十一章 どちらを向くべきか

 幾つの悲鳴があっただろう。

 幾つの期待があっただろう。

 いったい幾つの命を見捨てたのだろう。


 大吾は指先に残ったかすかな温もりを握りしめた。

 その熱は、もうこの世のどこにもないものだった。

 ほんの短い間に築いた絆は、最悪の形で断ち切られたのだ。


「ドッジさん……」


 今、大吾たちはガエンの森の窪地で休息をとっている。テリアはすでに落ち葉のベッドで寝息をたてていた。

 〝英輝〟の力がいつまた収縮を始めるかは定かでないが、大吾もテリアも疲れ果てていた。マズとて少なからず魔術発動に魔力マナを供給している。ヘズもまだ実体をもって活動できるほど回復してはいないようだった。


 大吾は焚き木の燃えカスを棒きれで突く。そうすることで火が灯るわけではない。疲れが癒えるわけでもない。まして死者が蘇るはずもない。ただ何かしていなければ気が休まらなかったし、とても眠ってはいられなかった。それだけだ。


「少しでもお休みになったほうがよろしいですよ」


 そこへ男の声がひびく。

 大吾はハッと我に返って、声の方へ振り向いた。


 するとそこに長身の影がある。

 爬虫類めいた双眸が、薄暗い森のなかに浮かび上がって見えた。


「誰だ……っ!」


 大吾は身構える。

 しかし長身の影は躊躇なく歩みよってきた。全身に灰の包帯めいたものを巻きつけた男だった。


「そう身構えないでください。私です。マオルゾフですよ」

「マオルゾフ……? あ、えっと、マズだっけ。あの虎の?」

「トラ……。それはよく解りませんが、ここまで英雄様を運んできた者ですよ」


 大吾は訝しげに男を見た。


 この男が、あの虎の怪物?


 たしかに昨夜、テリアが紹介してくれた。多少は言葉も交わしたはずだ。

 慇懃な口調には聞き覚えがある。


「私は使い魔ファミリアですから。ひとつの形をもたないのです」


 この世界は、大吾の住んでいた世界とあまりにも違う。ゆえに知らないことが多すぎる。安易な信用は命取りとなるだろう。

 しかし今は、疑う気力もながく続かなかった。


「そうなんだ……。ここまで運んでくれてありがとう」


 大吾が生きていられるのは、この異形の力があったからだ。その一方で、ドッジを見捨てたのもこいつだという気持ちがあった。


 だからと言って、彼を糾弾する資格もないだろう。あの場では、ああするしかなかったのだろうし、〝英雄〟に選ばれた自分こそが、魔を祓いドッジを助けるべきだったのだ。


 だが、何もできなかった。どうやったら〝英雄〟の力を使えるのか。そんなものが本当にあるのか。大吾は知らなかった。


 右も左も判らない世界で「疲れた」と胡坐をかいていた自分が悪いのだ。より多くの情報収集に努めなかった自分が、この最悪の状況を招いたのだ。


「悩んでおられるのですか?」


 マオルゾフを名乗る男が、おもむろに腰をおろした。


「悩むというか、なんというか……。ぼくは誰も救えなかったから」

「致し方のないことです。あなたは魔法も魔術も知らないのですから」

「そんなの言い訳にならないよ。ぼくはもっと学ぶべきだった」

「魔物を屠る術は、一朝一夕で身につくものではありませんよ」

「そうだとしても……」


 そこから先の言葉がでてこなかった。

 それがとても卑しいことだと知っていたからだ。


 自責の言葉など、結局は慰みに過ぎない。自分が悪いと決めつけることで、村人たちの死を有耶無耶にしようとしている。それこそ最低最悪の行為だ。


 大吾は目頭を揉みほぐし、重い吐息をおとした。

 するとマズが諭すように言った。


「テリア様は、あなたを〝英雄〟に選ばれた。それはあなたにその資質があるからです。しかし資質のある者が、それを十全に発揮できるわけではない。それを活かしたところで、芳しい結果を得られるとも限らない。失敗に目をつむるべきではありませんが、あなたはもっと過去よりも未来を向くべきだと思いますよ」


 そこで言葉を切ったマズは、大吾の手から棒きれをとりあげると、こう続けた。


「あなたのそれは後悔です。後悔から生まれるものは何もない。失敗の後に必要なのは後悔ではない。反省です」

「反省……? でも君は、さっき過去より未来を向けって言ったじゃないか」


 マズは無表情にこちらを見つめる。そこに如何なる感情が流動しているのか、大吾には見当もつかなかった。


「反省とは過去と未来の両方を視ることです。過去の失敗を反芻し、それを次に活かすべく考える。後悔など、ただ未来を恐れているに過ぎません」


 そうしてマズは棒きれを天に掲げた。

 大吾はそれが示す空を見た。

 この世界の空は、青と黒とを撹拌した歪な姿だ。


「あなたが挑むべき敵は何者です? 過去の自分ですか? それともあの魔物どもですか?」


 その時、大吾は弾かれたようにマズを見返した。

 その目に宿る感情の正体など判らない。きっと判る必要もない。どうだっていいことだ。


 大吾はただ、その言葉の正しさを受けいれることにした。


「……魔物だ。ぼくはあの空をとり戻さなくちゃ」


 大吾は毅然として言った。

 しかしすぐに手足が震えはじめた。

 自分のようなちっぽけな人間が、あの暗い空を相手にする。

 そこに勝利などあるだろうか。


「……でも、ぼくにできるかな?」


 尋ねればマズはすぐに答えてくれた。


「あなたが先の心を諦めなければ」


 それが難しいことは知っている。大吾は自分が諦めてきた沢山のものについて考えた。だが、そこで自分を卑下しても、しょせん後悔にしかならないのだ。過去の自分ができなかったからこそ、その無念を抱いて次に進まなければならない。


「ありがとう。少し前を向いて踏みだせる気がするよ」

「お力になれたのであれば幸いです」


 やはりマズは何を考えているのか判らなかった。慇懃な口調は崩れず、表情にも乱れがない。だから大吾は素直に尋ねることにした。


「ところで、どうしてぼくを励ましてくれたの?」

「私はテリア様の使い魔です。あの方の望みは私の望みです」

「なるほど」


 それを聞いて、少し解ってきた気がする。

 彼の言葉は、彼自身の優しさや気遣いからきたものではないのかもしれない。使い魔とは主人の従順なしもべに過ぎないのだろう。


 それでも大吾は、彼の言葉を本物と感じたことについて何ら疑問を抱かなかった。激励の動機がどこにあるにせよ、彼がそれに相応しいものを選んでくれたのは事実だ。今は、それだけで充分なような気がした。


「すこし気がまぎれた。ありがとう」

「お休みになれそうですか?」


 たしか昨夜も似たような会話をした。胸に悲しみの茨が絡みつく。

 けれど、また同じ過ちを繰り返さないために、休息も必要なのだと言い聞かせた。


「きっと大丈夫」

「では、私も少し休ませていただきます」

「うん、おやすみ」

「お休みなさいませ、ダイゴ様」


 マズはそう言うと、暗がりの中へズブズブと沈んでいった。

 

 与えられた時間はそう長くない。

 日が暮れるより前に、大吾たちは出発せねばならない。


 この世界は絶望に翳っている。

 だが、まだ希望も残っている。


 それが、テリアが大吾を旅に誘った本当の理由だ。

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