医者様はどこにいらっしゃいます?よければ往診を頼みたいのですが」

 自分でも気色の悪くなる声を出してしまった。

「や、野蛮人め。3階のプスタリア人のところまで行けばなんとかなる。たぶん、医者は必要ない」


 わたしの殴ったガキがマダーチ・イムレだった。


 わたしはガキの股から左腕を差し込んで担ぎ上げ3階まで連れていった。

 学生責任者がプスタリアの連中に顛末を説明しても意外にも連中から白い目で見られなかった。


「彼のことだからいずれこうなると思っていました。でも、軍人さん。あんまり手荒なことはしないでね。彼も僕たちも暴力とかは余り縁がないんでね」

 ウェーブのかかった黒髪を垂らした年の割にはやや長身な14、5才の男の子が言った。異星人ノイマン・ヤノーシュだった。


「すまない。口より先に手が出る方なんだ。それより彼は大丈夫なんだろうか?なんだったらすぐ医者を呼んでくるぞ」

「ミクシャ。どうかな?」

「大丈夫だと思う。ほっときゃいいさ。その方が静かだし」

 こいつも黒髪黒目。バール兄弟の兄の方だった。


「イムレは昔、家の中で自分で引っ掻いた傷を見てびっくりしてそのまま失神したぐらいだから、大したことはないと思う。もし状態が悪化したらそれ相応な措置をしておくよ。安心してていいよ」「痙攣もない。脈拍も呼吸もしっかりしてる。まあ朝食抜き位で済むだろう」

 周りの黒髪黒目たちも口々に言う。

「ありがとう。午後には帰ってくるから何かあったら教えてくれ」

 加害者としては余り白い目で見られることなく、簡単に解放された。イムレは随分と人望がないようだ。少し同情した。


 だがー

「ヌルミ氏に報告します。イムレ君に謝罪し反省文を書いて、処分をお待ちなさい」

 学生責任者は簡単にはいかないみたいだった。

「全く、入ってくるなり騒動起こしますか?近頃のダークエルフは宗旨がえしたんですかね」ブツブツ。


 なにわともあれ領事館へ行き、左胸に勲章を付けフロックコートを着たオヤジに到着の報告をし、ついでに手紙を貰って退散する。


 しかし、ゲルトルートの言うように制服は面倒くさい。道々で片手を挙げてする全体主義式敬礼をしてからかってくるバカが多いこと多いこと。早く制服を脱がなくては。


 学生寮に帰ってみると、イムレは目を覚ましていた。

 謝りにいくと、怯えていたが仕方ない。今度、何か奢ってやろう。


 ゲルトルートと外で昼食をするため慌てて着替えをした。すると、ゲルトルートが目を丸めた。

 ハっ。わたし自身、この襟元が詰まって立ち襟になったアフタヌーンドレスが似合わないと知っている。仕方ないだろう。12年間、ほとんど制服だったんだから。

 ついで、鞄の中の巻いたホルスターからベレッタM2880を取り出しハンドバックに詰め替える。

「ちょっと。あんた。何してんのよ。信じられない。ご飯食べて買い物するだけでしょうに、何しに行くつもりよ。象でも撃ちに行くつもりなの?」

「人生、何が起こるか分からん。手持ちの札は多いほうがいい」

「はあ。あんた、過剰暴行という言葉知ってる?」

「過剰防衛なら知ってる」

「置いていきなさいよ。あんた、今朝も暴行事件起こしたそうね。どうなっているのよ、全く。ドワーフより乱暴な、しかも女性のダークエルフなんて聞いたことがない」

「それは偏見だな。ダークエルフの男より女性の方が優秀だぞ」


 ゲルトルートが何やらブツブツと文句をいったが、強引にそのまま押し切って外に出た。


 領事館への行き帰りと比べれば随分マシになったが、それでも全体主義式敬礼をしてからかってくる馬鹿が多い。ダークエルフとドワーフとの組み合わせだ。仕方あるまい。


「制服の時よりましだな。鬱陶しいのであれば追い払ってやるぞ」

「やめてよね。あんたのやり方は面倒事をおこしそうで怖いわ。ここはエルフの警官が巡回しているところだから自重してよね」

「冗談だよ。安心してくれ」


 +


 ラーラの下町に比べたら随分と綺麗な下町へ行き、ゲルトルートと相談してプスタリア料理の店に入ることにする。黒髪を撫で付けでっぷり肥えた黒服姿のウエイターにテーブルへ案内してもらう。肉料理を食べないエルフがいないことを確認する。つまりここの料理は期待できるわけだ。


 卵料理の前菜にはじまり、スープはハーラスレーという辛い魚のスープ。主菜はパプリカーシュ・クルンプリという辛いソーセージとジャガイモのパプリカ煮込み。それとホルトバージ・パラチンダというパンケーキ。デザートにはドボシュ・トルタというチョコレート・ケーキとプラム。

 いずれも好みに合いとても美味しかった。わたしはメラリア南部出身だから香辛料の効いた料理が好きなのだ。

 ゲルトルートも満足したようだ。


 赤ワインを飲んでいると、浅黒い顔をして楽器を持った男たちが寄ってきた。

 わたしは興味を惹かれお金を渡しチャールダーシュなる数曲演奏してもらった。

 ツィンバロムの叩音とバイオリンの響き。ダークエルフの音楽とは違うが、哀愁が漂い実に魅力的だ。本来なら複雑なステップを踏んで男女のペアーが踊り回るそうだ。


「こんなに楽しかったのは久しぶり」

「次はうちの学校のプスタリア人を連れてこよう。ダンスが見てみたい」

「あらダメよ。うちのプスタリア人、揃って音楽と体操がダメらしいもの。それに研究狂で時間取れなさそう」

「ふーん。そうか。残念」


「次は買い物に行くか?ところで寮で自炊は出来るのかい?」

「聞いたことない。誰も厨房を貸してもらってまでして自炊はしていないみたい」

「じゃ、わたしが無理やりにでも厨房借りて自炊してみよう」

「あんた、本当に何しにきたの?そこまでする、普通」

「じゃ、ゲルトルートはこれからもズット保存食か不味いエルフ料理で我慢出来るのかい?」

「ムムム。それはチョット避けたいかも」


 それから2人で最低限自炊に必要な器具と食材を買い付けて帰った。あとで寮まで送ってくれるとのことだ。ありがたい。軍服姿ではこうはいかない。ドレス、サマサマだな。


 +


 寮の前では、ボンネットに銀の羽のある妖精の飾りのついたクリーム色の高級車が停っていた。


「まずいわよ、これ」ゲルトルートが呟いた。


 ゲルトルートの予想通りまずいことになった。主にわたしが。


 途中で買ったお菓子を抱え部屋まで上がろうとすると、学生責任者を傍らに控えさせたエルフの貴婦人が突っ立っていた。なにやら揉めているようだ。

「……ですから、そのような危険人物のいる学生寮からではなく、お屋敷の方からお通われるのがよろしいかとお願いしている訳でして」

「もうこちらに移るよう準備を整えましたわ。そんな必要は認められません。危険人物ならさっさと退学にしておしまいなさいな。そうすれば万事解決ですわね。よろしくて?」

 話題にあがっている人物とはわたしのことか?どうもわたしらしいな。

 首をすくめてそのまま部屋に上がろうとすると、学生責任者が呼び止めた。

 チっ。空気を読まない奴め。

「ボスコーノさん。使用人たちが何度もヌルミ氏の呼出状を届けに行ったのにいらっしゃらない。一体どこに行ってらっしゃったんですか?私は反省してヌルミ氏の処分をお待ちなさいと言いましたよね?」

 イムレをボコッたのは失敗だったな。ヘタレを小姑に進化させてしまった。ここでそんな小言を言ったらそばのお嬢様が……。

「あなたはお控えなさいな、サーリネンさん。そして、大公女様の兄上様と紛らわしいのでついでに改名しておしまいなさい」

 えらく高飛車だな。

「マリアカリア・ボスコーノ。12年ぶりですはね。あなたは退学しておしまいなさいな。残念ですが、さようなら」


 誰、このエルフ?


 後でわかったのだが、“怒りのカティ”だった。


 +


「ワタクシハトオイトオイクニカラキマシタ。エルフノコトバタイヘンタイヘンムズカシイ。ワタクシ、アナタイウコトナニモワカラナイデス」

 わたしとしては時間稼ぎに軽いジャブを放ったつもりだったのだが、皆さんお気に召さなかったようだ。ゲルトルートなどは首を振っている。

「貴女、ふざけすぎですわ。どこからどう見てもダークエルフの癖して大陸共通語が話せないふりをするだなんて」

 エルフのお嬢さんは頭に血が昇ったようだ。少しは脳が活性化されたのではないか?

 それにしてもこのエルフのお嬢さんは人生にユーモアが必要だとは思わないのだろうか?そんなに余裕がないと足元を掬われるぞ。

 それにしても誰だろう、こいつ?


「あー。わたしはメラリア王国の文化省の推薦を受け直々にエーコ統領からエルフランド王国との特別交換留学生に任命されたものであります。また、その任命は畏れ多くもメラリア王国国王陛下の認証を受けたものでもあります」

 エルフのお嬢様一同、だから何?という顔をしている。

「わたしが交換留学生に任命されたことについては外務省を通じてエルフランド王国の文部省へ伝えられ、その受入れは既に了承されております。そして、その受入れ了承につきましてはエルフランド王国女王陛下の認証もございます」

 ム。まだ分からないようだな。ただ、女王陛下うんぬんのところでお嬢様の背筋がさらに伸び顎を引いたな。ハイ・エルフはえらく女王を尊敬していると見える。

「これは単なる民間の文化交流ではなく、国の外交に関する事項でもあり、わたしの出処進退は自分の意思で決められるものではありません。関係の機関の権限でもってはじめて処分が可能となるものであります。ですから、わたしへの処分は特別交換留学生制度の枠内で行われるべき問題でありまして、いちエルフの貴婦人が口をはさめる問題ではないのであります」

 どうだ、このハッタリは?ハッタリは先に軽いジャブを放って相手を混乱に陥れたときほどよく効くのだ。ハハハ。

 ダークエルフの明快な思考に跪け!愚かなエルフどもめが。


「ムー。それはどうかなあ。例えば病気を理……、むぎっ」

 またも後ろから声がかかる。

 お姉さん。今朝空気の読めない子は時として大変な目に合うことを身をもって知らしてあげたよね、イムレ君。敵の味方は敵なんだよね。

 わたしはガキの肩に回した手に力を込めた。


 こうしてわたしがガキに冷たい視線を浴びせかけていると、自動車の停る音に続いて何やら騒がしい声が続いた。


 新しい女とか言われているヤツだろうか?フラノの上着を引っ掛け無地のスカート風キュロットを穿いた若いエルフの女性が学生寮に飛び込んできた。

 ハイ・エルフだからかベレー帽は被っているものの腰まで伸びた長い髪は何の手も加えていない。目の前の怒っているハイ・エルフもそうだが、ハイ・エルフは大昔からその長い薄い色の金髪を後ろに流すだけで留めたり括ったり編んだりはしない。理由は判らないが、想像してみるに、大昔、色ボケしたエルフの男が自分の彼女に向かって「君の髪は綺麗だね。何もせずに流したほうがいいよ」とかなんとか嬉しがらせたのを馬鹿なエルフの女が真に受けて、それを周りの同じような馬鹿なエルフの女たちに惚気けたのがはじまりで伝統化してしまったのではないだろうか?

 愚かなエルフたちのことだからありえる話だと思うよ。うん。

 と、脳内で一人問答をしているうちに別の話が勝手に進行していた。わたしの退学問題はもういいようだ。


「なんですの?タイナ」

 新しい女はタイナというらしい。

「……例のプスタリア人の記者がしつこくて」

「別にモデルだったら貴女でも誰でもいいじゃない。うるさいんだったら適当に推薦しておあげなさいな」

「ところが、そいつが言うには物語の設定が小さなエルフの王国だから少なくとも王族の暮らしぶりを見ないことには困るんですって」

「なんて無礼な。図々しい」

 エルフは口には出さないが、相当強い他人種に対する差別意識を持ちその見下しっぷりには酷いものがある。

「それで、その記者。私に大公女様に面会できるように取り計らってくれって五月蝿くて。ゴルフ倶楽部にまで押しかけてきたのよ。しかも、今も外にいるし」


 わたしとゲルトルートは話が逸れたことを幸いに部屋に逃げ込むことに成功した。

 ただ、物見高いゲルトルートは低い体を利用して窓の影から建物の外を覗いている。

 彼女には淑女としての慎み深さはないのであろうか?はしたない。


「押さなくても見えるわよ、カリア」


 +


 門の前に3台の車が停っている。躍動する銀の豹の飾りの付いた白い外装に真っ赤なシートのオープンカーはタイナのものらしい。後ろの箱型の自動車が記者のものだろう。

 記者はどこかな?

 と。いた。白い背広に黒いシャツ、おまけに黒いアスコットタイ?背広のポケットから赤いハンカチが覗いている。

 派手だな。本当に記者か?お前はどこのダークエルフのポン引きかと突っ込みたい。

 記者は自分の車に背をあずけて煙草を吸っていた。

 プスタリア人は皆空気が読めないのだろうか?エルフは大抵煙草を嫌う。体に悪いし火を使うし臭いし吸殻のポイ捨ては環境に悪いしとかで煙草は嫌われているのだ。

 これからエルフのやんごとなき方々と交渉しようというのに嫌われてどうするんだよ、お前。


 と、そこに一人の美人が現れた。

 色の濃い豊かな栗毛を後ろで巻いている。手はほっそりとして長く決して大きいわけではない。眉は細く伸びやかで心持ち跳ねている。鼻筋は通っていて大きからず低からず高からず。少しばかり頬がこけ顎が可愛らしく尖っている。唇は薄いが酷薄な印象を与えない。うつむき加減な眼差しのせいか、少し暗いが理知的な顔つき。ああ、今判った、彼女の目は濃い青色だ。なんて美しい……。


「暇だからといって突然一人芝居始めないでよね。びっくりするし気味悪いし」

 ゲルトルートに突っ込まれた。


「あれ誰?完全に記者に絡まれちゃっているけど」

「アンヌ・ド・ボージュー。ロレーヌ共和国から来たヒト族。そして、数学の天才。落魄した貴族の娘らしい」


 落魄した?なるほど。服が余りにも清潔さを強調しすぎていて本人の美人ぶりにあわず安っぽく見える。いや本当に安っぽい服だ。というか本当に安い服だ。つまり服にお金をかけるだけの余裕がないほど貧乏なんだ。美人なのに貧乏なんだ。可哀想に美人なのに貧乏なんだ。


「妬ましさがダダ漏れなんですけど。カリア」

 また、ゲルトルートに突っ込まれた。


「ふう。妬ましくなる必要ないじゃない、カリアだって十分美人なんだから。言いたくないけどね。決して言いたくないし認めたくないけどね」

「そうなのか?きっと美人の基準なんて人それぞれなんだろう。メラリアはダークエルフだらけで、皆似たような顔しているから誰が美人で誰がそうでないかなんて少なくともわたしには分からないからな。男共なんかは違いが判ると言うが、彼奴らこそ本当に目が見えてるかどうかすら疑わしいのに美人不美人の違いがわかると言われてもなあ。本当にどこに目をつけて言ってるのだか……。

 なあ、ゲルトルート。君は下にいるエルフのお嬢様方が美人に見えるのかい?」

「はあ?誰が見ても美人じゃない。言いたくないこと言わせないでよね」

「怒るなよ。うん、そうか。君にはそう見えるのか。でも、わたしは子供の頃から腐るほど彼女たちを見てきているが、一度もそう思ったことがない。

 美人というのは定義からして画一されてありふれたものをいうのではないだろう?個性というか、見ている本人がその人だけからしか感じられない魅力とか、そういうものを備えた女性をさすものなんじゃないのだろうか?

 それに引きかえ、あのハイ・エルフたち。どいつもこいつも薄い色の金髪。キリリとした眉。青い目。ほっそりとした顎。薄い上唇と異様に厚い下唇。ついでにいつもポカンとひらいた口。皆んな一緒じゃないか。どこに魅力が感じられるんだ。男共が勝手にあの何も考えていそうにない人形的あるいは白痴的なものが好きで、それに流されているだけじゃないのかね?」

「……」


 ゲルトルートが渋面を作る。

 いけない。わたしとしたことが、6才のころからくすぶるエルフのお嬢様方に対する感情が思わず口から出てしまった。


 と。微妙な空気のなか、またしても後ろから声がかかる。


「あれあれ。髪の毛の色と体の色の違いしかないダークエルフがエルフのことをこき下ろしてもねえ、全然説得力ないよね」


 うおっ。イムレの奴、勝手にレディの部屋に入ってきてやがりましたよ。なんだ、こいつは?


「君はいつもいつもいつもそうやって差し出がましいマネして回っているわけ?自殺願望とかあるのかな?お姉さん。心配になちゃうよ」


 拳骨でグリグリしてやるか?コイツはいつ倒れられるかわからないので加減が難しい。


「僕の自殺願望ですか?もともと我々プスタリア人は自殺する人間が多く、統計によれば年間……、いたイタタタ、痛いです」


 黙れ。


 +


 私は自分の手を見てため息をついた。父様と母様が死んでから所帯の苦労は皆私が背負っている。使用人たちもいなくなり、自分の手でソース鍋を洗うようになってからバラ色の爪も台無しになった。毎日毎日、弟のイムレッロと妹のゲルトルッタの肌着を洗い、雑巾を洗濯しては床を磨いた。髪もろくにとかず荒れた手をして近所のおかみさん連中と大声でしゃべったり。ああ、社交界レビューを果たしたあの夜が懐かしいわ。あんなにもてはやされた舞踏会の日々はどこに消えてしまったの?うん?なんだか傍が騒がしいわ。いつも家からさまよい出て道端の糞を踏んで足に付けてくる弟のイムレッロと何故かなんでも測りたがる妹のゲルトルッタがペストをかけたニョッキとカツレツをもう食べ終えていつもの口論を始めたのでしょうか?それとも近所のカルロのオッサンがグラッパに酔ってくだを巻き始めたのでしょうか?


「チョットいい加減にしてよ。なにその脈絡のない妄想。おまけに私の名前が変わってるし。測りたがりって何なの一体!」

 ゲルトルートが突っ込んできた。

「僕も名前変わっているし。勝手に弟にされているし。大体妄想にしても社交界とか舞踏会とか似合わな過ぎです。ライオンと格闘する女奴隷剣闘士とか略奪行為を続ける冷酷無比な女海賊とか実態にあった妄想をお願いします」

 とりあえずイムレの頬を抓っておいた。

「近所のオッサンはないでしょう。まだ未婚だし。それに僕の名前はカルロではなくカーロイ。ベネテク・カーロイ」

「ああ悪かった。妄想でも言っていいことと悪いことがあるな。惚気しか言わないポン引きに見える新聞記者殿」


「美味しかったわ。ご馳走様。でも、妄想の方はリアリティに欠けるわね」

 貧乏で美人のアンヌ・ド・ボージューもいました。


 わたしはなかなか白状しないアンヌの境遇をダークエルフ風にアレンジし妄想して遊んでみせたのだ。


 +


 予備学校でも講座らしきものが始まった。

 最初の講義は、エルフ式のお茶の淹れ方と茶会でのマナーについてだった。唖然としてしまったが、教室で大公女様たちを発見した講師の狼狽えぶりがちょっとおもしろかった。

 次の講義が数学の基礎に関するものだった。

 とぼけた面をした講師が学生の学力を試すとか言い出し問題を出された。25人の学生は軽く解いて出ていってしまったが、その問題はわたしとゲルトルートにとって普通に難しく、お嬢様方にとっては非常に難しいものだった。

 講師が要らぬ心配をして落ちこぼれの5人に宿題を出すことにした。

 わたしは窮した。

 早くみんなの水準に追いつけるように、だと。凡人が天才に追いつけるものなら大陸科学賞なんか要らんわ!


 わたしは状況を打開するためイムレを招いた。いや別に招かずとも勝手に来るが。

 これは失敗だった。

 イムレは宿題の答えをすぐに教えてくれるのだが過程について教えない。その代わり、この定理は別の証明が可能だとか、この分野の現在最先端の問題はこうで自分の発想からすれば簡単に解決できるとか余計なことしか言わない。

 過程を教えてくれるよう頼んでも、僕にとってちっとも面白くないから嫌だとか言う。わがままな!


 仕方がない。次に目を付けたのがアンヌだった。

 頼んでみると、アンヌは少し驚いていたが了承してくれた。その代わりにわたしが家庭教師代を払うことになった。お金でなくてもなんでもいいとのことなので好きにさしてもらっている。今日はニョッキとカツレツを作って振舞ったのだ。


 アンヌはマリ・エイメという有名な科学者のお弟子さんである。

 マリ・エイメは30年ほど前、ポロニア地域からロレーヌ王国の首都ヘレネに流れ着いた天才少女だった。

 彼女は研究がしたくてヘレネに来たのだが、当時も今と同じくロレーヌ王国のアカデミーは女性に対してとりわけ冷たく、彼女にとり研究への道は極めて狭かった。

 しかし、彼女は同じく貧乏で研究バカのマルセル・エイメに出会い、結婚し、猛烈に共同研究を始めた。

 マルセルはもともと電荷と磁気の研究で有名だったが、生活に不器用で名誉に無関心な質であった。そのため、何度も貧乏に押しつぶされかけたが、夫婦は強靭な精神力を振り絞り困難を乗り越えた。そして、彼女は放射線の研究と大陸初の放射性元素の発見という業績をあげ、2度にわたり大陸科学賞を受賞する。

 有名になった彼女は、アカデミーの閉鎖性を憂い、「研究は人種や性別、私生活といったものに影響されてはならない」と語って人種・性別に拘りなく貧しい研究者や学生達を援助した。

 アンヌはマリを慕い弟子になった最後の学生であった。

 マリはアンヌを可愛がりその才能に期待したが、自身有名であるがそれほど豊かでなかったため十分な援助ができず悩んだ。マリは伝を通じ積極的に働きかけ、アンヌがエルフランドの大学で学べるよう奨学金つきの留学生になれるべく取り計らった。アンヌはマリの期待に応え留学生候補試験を断トツの一位で受かりエルフランドにやって来たのだった。


 ちなみに、マリの娘のアンリエットもその夫オリヴィエ・グレフと共同で大陸初の放射性同位元素の製造に成功し大陸科学賞を受賞している。


 +


 ベネテク・カーロイという新聞記者は学生でもないのにいつの間にか学生寮に入ってくるようになった。

 彼はもともと経済紙の新聞記者であったが、ドナヒュー座という芝居小屋の看板女優に一目惚れして通いつめた挙句、転職し大衆紙の演芸欄で舞台芸術の評論を書くようになった。評論などといっても実際には看板女優のヨーカイ・マルギットを追い掛け回してグダグダしているのに過ぎない。彼が嫌われながらエルフのお嬢様を追い回したのも、結局スランプに陥ったマルギット嬢の関心を得ようと新企画のヒントを得るためにしたものだった。


「新企画とはなんだい?」

 ダークエルフとしてオペラに強い関心を持っていたわたしは愚かにもこの軽薄な男に質問をしてしまった。

「えっ!関心があるのかい。嬉しいな。是非聞いてくれ。簡単にいえば、プスタリアで有名だった『チャールダーシュの女王』というオペレッタを架空のエルフの小国に置き換えてアレンジしたものなんだ」

「どんなオペレッタ?」

 ゲルトルートも質問してしまった。

「チャールダーシュの女王とあだ名されたキャバレーの舞姫と貴族のお坊っちゃんとのラブ・ストーリー。ほとんどのプスタリアのオペレッタは2組の男女のすれ違いと勘違いの末めでたく結ばれるという筋のもので、これも同じ。お互い好きながらなかなか言えないうちに、男の方は軍役で飛ばされ女の方は外国公演。女が帰ってきてみると、男が伯爵令嬢に言い寄られているのを知り絶望。親しい友人たちに励まされて女は身分を偽り男の気持ちを確かめに行く。お互い好きであることを確認するが、母親の公爵夫人が反対。でも実は母親も昔は舞姫。それをばらされて公爵夫人も2人の結婚を認めハッピー・エンド。こういうお話」

 カーロイが煙草をふかしながら答える。

「で、なんでエルフの王族の生活を調べなくちゃいけないのさ?」

 これはイムレの質問。

「最後に女が公爵の館の舞踏会で踊り歌いまくるシーンがあって、リアリティを付けるため」

「よくそんないい加減なことが言える。話題作りだろ、結局」

 わたしの突っ込み。

「うまくしないと不敬罪になるかもね」

 ゲルトルートの発言。

「どうでもいいけど。あなたたち、暇ねえ」

 これはアンヌの発言。


 そんなこんなで、よくわからない流れからカーロイからドナヒュー座のチケットを貰い一同オペレッタなるものを見に行くことになった。

 貧乏なアンヌはタダだったからだが、わたしは好奇心からだった。


 好奇心は猫をも殺す。後日、この諺を噛み締めることになる。


 +


 エーロ・ヤンネ・ユーティライネンは妹のアルミ・エステリの話を真剣に聞いていた。

 アルミはさっき感情を爆発させたばかりであった。アルミは大公女としての体面から外の人には一切感情を見せない。話をすることもほとんどない。

 しかし、彼女にも自我や感情がないわけではない。むしろ豊かすぎる方である。

 ストレスが貯まると、こうして時々兄かタイナに感情を爆発させるのである。

 激情家のカティには感情を極力ぶつけないようにしている。ぶつけてしまうと2人とも壊れてしまうおそれがあるからだ。


 「お兄様。わたくしは極めて平凡な女であることを自覚しております。世間様に認めてもらえるような才能も、家を捨てて生きていけるだけの才覚も持ち合わせていないことをよく分かっております」

 アルミは唇を噛み締める。

「わたくしはお兄様が羨ましいです」


 エーロは大公家に生まれながら跡取りではないので、自由気ままに生きてきた。彼は考古学者として大陸南西部の砂漠地帯で発掘をしたり冒険家として大陸中央部の大森林地帯で大きな湖の探査をしたりしており、その分野ではかなりの有名人であった。

 優しい彼は昔から妹がストレスを溜め込んでいるのを知っていて、こうして妹の話を聞いたり外国の珍しい話を聞かせたりしているのである。


「わたくしはこれからもずっと大公女という人形の役割を演じ続けていくしかない。そんなことはよくわかっているのですが、時々耐えられなくなるのです。今日は耐えられたが明日は耐えられないかもしれない。そんな不安で一杯なのです」「お兄様が以前おっしゃっていたように動物を飼ってみようともいたしました。しかし、犬一匹を飼うにしても大公女にふさわしい飼い方を強要され、癒されるどころか逆効果でした。私は可愛がりたかった。好きなように頭や背を撫でたり、一緒に中庭で遊んだりしたかった。でも、出来なかった。させてもらえなかった。

 ……可哀想でしたが、愛玩犬はカティのところに下げ渡しました」


 エーロは憐れんだ。だが、彼も妹に何もしてやれない。せいぜい微笑みかけることしかできない。


「アルミ。私にできることなら何でも……」

「お兄様のそのお言葉を待っておりました」

 えっ。エーロは固まってしまった。

「わたくし。タイナに聞きましたの」

 エーロはタイナという単語を聞いて悪い予感しかしなかった。

「わたくしは、ダンスを知りたい、習いたい。そして、踊りたいのです」

「ワルツなら何時でも……」

「わたくしはワルツやガボットとかエルフの伝統的踊りとかには興味ございませんの」

 エーロの予感はますます悪いものとなった。

「そう。わたくしが踊りたいのはマズルカ、フラメンコ。リバーダンス」

 ギリギリか。でも、誰がどこで教えるのか?

「ジルバ。タンゴ。フォックストロット」

 過激すぎる。

「サンバ。ルンバ。サルサ」

 責任持てん。脱走しよう。

「タイナ。お兄様から了承得ましたわよ。早速、ダンスの衣装を見繕いに参りましょう」

 ニコニコしてタイナが隣室から姿を現す。

「アルミ様。気が早いですわよ。まずはその道のプロのダンスをじっくり見学に行きませんと」

「あら、そうね。では、お兄様。早速、わたくしたちを連れていってくださいな。下町の劇場。ダンスホール。キャバレー。勿論お忍びで」

「あっ。いや。アルミ。そのなんというか……」


 エーロが妹のアルミに甘いのは分かっていた。だから、タイナはアルミに策を授けたのだ。

 タイナは幼い頃、アルミのことが嫌いであった。

 なぜ私が同じ年頃の女の子に侍らなければならないの?相手が大公女で私が伯爵令嬢にすぎないから?従姉妹にあたるから?

 幼い頃、アルミは太っていた。

 タイナは無性に虐めたくなり、大人たちにバレないように虐めていた。

 嘘をついたり変なことをやらせてみたり。

 だが、ある時、タイナはアルミが感情を爆発させて兄にすがって泣いているところを見てしまった。

 タイナはアルミも自分と同じく篭の鳥であるということに気づいた。

 それから、タイナはアルミを虐めなくなった。

 アルミもタイナの変化に気が付いた。アルミはタイナに虐められていることに気がついていたのだ。アルミはタイナに少しずつ自分を示すようになった。

 タイナもまたアルミに自分がどう思っているかどう思っていたかを素直に話した。

 こうして2人はお互いを窮屈な生活でくじけそうになる己の杖と頼むようになり、いつしか2人は親友となっていた……。


 +


 カティの場合は少し事情が違った。

 カティもタイナと同じように息苦しさを感じていた。

 カティはタイナもアルミも虐めなかった。そういう質ではなかったのだ。代わりに自分を責めた。

 ある時、田舎貴族の集まりがあった。

 カティは親類の女性の伴奏でそういう集まりにふさわしい歌を歌った。女の子がよく歌う歌である。が、突然、カティは平民の大人が酔って歌う俗謡を歌い始めた。そして、大人たちが止めるまもなく館から飛び出していった。

 田舎の館は森に囲まれていた。夜になってもカティは森に隠れていた。

 泣き疲れて眠っていたカティは優しく抱かれているのに気がつく。父であった。

「伝統だよ。我々は伝統に従ってしか生きていけないんだよ。分っておくれ、カティ」


 カティもその父も納得したわけではない。しかし、何ができるわけでもなく流されて生きていくしかなかった。


「何もできない……」

 暗い感情だけが心の奥底にたまっていく……。


 +


 わたしは悩んだ。父の仇であるもと保安官は今やこの町の町長だった。奴はならず者を集めて町を支配している。まともに殺りあっては勝ち目はない。ならば、どうする?闇討ちするのも色仕掛けでいくのも性に合わない。西部の乾いた風がわたしの顔を叩く。ええい、ままよ。わたしはサルーンの扉を開けて中に入る。カウンターの中にいた顎髭の太ったバーテンダーに頷いてみせる。「ウイスキー。2フィンガーで」バーテンダーはウイスキーの入った2杯のショットグラスを滑らしてきた。「お嬢ちゃん。ここらじゃ、そういう上品な飲み方は流行らねえんですぜ」丸テーブルのところにいたならず者たちが一斉に笑う。横目で見ると、用心棒のカルロがしきりにこちらを警戒している。隅では葬儀屋の娘のゲルトローラー・インガルスがわたし用の棺桶の寸法を測っている。わたしの方へ拍車を鳴らして近づいてくる者がいる。お調子者の町長の息子だ。「僕が町長の息子のイムレフ・ジョン・V・コバーンだ。父のジェームス・コバーンなら教会の前で待っているぜ。父に会いたきゃ、まず僕を倒していきな」イムレフは足を広げ腰に吊った拳銃の銃把を撫でた。やつの拳銃の銃把には牛の骨が貼ってある。店内は静まり返る。酒場の甘い匂いに誘われた一匹の蠅の奏でる羽音しか聞こえない。緊張に耐え切れなくなったイムレフの手が腰の銃把に手がかかる。カルロも腰に手がかかる。同時にわたしはポンチョを跳ね上げた。運命の女神はどちらに微笑むのであろうか?


「はあ。また妄想。今回は葬儀屋?私は測ることから離れられないの?名前もほとんど違っているし。全く信じられないわ」

「僕は悪党の息子になってるし。妄想が実態にだいぶ合うようになってきてますけど、オペレッタに西部劇はないですよ。歌うとこありませんからね。暴力全力で恋愛もないですし」


 幕間に入ってから案内役のカーロイが楽屋に逃げ出して暇なのでわたしは妄想でオペレッタの新企画を作って遊んでいたのだ。そう。例のカーロイからもらったただのチケットでわたしたちはオペレッタを観に来ている。

 幕間の時間、ほとんどの観客は劇場に備え付けのバーでお酒を飲みながら談笑する。わたしたちも劇場のバーでチーズを肴にシェリーやトカイ・ワインで楽しんでいるのだ。

 アンヌは相変わらず口数が少なかったが、トカイは気に入ったようだった。


 ところでオペレッタというのはオペラほど重くはない歌劇であり、恋愛をテーマにした軽喜劇という感じのものだ。歌あり踊りありで結構楽しい。

 今夜の演目は『伯爵令嬢マリッツア』だった。


 開演前にカーロイに連れられて楽屋へ行ってみた。

 カーロイが追っかけているヨーカイ・マルギットとその父親でドナヒュー座の座長のヨーカイ・モールにも会う。

 マルギットは金髪のカツラをかぶっていたので髪の毛の色は分からないが、目は薄い青色だった。背は高くはない。ダンスの練習のせいか手足の筋肉が少し目立つ。急な訪問で少し緊張していたが、本人はいたって陽気で人付き合いがよさそうにみえた。

 父親の方はいかにもやり手のショウビジネスマンという感じであったが、芸事以外では娘にかなり甘そうだった。


 オペレッタは基本男女2組の恋愛話で構成されていて、ヒロインのマルギットの他に準ヒロインがいる。カボール・マグダという赤毛の美人だった。背はかなり高いが、赤毛特有の肌の白さ、骨格の細さのせいで随分華奢に見える。オペレッタで役を張る前はバレイで端役をしていたそうだ。

 さもありなん。


 +


 ヨーカイ・マルギットは苛立っていた。別に舞台でとちったわけではない。だが、新鮮味がない。演出も古い。アドリブは禁止。配役にしても自分が準ヒロインの主人公の妹をやったほうがいい。あっちの方がコミカルで美味しい。それなのに……。


 記者で評論家のベネテク・カーロイは狼狽えた。幕間に入ってマリアカリアたちを撒いて楽屋に来てみると、マルギットが苛立ってる。ブツブツ呟いてる。あ、背中掻いてる。またブツブツ言っている。

 ……とりあえず慰めよう。


「やあ、マルギット。今日も快調みたいだね」

 マルギットが睨みつけてきたのでカーロイはタジタジとなった。そうだ。話題を変えよう。

「僕が開演前に連れてきた連中、面白くていい感じのヤツらだったろう」「あんたが仕事サボって、美人たちに囲まれていることはよくわかったわ」

 やはりほかの話題にしよう。

「あー。新企画のことなんだけど……」

「結局、ハイ・エルフに会えずポシャった訳ね。あんたに期待なんかしてないわよ」

「まだ何にも言ってないよ」


 とりあえずカーロイによるハイ・エルフの説明とハイ・エルフらしく見える演出についての説明が始まった。


「……そう。ワルツの要領で体重移動させて。背筋をピンと伸ばして顎を引いて。それで、最上位のハイ・エルフは下々の者にはほとんど口をきかないんだ」

「じゃどうやってメイドや使用人に細々な用事を頼むのよ?」

「そばに侍る高い身分のエルフに一言」

「一言?」

「そっ。一言」

「たとえば?」

「お茶を」

「ふむふむ」

「傘を」

「なるほど」

「皮手袋を」

「うん」

「鞭を」

「へっ?」

「鎖を」

「……」


「待ってくれ。悪かった、マルギット」

「ついてくんな、バカ」


 わたしは幕間が終わり続きが始まる直前に帰ってきたカーロイの様子を見てどうやらヘマをしたことに気がついたが、武人の情けで黙っておいた。


 +


 芝居がはねたあと、またマルギットのもとにカーロイがやってきた。

「やあ、マルギット。幕間では言い出せなかったんだけど、君のこと、ほかの新聞でも褒めていたよ」

 カーロイが上着のポケットから紙切れを取り出す。

 マルギットがため息をこぼす。

「近頃の競馬の予想紙には演芸欄も載っているんですか?いい加減にして頂戴。だいたいこのやり取り、芝居のネタにあるわよ」

「それじゃ、マルギット……」

「今度は心臓発作が起こったマネをして人工呼吸ならぬキスを私に迫る気?」

「バレている」

「あんたの考えそうなことはみんなお見通しなのよ。帰れ」

「じゃ、僕が君のことをどれほど思っているかも分かっているんだ」

「それは知っているけど……」

「僕じゃダメなのかい?」

「あんたが私のことを大切に思っているのはわかっているんだけど……」


「わかっているだって?」

 突然大きな声がして2人は驚いた。

「じゃあ結婚だな。マルギット、おまえが芸事に身を入れすぎて婚期を逃すのではないか心配してたんだ。よかったな」

 マルギットの父モールはニコニコして言った。

「パパ、誤解しないで。あいつが勝手につきまとっているだけ」

「あー。僕、急に新聞社に用事が出来て時間がないんだ。また今度ね」

「あんた、そういう気?結婚の単語が出てくるたんびに逃げ腰になるっていうのは私をバカにしているのね」

「いや、そういうわけではアリマセンヨ。ただ、心の準備が必要で。こういうのは手順があるはずでして、まず恋愛からではないかと愚考致す所存であります」

「娘は大いに結婚する気なようだな。いや、めでたい。君、明日にでも娘と一緒に準備の品物を買いに行ってくれないかね」

 カーロイは父親に襟髪をつかまれてしまった。


 +


 芝居がはねたあと、カーロイが楽屋に用事があるそうでわたしたちと別れた。

 少し物足りなく感じていたわたしたちは通りを2つ挟んだところにある、建物の地下の居酒屋に入った。アンヌに言わせると、ヘレネの学生街にこんな感じのビストロがいっぱいあるそうだ。


 ……残念ながらわたしの記憶はそこで途切れている。



「カリア、飲みすぎよ。ねえ」

「ねえねえ、拳銃撃っていい?いい?撃っちゃおうかなあ。撃っちゃおうかなあ。あははは!」

「いいわけないでしょ。何考えてんのよ。カリアに付き合ってると頭がおかしくなるわ」

「……あんまり中身の入っていない頭でもおかしくなるんだ」

「なによ。よこでイヤミ言ってないで、あんたも手伝いなさい」

「嫌だ。僕、力ないもん」

「アンヌも手伝いなさいよ」

「フフフ……」

「ダメだ。こっちも静かに酔っ払っている」


 傍で酔っ払ったわたしたちを見ている3人のエルフがいたそうだ。


「アルミ。知り合いかい?」

「いいえ。全く」

「……」


 +


 わたしはオペレッタを楽しんだ数日後、エーロ・ヤンネ・ユーティライネンというエルフのお偉い貴族様で大公女様のお兄様にあたる方と会うこととなった。

 どうしてこうなったのかって?

 好奇心で記者のカーロイにドナヒュー座に連れていかれたのが運のつき。知り合ったマルギットとマグダが高貴なエルフに自分たちだけで会うのを怖がり、子供の夜中のトイレよろしくわたしがついて行くことになったのだ。ダークエルフではあるが、一応伯爵令嬢の肩書を持ち国ではエルフの金持ちたちを飽きるほど見てきたからな。奴らに対する免疫があるというわけだ。

 どういう伝をたぐったか知らないが、カーロイが新企画のヒントを得ようとエーロ伯爵に面談を申し込むと逆に相手からダンスの披露を要求されたそうである。

 厄介なことになった。


 会ってみると、エーロ伯爵は妹の大公女様とは大きく違い他人種に偏見のないナイス・ガイのようだ。

 よく外国で発掘やら調査をしていて他人種と交流するのに慣れているとのことらしい。会話は共通の話題もなく弾まなかったものの彼は始終ニコニコしていた。

 そこで、そのままにしておけばいいのにお調子者のカーロイがわたしたちにエーロ伯爵のことを詳しく紹介すると言い出した。

「エーロ伯爵はエルフの王様のひとりで著名な考古学者であり偉大な探検家でもあります」

 王族を王様と間違えたな。それではエルフの女王から王位を簒奪した反逆者だ。

「エーロ伯爵は現地人が崇めている古代の王の墓を暴きその黄金の棺を自国に持ち帰りミイラを博物館に展示して公衆の目に晒した業績をお持ちで、女王陛下より勲章を授与されたそうです」

 うーん。それでは単に墓泥棒をしたうえ死者を冒涜した悪行を女王から褒められたとしか聞こえない。

「エーロ伯爵はろくな装備もないのを厭わず勇気を振り絞って飛び込み冷たい湖底を探査したそうであります」

 考えもなしに蛮勇をふるった体力バカとしか聞こえん。イムレを連れて来ずでよかった。

 カーロイの発言直後、衝立の陰からなにやら扇子でも折るような音が聞こえたが、気づかないふりをしておいた。


 +


 衝立の陰から咳払いが聞こえ、それを合図にダンスの披露が始まった。

 マズルカ、フラメンコ、タンゴ、フォックストロット、ジルバの順に、男性パートはマグダが女性パートはマルギットが担当して披露していった。さすがはプロであって見事にきまっている。


 彼女らの妙技を評価しながら談笑していると、調子に乗ったカーロイが自分もダンスを披露すると言い出した。おい!


 マルギットは自分とは関係ないと笑っていたが、カーロイに1人じゃ面白くないと腕を引かれた。

 カーロイが連れてきていた楽団に指示を出すと、彼らは踊り始める。

 楽しげにステップを踏み、膝を叩いたり足の裏を打ったり相手を抱き上げたり振り回したり肩の上にかつぎ上げたり股の下を潜らせたり。

 完全に打ち合わせなしのアドリブだったはず、なのであるが……。

 目まぐるしく踊る彼らは圧巻だった。


 何というダンスかと聴くと、カーロイが得意げに「なに。ただのバーバリアン・ダンスさ」と嘯いた。奴は奴なりにマルギットに秘して新企画なるものを考えていたのだ。

 こうしてマルギットに対してカーロイは男をあげた。

 まあ、マルギットも幸せそうだし、それはそれでいいのだが。

 問題はわたしの将来だった。


 衝立の陰から何故か執拗に私を見つめる3人のお嬢様がたの瞳にわたしは背筋が凍りつくような思いをした。


 +


 エーロは友人から館を借り完全に人払いをして妹たちがお忍びでダンスを鑑賞できるように取り計らった。

 妹達はカーロイの紹介に腹を立てていたが、エーロにとりあの程度のおふざけはむしろ楽しかった。

 エーロは妹達に存分にダンスを見せることができ楽しんでもらえたのに満足した。それで、彼はカーロイとの約束を果たすことを決めた。


 他方、大公女たちは複雑であった。

 ダンスは素晴らしくて楽しかった。純粋に鑑賞の機会をくれたエーロにも感謝した。

 しかし、何故あのダークエルフがいるの?

 アルミとタイナは面白くなかった。自分たちがお忍びでようやく鑑賞できたのに彼女は魅力的な芸人たちと自由に私的な交際さえしているようだ。しかも、つい数日前などは夜中の繁華街で友人たちと酔って楽しげに歩いているところを目撃している。なにかズルされた気分だった。尺なことに身分柄、この気持ちを表明することはできない。なんとも鬱々とすることであった。

 片やもとから蚊帳の外に置かれているカティにとってもあのダークエルフの存在は心を波立たせるに十分なものであった。カティは自分が自分の意思を持てないほど弱くて流されて生きていくことしかできない存在であることに気付いていた。そして、そんな自分と対照的に、自分の意思を持ち自分の思うまま好き勝手に生きている存在に対して激しく嫉妬をしてしまうのだ。

 大公女様でさえ縛られて生きているのに自由すぎる、とカティにはマリアカリアが羨ましく見えるらしかった。



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