十四章 魔導の調べ

「まあ、あくまで仮説。証明する術などありませんがね」


 と結んだシデリュテは、言葉に反して得意げだった。


 大吾は腕を組む。

 なるほど、そういう考え方もあるのかと感心した。


 シデリュテが仮説だと言い切ったきように、その真偽のほどは定かでない。だがタクァでは、このような考えが通説なのだ。いち早く世界に適応し、不自由なく生活していくためには、この魔力マナ信仰とも呼べる常識を、確実に知識として取り入れる必要がありそうだ。


 それがさらなる知識の礎となるならば尚更。


「なんとなくイメージはできてきました。あまりにあっちと違うので、実感は乏しいですけど。ところでサドさん、さっき仰いましたよね。〝渡り人〟は魔法や魔術を教えれば、それを使うことができたって」


「ええ、だからこそ〝渡り人〟に魔力があり、〝枷の世界アドヴェーニュ〟に魔力がある証明になるのです」


「つまりは、ぼくもその力を習得できる?」


 そのためにテリアがシデリュテの許を訪ねさせたのは明らかだった。いかに〝英雄〟といえど、力の扱い方を知らぬのでは木偶の坊と変わりない。この手は〝忌血〟たちに届かなかった。無力なままでは、また命がこぼれ落ちていく。


「無論、できます。そのための準備もしてきました」


 そう言ってシデリュテが本の陰から出したのは、七つの石だった。どれも黒ずんでいるが、内奥の煌めきがそれぞれ異なり、妖しくも美しかった。赤、青、茶、緑、黄、白。右端の石だけが石炭のように黒い。


「いきなり魔法や魔術を行使するのは難しいですし、危険を伴います。あくまで魔導、魔法や魔術というのは世の理に触れる力ですから。まずは適性検査をいたしましょう」


「適性検査?」


「ええ。力の強い者がいれば弱い者もいるように、魔導においても得手不得手というものがあります。これから行うのは、ダイゴ様が得意とする属性を識別するための検査です」


「そのためにこの石が?」


「そうです。とても簡単な検査なので、ご心配なさらず。まずは目を閉じてください」


 なんだか痛くないからと宥められて注射をうたれる子どもに戻ったような気分だ。大吾は恐るおそる目を閉じて、拳を握りこんだ。


「では、次に手をだしてください」


 拳は握ったままテーブルにのせた。

 するとそれをやんわり開かれた。

 シデリュテに導かれるまま、指先が硬く冷たい感触を捉える。どうやら石の一つに触れたようだ。


「炎をイメージできますか?」

「え、あ、はい」


 大吾は言われるがまま、炎の想像を描く。しかしあまり炎というものを見たことがない所為か、ガスコンロから花開いた炎しか思い浮かばなかった。


「では、次。水をイメージしてください」


 僅かに指先の位置を動かされ、触れた石の感触も変わる。

 水ならば簡単だろうと脳裏に描写すると、なぜか浮かんでくるのはあの黄金の海だった。


「次です。大地を思い描いてください」

「風を」

「雷を」

「光を」


 シデリュテの指示どおり、大吾は次々とイメージを育てていった。だが大地など広大すぎるし、風に形を与えるのは難しかった。雷と光はほとんど同じイメージに偏り、眩しいという印象が先にきて、映像としてはひどく不鮮明だった。


「それでは最後。闇を」


 大吾は首を傾げた。闇など想像する間でもなく、そこにあるからだ。

 だがイメージしろと言われているのだから、とりあえず指示に従うべきだろう。脳裏に闇を描こうとして、けれどできない。

 黒いキャンパスに黒を塗るのは意味があるとは思えなかったし、闇に輪郭を与えることもできそうになかった。


 ただ、闇をイメージしようと尽力するうち、黒々とした想像のなかに、一つの人影が浮かびあがってくる。

 暗闇の背景に鮮やかな線がひかれ、ピンクに色づき、ひらひらと宙を舞う。柔い陽光に抱かれ、やって来たのは春だった。


 闇とは程遠い美しい光景だ。

 しかし大吾の胸はきりきりと痛みはじめる。

 桜舞う世界の中心。

 形をなし、色をつけた少女が冷えた刃のような眼差しを向ける。

 脳は丁寧に声まで編んだ。


『……二度と話しかけないで』


 たった一度、けれど何百、何千と聞いた言葉。怒りに恨みに失望に、瞋恚しんいに燃えた声音。

 楔のように打ちこまれ、世界を隔てた今もなおじくじくと心を腐らせる呪い。過去の自分が犯した罪の残響。


 指先にどろりと熱が融ける。赤熱する鋼のごとく形をかえる。自分という存在がそこからこぼれて、渦に滴り解き放たれていく――。


「――ゴ様! ダイゴ様ッ!」

「ハッ……!」


 シデリュテに肩を揺さぶられ、弾かれるように目をあけた。指先に視線を転じれば、そこには黒々とした靄を噴きつつも、しっかりと形を保った指がある。


「まさか、これほどまでとは……」


 シデリュテが安堵して浮かした腰をしずめ、そそくさと石を回収した。六色の石には何ら変化なかったが、あの石炭めいた石だけが、まだ靄を噴いていた。


「なにが、あったんですか?」


 うずく胸を押さえ、大吾は尋ねる。

 シデリュテが緩やかに首を振った。


「検査は基本的に安全です。しかしダイゴ様の力は予想をはるかに超えたものでした。魔力が半ば暴走状態に陥って、自我を侵食しかけていたようです。わたくしの見込みが甘かった。申し訳ございません」


 なにを言っているのかはいまいち理解しがたいが、どうやら危険な状態だったらしい。今更ながら恐怖がこみ上げてきた。


「魔法や魔術って、怖いものなんですね……」

「使い方を誤らなければ、血肉と同じようにダイゴ様を助けるでしょう。わたくしの油断がこのような事態を招いてしまっただけです。今後は危険のないよう、より慎重に配慮いたします」


 シデリュテはひどく申し訳なさそうに目を伏せる。それほど深刻な危機が迫っていたのだろう。ますます恐怖は膨れあがる。


 だがタクァに来てから、恐ろしいことは何度か経験してきた。〝変異種〟に襲われたこと、黒い魔物の波が迫ってきたこと。


 いずれはその恐怖に打ち克ち、脅威に対峙しなければならない。それが〝英雄〟の役目であり、人々の輿望の集うところだ。これしきの恐れに屈していては、次に進めない。


「……大丈夫です。怖くないって言ったら嘘になるけど、やらなくちゃ」

「覚悟はおありだと?」

「覚悟は……分からないです。でも、やらなくちゃダメなんです」


 頑な少年を見て、シデリュテは憐れむように目を細めた。その意味が大吾には理解できなかった。自分が間違ったことを言ったとは思えなかった。


「……では、続けましょう」

「はい」


 シデリュテは短い沈黙の後、憐憫を無に帰した。


「先程の検査の結果ですが、ダイゴ様の得意とする属性は闇です」

「闇?」


 意外だった。

 〝英雄〟は邪を晴らす存在。それに相応しい器をもった者。

 いわば光が姿を成したようなものだ。


 しかし、その〝英雄〟に選ばれた自分が得意とする力は闇だという。

 光とは正反対。象徴の裏側。

 闇をもって闇を制するということだろうか。


「闇というと聞こえは悪いですが、これはあくまで魔導における性質の話です。ダイゴ様の本性に関連することではありません」

「なるほど」

 

 魔導は、その人の内面と紐づいて発現するものではないようだ。あくまで力の一形態に過ぎないと考えるべきだろう。


「得意とする属性によって、魔導具の種類も変わってきます。この属性はこれ、と大別できるものでもないのですが、まあ、そのあたりは専門的な話ですので割愛するとして……」


 シデリュテは立ちあがり、本棚に挟まれる形でもうけられた衣装棚のようなものをひらいた。そこには沢山の衣服がかけられている。色彩は様々だが、どれもローブのような装束だった。

 その中から一着とりだすのかと思いきや、シデリュテは底のほうをあさって、片方だけの黒い革手袋を手に席へ戻った。


「それが魔導具ですか?」

「ええ。ただの手袋にしか見えないでしょう?」

「まあ、率直に言えば……」


 みじかい苦笑が返る。


「これでもれっきとした魔導具です。闇を司り、さらにダイゴ様のように強力な魔力を持つ方ならば、これが最適かと」


「強力な魔力……」


 恐ろしくも甘美な響きだ。


「強い力をもつがゆえに、先程は自我に影響があったのです。それぞれの属性をイメージさせたのは、ごく単純な魔法を行使させるためでした。魔法は、使い手に内在する魔力を糧に、外界の魔力へ形を与えます。ゆえに内外とを繋ぐ通路ができる。本来ならば、血が循環するように魔力は一方向へ流れますが、暴走状態に陥れば、逆流の恐れがあります。外界に与えようとした命令が、内在する魔力に、使い手自身に及んでしまうのです」


 自我に影響するとは、そういうことらしい。魔力が内部に干渉し、ある精神状態を形成する――という具合だろうか。あまり考えたくはない話だ。


「とはいえ、先程の検査で深刻な事態に陥ることはなかったでしょう。しばらく嫌な気分がつづいたでしょうが。しかし魔導には、そのようなリスクが伴います。発動する力が強くなれば、暴走した際に自我を破壊しかねない。そのためにも精神状態が不安定なときには、魔導に頼るべきでないと覚えておいてください」


 たしかに闇をイメージした際には、精神にネガティブな影響があった。それが魔力を暴走させる引き金になったわけだ。大吾はリスクを肝に命じる。


「話を戻しますが、魔導具には魔力の暴走を防いだり、魔導の能力を引き上げる効果があります。より安全に、より強力に力を扱うための装備です」


 そう言ってシデリュテは革手袋を差しだしてくる。


「これは差し上げます。どうぞ装着してください」

「え、もらっちゃっていいんですか?」

「これしきのもので英雄様から代金など頂けませんよ」

「じゃあ、お言葉に甘えて……」


 どのみち大吾には、こちらの金の持ち合わせなどない。ここはありがたく頂戴し、今後の活躍で恩を返していくしかないだろう。


 大吾は右手に手袋をつけ、拳を開け閉てした。その感触に驚く。まるで吸着したように肌へ吸いついてくるのだ。そのくせ関節部分に窮屈さは感じなかった。


「ぴったりです」

「魔導具には術式が組みこまれていますから。普通の手袋ではありませんよ」

「術式、それが魔術の源ですか?」


 テリアに施された解語の術も、術式を組みこむことで力を発揮している。


「そうです。魔法と魔術は、魔力を用いるという点で同じです。しかし魔法は道具を必要とせず、魔術には術式が必須です。また魔法は瞬間的に力を発揮しますが、魔術は長時間、あるいは半永久的に力を発揮します」


 テリアは、腕に解語の術式を書いてくれた。つまり、それだけの手間が必要になるということだ。手間がある分だけ、魔法とは発揮される性質も異なるらしい。


「まあ、説明ばかりではよく解らんでしょう。何事も実践するのがいい」


 大吾はつばを嚥下し、深呼吸する。魔導は精神状態に影響する。慎重な集中力が必要だ。


「そう気負う必要はありません。魔術は魔法よりも安全です。暴走の危険はまずない」

「そうなんですか?」

「ええ。論理的に説明すると夜が明けてしまいますので割愛しますが」


 シデリュテは柔く微笑んで、テーブルの上に指を滑らせる。すると、いつかのテリアのように筆が現れた。


「それテリアもやってました」

「これも魔術です」


 そう言うとシデリュテは手のひらを上向けてみせた。そこには青いミミズのような線が入り乱れている。術式だ。


「格納の術。小物を魔力に分解、あるいは再構成できます。小物はこうしておくと邪魔にならないし、いつでも手許に呼びだせるので便利です」


「へぇ、いいですね」


「ですが、これから行使していただく魔術は、固有魔術です」


「固有魔術?」


「解語の術や格納の術は、共通魔術に分類されます。術式さえ覚えれば、誰でも行使できる魔術です。一方、固有魔術はおなじ術式を構築しても、その人にしか扱えない魔術のことを言います」


「……はあ」


 シデリュテの説明は、整然として疑問をさしはさむ余地などないように思われた。しかしこれから自分が固有魔術を行使するのだと考えれば、自然と疑問が湧いてくる。


「共通魔術は、既存の術式から魔術を発動させればいいわけですよね。でも、固有魔術にはそれがないんじゃないですか?」


「仰るとおりです。ですが心配はいりません。固有魔術は、すでにあなたが存じている」


 頭のなかに無数の疑問符が浮上する。


「やはり実践です。言葉にするよりも解りやすい。これに思うがまま筆を滑らせてください」


 羊皮紙と筆をよこして、シデリュテは笑う。

 大吾はおずおずと筆を受けとり、紙を見下ろした。


 ここに思うがまま、筆を滑らせる。

 イメージも力も漲らないが、それで魔術など行使できるのだろうか。


 半信半疑で筆先を紙に落とした。

 その瞬間だった。


「……!」


 筆をもった腕が燃えあがるように熱をもったのだ。

 さらに心象の映像など思い描けずとも、筆はひとりでに線を描いていくではないか。まるでそれ自体が意思をもったかのように。


 紫の線が弧をえがき、交わり、文字めいた模様めいた形を紡いでゆく。それはやがて鈍い光をはなち脈動をはじめる。筆はなおも空白を裂き、魔力の血潮をめぐらせる。


 そして恍惚と息を吐くように、胸の奥からするりと言葉がこぼれでた。


「……ギルゼマ・エギラーダ」


 謎めいた文言とともに筆がとまる。羊皮紙にえがかれた術式は、千の眼を毒の鎖で繋いだかのような不気味なものだった。

 だが何よりも恐れるべきは、この魔術が発動した力であった。


『アー……アガガ、ッカ?』


 どこからともなく、やすりで木を削るような声が聞こえるのだ。それは解語の術によっても認知不能だった。そもそもそれが言語なのかさえ判然としなかった。


 あまりの不気味さに、シデリュテさえ言葉を発しない。部屋のなかを見渡し、声の出所を探した。


 だが、探すまでもなく声はそこにあった。


『アア、バッバ、バイ、ロオオ、ォォォ……ジ?』


 カサカサと音をたてながら、が発声しているのだ。紫の血潮に脈動し、己の存在をさがすように形を変えながら。


「これが、固有ぼくの魔術……?」


 誰にかけるでもない問いに、しかし羊皮紙魔術は歓喜したようだった。

 たちまち、するすると形をかえ筒状になったのだ。だがそれで終わりではなかった。表面がべりべりと破れ、新たな筒を形成してゆく。それが二度も三度もくり返されると、やがて一つの筒を中心に、四肢めいた筒が付随した。

 さながら羊皮紙でできた棒人間のようだった。


『ヒアハァ、ババ、ミイ、ロオオォォォディ』


 棒人間は意味不明な声をあげ続ける。やはり解語の術も効力がない。

 

『ヘェルルォ、バミ、ロォォ、トゥ』

『ハァ、ロン、マキ、ロォト』


 しかし不気味な声は、次第に形作られていく。ひとつところに収斂していくような予感がある。

 そしてそれは正しかった。


 恐怖をかみ殺し、辛抱づよく待った果てに、棒人間はようやく翻訳可能な言葉を紡いだのだ。


『ハァロー……マイ、ロード、ッ』

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