第2話恥ずかしい話をしよう……

 ここで少しわたしのことを話したいと思う。

 以前語ったようにわたしはメラリア王国南部最大の領主の一人娘にして伯爵令嬢という、本来ならば「蝶よ花よ」とちやほやされる恵まれた身分の人間のはずである。なのにどうして女だてらに国家義勇軍の大尉などしているのか?

 答えは簡単だ。6歳の時、独裁者となったエーコへのご機嫌取りのため父上にエーコの私兵養成機関である少年行動団に無理やり入れられたせいだ。

 わがボスコーノ家というのはメラリアの貴族の中でも少々変わっている。先祖伝来、当主で政治の世界に入って権力を掴もうとしたり、軍人や官僚になって立身出世したいと願ったものはいない。

 「なに、国政を牛耳って栄誉栄華を謳いたいだと?政界など足を引っ張り合う魑魅魍魎の跋扈するところ。ハッ!仮に成功したところで冬の前のキリギリス程度も長続きはしない虚しい栄誉ではないか。そんなもの、わがボスコーノ家には要らん!没落したらどう責任をとるのだ!」「なにっ?有能な将軍か大臣となって歴史に名を刻みたいだと?そんなものになって誰の何の役に立つというのだ?メラリアは独立以来3000年も戦争をしたことがないし、治世を成功させたとしても腐敗した権力者たちに煙たがられるのが関の山だ。名誉なんて一文の得にもならん。名誉では飯は食えないんだよ。もっと家の発展につながることを考えろ!」というわけさ。

 ゆえに、ボスコーノ家の当主たちは土地しか信用せず、3000年にわたり領地の拡大にひたすら努めてメラリア南部最大の領主にまでのぼりつめたのだ。土地は不動産というだけあって権力や名誉と違って消えたりはしないからな。

 そのボスコーノ家3000年の血のにじむような努力と執念に水を差すような出来事が発生した。独裁者エーコの登場である。エーコは最初からメラリアの発展を障害しているのが貴族たちとマフィアであることに気づいていた。だからエーコはマフィアの構成員を片っ端から逮捕して離島の監獄に押し込めたし、農地改革と称してエーコに反対する貴族たちから土地を取り上げて小作人たちに分け与えた。

 危機感を覚えた父上はエーコに多額の党活動の資金を提供すると同時に人質の意味も兼ねてわたしを少年行動団に入れたのだ。もし母上がいたならば絶対反対したと思うが、残念なことにわたしが3歳の時に母上は亡くなっている。家では父上の決定に反対するものは誰もいなかった……。


 +


「……隊長、隊長。俺、もう帰っていいですか?今日、彼女の買い物に付き合う約束をしてて急いでいるんですが」

「良くないに決まってるだろう。まだ演説も始まってないだろうが」

「エーコ統領、話し長いから……」ブツブツブツ。


 わたしたちイストリア戦闘団青年行動隊俗に言う赤シャツ隊出身者はエーコ統領の演説の度毎に拍手や歓声を上げたりするために動員されている。

 ちなみに、わたしは国家義勇軍の大尉で百人隊長だから部下から隊長と呼ばれており、さっきから情けないことを言っているのはジュリオ・カッキーニ上等兵だ。彼はわたしの従卒である。少年行動団で同じ釜の飯を食った仲だが、なぜか知らんがわたしは将校になり、やつは兵隊のまま。まあ、調子がいいだけで何の役にも立たないやつだから仕方がないと言えばそうなのだが。

 ついでに国家義勇軍の大尉は正規軍のそれとは違うことも説明しておこう。正規軍の大尉なら中隊長で200人からの部下を持つのだが、なぜかエーコ統領が建国時の古代の兵制にこだわり同じ大尉でも国家義勇軍の大尉は百人の部下しか持つことを許されていない。

 それから我が国の特徴として隊付きの将校の約半分が女性であることも指摘しておこう。ダークエルフの男は女性の前でいい格好をしたがるから戦闘でも実力を発揮するだろうというのがその理由だ。実に下らない理由だが、それが正鵠を射ているだけに情けない。

 もちろん女性将校はエリートから選ばれておりその指揮能力に不足はない。顔だけで選ばれているわけではない。幹部候補生の募集要項に美人であることとあったのは事実であるが……(自慢ではない。そこは念を押しておく)。


「……運命によって定められた時がー」

 エーコ統領の演説が始まった。腰に手を当てそっくり返ってバルコンから集まった民衆を睥睨する。

「「「ドゥーチェ。ドゥーチェ。ドゥーチェ」」」

 演説の合いの手に動員された民衆が大合唱する。


「ー我が国の空を覆っている。

 不退転の決意だ!

 宣戦はすでに通達された。

 ロレーヌ共和国とエルフランド王国の大使にだ!」


 興奮したエーコ統領が雄鶏そっくりとなって禿げた頭を上下させ唾を飛ばして絶叫する。


「我々は戦場に赴く!

 西側の、拝金主義で反動的な『民主主義』に対して正義の鉄槌を下すべく、だ!

 やつらはいつの時代もメラリアの行く手を阻んできた。そしてまた、メラリアに住む同胞たちの暮らしを脅かしてきた。

 合言葉は一つ。

 我々に“勝利を”だ!」

「「「ドゥーチェ!ドゥーチェ!ドゥーチェ!」」」


「我々は必ず勝利する!そして、正義とともにある!

 我々が勝利を勝ち取れば永い永い平和な時代が与えられるであろう―

 メラリアに、大陸に、そして全世界に!」

「「「ドゥーチェ!!ドゥーチェ!!ドゥーチェ!!」」」


「メラリアの同胞よ、武器をとれ!

 そして、示すのだ。

 諸君の頑強さを!

 諸君の勇気を!

 諸君の勇猛さを!」

「「「ウおおおおーゥ!!!ドゥーチェ!!!ドゥーチェ!!!ドゥーチェ!!!」」」


 広場に集まった民衆の数はいつもの通りだったが、エーコ統領の演説にかける拍手や歓声はいまひとつだった。大声をあげて喝采していたのは党のシンパと赤シャツ隊の面々だけであった。

 演説終了後、集まった人々は皆んな黙ったまま暗い顔をしてトボトボと引き上げていった。

 逆に通りではラジオを聞いたのであろう、眉をひそめたりうつむき加減の人たちが大勢集まっていた。男も女も、自転車に乗った人も、裸足で走ってくる人も皆んな口々に「開戦だ。開戦だ」と叫んでいる。興奮しているのではない。皆んな不安なのだ。


 なお、いつの間にか暗い顔した女性を口説いていたジュリオをわたしがグーで殴ったのはとりたたて言うほどの意味はない。誰でも許してくれることだろう。


 エーコ統領が宣戦布告したのは彼が突然頭がおかしくなったからではない。

 もともと少しイカレてはいるが狂うところまではまだいってはいない。これまで彼はザールラントとエルフランドとを両天秤にかけていたのだ。

 彼はエルフランド有利と見てしつこくエルフランドに対してザールラントとの軍事同盟を解消するかわりに経済援助を求めていたのだが、エルフたちは一向に色よい返事をしなかった。

 かえってその間にザールラントはロレーヌの首都ヘレネまで軍を進めてしまい、前の戦争とは違いザールラント勝利のうちに短期間で戦争が終結するおそれが出てきてしまったのだ。


 彼は焦った。何の勝利への貢献をもしなかった同盟国メラニアに対しザールラントは勝利の分け前を渡さないであろう、と。

 彼はギリギリまで粘ったが、今が既成事実をつくる最後のチャンスと判断したのであろう。彼は開戦を決意した。


 しかし、わたしは軍の戦争準備状態ととある情報から彼の判断は間違っていると思う……。


 +


 2日後ー



 扉を開けてみると、いつもの3人のエルフ娘の顔がみえた。


「まだ国外退去しないのですか。2日も前にエルフランドに対して宣戦布告がなされているんですよ」

 ここはメラリアの王都ラーラの離宮アストリア・ホテルの一室である。アストリア・ホテルといえばVIPしか宿泊できないラーラでも指折りの最高級ホテルとして有名なところである。


 わたしがきつい視線を向けても、室内の3人のお嬢様は動じることなくのんびりとお昼前の茶会を楽しんでいる。


 どういうつもりなのだろうか。


 見れば、左手側の、夏らしく半袖のセーラー服を着た女性がジャムつきのスコーンをお上品に楽しんでいる。

 たぶんこいつだろう、元凶は。

 昔から突拍子もないことを考えついては仲間に吹き込み、3人をしてよくわからない行動に走らせていた。そして、大抵大人に怒られる結果を招いて泣く。

 だが、今はまずい。下手すれば財産凍結の上に強制収容所送りだ。

 昔のように謝って時間が経ったら許されるほど生易しいものではない。


 わたしが乱暴に扉を開けたのが気に入らなかったのであろう、白地に青紐のサマードレスを着た右手側の女性が眉を顰めた。

 しかし、手にもった茶碗と受け皿を小机に戻しただけで口を開かなかった。

 ハイエルフの慣習で年長者や目上の者より先に発言することが禁じられているからだ。


 この部屋の中で一番身分の高いのは中央でちょこんと座っている大公女様である。


 その大公女様は身分柄、古式ゆかしいエルフ装束で身を固めている。

 夏のエルフ装束とは、中央に穴の空いた白地の円形の麻布を紐で巧みに結わえたものだ。

 その粗末な衣装を3000年来の習慣として現代においても踏襲するとはなかなかご苦労なことである。その頑固さには敬意を払わざるを得ないがな。


「あら、大尉さん。ご機嫌よう。お茶はいかが?」

 大公女様はにっこり笑う。


 これは儀式だ。

 彼女たちとはもう18年もの付き合いだから、わたしは大公女のこの種の問いかけに答えない限り会話が進まないことを知っている。

 昔わざと大公女様を無視して今眉を顰めている奴に話しかけたら頭から煙が出そうなほど怒りながらも最後まで沈黙を守ったっけ。

 エルフにとって礼儀や形式は非常に大事なのだ。


「……ありがたくいただきます」

 わたしがため息をついて苦々しくつぶやくと、いつものように右手側の伯爵令嬢との会話が始まった。

 そう。右手側の彼女は実は伯爵令嬢なのだ。

 かなりの短気もので“怒りのカティ”のあだ名まであるけれども、彼女は大公女様のご学友でありその従姉妹でもありまた大公女様のスポークスマンでもあるのだ。

 大公女様自身は余り下々の者とおしゃべりにはならない。身分が高すぎるからか単に馬鹿だからかは知らないけれどな。


 ついでに言っておくが、これは儀式だから実際にお茶は出されない。

 この18年、お茶を出されたことは一度もない。下々の1人であるわたしにはそれが大公女様の意地悪な性格のためなのか単に馬鹿ですぐ忘れてしまうためなのかは分かりかねるが、とにかくお茶は出ないのだ。

 慣れてしまって今さら指摘することすら馬鹿馬鹿しい。


「私たちが退去する必要がありまして?極々短期間で終わる、口先だけの戦争のために一旦国許に帰ってまた入国するなんて疲れるじゃありませんか。

 宣戦布告?ハッ!笑わせますわ。

 失礼ながらお国の軍隊に一体いかほどの戦車や飛行機がございまして?紙の上の機甲師団や空軍って言われているそうですわね。

 それに総動員令が出たのにまだ半分も兵が集まっていないわ。本来兵役志願者が殺到するはずの事務所は閑古鳥が鳴いているわ。本気で戦争する気がおありになるとは到底思えませんわね」


 くっ。全て事実なので胸をえぐられる気がする(えぐられるほどの胸はないだと!?ほっとけ!)。

 ええい、皆まで言うな。わたしだってわかっていたとも。参戦が自殺行為にほかならないことぐらいは。


 ついでに言うと、機関銃も大砲も軍靴の数すら足りていない。新規に採用した機関銃も初速も威力も発射弾数も耐久性も著しく低いうえ構造が複雑で故障が多いという正に踏んだり蹴ったり状態だ。しかも金がないのでそれすら量を整えられない。

 戦車なんて豆タンクしかない。山地の多い国内じゃなくて延々と平野の広がるロレーヌ共和国と大森林と大デルタ地帯をかかえるエルフランド相手に何をどうしようというのか。

 確かに金さえあればザールラントからいくらでも新規の強力な武器を買える。しかし、その金がない。

 うちの国はもともと貧乏なうえに統領のエーコが外国に見栄を張って巨大建造物をやたら建てたりしてたからな。なくて当然だわな。

 なんで建てるのか理由不明の巨大記念碑、巨大記念広場に巨大銅像、巨大記念競技場、巨大記念公会堂、巨大凱旋門、巨大港湾施設、外国からくる飛行船のための巨大飛行場、国有鉄道の主要な駅の巨大駅舎、巨大議事堂、兵隊のいない巨大兵舎、役所の巨大庁舎、巨大警察署、巨大刑務所、巨大憲兵隊駐屯所そして幅16車線の延々と全土を途中まで網羅する高速道路等々。

 まだ他に理由があるかもしれないけど、要は浪費しすぎたわけだ。

 それじゃなぜ金のあるときに戦争の準備をしなかったのかって?

 自慢じゃないが、メラリア王国は3000年戦争したことがないんだよ。危機意識に乏しいうえに、誰も本気で戦争しようなんて思ってもみなかった。エーコ統領も含めて国民の誰もがハッタリのための勇ましい宣伝用のフィルムを作っただけで満足していたんだ。

 こちらから攻めていかなければ戦争にならない。だったら、戦争の準備は無駄。ハッタリだけで外交には十分役立つ。こう考えて誰もが戦争の準備について真剣に考えてこなかった……。


 

 カティの言葉にぐうの音も出ないわけだが、し、しかしこれだけは聴いておかなくてはならない。なんといってもわたしは国家に忠誠を尽くす生え抜きの赤シャツ隊員であり国家義勇軍の大尉なのだから。

「そういう機密事項をどういうわけでお知りなのか、後学のため教えていただけないでしょうか?」

「あら、2日前のパーティで陸軍次官のトンマーゾ・トラエッタ将軍がおっしゃっていましたわ」

「……」


 何やらかしてくれやがっているのですか、将軍閣下。

 忠誠心がだだ下がりですよ。

 しかもエーコ統領が戦勝広場で宣戦布告の事実を国民に発表した日の夜のパーティではありませんか。

 夜の時間をどうお過ごしになられようとご勝手ですが、敵国の高貴な身分ある方々との軽い会話の中でサラっと軍事機密を漏らさないでほしい。まったく……。将軍閣下。あれですか。もうやけくそで自虐ネタでウケ狙いというやつですか。


 ハッ。感慨に浸っている場合ではない。

 将軍のことなどどうでもよろしい。今はわたしをやり込めたと思って上機嫌で鼻をうごめかしている“怒りのカティ”ちゃんに反論をしなくては。


 この聡いと評判らしい伯爵令嬢の名前は本当は長いのだけれどめんどくさいからでわたしのなかでは省略してカティ・ハンナマリ・サロネンということにしている。長ったらしい本名はエルフ同士で覚えればいいことであってダークエルフのわたしが付き合う必要はないからな。

 ついでに言っとくが、聡いという評判もエルフ達の間だけであって実際は他人から聞いた話を得意げに高飛車に叩きつけて気の弱い御人の心を折るのがうまいというのにすぎない。

 今わたしは彼女たちを故国へと追い返すためにたとえメラリアの人間なら6歳児でも知ってる事実を嫌味ったらしく指摘されようとも心を折る訳にはいかないのだ!


 +


 わたしは再びカティに対して反論を試みることにした。


 ここで「殺されるぞ」とか「強制収容所送りになってもいいのか」というのは禁句である。

 エルフには独特のやせ我慢というかへそまがりというか変な気質があるのだ。

 この種の禁句を口にすると、「あら、それがどういたしまして?」とか「面白そうな体験ができそうですわね」とか言ってこの3人がますます意固地になってここに居座り続けることになってしまう。

 18年の経験からわたしには解る。


 エルフというのは変わった人種だ。

 徹底的に自分の意地を貫き通す。このことは先の戦争でも証明されている。

 エルフは火薬から出る煙の臭いへの嫌悪から有史以来火薬を使う銃器を自ら使用したことがない。ヒトやドワーフが1500年前から火薬を使用しておろうと銃器の類がいかに殺傷に有用であるとしてでもだ。

 では、エルフは先の戦争でどうしたのか。

 ハンドコイルガンの発明に失敗したエルフたちは前線で戦う将兵を含め兵器を身にまとわなかった。

 従う連合諸国の兵士に銃器を携帯させ、前線のエルフの指揮官は一切兵器を身に付けずかわりに指揮棒をあるいはステッキ、ゴルフクラブ、果てはこうもり傘を小脇に抱えて兵士たちの先頭に立った。

 エルフの一般兵は先祖伝来のスカート、長方形の長い毛織の布を幾重にも折り襞をつけてベルトで留めたモノを穿きバグパイプを持って味方を督戦した。それも兵士の後ろからではなく兵士たちの先頭に立って、である。

 当然、ドワーフ側から狙撃されバタバタと倒されたが、立派に陽動としての役割を果たしたうえ後方の連合諸国の兵士たちを督戦して攻撃を成功させたと称賛されている。

 当時、あるエルフの将校が連合諸国の兵士に「自身が敵に攻撃された場合、どうするのか?」と訊かれて「死ねばいい」と答えたそうだ。事実、彼は直後の戦闘で真っ先に銃撃され戦死している。さぞ満足な死にぶりだったことだろう。

 これくらいエルフは頑固に意地を貫き通すのである。


 そこで、わたしはへそ曲がりで頑固者の3人を脅すのではなく誘導してコチラの思うとおりに動かすことにした。頭のいいダークエルフならではの思考だ。

「まず、2つの理由で貴方がたがここに居るメリットがないとのことです」

「なんですの、それ?」カティが顔を顰めながら聴く。

「1点目。今朝、国家警察軍が軍令第304号を出しました。内容は、敵性外国人に贅沢品を供給してはならない。ただし、メラリアの騎士道精神から公平な価格において生存に必要な飲食料の供給は許されるものとする。なお、この軍令は発令の5日後から施行されるものとする。つまり、貴方がたは5日後から大噴水広場のサリエリの店からチョコレートもケーキも何もかもが買えなくなります。ここアストリア離宮でお茶を飲むことが出来なくなります。だって、ここではムッサやロンサンの高級茶葉しか使いませんものね」

 左手側のタイナ・マルヤッタ・ハロネンの顔がピクンと痙攣した。彼女は名店サリエリのお菓子に目がないのだ。

 軍令第304号のミソは実は但書の「公平な価格」という表現にあるのだが、今ここで彼女たちに説明はしないでおこう。

 何にせよ、日に5度の喫茶の習慣があるエルフたちにとり喫茶を禁じられることはかなり堪えるはずである。これだけでも帰国するかもしれない。


「2点目。昨日付で農業省から敵性外国人の王都及び都市近郊での使役畜類・飼育動物への接触を禁ずる旨の省令第105号が出ています。メラリア動物愛護協会も敵性外国人の接触は愛玩動物への虐待につながる恐れがあることから本省令第105号に賛成の旨の談話を発表していますよ。この省令は即日施行です。つまり、貴方がたはサルヴァトーレ動物交流公園や王都近郊の広場でもペットショップでも猫ちゃんや犬くんたちをモフモフすることができなくなりました」

 タイナ、カティの顔が真っ青になったばかりか大公女アルミ・エステリ・ユーティライネンの左手がわずかだが震えた。

 彼女たちの動物好き、特に猫好きは度を越している。

 自身が名誉会員であるメラリア動物愛護協会の声明も彼女たちの名誉心を痛く傷付けたであろう。エルフたちはこういう目の前でドアを突然ピシャリと閉められる仕打ちには我慢できないのである。彼女たちは早速嫌味タップリの丁寧な手紙を書いて脱会することであろう。


 タイナがわたしの癒しがどうのこうのとブツブツつぶやいている様をみるに、彼女たちの心が折れるのも時間の問題だ。

 そこで、わたしは奥の手をだし彼女たちの心に止めを刺すことにした。

「さらに、貴方がたには即刻帰国する必要があります」

「必要ですって」カティの声が高くなった。

 エルフは他者から「しなければならない」とか「するべきだ」と言われるのを極端に嫌う。彼女たちを苛立たせるのもわたしの計算のうちだ。

「アンヌ・ド・ボージューから1週間前に手紙がまいりました。それによりますと、最近、エーロ・ヤンネ・ユーティライネン様とエッラ・キルシマイヤ・ハエルコーネン様とがなにやら親密なご関係にあるとかないとか。ヴィルタネン通りのヒルギッタの店でお二人を見かけたとか」

 ほら、今、最高に彼女たちの心をえぐった。彼女たちの苛立った心に彼女たちにとって不快になる2つの女の名前と不安にさせる最愛の男の名はひどく響くことであろう。

 アンヌ・ド・ボージューはわたしがエルフランドに留学したときの親友のヒト族の女性の名前。

 アンヌは天才であって、当時突っかかってきたお馬鹿の3人のエルフをけちょんけちょんにしてわたしの溜飲を大いに下げてくれた敬愛する友人だ。今もエルフランドに研究者として残っている。

 エッラ・キルシマルヤ・ハエルコーネンはエルフの侯爵令嬢で、エルフの女王陛下の友人。

 完璧な令嬢だが、王宮で“ブラブラする蜘蛛”と陰口を叩かれる冷酷かつ慎重な権謀術数家でもある。わたしも会ったことがあるが、変な鼻をした冷たい感じのするエルフといった印象しかない。

 大公女様は王族の一員といえど、王宮からしてみれば大公家は所詮メラリアの近くに領地を賜った田舎貴族にすぎない。宮廷貴族のエッラと大公女様とはお互いにそりの合わない関係にある。

 そして、エーロ・ヤンネ・ユーティライネンとは大公女様の兄君にあらせられる。

 わたしからすれば、何かといえばすぐに顔を赤らめる青瓢箪の甘ちゃんの若殿様にすぎない。

 でも、大公女様からすればとびきり優しくてカッコのよい最愛の兄君であり、カティやタイナ、特にタイナにとってエーロはカッコ良すぎて近くにいるだけで鳥肌が立っちゃうほどステキな若君だそうだ。

 ハッ!わたしは別な意味での鳥肌が立ちそうになるがな。


 この話を聞いた彼女たちはもう十分に毛嫌いする女と最愛の君との関係をこれ以上近づけないために急いで帰国する必要があると感じたはずだ。


 うん?扉を開けた当初と態度が豹変しているですと。

 当然でしょう。お茶が出ない時点で彼女たちがあいも変わらずなところを痛いほど感じたからな。自動的に留学した時分の対応に移行したまでだよ、諸君。


「……あなた、なんで今までわたくしたちに知らせなかったのよ」

 おお、カティが愚痴り始めた。

「アンヌはわたしの友人で、貴方がたのご友人ではありませんから」

 一矢報いてやった。留学時の恨みを思い知れ。


「カティ。そういう話をしている場合ではありませんわ。大公女様。わたくし、大噴水広場と青の噴水広場をまわって帰国の準備をしてまいりますわ」

 行動力だけはあるんだな、タイナ。ふん!せいぜい高級品を買い漁れ。金持ちどもめが。


「大公女様。既にジョルダーノ旅行店に大公女様方の帰国の準備を申し付けております。フロントにご出立の日時をお知らせくださればいつでも帰国出来ますよ」

 わたしはなにごとにつけ周到な方なのだ。


「感謝しますわ。貴方にしては上出来ね」

 いつもながら大公女様は一言多い。だが、これで肩の荷が下りた。


 それでは失礼しますと扉を閉め廊下に出ると、柵越しに1階下の植木鉢の影にいる憲兵隊将校と目が合った。


 +


 その憲兵隊の将校と目が合った時、わたしは軽く考えていた。


 やれやれ早速厄介事ですか?

 この将校、大方、運良くスパイ容疑をかけて検挙出来ればいい点数稼ぎになると敵性外国人を見張っているのだろう。

 今、3人のエルフのお嬢様方を拘束されるとわたしは非常にまずいことになる。

 しかし、これ位の任務遂行の障害はどうとでもなる。いや、どうとでもしてみせよう。少し脅してやるか、と。


 実際、憲兵にはこの手の連中がごまんといたし、わたしもよくこの手を使ってあしらってきた。

 どれ。まずはご挨拶、と。

 格子の扉を開けエレベーターを使い1階下に降りた。

 近寄ってきた憲兵少佐に向かってわたしはしっかりと右腕を掲げて戦闘団式の敬礼をしてみせた。が、相手はめんどくさそうに普通の敬礼で返した。

 ふん。反戦闘団派か。


「マリアカリア・ボスコーノ国家義勇軍大尉であります」

「ドメニコ・スカルラッティ憲兵少佐だ。時間がない。手短に言うぞ。貴公の任務はたぶん失敗に終わる。手助けになるかどうかは分からないが……」


 わたしは混乱した。

 名乗りを挙げた後、間髪入れずに自分は第262独立混成旅団の隊付きではあるが情報将校であり同時に統括情報部情報局第3課に属し現在秘密任務を遂行中であると神妙な顔つきで言い切り、この秘密任務については大評議会の承認を得たものであることを秘密めかしく付け加えて相手を怯ませようとしたんだが、全て無駄になってしまった。

 ガックリだ。

 わたしはいつものように「オジサン。アンタは下っ端。ワタシも下っ端。でも、ワタシにはお偉いさんの息がかかっているの。ワタシはアンタが思ってるほど安い女じゃないんだから、気安く触らないでよね。ワカッタカ、コノゴミタメヤロウ!」と内心の侮蔑感を思いっきり浮かべて片方の口の端を上げてみせたかったのだ。

 虎の威を借る狐とでも何とでも言うがいい。非難に甘んじよう。でも、誰がなんと言おうと、これはわたしの止められない楽しみの一つだったのだ。


「おい、聞いているのか?マーリア・アンドローニコにエッダ・マヨナラの死は赤シャツ隊が係わっていたと必ずしもいえないと伝えよ。真相は憲兵隊が調査し続けているとも、な」

 ハっ。この渋いオジサンは何を言っとるのだ?

 何故、わたしの任務が3人のエルフのお嬢様方とマーリア・アンドローニコとの交換であることを知っているのか?知っているのは大評議会の幾人かと情報部の高官だけのはずだ。それにエッダ・マヨナラとは誰だ?憲兵隊がかなり前から手を付けていた案件……?うむ。


 わたしの知らないところでわたしの知らない誰かがわたしの知らない活動をしている。

 気に食わない。非常に気に食わない。


「大尉。用件はそれだけだ。引き止めて悪かったな」

 憲兵少佐の顔を見る。頬に鋭いくぼみがある。目も暗い。マフィアなら一人前の尊敬すべき男の顔だと言うだろう。蚊蜻蛉野郎にしておくのは勿体ない手合いだな。ちなみに蚊蜻蛉野郎とは変な三角帽を被り肩にマントを掛けている憲兵への蔑称だ。トンビ野郎ともいう。

「少佐殿。エッダ・マヨナラとはどういう人物なのですか?恥ずかしながら小官は知りません。そちらの任務に差し支えなければ、お教え願えないでしょうか」

 実るほど頭を下げる稲穂かな。わたしは謙虚なのだ。今回は無知を相手に知られたところで大した情報を与えることにはならないはずだ。

「やはり知らないか。これを読め。くれてやる。大した内容ではないがな」


 さっさと背を向けて立ち去る憲兵少佐を見送りながらわたしは貰ったブリーフケースの把手を握り締めた。ふん。


 わたしが1階のロビーに降りると、ミレッタ・フェリーニ上級曹長がエルフの男を連れてきた。

 ミレッタ・フェリーニ上級曹長とはわたしの2人しかいない部下のうちの1人だ。もう1人の部下であるジュリオ・カッキーニ上等兵がロビーのソファに座って新聞を読むふりをしながらロビーを横切る女性たちを品定めしているのが目に入る。相変わらずだな、お前は。


「大尉殿、連れてまいりました」

「ご苦労」

 ミレッタ上級曹長に敬礼を返す。

 彼女は真面目で固い性格だ。ジュリオとは逆で気安く扱うとなかなか面倒なことになるので注意が必要なのだ。


「私に何の用ですか?私は何度も言うようですが国で小学校の教師をしているただの観光客ですよ」

 憲兵にでもやられたんであろう男の左手の甲に鞭の痕がある。あれは後で腫れる。

「なに、国に帰ってもらうだけだ。その代わり大公女様たちの下僕としてこき使ってやるから覚悟しろ」

「へっ?本当ですか、それは」

 なにか男の雰囲気が白々しい。


「ところで、貴様は何故我が国の宣戦布告の後すぐに帰国しなかったんだ?」

 男が黙り込む代わりにミレッタ上級曹長が答えた。

「2日前、パシャパシャと写真を撮っているところを通りがかった憲兵に発見・拘束されていたからであります」

「ふん。何を撮っていたんだ?」

「噴水前で8才くらいの少女に色々なポーズをとらせたものを撮っていたそうであります」

 色々問題のある御人のようだな。右手の甲にも鞭の痕をつけておいた方がいいかもしれない。

「その写真ないんすか?今ここに」

 む、気づかぬ内に新聞読むふりをやめていたジュリオに背後をとられていた。おそるべし、ジュリオめ。

 ご褒美に右手に作ったチョキを顔面上部にくれてやろうか。なに大した意味はない。これが日頃のお前に対する評価だ、有難く受取れ。ジュリオ。


 目潰しを喰らい悶え苦しむジュリオを見て唖然としているエルフの男に向かって「とにかく貴様もジョルダーノ旅行店の手配する特別列車に乗るのだから、チョクチョクそこのロビーに大公女様のご予定を聴いておけ。いいな」とわたしは告げ、アストリア離宮を離れた。


 +


 わたしは2ブロック離れた通りまで歩き、そこにある稀覯本を扱う古書店に入った。部下2人は店先に立たせておいた。

 店の扉を開けて招き入れた使用人はすぐわたしと気付き、2階の支配人の部屋まで案内した。


 部屋は明るかった。窓と反対側の、床が一段高くなっているところに置かれた丸テーブルで柔らかい表情をした中年の紳士が上品にカプチーノを楽しんでいた。クズではない、稀にしかいない、しかし生粋のダークエルフのマフィオーゾがそこにいた。

 わたしは懐かしい気持ちで一杯になる。そう、彼は私が6才になって少年行動団に入るまでいつも一緒にいてくれた人。わたしの家の領地管理人の息子にして南部最大のマフィアのドン。誰にも正体を知られず、憲兵たちが血眼になっても見つけられなかった唯一のマフィアのドンだ。


 サルヴァトーレ・シャッリーニ。通称、ドン・チッチ。現在、メラリアの闇の世界は彼が牛耳っている。


「さあさ、お嬢様。こちらに来て一緒にカプチーノを飲みましょう。うん?お嬢様、すっかりレディに御成になられましたな。ジュゼッペ。お嬢様にカプチーノをお持ちしろ」

 白いお仕着せを着た老人がにこやかにカプチーノを用意する。ジュゼッペ・ヴェルディ。この男のせいであの世に旅立った者は百ではきくまい。


「ありがとう。ジュゼッペさん」

 彼のほろ苦いカプチーノはいつも美味しい。


「貴族のお嬢様が使用人に礼をする必要は全くありませんぞ。昔なら伯爵様に叱られたでしょうな、お嬢様」

「あら、ジュゼッペさんは昔の方が良かったの?今はもう貴族なんて連中にへりくだる必要なんてないのよ?」

「昔は物事がきちんとしておりましたからなあ、何事も。貴族は貴族らしく。使用人は使用人らしく。農民は農民らしく」

「そして尊敬すべき男は尊敬すべき男らしく、ですね。ジュゼッペさん」

 マフィアの呼称は彼らの前では禁句だ。


「相変わらずお口が達者なようですな、お嬢様」

 サルヴァトーレが一言かけると、ジュゼッペはお辞儀をして少し離れて控えた。


 サルヴァトーレがいつもの微笑みを浮かべながら無言で私を促す。

 何の用で来たのか、と。

「本当はアンヌ・ド・ボージューへの手紙を預かってもらいに来たのだけど、状況が大きく変わったの。わたしの知らないことが多過ぎるのよ。

 この資料に載っているエッダ・マヨナラという人物とその死因と例のマリーア・アンドローニコとの関係を調べて欲しいの。今貰ったばかりでわたしもまだ目を通していないのだけれど、憲兵隊の資料でも多分見落としがあるはずだからちょっと念入りにお願いしたいのよ。

 それとこれをくれたドメニコ・スカルラッティという憲兵少佐についてもお願いするわ。多分偽名じゃないと思う」


 サルヴァトーレが眼鏡を取り出して資料を読み始めた。


 メラリアの南部ではどの街にもマフィオーゾがいる。街の住民は誰でも皆、血の沈黙の掟に従いマフィアのことを漏らさない。そして、マフィアの目と耳はどこにでもある。エーコの独裁がはじまっても北部と違って南部のマフィアがしぶとく生き残り続けたのはこういう理由からである。

 サルヴァトーレの父親はエーコ統領のラーラ進軍前からエーコたちがこれから何をやろうとしているのかについて読みきっていた。だから、マフィア狩りの始まる前にサルヴァトーレが領地管理人や家とは全く関係の無い別の商売に就いたことを周りに喧伝しカモフラージュして備えていた。さらにわたしの父にはわたしを少年行動団に入れて上手く生き残るよう勧めた。その御陰で現在のわたしがある訳だ。家もそれなりの形で生き延びることができた。わたしと父上はサルヴァトーレの父親に恩義を感じ、今はサルヴァトーレとの情報交換にも応じている。


「これはかなり厄介なことですな。お嬢様は今までとは逆の方向に向けて行動する決断を迫られるかもしれませんね。私にとってはその方がいいですが」

 サルヴァトーレは眼鏡越しにわたしを見つめて微笑みかけた。


 +


 1週間後、わたしは軍服ではない私服の旅行服姿で特別列車のコンパートメントの中にいた。


 初夏の日差し。むせかえるようなオレンジの香り。青い空に白い雲。

 戦争中だとはとても思えない。

 軍と外務省を通じてこの列車は観光客をエルフランドに帰すためのものであるとはっきり伝えてある。あちらからの攻撃はあるまい。


 しかし、色々と昔のことを思い出す。

 確か、6年前。わたしが18才のとき、エルフランドへ留学するために乗った列車もこれだったはず。


 当時、エルフランドの習慣になれるためとかなんとかで留学先の大学に進学する前に予備学校で半年間講習を受けることを義務付けられていた。そこで、早速、予備学校に行くと、驚いたことに今隣のコンパートメントにいる3人のエルフのお嬢様がいらっしゃったのだ。

 エルフから見ての外国人しかいないはずの予備学校に何故おられたのか?

 わたしはこの疑問の答えを今でも知らないし、本人たちに聞く気もない。

 まあ、当時3人のお嬢様がたがそのまま大学に進学するにはチト能力的に無理があり、心配になった彼女たちの知り合いのお偉い方々が手を回したものだと容易に推測できるのだがな。

 御陰でわたしはいい迷惑であったことは言うまでもない。

 さらに困ったことに彼女たちはその12年前のことをしっかり憶えていた。


 その12年前とはー

 当時、わたしは少年行動団に入ったばかりであり、レクリエーションの一環として有名な保養所にキャンプをしに行っていたのだ。そこでわたしはエルフのお嬢様という未知の生物との最初の不幸な遭遇をすることになる……。


 恥ずかしい話をしよう。


 あの日、私たちは黄色い花束を振り回しつつ有名なプロパガンダの「黒き幼顔」という歌を目一杯歌いながら地元の人からマリの泉と呼ばれる泉のある木陰目指して行進していた。

 歌詞はこうだ。



 1、ピルメ山脈より眺めれば


   虐げられし黒き少女たちよ。


   見えるであろう、夢にまで見た


   自由の地、イストリアが。



   黒き幼顔よ、


   可愛いダークエルフよ。


   君たちの待ち望む


   その日はもうすぐやってくるのだ。


   我らが君たちと


   共にある日には


   与えようではないか。


   新しき故郷と王を。



 2、黒き幼顔よ、若いダークエルフよ。


   共に自由イストリアの一部となろう。


   我らの太陽から口付けを受け、君たちもまた


   赤シャツ隊の一員だ。



   黒き幼顔よ。虐げられたダークエルフの子孫よ。


   今や君たちがイストリアの主だ。国土と自由を守るのだ。


   エルフ達は悪い奴ら。外敵共をぶっ飛ばせ。


   自由を守るために統領を先頭にして共に進もう。



 お判りになるだろうか。

 これは3000年前のエルフ達の圧迫を跳ね除け建国したことに言及して人種的意識を高め刷り込もうとした歌だ。

 しかし、保養地とは観光に来た金持ちのエルフの方々が一杯いるところであって、そんな場所で大声あげて歌う歌ではないのだ、本当は。

 それを空気の読めない当時6才の少年少女たちは何も知らずに元気一杯歌ったというわけだ。


 ちなみに、わたしがこの歌で一番気にかかるのは「我らの太陽から口付けを受け」の部分だ。

 我らの太陽とは一体誰を指すのか?ダークエルフ的明快な思考によれば、太陽→光る→ハゲ→我らがエーコ統領となる。しかし、それならば赤シャツ隊の女性隊員は皆んなエーコ統領から口付けされたことになる。でも、そんなことはありえない。あれば、反乱が起こっている。しからば、我らが太陽とは一体誰を指すのか?と無限ループに陥る。


 こんな愚にもつかない妄想をしているのは、本当はわたしがお嬢様方と出会った時のことを思い出したくないからだ。

 でも、観念しよう。


 わたしたちがエルフの方々を不愉快にさせる歌を大声で歌いながらマリの泉に着いてみると、当時同じ6才のお嬢様方が3人とも泉の中に服を着たままいらっしゃったのだ。

 見れば、泉の際には通りがかった人が喉を潤せるようにと林の木で作った柄杓が置いてある。泉の周り半分は苔むした岩にかこまれとても涼しげだった。

 だが、岩の天辺当たりの苔には擦った跡があった。しかも、泉の水も若干濁っている。

 当時、わたしは周りの男の子達からチヤホヤされて勘違いをし完全に浮かれていた。

 しかも、入団前に父上から繰り返し「慎重に行動しろ。常に冷静になれ。お前は異分子だから目立つ。目立つと虐められる」と言われていたのに、少年行動団での生活が楽しすぎて父上の言葉をすっかり忘れていた。

 わたしはみんなの前にしゃしゃり出て、エルフのお嬢様方を指さして言った。

「アンタたち、していいことと悪いことがあるわ。泉の中で暴れたら濁って他の人たちが飲めなくなるでしょう」

 わたしは正論を述べたつもりだった。

 しばらくすると、大公女様の目から大粒の涙がぽたりぽたりと溢れ始めた。


「ヒドイ」「イイスギ」「カワイソウ」

 外野の男どもから声があがる。


 わたしは彼ら男子が自分たちの兄たちを見習い女の子という部分だけに着目してわたしをチヤホヤしていただけであって、わたしの人格、わたしのアイデンティティを評価したものでないことを完全に見落としていた。要するに、わたしは男子たちにモテていなかったのだ。

 男子たちは当然のように普段から調子に乗ってきついことを言うわたしより突然現れた涙する美少女を優遇し出した。


「僕、エンリコ」「オレ、ジョバンニ」「オレはジュリオね。君の髪の毛とっても綺麗だね」


 さらに自体が悪化する。ジョバンニが目を付けたタイナの膝から血を流しているのを発見したのだ。

 当然大騒ぎになる。

 周りの男の子達は一斉にハンカチを出すやらシャツを破こうとするやら。果ては団旗を破こうとする奴まで出てきた。


「痛いのを我慢していたんだね。偉いね。もう大丈夫。僕がズットついててあげる」「泣くなよ、オレも一緒にいてやるよ」「オレ、ジュリオね。君の髪の毛とっても綺麗だね」


 わたしは邪魔だと既に泉の傍から排除されていた。


 どうやらお嬢様方はタイナの提案で岩に登って遊んでいたらしい。そして苔に足を取られて3人とも泉の中に滑り落ちたらしい。

 真相が明らかになると、わたしは偶々事故で泉に落ちて怪我までした可哀想な美少女たちを訳も分からず責め立てた鬼のように酷い奴という評価で固まってしまった。


 本当のことだからわたしは何も言えず俯いてしまった。


「君たちも酷いことを言われたもんだね。同情するよ」「アイツはチョット性格きついんだ。まあ悪い奴ではないから許してやってくれよ。オレの顔に免じて」「オレ、ジュリオね。君の髪の毛とっても綺麗だね」


 本当のことだからわたしは何も言えず俯いたままであった。


 わたしのいるところへカティがトコトコとやってきた。

 その時、わたしは本当は「何も知らずに酷いことを言ってごめんなさい」と謝ろうと思っていたのだ。だが、そうはならなかった。

 カティは腕を組んでわたしの顔をしばらく眺めると「バカ」と言って突き飛ばしたからだ。


 気づいたときには、わたしはカティのうえに馬乗りになって右手で髪の毛を引っ張っていた。そのうえ、「こいつめ!こいつめ!」と左手のコブシでぽかぽかと殴りつけて……エルフの美少女たち全員がギャン泣きする大惨事を引き起こしていた。



 その後、当然、大公家から少年行動団に「黒き幼顔」を歌っていたことも含めて厳重な抗議がきた。


 わたしが一躍問題児になったのは言うまでもない。


 +


 前述した少年行動団でエルフのお嬢様方に暴行事件を引き起こした以外、わたしは16才で幹部候補生になるまで何ら問題なく極めて平凡に過ごしたといえよう。

 それは、教官による当時のわたしへの評価に端的に現れている、……と思いたい。


「才能はある。しかし、常にその才能は発揮されない。何かをしようとしても常に何か悪いことを起こす」

「本人は温和で慎ましく装っているつもりのようだが、狡猾で残忍凶暴な印象を拭えない」

「栄養は十分すぎるほど与えられていたと思うが、何故か常に飢えている」


 最後のは完全に誤解である。

 当時、ある優しい女性教官がいた。彼女はポケットマネーで教え子におやつとして果物や菓子類をふるまっていた。しかし、何故かわたしにはサラミとかチーズとかが多かったのだ。サラミやチーズも嫌いではない。嫌いではないのだが、わたしもたまには甘いものを食べてみたかった。

 その日、多くの子供たちにはメロンがふるまわれた。だが、わたしにはまたもやサラミだった。おやつの時間が終わった後、わたしは彼女にマスコットとして飼っているウサギへの餌として残った果物の皮とかが欲しいと頼みこみ、彼女は快諾した。そこでわたしはもらったものをもって飼育小屋に行ったに過ぎない。

 ただ、別の教官に飼育小屋でわたしがウサギたちを押しのけてカットされた後のメロンのヘタや皮にかぶりついているのを発見されただけなのだ……。

 という訳で完全な誤解である。


 +


 さて。前にも言ったようにわたしは18才の時、エルフランドに留学した。これはエーコ統領の娘モニカ・エーコの身代わりにされたことによるものだった。


 当初モニカが留学する予定だったのだが、留学させるより親善大使や私的な客としてエルフランドに送り込む方がエルフの上流階級との関係を持ちやすいと判断され、ヴィットリオ国王をはじめ外交に携わる者たちがモニカの留学に反対してお流れになってしまった。

 そこで急遽、暇そうにしているダークエルフの中から何故かわたしが身代わりに選ばれたのだ。


 その人選の理由についてわたしなりに考えると、やはりわたしが若い赤シャツ隊員の中で一番ダークエルフらしくなかったことが理由だったと思う。


 ダークエルフの本能を4つ挙げるとすれば、1つ、要領がいい。2つ、いい加減でハッタリ好き・大法螺吹き。3つ、規則を守らない。4つ、個性一番でこだわりの職人気質があること。

 この4つの本能を全て兼ね備えたダークエルフにわたしの今の部下であるジュリオ・カッキーニ上等兵というのがいる。

 ジュリオとはわたしが6才で少年行動団に入った時からの付き合いだ。

 ジュリオは子供の頃から要領がいい。いつも見つからないよう作業をサボって食事時にはキチンといる。オヤツもしっかり貰っていた。いい加減なのはいつものこと。何かしろと言いつけられた時は調子のイイ返事だけはする。結局サボる。規則を守らない。彼にとってこれ常識。点呼だけ済ませると勝手にどこかに行ってしまう。宿舎から抜け出す。彼にはこだわりがある。暇と機会さえあれば必ず女性を口説く。成功しようと失敗しようと結果を考えずに口説く口説く(もっとも、このこだわりはダークエルフの男ならみんな持っているのだけれども)。

 ついでに言っておくが、ジュリオは特別な存在ではない。少年行動団にいた男子はみなジュリオと似たり寄ったりの奴らばかりだった。

 エーコ統領は少年のころから洗脳すればこのダークエルフの本能も矯正されるのではないかと見込んで少年行動団を作ったのだが、こんな奴らばかりいる少年行動団が成功する訳もない。

 こいつら、別に全体に奉仕するのが好きで入団していたわけではないのだ。適当にサボっていてもメシにはありつける。制服着て戦闘団ゴッコをするのも何かチョットカッコいい。同世代の女の子を口説ける……。そんな理由で少年行動団にいたのだ。


 これに対して、わたしは異質だった。要領が悪かった。結局サボった奴の尻拭いをさせられた。オヤツも貰いそこねることがあった。言いつけられたことはキチンとした。規則も破ったことがない。こだわりは……ある。舐めたことする奴は許さない。必ず制裁を加えた。


 これだけ異質なのだ。偉いさん方がわたしのことを外に出しても恥ずかしくない全体主義者と考えたのも無理はない。これがわたしが身代わりに留学させられた理由だと思う。

 ちなみに、18年同じように暮らしてきてわたしが大尉でジュリオが上等兵のままというのも以上の説明で納得できることだろう。


 先でわたしはダークエルフのダメ振りについて散々言った。これに対して、いいとこも一杯あるね、と反対する人がいるかもしれない。

 確かに、ダークエルフは陽気で誰に対しても親切と言われている。

 でも、それは裏を返せば誰にでも好かれたいということであって、そんなものはいつかは破綻する。だから、ダークエルフは他の人種からいい加減でハッタリ好きの大法螺吹きと言われてしまうのだ。


 もっとも、実はわたしもダークエルフの特徴がすべて悪いものだとは考えていない。悪口も言ったが、むしろ好ましくさえ思っている部分もある。

 我々ダークエルフは建前でなく本音で生きる人種であって、笑いたいときには笑い、したくないこと嫌なことに対してははっきりそうだと悪態をつく。

 だから全体主義で必要とされる我慢などできやしない。我々ダークエルフは我慢を美徳とするどこかの人種とは全然違う存在なのだ。

 自己の犠牲をもって全体に奉仕する?とんでもない。要領がいいからみんなフリをしているだけなのだ。いい加減でハッタリ好きだからね。


 正直に言おう。エーコ統領には悪いが、わたしは全体主義が大嫌いだ。大したものではないが、わたしにも個性がある。それを圧殺しようとする全体主義はやはり受け入れられないのだ。


 皮肉にもそんなわたしがモニカの身代わりにエルフランドへ留学させられてしまった。とんでもない目に合うとも知らずに……。


 

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