四章 無価値の存在

「うああああッ!」


 光が爆ぜたかに見えたその瞬間、大吾たちは吹き飛ばされていた。まるで背中から巨人の拳に殴りつけられたような衝撃だった。背骨がメキメキと軋み、その痛みに呻く間に、二度、三度とひび割れた大地を転がった。


 男はすぐさま立ちあがり、鬼気迫った様子で大吾をひき起こす。

 大吾は眩暈をふり払い、なんとか立ち上がる。衝撃で身体中がいたみ、足許は覚束ないが、まだ動ける。男が駆けだすのに合わせて、大吾も走り出した。


 そして、肩越しに背後を見た。

 心臓が石のように固まった。


 なにが起きたんだ……?


 大吾たちの通ってきた道は、もはや荒野と呼ぶにも値しない焦土と化していた。ひび割れた大地は赫々たる熱に融け、それが遥か遠方にまで続いて終わりが見えない。神が炎のペンを用い気まぐれに線を引いたように、そこには明確な隔絶があった。


 さらに視界の端で光が灯った。

 燻ぶるような弱々しい光だ。


 しかしそれは時とともに熱を練りあげ、輻射した光で辺りを彩っていく。

 荒漠とした大地に浮かび上がる、朧な影を見る。


「亀……?」


 それは逆鱗の如くささくれだった甲羅を負ったシルエットだった。光源はその口にあった。光が明るさを増すにつれ、口器がいびつに膨れあがる。およそあり得ない大きさにまで拡がった口は、もはや頭部全体をのみこもうとしていた。


 大吾は今更ながら危機感を覚えた。

 男にひかれるのではなく、男をひくように走った。たちまち肺が砂をかき混ぜたように渇いた。足は鋳型のように形をもつばかり。思うように動いてくれない。それでも視界は動いて、死の予感ばかりが近かった。

 

「メナバァ!」


 男が不意に怒号を轟かせた。

 天の闇さえ穿たんばかりの叫びだった。

 ほとんど叩きつけるように、大吾は頭を地面へ押しつけられた。


 次の瞬間。

 大気が高らかに嘶いた。

 胃の腑が上下に揺さぶられ、大地の悲鳴が上がった。

 爆風が吹きよせ、熱波に髪の先を焼かれた。

 残響がパリパリと鼓膜を砕く。


 なにが起きたのか判らなかった。

 ただ逃げなければならないのだと改めて痛感した。

 男の手をかりて立ちあがり、息つく間もなく駆けだした。


 背後にまた光が燻ぶり始める。

 青い雷弧を伴いながら中核の赫が渦をまく。

 

 しかし距離は確実に遠ざかってゆく。亀から想像されるイメージに相違なく、あの怪物は足が遅いようだった。


 三度目の雷光が閃き、それを躱したあとだ。

 ちぎれそうな気管の痛みに喘ぐ酸素もなく、棒のような足を躓かせたとき、男はもう無理やり大吾を立たせようとしなかった。自らもどっかとその場へ座りこみ、玉のような汗をぬぐった。


 大吾はかすむ目で亀の怪物の方角を注視した。

 そこに例の光球はない。大気に鳴く雷弧もない。とおく熱に身悶える大地だけが、ぼんやりと窺えるばかりだった。


 ひとまず胸を撫でおろす。

 あの怪物や熱線の正体についてあれこれ考えるより、命が助かったことをまず男に感謝した。彼がいなければ、今ごろ消し炭になっていたに違いない。


 頭をさげる少年に、男は破顔してかぶりを振った。どうやら感謝の意思は伝わったようだ。頭頂を見せると無礼にあたるとか、そういった価値観はないらしい。大吾は二重の意味で安堵した。


 またあの苦い葉を分けてもらい、水分補給を終えると、二人はおもむろに立ちあがった。周囲に不審な影は見当たらないが、先程の亀のように奇襲を受ければ、今度こそ命を落としかねない。足許は疲れなのか恐怖なのかガタガタと震えていたが、それでも早くこの場を離れたかった。膝をたたき感情も感覚も殺して、男のあとにつづいた。


 だがそれからの道のりは、拍子抜けするほど安穏としていた。相変わらず食料こそ見当たらないが、怪物など現れず、小動物も鳥影すらも窺えなかった。ただ代わり映えしない景色だけが、永遠のように続いた。何度もなんども膝がくじけそうになった。そのたびに男が、肩をたたいて励ましてくれた。世界には大吾と男の二人だけがあった。


 やがて荒野の中央に小さな凹凸を見出すと、男は歓喜の声をあげた。大吾は微笑んで喜びを分かち合った。


 しかし荒れ果てた大地に囲まれたその凹凸――ごく小さな村は、とても人の住まう土地には思われなかった。

 村を囲うのは、コンクリートでなければ石組みでもない、そもそも壁とすら言えない石ころの山だった。家は木の枝を組み合わせ、葉を編んでつくられた簡素なものだったし、畑と思われる緑は子どもが駆けてもすぐに往復できそうなほど小さかった。


 村人は男と同じようにミノムシめいた恰好で、誰一人肥えた者などいなかった。線がほそく皮の下には骨が浮きでて、落ちくぼんだ目が飢えに爛々と輝いていた。


 それでも村人たちは、大吾を見ると笑顔で出迎えてくれた。男と同じように気安く腕をたたき微笑み、乾物やあの苦い葉を分けてくれたりもした。


 その優しさを受けとるたびに、涙が滲んで漏れだした。微笑み返すのが辛かった。自分は与えられるに値する人間ではなかったし、返せるものも何一つとしてなかったから。

 

 ただまた嘘を吐くように、泣き笑いを浮かべた。

 大吾はますます自分を嫌いになっていった。

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