十二章 力は誰がために
「〝英雄〟は穢れを祓う唯一無二の存在。ですが〝英雄〟と言えど、不死の超人ではない。一人の人間に過ぎません。過去には戦いの最中、命を落とした者もいると聞きます。それでもタクァが闇に堕ちることはなかった。何故だと思いますか?」
〝忌血〟の村で交わされたテリアとの会話。
無論、大吾に返すことのできる答えはなかった。
そこへ寄越された答えは、まったく拍子抜けするような内容だった。
「〝
〝英輝〟とは、かつての〝英雄〟が用いた武具だという。
〝英雄〟が役目を終えたあと、その武具は〝英輝〟として輝きを放ち始める。そうして破邪の力は継承されてきたのだ。
しかし道半ばで〝英雄〟が斃れてしまえば、新たな〝英輝〟が遺されることなく、既存の〝英輝〟は弱体化していくのではないだろうか。
それを指摘すると、テリアは出来の良い生徒をもった教師のように、満足げに頷いてみせた。
「その通りです。〝英輝〟の力は衰えます。ですが、ただ衰えるばかりではありません。錆びた刃も磨けばその鋭さを取り戻すように、〝英輝〟もまた輝きを取り戻すことができる」
テリアはまっすぐに大吾を見つめ、そしてその双眸を潤ませるとこう結んだ。
「それが〝英雄〟のもつ力です」
◆◆◆◆◆
割れた空に夕焼けが滲みはじめる頃。
大吾たちは城塞都市グランパスを目指して行進を始めた。
一刻を争う状況である。〝英輝〟はすでに力の減衰を始めている。それがいつ消滅となるかは誰にも判らない。
大吾とテリアの二人は、虎型に現出したマズの背にのって森を疾駆する。
狭所での神速は心臓に悪い。ジェットコースターに乗るよりよほど恐ろしく危険だ。叩きつけるように枝葉が迫り、幹は罵声を浴びせるように軋み、命綱はない。厚い毛皮をつかむ手が、命を結びつける唯一のものだ。
大吾は風を破るように、前方に座したテリアへと叫んだ。
「もっと進みやすい道はないの!」
「ありません」
答えは短く返された。悲鳴じみた叫びでもなく、凛とした声音が風の隙間に滑りこむようだった。
「タナキアの北方には〝変異種〟が多いですし、あの荒野です。街道を敷く必要がないんです」
わざわざ村をおこし生活していた〝忌血〟たちを想うと、胸の痛くなる話だった。
しかし実際、あの荒野へ寄りつく理由などないだろう。
食料や水の入手は困難で、おそらく商業に利用できる素材もない。涸れた大地は農耕にも利用できない。おまけに〝変異種〟の危険まである。わざわざ街道をきずく労力を無駄だと考えるのは自然だ。
大吾は憐憫を押し殺しながら尋ねた。
「じゃあ、どのくらいしたら開けたところに出るの?」
「そう長くはかからないでしょう。じきにコムサの村へ出ます」
コムサの村。
聞き覚えがある。たしかドッジが以前住んでいたという村だ。
「そこでまずは魔導具を調達しましょう」
「まどうぐ?」
解語の術によって言語は翻訳されるが、それでも理解できない言葉は多かった。
「魔法や魔術を行使するうえで必要になるものです。紙があってもペンがなければ文字は書けないでしょう?」
「うん」
「魔法や魔術における紙とは、外界の
超常的な概念をすぐに理解しようというのは無理だ。魔法や魔術がそもそもどのような効力を発揮するのかもよく解らない。とりあえず、魔導具があれば魔法や魔術を扱えるということだけは解った。
その時、テリアが突如「危ない!」と声をあげた。彼女が頭を伏せると、むき出しの枝が悪魔の爪のごとく迫ってきた。
「うわッ!」
悲鳴とともに耳もとで、ゴボと泡の弾けるような音がした。
「……!」
いや、それは正しく泡の弾けた音だった。
大吾の眼前には、静止した枝があった。それは空中から滲みだした黒い液体に絡めとられていた。液体は沸騰したように、ゴボゴボと泡を吐き、飛沫が大吾の頬を汚した。
大吾は恐るおそる自身の頬を撫でた。液体がねっとりと指に絡みついた。
と同時に、視界を塞いだ液体が真横へ移動した。木の枝だけが、景色とともに後方へ捨て置かれていった。
「起きたのね、ヘズ」
テリアが言った。
大吾は真横に浮遊する液体を見た。それは特定の形をとらず、泡を吐きながら膨張してゆく。やがて中からぬらりと青白い手が現れた。
「わっ……!」
手は液体をつかみ、這うようにして身体を引きだした。紅蓮の蓬髪を波打たせる血色のわるい少女だった。翠玉の瞳が、虚ろに大吾を見る。
「……ブジ?」
ガラスを擦り合わせたような耳障りな声が響いた。ヘズの口はまったく動いていなかったが、それが彼女の発した声なのだと大吾は察した。
「う、うん。君のおかげで」
答えるとヘズは緩慢に頷く。
そこにテリアが割って入った。
「驚いたわ。あなたが口を利くなんて」
「……」
ヘズは主人を一瞥しただけで何も言わなかった。
そのやり取りの間、大吾はマズの言っていた事を思い出していた。
『あの方の望みは私の望みです』
テリアはしきりに
だが彼女の沈黙の裏には、主人への絶対の忠誠がある。だからこそ彼女は、大吾を救ったのだ。
「出ます」
そこへ不意に声を発したのはマズだった。
彼は毛皮の下の筋肉を隆起させた一瞬、大地を蹴り、木の幹を蹴り、高くたかく跳躍した。
「わあああああッ!」
急速に大地が沈んだかのようだった。足許から風が吹きつけてくる。それでもなお葉擦れの音が喧しく、しかし祝福のごとく響いた。
そして次の瞬間、世界はその広大なる御手を拡げた。
鬱蒼とした森が途切れ、割れた空が飛びこんできた。夕闇せまる赤らんだ地上には、一面をいろどる虹色の花園。
マズは大地へと吸いつくように、一切の衝撃なく着地した。
傍らに屈んで花を摘んでいた幼女が、茫然として手中の花を落とした。
テリアがひらりと異形の背をおりた。
幼女はそれを見て、我に返ったのか「あ!」とテリアを指さした。
「エラいお姉ちゃんだ!」
テリアは微笑んで幼女の頭に手をのせた。
「偉いわけじゃありませんよ。驚かせてごめんなさい」
「ううん。もふもふコワくないもん!」
マズは凄むように距離をつめ、鼻を鳴らした。しかし言葉通り幼女は怯まず、異形の鼻をぺたぺたと叩いた。
遅れて大吾も地上へおりたった。
幼女が首をかしげる。
「お兄ちゃん、だあれ?」
大吾は身をかがめて、幼女と視線をあわせた。
「ぼくは大吾、霜月大吾っていうんだ。よろしくね」
「変な名前ー! あたしはカーナだよ。カーナ・モレンベイク!」
「カーナちゃんだね。よろしく」
握手するとカーナはケラケラと笑う。
人見知りがなく人懐こい女の子のようだ。
相変わらず液体にのって移動するヘズを見ても怯えた様子なく「コワいお姉ちゃんだ!」としきりに笑っている。
テリアがその頭にふたたび手をのせ、優しく撫でた。
「カーナちゃん、私たちそろそろ行かないといけません」
そう切りだすと、カーナは笑みをひっこめてテリアを見上げた。
「急いでるの?」
「ええ、カーナちゃんのお父さんに用があるんです」
「あ、まどーぐが欲しいんだね?」
カーナが得意げに胸を張った。
どうやら彼女の父親が魔導具と関係しているらしい。それ専門の職人か、あるいは商人なのかもしれない。
「そうです。だから、ごめんなさい。もう行きますね」
「待って! カーナももう帰るところなの! 一緒に行こう!」
カーナは落とした花を拾いあげると、縋るように白いローブの裾を摘まんだ。
空は魔物と同化をはじめるように闇へと染まりつつあった。夕焼けは遠く、紫紺を刺すような星の瞬きが見てとれた。
テリアは幼女の手をとり、それを優しく包みこんだ。
「では、一緒に」
「やった!」
そうして一行は、花園の端に設けられた石段をあがった。するとそこから先は、一面に田畑が広がっていた。いかにも古そうな小屋が幾つか並んでいるが、人の気配らしきものは感じられなかった。
農道を歩きはじめると、いつの間にかマズとヘズの姿はなかった。使い魔たちは魔力へと戻り、休息をとっているようだ。
大吾は、女の子同士和やかに話す二人の後ろで、田畑を眺めていた。
そして気付かされることがあった。
この一帯の植物は、元の世界にあったものとよく似ているのだ。
タクァへ流れ着いたときの黄金の海や、禍々しい植物とはまるで印象が違った。
一面には稲穂か麦めいたものが揺れている。一見してよく判らない植物も散見されるが、緑の葉を茂らせていて特別背が低いわけでも高いわけでもなかった。
思えば人間の姿も、元の世界と変わりない。ファンタジー映画などで見られるようなエルフやドワーフ、あるいは獣人と呼ばれるような特異な外見の種族は見られない。テリアも〝忌血〟もカーナも、姿はただの人間だ。
「でも……」
大吾は腕に刻まれた筆のあとを見る。
これが元の世界とは大きく異なるところである。
この世界には魔法や魔術と呼ばれる力が存在するのだ。
コンピュータもスピーカーもなく、謎めいた超常の力によって、大吾はこの世界の言語を理解している。
そしてこれから、その超常を学ぶことになる。
大吾は少しずつこの世界を理解し、適応し、受け入れていかなければならない。
カーナの父親の工房へたどり着く頃、辺りは深い闇に没していた。
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