メラリア王国盛衰記

@MARIAoui1

第1話メラリア王国とは……

 わたしはマリアカリア・ボスコ―ノという。年は24。見た目通りメラリア王国国家義勇軍、通称「赤シャツ隊」の大尉であり、建国来3000年続いた南部最大の領主ボスコ―ノ伯爵の一人娘でもある。

 フッ。いま、「娘(シニョリーナ)」という単語に微妙な反応をした方がいるな。まあ、ダークエルフの女性というのはたいてい胸が薄いから、はじめてダークエルフに接したうっかりさんなら勘違いすることがあるかもしれない。ハハハ。わたしは寛大だ。それくらいのことは快く許そう。わたしは寛大だからな。ハハハ。ただし、一つだけ心にとめておいてほしい。それは「2度目はない」ということだ。メラリアの人間は名誉にうるさい。舐めたことをする人間には容赦はしないのだ。次、妙な反応を示したら血反吐を吐きながら地面とキスすることになるのを忘れるなよ。そこのおまえに言っているんだ。キョロキョロするな。この糞野郎が!

 ああ、それと、そこのおまえ。いま、ニヤリとしたおまえだ。なにか楽しいことがあったんだろう?あとでわたしの部屋に来い。その楽しい話とやらをじっくり聞かせてもらおうではないか。おお、そんなにびくつくことはないぞ。わたしは寛大だし、それに品行方正な将校だ。腹を立てたからといっていきなり愛銃をぶっ放したりはしないさ。せいぜい軽くなでるくらいだよ。むろんナックル付きの拳でだがな。後で必ずわたしの部屋に来いよ。顔は覚えたからな。逃げても無駄だぞ。


 ゴホンっ。すまない。話がそれてしまったな。傾聴してほしい。


 これから諸君にわたしの長い話を聞いてもらうことになるのだが、先ずはメラリア王国ないしダークエルフというものの解説をしておきたい。既に知っているものには退屈かもしれないがな。そこは許してほしい……。


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 今を遡ること約3000年前、 大陸南西部の森に一人のエルフの男の子が生まれる。名前をアルド・クレメンティという。後のイストリア公である。


 当時はエルフの黄金時代であった。

 森には果実や獣といった食物があり、燃料や建材となる大量の木が生えていて、さらに綿実、麻、桑の葉という衣料の原料までがあった。

 この宝庫というべき大陸中の森を支配していたのがエルフである。

 他の人種はエルフの許しなくして森からひと束の薪も手に入れることができなかった。盗もうとすればどこからともなく矢が襲いかかった。抵抗するなどとんでもないことであり、悪魔みたいにすばしこいエルフに殲滅されたし、森に火を放とうものならエルフの大軍が現れて近隣の村や町は蹂躙され都市国家は征服された。


 それゆえ、大陸北東部の荒野や山地に住むドワーフたちは金属製品や乳製品、岩塩と交換にエルフから木材、食料や衣料などを仕入れざる得えなかった。特に肉類を好む彼らは胡椒などの香辛料を黄金と等価で交換を強いられ執拗に搾り取られた。

 片や南海に住む魚人族たちは海塩や干し魚、真珠と交換にエルフから贅沢品である衣料や香料を購うほかなかった。

 そして、エルフはもともと動物を手懐けるのが上手く、獣人族たちを僅かな食物や塩で酷使していた。

 簡単に言うと、当時のエルフたちは神が最も似た存在としてエルフを創造したと信じており、自らを森の守護者にして戦う人と位置づけ労働を拒否し、耕作を獣人たちに押しつけていたというわけさ。


 そんなエルフがこの世の春を謳歌していた時代、大陸南西部の有力なハイエルフの子として生まれたアルド少年は両親の放任主義のもと自由気ままに育った。

 このアルド少年、非常に変わった男の子だった。年少のころから常識だからといわれてもそれで納得することはなく、いろいろと理屈をこねて両親を困らせていた。特に食べ物には異様な執着をみせ、両親の話を一切聞かず伝統的な干し果実や麦粥などのエルフ料理を嫌い、パンを使った異様な実験を繰り返した。

 彼に言わせれば、エルフの食事はまずすぎるのである。こんなもの、人の食べるものではない。こんな食事で我慢できる方がどうかしているとごねて独自の探求をはじめたわけである。


 周囲の無理解の中、アルド少年はついに一つの成果を得る。サンドイッチの発明である。

 現在もそうだがエルフは魚を食しても肉類を食べない緩い菜食主義者である。

 にもかかわらずアルド少年は領地の農奴である獣人たちが食べる生焼けの肉に異様な関心を寄せ、焼肉を野菜類とパンに挟んで食するという暴挙にでた。ことが長老たちに知れアルド少年は危うく異端認定をされかかったが、フィッシュフライをパンに挟んだモノを長老たちに提供するという奇策によってこれを回避した。現在のティータイムでもよく出されるフィッシュサンドイッチの原型である。

 アルド少年、10才の出来事である。


 食物研究を通じて農奴である獣人たちの生活に触れそのあまりの悲惨さにアルド少年は涙した。

 ひどい。酷すぎるよ。

 彼らの食生活は家畜の飼料にも劣るものではないか。手間を一つかけるだけで劇的に変化するのに。これではまるで食の宝の山に囲まれながら飢え死にしているようなものだ。

 よし、僕が改善してやろう。

 誰に頼まれたわけでもなく勝手にアルド少年はそう決心した。


 まもなくアルド少年は大陸南西部に原産するトマトに着目し肉類にも海鮮にもよく合うトマトソースを発明した。

 この偉大なソースの発明ついてはエルフにも獣人たちにも評判がよかった。アルド少年の両親ははじめて周りに「あの子が偉大な功績を残すと最初から信じていた。あの子は私達の誇りです」と語った。


 しかし、アルド少年は満足できなかった。少年にとって発明は料理に革命をもたらす衝撃をもったものでなければならなかった。ソースなんて今までの料理の添え物に過ぎない。もっと衝撃をもった工夫はないのか?

 少年はあえて茨の途を進んだ。

 苦節2年、少年はようやく革命的な新料理を発見する。パスタである。

 これは主食になるぞ、と少年は直感した。

 パスタの発見は偶然である。農奴の獣人の子がオヤツがわりに長虫、芋虫の類を食するのを見た帰りに、少年が厨房に大量の小麦粉があるのを見かけたのが切欠であった。これで長虫に似た食物を作れまいか。少年は大陸史上初めて製麺に成功し乾麺を作製した。

 これは革命であり、後世に多大な影響を与えた。

 現在でもメラリア王国のダークエルフの主食がパスタであることからもその影響の強さが知れよう。

 アルド少年、12才の出来事である。


 アルド少年は幼年の頃から色々な疑問を抱いていた。

 なぜエルフにはタルトやパイ以外うまい料理が存在しないのか?なぜエルフは肉類や火の多用を忌み嫌うのか?なぜ食材は無限にあるのに料理のレパートリィに欠けるのか?

 少年の疑問に長老たちは「神は自らに似せて創り給うたエルフを森と森の動物の守護者に任じ、必然それらを害する行為を禁じられたからである」と答えた。

 その答えに少年はさらに疑問を抱く。

 確かに神様はエルフを創られたかもしれぬ。しかし、誰も神様を見たことがない以上似せて創られたと言えないのではないか?誰も神様の声を聞いたことがない以上守護者に任じられたり行為を禁じられたりしたとは言えぬのではないか?

 長ずるに至り少年の時の疑問はある考えに至る。

 確かに、神はエルフを創ったかもしれない。しかし、その後の神の干渉は無いし、祈っても神は何もしてくれない。ならば、神にとって好ましい方向性があるとしても、自分の選択に責任を持つ限りエルフいや獣人族を含めた人間は好きに生きてよいのではないか。

 神との決別を意味する、この異端な考えはさらなる思想を派生させた。

 エルフが選民であるという根拠はない。ならば、エルフが他の人種を蔑視する理由も無い。獣人を農奴として酷使する身分制もまたエルフにとって都合がよかったから仕組まれたに過ぎない。決して神が公認したものではない。エルフがそういった社会を形成するだけの実力を備えてそういった社会を望み自分たちのリスクをもって形成したに過ぎない。なんのことはない、この世は実力が全てという弱肉強食の原理に倣ったものなのだ。

 だとしたら、そういう社会を気に入らない者がいるとすれば自らの責任で別の社会を形成しても何ら不都合はないはずだ。依存という利益を犠牲にしさえすれば我々は神からも伝統からも自由なのだ、と。

 


 青年となったアルドは決意を胸に大陸各地をカレーなどの新作料理の宣伝とともに自らの思想を伝道して回った。

 しかし、アルド青年の神を否定し自分を中心に考える個人主義思想はヒト、ドワーフ、エルフ等諸民族の支配層に到底受け入れられるものではなく、アルド青年は多くの挫折を味わった。彼は嘲笑され無視され迫害を受けた。時には暴漢に襲われ、時には官憲に捕まった。彼の思想は大陸各地で危険思想と断ぜられた。彼が殺されなかったのはひとえに偉大な創作料理人としての名声があったからにほかならない。


 そんな彼にもやがて転機が訪れる。

 多くの挫折を味わい失意のうちにあった彼も両親の死に因り故郷イストリアに帰って領主の地位を継ぐこととなった。彼は自らの思想を伝道しても強制することも具体的な行動の指示をすることもなかったので、当初エルフの長老たちも彼を害することなく奇人変わり者とのレッテルを貼ることで満足していた。

 ところが、当時エルフの社会ではダークエルフの存在が問題となっていた。

 一般のエルフの家庭で突然体の色が浅黒く銀髪の子供が生まれたのである。

 2つの特徴以外他のエルフと変わったところはない。しかも、突然変異であるが、決して劣性遺伝子ではない。その証拠に片親がダークエルフの場合、必ずダークエルフの子が生まれるのである。

 長老たち支配層はこの事実に怖れおののいた。選民であるというアイデンティティが消滅するかもしれない、と。恐怖は彼らを迫害へと駆り立てた。彼らはダークエルフとエルフとの結婚を禁じた。ダークエルフの公共の場への入場をも禁じた。居所を制限した。さらに、ダークエルフの断種、強制避妊までしょうとするものまで現れた。

 ダークエルフたちは差別に困惑し、やがて反発するようになる。そこにアルド青年の思想が伝えられた。

 彼らは考えた。住みにくければ住みよい社会を造ればいいじゃん、と。

 それから彼らは大陸全土の森から個人で集団で出立しいくつもの苦難を乗り越え長い旅路の末アルド青年のいるイストリアにたどり着いた。

 長年に亘る無理解に苦悩していたアルド青年は理解者の出現に喜び勇み彼らを迎え入れた。

 アルド青年は彼らを平等に扱い料理を教えた。特にイストリア特産のトマトやオリーブを使った料理は彼らの好評を博し、彼らの家庭料理として定着することになった。


 しかし、この幸福な社会の創設に憤激を覚える集団がいた。

 エルフ原理主義者たちであった。彼らにとってみれば、神から忌み嫌われ呪われたダークエルフたちが大陸全土の森から出ていったことは喜ばしいことである。しかし、イストリアもエルフ固有の領土である。そこにダークエルフが住み着くことは許し難い。特にイストリアでダークエルフたちがトマトソースのかかった肉料理に舌鼓をうっていることは神に対する冒涜にほかならず腹立たずにはいられなかった。もとより原理主義者の立場からしてアルド青年の新作料理は受け入れられるものではなかったのである。

 エルフならばすべからく古式に法って作られた干し果実を食え。神が恵み与えた食物に手を加えるなど言語道断である。それが彼らの信条であった。

 アルド青年にとって原理主義者の反発は理解できるものでなかった。

 好きなものを食べて好きに暮らせばいいじゃん、何が悪いんだ、本人に太るとか高血圧になるとかのリスクを負う覚悟ある以上他人が口出すべきことではないだろう、と。

 温和な彼も自らが新作した料理を認めない原理主義者には苛立ちを覚えていた。

 このこととも相まって、相互間でさらなる悪感情が湧き上がっていた。


 この相互間の反発を利用しようとする勢力があった。

 エルフ社会の引き締めを狙う長老たちとイストリア特産のトマトとオリーブの独占に旨みを見出した領主やハイエルフたちである。

 彼らは原理主義者を煽ると共に異端討伐の軍を起こすことに成功する。


 ついに戦争となった。

 アルド青年は苦悩した。ダークエルフは数が少ない上差別されていたため戦う人としての経験が少ない。このままでは殲滅されてしまうかもしれない。

 状況を打開するためアルド青年は禁じ手を次々と使った。

 まず、大陸北部のヒトやドワーフから金属製の武器を輸入するためエルフの間で門外不出とされてきたジャガイモを伝えた。これによってヒトやドワーフの農民たちが飢えることも少なくなり、次の時代にこれらの人種の人口増大の一因となった。 

 次に配下の農民の獣人たちやダークエルフにも扱い易いように農具である脱穀のための殻竿を武器として使用することにした。いわゆるフレイルの出現である。これによってイストリアでも兵士を大量動員できるようになった。

 さらに旅先で馬車に料理器具を積み込みそこで調理していたことを思い出し、馬車に兵士を乗り込ませた上鉄板で装甲し戦車として機動防御に使うことを思いついた。実際には現場の優れた指揮官のおかげで馬車は動く城壁として運用され自軍に常勝をもたらした。


 かくしてイストリア軍はエルフの異端討伐軍を殲滅してエルフの長老たちや領主、ハイエルフたちの企図を折ることに成功し、遂にエルフランドからの独立を宣言する。

 メラリア王国の成立である。これは、明確な領地・住民・代表者を有するという近代国家が大陸史上初めて成立した瞬間であった。そして、この年が以来現在まで3000年の時を刻むメラリア独立暦元年となるのであった。


 だが、この後のメラリア王国の動向はアルド青年の願いから乖離するものとなる。

 貴族制度の存続である。

 アルド青年はこれを廃したかったが廃するだけの実力がなかった。もともと思想家で料理人の彼に統治能力はなかった。それを代替するための官僚の育成もしていなかった。以来大土地所有を財源とする貴族が政治を担うこととなる。

 貴族たちは何ら政治形態に変革をもたらす必要を認めなかったためメラリア王国は約2980年の長きに亘り大陸南西部の小さく貧しい農業国として発展から取り残されて存続することとなった。


 アルド・クレメンティは初代メラリア王位にありながら自分の理想が歪められたことを悲嘆しつつ孤独のうちに72年の生涯を閉じることになる。最後の彼の作品は発酵食物を使ったティラミスというデザートであった。


 片やその後の、メラリア王国以外の大陸の国々の興亡・発展には目を見張るものがあった。


 まず、エルフランドであるが、メラリア王国の独立に危機感を覚えたエルフたちは自分たちの生存圏の確保に乗り出した。

 大陸南東部においてエルフに反発する原住民の諸民族を討伐するとともにエルフに協力的な諸民族には自治を与え諸国家として位置づけ、メラリア王国独立から26年後にエルフランド及び諸王国連合を成立させた。

 エルフはこれにより豊かな大陸中央部から南に続く大森林地帯と大陸南部のイスラ河大デルタ地帯を含む大陸の約4割と人口の半分を確保するに至った。

 そして旧来からの施策であるプランテーション事業を積極的に推し進め、大陸北部のヒトやドワーフとの交易で繁栄する。

 この勢力下の諸民族の犠牲によって蓄えられた交易の利益は後の産業革命の資本となる。

 エルフは生物学はもとより何故だか電気に強く水力発電を発明し大陸史上初めて産業革命を成功させる。最初こそは繊維工業中心であったが得意の電気工学からミスリル銀などの軽金属の製造に成功する。これがメラリア独立暦2830年頃、連合暦で言えば2804年頃のことである。

 その後も時計などの精密機器の生産地となるなど順調に発展、現代では電子工学を展開し通信機器の製造をほぼ独占している。

 産業革命に成功したことをうけエルフランドでは資本家という有力な市民が育成され、貴族は政治の場から徐々に退場させられるに至った。

 そして、国民の声に押されて議会が誕生し、皮肉にもエルフランドは大陸で初めて国民が政治に参加する国家となった。メラリア暦2895年、連合暦2869年のことである。

 ちなみにエルフ原理主義者は現代では環境保護団体となり大森林地帯やデルタ地帯の生態系の保護・維持に従事しているが、その暴力的な性格は変わらぬまま工場主、漁師、猟師達と紛争を起こしている。


 次に、大陸北西部の、ヒト族の国であるロレーヌ王国に目を転じると、ゴール王家の巧みな貴族の力の削減施策によりメラリア暦2690年頃絶対王政を確立する。

 王家は常備軍確保の財源としてガラス製造業、窯業、牧羊を生かした毛織物産業の育成発展につとめた。しかし、これが絶対王政が短命に終わる遠因となる。これらの産業の発達は産業革命には及ばないまでも資本の蓄積を許し経済の自由を追求する有力な市民の育成につながったからである。

 メラリア暦2780年、大陸一の麦の穀倉地帯であるロレーヌ王国において旱魃と麦の立ち枯れ病が襲い一気に飢餓の恐れが生じた。

 当時王家は長年に亘る大陸北西部のドワーフとの戦いのせいで財政が逼迫しており、農民にこれ以上の負担を強いるわけにもいかず貴族に対して新たな税の徴収をしようと画策していた。

 これに対し貴族は大いに反発し、国政が停滞するに至る。

 この頃、王権神授説のアンチとして約2800年前に唱えられていたアルド・クレメンティの思想が復活しており、市民の間ではヒトは生まれながらにして自ら欲する社会を追求する権利を有するという考えを共有していた。

 市民たちは思った。王も貴族も国政を担うのを放棄した、じゃオレたちの都合の良い社会を造っていいんじゃね、王も貴族も要らないしょ、と。

 こうして市民たちは明日の生活に不安を抱えていた農民たちと大同団結して王と貴族を一旦一掃することに成功する。

 大陸最初の市民革命である。

 しかし、王・貴族側からの反動が起こると同時に急進的な都市労働者による突き上げ、土地の再分配による農民の沈静化等により市民政府は崩壊する。産業革命を経ていない市民にとり他の勢力を黙らせて国政を担うには実力がまだまだ足りなかったのである。

 そこで、有力な市民たちは経済的自由の確保を条件に王国の全勢力との妥協に至る。こうしてロレーヌ王国では全勢力の権利を制限し合う立憲王政をとることになった。

 ちなみに、この玉虫色の体制は現在でも続いている。

 エルフランドに遅れること20年、メラリア暦2850年頃、蒸気機関を発明しついにロレーヌ王国でも産業革命を達成した。王国東部の国境地帯で大炭田を発見したことが原因であった。しかし、これは後の東のザールラント帝国との軋轢を生むことになる。


 最後に、大陸北東部のドワーフの国であるザールラント帝国であるが、この帝国の成立はかなり遅い。ドワーフというのはもともと土地や鉱山を求めて部族単位で動くことが多い部族社会であり、そもそも近代的な国家の概念を持ち得なかった。

 ドワーフの王というものは他の国とは違い各部族の長が僭称していたに過ぎなかったし、貴族と称するものも他の国のような大土地所有者ではなくせいぜい東部荒蕪地の開拓農民の子孫で小地主をしているものを指した。

 そして、最近まで近代的な資本家という者も存在しなかった。

 資本を蓄積する可能性があったのは都市部のギルドのみであったが、ギルドは自分たちの既得権確保のため経済的自由の確保どころか規制にまわり経済的な発展を阻害した。

 事の切欠は小部族の長の一子タングファルト・フォン・アルニムが2800年以上も前のアルド・クレメンティの思想にふれいたく感銘を受けたことによる。

 ドワーフの理想とする国家を自由に造って何が悪い、オレは強権的で頑固で頭の古いオヤジたちに遠慮なんかしないぞ。

 彼は友人と同性愛の関係にあったにもかかわらず強引に近隣の有力部族の長の娘と婚姻し自分の部族を強化し、さらにその娘の遠縁の先祖が別の有力な部族の長につながる関係にあるとしてその跡目を要求するという無茶をして戦争を開始した。

 いわゆる大陸継承戦争である。

 彼は大陸北部のすべての勢力を敵に回したものの、自分の優れた戦術眼と彼のオヤジの残した強力な軍隊のおかげでどうにか勝ち抜くことに成功した。

 これで彼は部族社会から脱し王国という体裁をとれるようになった。

 その後徐々に勢力の拡大をなし大陸北東部全域を支配におさめ遂にザールラント帝国を成立させるに至る。メラリア暦2810年のことである。

 しかし、タングファルトは30年以上にもわたる統一事業の心労のため翌年息を引き取ることになった。享年49才であった。

 彼は子をなしておらず2代皇帝の地位は甥であるギュンターが継ぐことなった。

 ギュンターは治世の君であった。

 彼は早くから国家による経済発展の重要性を認識していた。市民による資本の蓄積に伴う経済発展を待っていては遅すぎる、遅れたザールラントを一気に発展させるには上からの強力な推進が必要である、と。

 エルフランドがメラリア暦2830年頃産業革命に成功したことを聞き及んで、もう追いつけないのではないかと彼の焦りは頂点に達した。

 何故ザールラントは産業革命を成し遂げることができないのか。

 彼の治世の下ザールラントも徐々に近代化を成功しつつあった。ギルドの解散、会社組織の保護育成、関税制度の改善、初等教育機関の設置、国内法の整備等々。また、ザールラントにはもともと貴族はおらず小地主の子弟は古くから文官になるか軍人になるかの途しかなく優秀な官僚組織を得ることができたという大きな近代化のアドバンテイジもあった。さらに、資本も外国特にエルフランドに頼ることが可能であった。もともとザールラントは高い金属加工、機械製造、重金属の精錬の技術を持っていたからである。それに帝国全土の下には不純物が多いながらも埋蔵量豊富な鉄鉱石が眠っている。

 あと何が足りないのだろうか?

 答えは20年後の国境地帯で発見された大炭田の存在から導かれた。

 そうだ、足りないのは動力源だった。エルフは環境破壊に忌避感を持っているから電気に頼るのは仕方がない。しかし、ドワーフが石炭に頼って何が不都合か?幸い国境地帯に大炭田がある。これを掘って産業革命を成し遂げようではないか。

 こうしてザールラントはロレーヌ王国と時同じくして産業革命に成功し国境地帯の東側一帯に重工業地帯を形成した。


 しかし、ザールラント帝国はロレーヌ王国と国境地帯の石炭資源の取り合いをして5年後戦争を始めてしまい、大陸戦争の引き金を引いてしまう。かねてよりザールラントの拡張主義に懸念を抱いていたエルフランドはすぐさまロレーヌ共和国側(戦争中体制が変換した)について参戦。瞬く間に戦禍は大陸中に広がった。


 先の大陸戦争を一言で纏めるならば、悲惨という一語に尽きる。


  戦場には、小銃、突撃銃、軽機関銃、重機関銃、野砲、山砲、迫撃砲、臼砲、列車砲、手榴弾、地雷、毒ガス、戦車、装甲車、戦闘機、爆撃機、飛行船等々ありとあらゆる大量殺戮兵器が登場した。


 どこもかしこも殺人、傷害、暴行、憎しみ憎しみ憎しみ。

 大地は砲弾で穴ぼこだらけ、木々は焼け落ち、血と泥だらけ。一体どれだけのエルフやヒトやドワーフ、獣人たちが死んだのやら。


 前線から主要な駅に入ってくる列車は怪我人で一杯だった。

 プラットホームは体のありとあらゆる場所を負傷した者で溢れている。どうやればこんなに頭、腕、足、胸、腹、背中、尻に欠損や傷が付くのだろうか。

 一番哀れに感じるのは、毒ガスでやられた盲人の群れだ。

 目の部分に包帯を巻いてお互いの肩に片手を置いて列を作ってひょこひょこ歩く様はとても見ていられない。


 こんな結果は少し考えれば分かっていたはずなのに。


 戦う前の人々は皆愚かだったのだろうか。それとも、結末を考えられないくらいに不幸だったのであろうか。


 戦争はズルズルと8年続いてやっと終わった。種族を問わず大陸に住む人間すべてに忘れがたい深い深い傷を残して……。



 ヴィットリオ・アメデオ4世は今生のメラリア国王である。


 彼には初代アルド・クレメンティ以下歴代国王と同じく権力がなかった。

 しかし、権威はあったので歴代国王と同じくこれを狡猾に利用して人を踊らせるのが上手だった。彼が喜んでしていたかどうかは分からないが、とにかくその掌の上で人を踊らせるのがとても上手かった。


 先の大陸戦争が始まって4年後、総力戦だと叫んで自国民の生活を犠牲にし狂ったようにお互い殺し合いを続けてきたロレーヌ共和国もザールラント帝国もようやく息切れを始めた。

 特に砲弾、弾薬、爆弾の類の製造能力が限界に達するようになった。また、前線の兵士に回すことを最優先したため国民の食糧事情も悪化していた。

 その2年前からロレーヌ共和国側について参戦したエルフランドはエルフ特有の事情により当初、自軍に必要な分を自国の影響下にある諸王国連合内でしか砲弾の類を製造する気がなかったため、食料以外ロレーヌ共和国を援助することができなかった。

 そこで、困り果てたヒトとエルフはメラリア王国に目を付ける。

 ダークエルフたちに武器や弾薬を作らせればいいじゃないか、と。


 これは貧しい小さな農業国であるメラリア王国にとっても渡りに舟だった。

 こうしてメラリア王国にロレーヌ共和国とエルフランドから多額の資本と現代的技術が導入されることになり、戦争終結間際のメラリア暦2863年にようやく産業革命に成功することになる。

 同時にその頃から北部の工業地帯にポツポツと資本家が現れるようになった。


 資本家の誕生を目にしたヴィットリオ国王は密かに歴代国王の願望であった国政からの貴族排除の実現に希望を抱くようになった。

 だが、産業革命に成功したとはいえ北部の一部の地域で工業化に成功したにすぎず、依然として貧しい小さな農業国であることに変わりがなった。

 人脈を築きつつヴィットリオ国王は静かに時機を待った。


 ヴィットリオ国王の期待にそいうる人物がメラリアの国民にはじめて認識されたのは、先の戦争終結直後のメラリア暦2864年に起こったサラサノ占拠事件での出来事であった。



 メラリア王国は先の戦争に参戦していなかった。メラリア王国は建国以来3000年、戦争したことがないのだ。

 しかし、どこの国でも物好きはいる。

 ダークエルフのなかにもロレーヌ共和国側に立って戦いに行った義勇軍兵士数百名がいた。その中に当然、後の統領(ドゥーチェ)であるウンベルト・エーコもいた。

 一説には、地元で女性を口説いたものの見事に振られた挙句それを知った婚約者に刃物を持って追いかけ回されやむなく義勇軍兵士になって出征したともいわれている。

 後の統領(ドゥーチェ)であるエーコに華々しい戦果を期待したいところであるが、それはなかった。エーコは唯ひたすらトラックを運転して前線に弾薬の類を運んでいたからだ。それでも危険物の運搬であるからして勇敢な行為には違いなかった。彼には義勇軍従軍章と勲功章の2つのメダルが贈られている。

 ただ、手癖の悪いダークエルフの例に漏れず、ちょくちょく運送の沿道の空家や留守宅から酒とか鶏とか椅子とかを掻払っていたのはご愛嬌である。

 戦争終了後、地元に帰った彼は婚約者と結婚したものの、真面目に働く気が起こらなかった。

 前線の悲惨さを体験したことのある兵士にとり、それは珍しいことではない。今まで殺し合いの日々を送ってきたものが急に平凡な日常を強いられても戸惑うのは当たり前だからだ。戦争が終わり人殺しをしなくて済むようになったのは嬉しいが、銃後で変わらず平凡な日常を送ってきた人々にも馴染めないというのが彼らの正直な気持ちであろう。戦場ではあれだけの人が死んでいったんだぞ。なんでお前たちはまるで何にもなかったように平和そうな顔して生きていけんだよ、と。

 ただ、エーコの場合は少し事情が違った。彼はもともと派手な活躍を夢見て参加したのに結局トラックの運転をしただけで終わったので物足りなかった。そりゃ負傷もせず生きて帰れたのは嬉しいが、もう少し活躍したかった、活躍して人の賞賛を浴びたかったと彼は内心思っていたのだ。


 ところで、彼の帰った地元は少々やっかいなところだった。

 戦争中工業化に成功した北部地方の1つであるが、戦前に入り込んだインターナショナルな外国人労働者の影響で社会主義にカブレた労働者が多かった。しかも街には昔から強面でのし歩くマフィアの構成員がうじゃうじゃいた。

 前者はおおむね大人しい存在だったが、戦後、軍需特需がなくなり景気が悪くなって賃金が下がり始めると先鋭化しだし、機関紙を発行したり集会を開くばかりか頻繁にストライキをするまでになった。

 後者は要するに社会のダニであり嫌われ者だったが、人々は連中を都合よく利用してきたし、マフィアの連中も人々から何のかのと理由をつけて遠慮なく金を毟り取っていた。

 ストライキに悩まされた地方の有力者や新興の資本家たちはいつものようにマフィアの連中に金を渡して社会主義にかぶれた労働者たちをなんとかしてくれと頼み込んだ。

 最初はマフィアの連中も喜んで金をもらい労働者を痛めつけた。スト破りをしたり、地元の警察と連携でピケをはった労働者を排除したりした。そのうち御用組合をつくり労働者たちを脅して無理やり加入させたうえ組合費を上納させるようになった。

 しかし、それはやりすぎであった。

 労働者の中にはエーコ同様、義勇軍に参加して帰ってきた者が多くいたのである。反発した彼らは地方の鉄道労働者と協力して小銃で武装し工場ばかりか鉄道のストライキを行なった。スト破りをしようと工場や鉄道に近づいたマフィアの連中は労働者たちから容赦ない銃撃を受けて逆に手を挙げる羽目になった。警察も憲兵も手ごわすぎて労働者を押さえつけることができない。

 工場も鉄道も労働者側に抑えられたままで事態は労働者側の勝利に終わるかにもみえた。

 しかし、ストが続いたおかげで物流が止まり、バリケード越しに憲兵と労働者がにらみ合う中、すべての人の日常生活に支障をきたすようになる。同時にはじめは同情的だった市民の目も厳しいものに変わりはじめると、慌てた労働者側が雇用主側と交渉に入り、事態は一旦沈静化する。結局、痛み分けである。


 おさまらなかったのは地元有力者と資本家たちである。

 彼らは労働者たちに恐れを抱くようになったのである。現にこの頃から彼らは食卓で彼らの子供たちがふざけたり食べ物を残したりすると、「今に労働者の貧しい子供たちがやってきてお前たちの食べ物もオモチャもみんな持って行っちゃうぞ」と言って脅しつけた。彼らはこうして次代の金持ちである子供たちに労働者に対する差別意識と恐怖を刷り込んでいったのである。

 また、彼らはマフィアの連中に失望した。だらしがない。力もない癖に金を毟りに来る時だけダニみたいにしつこい奴らにはもううんざりだ、と。

 そこで、彼らは奇特にも余り人が読まない機関紙を大汗かいて書き続けているエーコに着目するようになる。ハゲだが何かとりつかれたみたいに書いているし、先の戦争に義勇軍として参加したようだし、もしかしてこいつ凄くね、と勘違いをしてしまったのである。

 彼らが少しばかり資金援助してやると飢え死にしかけていたエーコはいつにもまして元気になり猛烈に活動し始めた。

 すると、また勘違いしたもと義勇軍参加兵士やグレた青年たちが彼のもとに集まり始めた。そのうち、労働者側に立っていたものの組合活動に限界を感じ社会主義にも絶望したもと義勇軍参加兵士たちまでもが彼のもとに集まってくるようになった。

 彼は他人に認められ喜び嬉しくなり、ますます元気になった。

 彼は、まず自分たちの集まりをイストリア戦闘団と名乗ることにし、特にもと義勇軍参加兵士や不良たちのような直接的な行動を好む者たちに青年行動隊俗に言う赤シャツ隊と名付けた。


 エーコは特に思想と呼べるものを持っていなかった。彼は目一杯機関紙を書いているがそのどれもが巷に流布されていた政治的パンフレットやらなにやらの抜き書きしたものであった。右から左までありとあらゆる政治的宣伝をひたすら書き写した。だから、同一の機関紙の紙面で逆のことを主張することがよくあった。しかし、彼にとって激烈な表現で何やらやたら調子の良いことが書ければよく、気にも留めていなかった。また、お節介な奴が彼のもとに紙面の矛盾点を指摘しにくることもなかった。なにしろ彼の周りにはやたらと暴力的な赤シャツ隊の面々が雁首揃えて侍っていたからだ。ダークエルフの男共は空気が読めるのである。

 ただ彼の機関紙の主張には時々脈絡もなく薬の宣伝や新作料理の宣伝が混じるので、それらの宣伝パンフレットを書いた薬屋や料理店の人たちには評判がよかった。


 この頃のエーコの生活は、朝起きて朝食摂って機関紙書いて昼食摂り、昼寝して機関紙書いて外に出掛け女性を口説いて失敗して家に戻って機関紙書いて、夜アカい奴らの集会に殴り込みをかける、の繰り返しであった。

 その頃の彼はまだ3食ともに果実という食生活ではなかったので、夕食を抜くことでダイエットに成功していた。本能が彼をダイエットに駆り立てたのである。


 北部のロレーヌ共和国(当時はまだロレーヌ王国)との国境にサラサノという湖に面した美しい街がある。

 メラリア王国は貧しい国ではあるが、温暖で風光明媚な景色がそこらじゅうに溢れ、海の幸山の幸も豊富、料理が美味しく、そのうえ平和で物価が極めて安かった。産業の発展には遅れていたが、昔から著名な料理人、音楽家、画家、建築家、彫刻家を多く産出し文化的にはそれなりに豊かだった。なにせダークエルフの男たちは女性を嬉しがらせるために、夜中、女性のいる部屋の窓の下でギターかき鳴らしたり甘ったるい声で歌ったり、補正率強の彼女の肖像画やら彫刻を送ったりすることに余念がないから、そういう類の芸術がそれなりに発展したのも無理がないのかもしれない。

 ともかく、そういった理由で昔から金持ちのエルフやヒトがメラリア王国へやたらと観光に来ていた。

 昔はサラサノもそういう観光地のひとつであった。

 しかし、サラサノを領地にしていた阿呆なダークエルフの貴族がお忍びできていたロレーヌ王国の大公に自前のカジノで賭博に負けてサラサノを街ごと取られてしまった。茶目っ気のあった大公は早速、サラサノをロレーヌ国王に献上しロレーヌ王国の飛び地の領土であることを宣言した。びっくりしたのはロレーヌ国王とメラリア王国の貴族たちである。当時のロレーヌ国王は意外と真面目なヒトであったため真剣にメラリア王国の反応を気にし対ロレーヌの国民感情の悪化を恐れた。片や日頃自由気ままに生きていたメラリアの貴族たちもさすがの事態に唖然とした。メラリアは建国以来戦争をしたことがなく領地の割譲も行なったことがなかったのだ。「ご先祖様伝来の不可侵であるはずの領地の割譲の理由が賭博に負けたからだとお。貴公のような恥さらしはメラリアの貴族では無い。えーい、国外追放の上財産没収じゃ」と貴族たちは当の貴族を責めたてた上、サラサノを奪還するために戦争するのだと息巻いた。

 が、事態は当時のメラリア国王の鶴の一声で沈静化する。

 メラリア国王がロレーヌ国王に対して「サラサノ当地を関税を含めてすべて非課税としたうえ当地の行政・司法はメラリア王室・ロレーヌ王室双方の役人が担い、立法についてはロレーヌ王国のそれが及ぶことを条件にしてメラリア王国はサラサノがロレーヌ王国の領地であることを認める」旨の申入れをし、ロレーヌ国王がこれを了承して問題解決したということになった。

 メラリア王国では国王に外交権はないはずとブツブツ文句を言う貴族もいたが、国王が「されば貴公がなんとかしてみよ。策がないなら黙っておれ」と押し切った。結局、メラリア国王の提案は賭博に負けた当の貴族だけが損するもので誰も損することにならなかったので双方の国で受け入れられることになったのである(少数の人間を除いて大部分が実は国王たちが労せずして自由貿易観光都市を手に入れることができると内心ほくそ笑んでいたのを知らずにいたわけだが……)。


 問題解決当時、ロレーヌ王国の王宮では以下のような会話がなされたと実しやかに囁かれていた。

 国王「ふーっ。一時はどうなることかと思ったぞ。でも、こんなオイシイことになるなんて、まさに瓢箪から駒だな」

 悪戯した大公「むう、王室公認のカジノは人気が出ることでしょうなあ。それに無税なのでメラリア産の革製品、宝飾品、美術品など安く購えますなあ。いっそのこと彼の地に美術品のオークション場を設けてみてもいいかもしれませんぞ。エルフ共がわんさかやって来ますから」

 国王「待て待て待て。まずはマネーロンダリングし放題の銀行をつくることこそ先であろう」

 大公「やはりそう来ますか。税金を嫌がる金持ち連中はこぞって彼の地に本店を設けようとするでしょうから、連中の秘密口座開設や秘密金庫の保管でウハウハですなあ。しかしそうなると、裏社会のお呼びでない連中まで引き寄せてしまいますぞ」

 国王「仕方あるまい。繁栄の裏に影ありきだ。無税、賭博、買い物、観光。これだけ人の集まる要素がある以上犯罪者たちもやってくるさ。せいぜい見える外側だけでもよく掃除をしておこう」

 大公「しかし、げに恐ろしきはメラリア国王ですな。笑い話からこうまで利益をひねり出すとは」

 国王「む。やはり貴公は笑い話のつもりであったか。少しは人の迷惑を考えよ。今回はうまくいったからうるさくは言わぬが……。それはそうと、メラリア国王め。なかなかやるな。あやつが案を言い出さなかったらこうまでうまくは転がらなかったぞ。ハハハハハ」、と(当のメラリア国王が当初から「サラサノがマネーロンダリングで悪評を被ろうが犯罪者だらけになろうがロレーヌ王国の領地にしてやったんだからオレの知ったこっちゃねえ、利益だけはガッポリ頂くぜ」と意図していたことに、ロレーヌ国王も大公も、後日、担当の役人から「犯罪者を好きなだけ捕まえてそちらの法律で存分に裁いてください。なにせサラサノはロレーヌ王国のご領地ですので」と慇懃に司法協力を断られるまで気がつかなかったというー)。

 とにかくこの噂話は世の中には悪賢い人間というものもいるが、メラリア王国の国王はさらに上をいくとてつもなく悪賢い存在である、という逸話として現代までニヤニヤと伝えられている。

 ちなみに、メラリア国王については問題解決当時、「あー、貴族共の馬鹿面が見えてスッキリしたし、儲け話にもありつけたし。愉快愉快」と始終ご機嫌であらせられたと当時の秘書官の日記に記されている。


 このいろいろと利害の絡みあうサラサノで、メラリア暦2864年、トンマーゾ・トラエッタという詩人がゴロツキの一団を引き連れて乗り込み事件を起こす。


 トンマーゾ・トラエッタというのはよく解らない男である。

 詩人というだけあって韻を踏んだ調子のイイ詩を書くのだが、その内容たるや戦争や剣や流血や勇者や竜などがやたら出てきて戦争を賛美するという訳の分からないものであった。そればかりかこの男、高級レストランで食事中突然「真理は戦争の流血の中にこそ見出しうるのであ~る。いざ行かん、トツゲキー」と大声あげて皿の上の肉片をフォークでぶっ刺してみせたり、軍服に似せた独特の衣装を着込み道の真ん中で取巻きから少し離れて銀縁の伊達メガネをキラリと光らせながら拳を上げポーズを決めてみたりして周囲に危ない人物であることを盛んにアピールしてみせていた。

 本人としては、オレってちょっとバイオレンスな雰囲気でワイルドに決めたイケメンでカッコよくね、とアピールしているつもりらしかったのではあるが……。

 このトラエッタ氏の魅力は独特すぎて一般大衆の理解は得られなかったものの、もと義勇軍参加兵士やグレた若者とかいった一部のハードでコアな特殊なファンにはたまらないものだった。

 トラエッタ氏はもと義勇軍参加兵士ではなかったが、先の戦争では勝手に従軍記者として戦場にまで赴いている。戦場で何を見たのかは分からないが、本人にとり興奮を覚えるに足りるものだったらしい。


 さて、このトラエッタ氏はサラサノに来て何をしたかというと、まず仲間と共にカジノの警備員やロレーヌ共和国側の警官、官吏に銃を突きつけて武装解除した後、市庁舎を占拠した挙句、市庁舎のテラスから眼下にある街の中心の広場に向かって「我々はメラリア解放義勇軍である。サラサノを占拠しロレーヌ共和国の魔の手から解放した。我々はサラサノを無事奪還しこれをメラリア国王に捧げるものである」と宣言した。その際、ご丁寧に市庁舎のテラスから観光に関する公文書をこれでもかという具合にまき散らしたそうである(掃除は誰がしたか不明である)。

 さらに市内の高級レストランに仲間と共に乗り込み無銭飲食をやらかしたうえに支配人を睨みつけたりもした。

 もっとも、レストラン内で食事中の金持ち連中のもとへテーブル毎に挨拶しに行き、我々は決して乱暴を働いたりはしない、メラリア王国のしかるべき官吏がくるまで私が市長代理である旨アピールしたりして始終紳士的に振舞った。

 最初唖然としていた市内の人々もトラエッタ氏らが一発の弾丸も発射せず1人のロレーヌ共和国側の官吏も拘束せずに自由にさせているのを見て、徐々にトラエッタ氏のいつものパフォーマンスで本気でないことに気が付き始めた。

 そうなると、観光に来ていた暇人の金持ち連中は何か面白いショーを見ている気になりだし、トラエッタ氏の肩を叩いたりパーティへの招待をしてみせたりと徐々に悪乗りをし始めた。

 これに対して、トラエッタ氏もロレーヌの金持ちに「アンタ、ヒトですか。残念ながら吾輩は敵の懐柔は受けませんぞ。酒の勝負ならいつでも受けますがな、ガハハハ」と笑い飛ばしてみせたり、エルフに対しては「戦争で同盟国でしたな。え、なに?メラリアは参戦していなかったですと?吾輩は義勇軍兵士として戦場を渡り歩いとりましたから政治上の細かいことは忘れておりましたわ」とかデタラメを言いまくってサービスして回った。その場に件のもとロレーヌ王国の大公の孫までが居合わせており、その人物から「おお、やっと奪還できましたか?当時わが祖父は国王陛下からお叱りを受けたり他の貴族からお小言を食らったりしたといいますからこれで墓の下でホッとしていることでしょうな」と言われたのに対して、「小官も感慨無量であります。30年は長かったであります」と嘘泣きして返したりした。

 トラエッタ氏が引き連れた連中もただ酒が飲み放題で始終ご機嫌であった。

 トラエッタ氏はサラサノに面した湖を見て金持ち連中に対して「今晩は奪還のお祝いだから花火を揚げなくちゃいかん」とタカリ始めた。本能的に火を嫌う幾人かのエルフは顔を顰めたが、金持ちのヒトとダークエルフの連中は快諾し多量の花火を購入して夜の湖で打ち上げさせた。

 皆浮かれて一晩中騒ぎまくった。


 その頃我らのエーコはどうしていたかというと、トラエッタ氏がサラサノに乗り込んだことを当日の朝になって知って地団駄を踏んで悔しがり、赤シャツ隊(私兵)の面々を集めトラエッタ氏の後を追うべくサラサノに急行した。

 ロレーヌ共和国側もまたサラサノの官吏によって朝から占拠のことが伝えられ、一番近い街の憲兵隊を派遣した。しかし、その憲兵隊長の体の不調をおしての派遣でありまた越境手続きに手間取ったために到着が翌日の朝となった。

 その日の朝は湖からの薄い霧でサラサノの街が覆われ視界が悪かった。トラエッタ氏とその仲間、金持ち連中は一晩中遊んでいて疲れており、そこらへんに散らばって眠りこけていた。

 エーコと赤シャツ隊のトラックは辛うじて憲兵隊に先んじてサラサノ市内に入った。エーコは街が静かすぎて思っていたのと様子が違うのに面を食らい、中央の広場の入口にトラックを停め、赤シャツ隊に警戒を呼びかけた。

 そこへ薄い霧をを突いてロレーヌ共和国の憲兵隊のトラックがゆっくりと入ってきた。

 すわ、敵襲と、慌てたエーコは赤シャツ隊に対して市庁舎の中に入るよう命じ自身も中に駆け込んだ。

 気がつかなかったのか憲兵隊のトラックが広場をゆるりと一周してから帰り出すと、エーコは「前進」(アバンティ)と叫びながら赤シャツ隊の先頭に立って突進した。

 この時、一人の憲兵の慌てて放った銃弾がエーコの左足のゲートルを巻いた側面をぶち抜いた。

 銃声にトラエッタ氏たちが驚いて飛び起き広場に駆けつけてみると、憲兵も赤シャツ隊もエーコも皆んな固まっていた。

 いち早く状況を看破したトラエッタ氏はエーコに向かって拍手をし始めた。続いて見物人からパラパラと拍手が始まると、あっという間に大歓声が沸き起こった。治療してもらえないままエーコは幾人もの人達によって肩車をされ一日中街を練り歩いた。


 こうしてエーコは英雄になった。


 +


 エーコが負傷した翌日、応急措置を施されたうえ救急車に押し込められたエーコを見ながらトラエッタ氏は取り巻きに「あいつは出世するぞ、それもとてつもなくな。理由?そんなもの、奴が吾輩より道化だからに決まっている」と語った。

 より設備の整った病院へと救急車が出発するのを見送ったあと、トラエッタ氏とその仲間、赤シャツ隊は憲兵に大人しく拘束された。ロレーヌ王国の高度な政治的判断により彼らは即日釈放されることになるが、この数日の出来事を思い出しトラエッタ氏は始終愉快そうであった。


 事件が新聞によって報じられると、エーコの名は一躍メラリア王国全土に知れわたるようになった。新聞の中には事件のことを面白おかしく書き立てエーコを救国の英雄とまで持ち上げたものまであった。

 しかし、英雄と持ち上げられたことについてエーコは意外にも喜んでいなかった。

 エーコは自宅で左足に巻いた包帯を気にしながら読んでいた新聞をクシャクシャと丸めた。

「何が英雄だい。危うく左足を失うところだったんだぞ。チクショーメ!」

 エーコは痛い痛いという自分に構わず肩車に乗せられ街を練り歩かされた一日を思い出し思わず呻いた。彼は大衆の身勝手さを嫌というほど思い知らされたのだ。病院で医師に圧迫止血ぐらいしておいて下さいよと小言を言われたときには、彼も思わず右手を振り上げ、「オレだってなあ。そうしたかったんだよ」と叫んでしまった。


 事件から1年後、エーコはすっかり変質してしまった。彼はより慎重に、より無愛想に、舐めたことをしてくる奴にはより手酷い反撃を返すようになった。


 ある日、彼が白馬のエンブレムの付いたオープンカーを駆って街に買い物をしに行ったときのこと。買い物を終え停めてあった車を発進させようとすると、高そうなストライプ生地のダブルのスーツを着た男が助手席に乗り込んできた。

「よう。英雄小僧。お前、最近景気が良さそうじゃねえか?俺たちにも少し回せや」

 口の端にナイフの傷のある男がにやりとした。

「おお、尊敬すべき旦那さん。派手に見えるがオレたち、仕事に資金が要って手持ちが少ないんでさあ。勘弁して下さいよ」

 エーコは天を仰いで両手のひらを上にして挙げてみせた。

「ちょ、お前、ハンドル、ハンドル。あぶねえじゃねえか、安全運転しろよ。

 うん?お前、俺達の御陰でシマで無事に暮らせていることを忘れてんじゃねえだろうな。勘弁は出来ねえよ。でもまあなんだな。お前の顔を立てて月600に負けてやるよ。怒り出さないうちは俺は仲間内じゃ優しい方なんだぜ」

 エーコがハンドルから手を放すのに若干顔を引攣らせながらも男は凄んでみせた。

「尊敬すべき旦那さん。友人が体壊していてオレはその家族含めて面倒見てるんでさあ。ギリギリ月150しか出せやせんでさあ」

 エーコは男にジットリとした視線を浴びせながらこの地方なまりの低い声で言った。

「大したもんだな、お前。普通なら、舐めんじゃねえというところだが。フフ」

 男は右手の親指の爪で口の端を擦りつつ言った。

「月200でまとめてやるよ。気に入ったぜ。火曜日にタルティーニの店まで来な。なあ、お前。その気になったら何時でも俺達のところへ来な。すぐ幹部になれるぜ」

 エーコは男に愛想笑いをしながらまたハンドルから手を放して、男の顔を引き攣らせた。

 エーコは火曜日にタルティーニの店まで行った。勿論金を持たずに。

 その日の朝から、この地方のマフィアの構成員たちは赤シャツ隊に急襲されて、理髪店から、雑貨店から、自動車屋から、花屋から、葬儀屋から、酒場から、売春宿から全員拉致されていた。

 エーコは既にひまし油を飲まされ床に転がっている男を見下しながら言った。

「お前は」ガシュ。

「優しい」ドゴッ。

「らしいが」バシュッ。

「オレは」ゴキッ。

「優しく」ベゴン。

「ない」バゴッ。

「今からこの地方はイストリア戦闘団(赤シャツ隊)の支配下に置かれた。お前ら社会のダニは飼い主たちから捨てられたんだよ、ゴミ箱にな」ドゴン。


 カラン。何かが捨てられ床に転がった音がした。


 +


 エーコとトラエッタ氏は手紙の遣り取りをしつつ親しいようでそうではない奇妙な関係を続けていた。お互い認めながらも半ば軽蔑し合い、闘技場の2匹の狼のように相手の行動を警戒した。

 王宮では、ヴィットリオ国王が毎日のように報せてくる2人について調べた側近の報告をワクワクしながら見入っていた。


 事件から6年後のメラリア暦2870年、ついにエーコはトラエッタ氏を出し抜き王都ラーラへと進軍する。

 今やイストリア戦闘団(赤シャツ隊)はメラリア王国の北部地方すべてを完全に掌握していた。南部地方についてもトラエッタ氏や急進的な労農党と競合しながら3分の1程度は支配下においていた。

 大戦後の経済不況に苦しめられていた民衆にエーコはこう訴えた。

「国民に満足な政治を与えてこなかった臆病でかつ無能な政界に対し我々ファシストは軍を進める。

 メラリア国民よ。偉大な祖国のために尽くそうとしている同志たちのたぎる情熱を見たまえ!そして、3000年前の祖国の栄光を思い出せ!

 わたしは全国の若い諸君に命ずる。いまこそその力を発揚せよ!

 我々は断じて勝利しなければならない!

 メラリア王国万歳!」


 政治家について保身と利権追及にのみ奔走していると感じていた国民の大多数は「1人のリーダーのもとに全国民が結束し服従することで秩序ある強い国家を築こう!」と語りかけるエーコに熱狂し拍手をもって受け入れた。


 群衆の歓呼のもと、靴からうえに白い脚絆を巻き地元有力者の仕立ててくれた礼服に身を固めエーコは幹部とともにラーラ行の特別列車に乗り込む。

 特別列車はイストリア戦闘団(赤シャツ隊)に属する鉄道員が仕立てたものだった。赤シャツ隊の面々は既にトラックに分乗してラーラ街道を南下している。

 

 なんの見落としもないはずだ。南部最大の労農党の本部も昨日焼き討ちしておいたし。明日は晴れるといいな、とエーコは思った。


 朝からエーコのラーラ進軍が始まったと聞いてヴィットリオ国王は興奮していた。

「早く来い。早く来い。早く来い。フフフ。ここがお前のゴールだ。早く来てゴールの紐でグルグル巻かれてしまえ」


 戒厳令の公布を迫る陸軍大臣に対してヴィットリオ国王は拒否し逆に戒厳令発令の根拠を問い質した。ついで国王が王都の門と王宮前のバリケイドの解除を求めるに至って貴族たちは勝負に負けたこと認め、政治の舞台から去っていった。


 +


「オレはこう考えています」エーコはヴィットリオ国王に対して全体主義について説明した。

 彼によれば、全体主義とは、国家の中の個々人が有機的に結合されてあたかも1個の人間として機能していることを前提に、全体の頭脳である優れた指導者や少数のエリート集団が正しい民意を直感で発見してこれを手足である国民に命令することによって国民全体の幸福を追求する主義だという……。

 そして、そこでは必然的に全体の利益が個人の利益より優先するばかりか個人の意思や私生活なども全体に従属させるべきだとの説明が加わる。

「既に頭が決定し命じているのに手足が勝手に意思を持ったり自分の利益を考える必要はないでしょう。手足が勝手に考えてバラバラに動いてはまともに立っちゃいられませんよ」「近所に悪たれ小僧がいたら隣家のおっさんが鉄拳でより良き方向に更生させるでしょう?それを国レベルまで拡大するんでさあ。おっさんも内心ではわざわざそんなことはしたくないし、悪たれ小僧にしたっておっさんの言うことに従いたくない。でも、将来を考えたら今は嫌でもお互い我慢した方がいい。尊い犠牲というやつですよ」

 要するに、頭のいいオレたちは皆まで言わなくてもお前さん達の気持ちはよく解っている、何も言わず何も考えずにオレたちに従っていれば皆んなウィンウィンでハッピーになれるんだよ、オレたちを崇め畏れ奉れ、となるらしい。

 もっと、簡単にいうと、何も言うな、黙ってオレの眼を見よ、そして従え。それが全てだ、と。


 突っ込みどころ満載のエーコの言動にヴィットリオ国王はしばし唖然としていた。

 優れた指導者?直感で?正しい民意?どこにそんな保障があるというのだ?しかも、エーコのいう全体主義は初代国王が発見し広めた個人主義と真逆のものだった。しかし……。


「君の説明だと、僕はその優れた指導者というのに当てはまらないから君たちに従属しなきゃいけないね」

 ヴィットリオ国王は微笑みつつ片目をつぶってみせた。

「とんでもねえ。なんてこと言いなさるんですか?直感でオレたちには国王陛下がこの国の頭脳だってことは分かってまさあ。従うのはオレたちで、国王陛下じゃありあせん」

 エーコは大げさに天を仰いで両手のひらをうえにむけて振り回した。

 ヴィットリオ国王は、エーコの仕草は芝居じみているが、こちらを騙すつもりではないことを理解していた。

 彼は、側近の報告からエーコは今まで他者を裏切ったことがないというダークエルフらしからぬ律儀さを持っていることを知っていた。

 エーコは、なにがしかの見返りを受け礼儀を踏んで頼まれたことは、たとえそれが自分の主義主張と合わないとか損になるものであっても必ずやり遂げる男だったのだ。

 客観的に見ても国王の権威を借りなければエーコたちはただの暴力組織に過ぎない。エーコたちが国政に噛むには国王の協力が必要で、国王が国政から貴族たちを一掃するにはエーコたちの協力が必要なのだ。

 しばらくはお互いに裏切ることなく協力し合うしかないのだ。そう、しばらくは……。



「国王陛下、オレたちは陛下の剣となります。手となります。足にもなりましょう。どうかオレたちに御手を授けて下さい」

 エーコはヴィットリオ国王の側で片膝をつくと国王の左手の指輪の宝石部分にキスをした。

 これどこのコーサ・ノストラ?

 国王にしてみれば、エーコの田舎人じみた粗暴な振る舞いも貴族たちの慇懃さに比べれば可愛いものだった。

 3000年来メラリア歴代国王が内心馬鹿にされ外面だけ恭しく扱われた屈辱は遺伝子レベルに刻まれて忘れることのできるものではなかった。


 よし、やろう。

 国王は、エーコの持ってきた書面に署名した。


 メラリア暦2870年、国王ヴィットリオ・アメデオ4世は勅令を下し国家緊急権を行使して全権をエーコに委ねた。


 エーコは議会で叫ぶ。

「ファシズムは多数決に基づく民主主義に反対する。

 むしろただ一人の人間の意思が遂行される政治を理想とする。

 国家とは個人の総和ではない。

 国家を離れていかなる個人も存在しえない。

 国民とは国家によって創造されるものなのである!」


 即日、貴族の公職追放。イストリア戦闘団以外のすべての政党の禁止。王国議会の解散。代わりに国家意思の最高決定機関である、国王が選んだ者からなる大評議会の設置の執行がなされた。同時に、国王はエーコを首相兼統領とし救国内閣の組閣を命じる。

 ここに至ってまた呼び戻されることになるだろうと期待していた貴族たちは自分たちが完全に排除されたことを知ることになった。


 こうして大陸史上初めて全体主義体制の独裁国家が誕生する。


 その夜、王宮の片隅でエーコはトラエッタ氏からの手紙を読んだ。

「吾輩は最後まで道化を貫き通すと決めていたんじゃが、君に抜け駆けされたせいで諦めることにした。後は静かに余世を送るよ。先輩として一つだけ忠告しておこう。道化は結局最後は捨てられる。捨てられる際には派手に捨てられよう。その方が美しい」

 エーコはフンと鼻を鳴らして丸めようとしたが、結局手紙を延ばしてソっと上着のポケットに差入れた。


 +


 エーコは大評議会にかけて私兵である赤シャツ隊を軍隊化し国家義勇軍に昇格、内務省の秘密警察と憲兵隊とを併合させ国家警察軍に再組織することを決定した。

 そして、同両軍を用いてもと労農党、もと社会改革党の構成員をすべて国外追放か強制収容所送りにした。

 さらに組織犯罪撲滅法を決定して国家警察軍の憲兵隊をしてマフィアの構成員を発見次第検挙し裁判なしに不定期に離島の監獄に強制収容できるものとした。

 これにより、まずは赤シャツ隊と極左集団との小競り合いが消滅すると同時に、メラリア王国全土で労働者たちがストライキをすることは不可能となり、工場も鉄道も強制的に常時フルで稼動することとなった。

 また、マフィアの構成員のほとんどが強制収容所送りとなり、町に暗い影を投げかけていた彼らの犯罪が目に見えて激減し、治安は完全に回復された。

 外国からの観光客たちはこぞってメラリアの列車が定刻通り駅に到着するようになったのに驚き、治安もよくなり安心して観光を楽しめるようになったと喜んだ。

 市民たちは安心して商売できるようになり、エーコたちを信頼するようになっていった。

 この結果に最初は不安であった資本家たちも満足した。


 翌メラリア暦2871年、エーコは専門家に北部地方の工業化促進と南部地方の農村改革を命じこれに成功する。

 この年からメラリア王国の工業生産能力、農作物生産能力が著しく向上していくことになる。

 この年、次世代の赤シャツ隊を育成すべく少年行動団を結成、国家義勇軍に編入されなかった赤シャツ隊員に指導させる。そして、軍隊ばかりか公務員の間でも3000年前のメラリア王国の、右腕を上げる敬礼を強制して定着させた。


 +


「エーコ統領を一目見ようと女子学生達が無数に街から喜び勇んで広場に集まってくる。エーコ統領はテラスから真剣な面持ちで静かに語りだす……」

「新聞に嘘を書けと言われるのですね」

 新聞記者はニコニコしている。エーコはこの空気を読まない勇者に呆れた。

 5分後片目に青痣を作った新聞記者に向かってエーコは言った。

「気が済んだか?」

「ヒャイ」

 再びエーコが語る夢物語を新聞記者がひたすらメモにとり続けた。

 こうして今日も一人の不健全なダークエルフが空気の読める健全なダークエルフに生まれ変わった。良きことである。


 メラリアはこのようにしてエーコの狂気に染まっていった……。

 


 

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