五章 血が告げる運命

 豪奢な屋敷が建てば、その裏で黴と飢えが蔓延るように、世界には光と闇が存在しつづける。それは世の本質であり、この大いなる海と大地の世界タクァに根付いた絶対の理でもある。


 光が先にあったのか、闇が先にあったのか。それを知る者はない。

 ただ光あるところに闇は生まれ、闇あるところに光は射してきた。


 そうして長く戦いの歴史は続いてきたのだ。

 空を侵す魔物は、なんど滅ぼそうともいつしか再来し、魔物の鳴き声が地を腐らすとき〝英雄〟もまた現れる。そして〝英雄〟は、その特異な力を以て闇を晴らすのだ。


 ――誰もがそう信じてきた。

 魔物の蹂躙がはじまってから人々は恐れおののいたが、いつか〝英雄〟が降臨し、闇を晴らしてくれるだろうと信じてやまなかった。


 ところが、魔物が空を侵しはじめ一年。

 未だ〝英雄〟の来臨が告げられることはない。

 地上にさす光は、穏やかな風がふき川辺に水が跳ねる間にも奪われつつある。


 パチパチと爆ぜる焚火の炎。

 その奥で悶える薪を眺めながら、テリアは考える。


 そもそもが間違いだったのだと。


 光あるところに闇がある。

 光が射そうと影はつくられる。

 だが闇あるところに光が射すとは限らない。

 暗雲に閉ざされた夜はどこまでも暗く、闇の深さに終わりがないように。


 魔物が現れたからと言って〝英雄〟が降臨する保証など、どこにもなかったのだ。

 人々は信じたかった。だから信じ続けてきた。そしてこれまでは、そのように世が成り立ってきた。


『テリア様。そろそろお休みになりませんと、お身体に障ります』


 闇が声を発した。

 炎のまえに蹲る少女以外は、何者の姿もない森の窪地に、突如声だけが滲みだしてきたのだ。


 ところがテリアは、僅かに視線をもちあげただけで驚く素振りを見せなかった。


「解ってるわ、マズ。あと少しだけ」


 それどころか、少女は平然と会話する。

 なぜならそれは闇ではないからだ。

 平時は実体を隠し、目に見えぬ魔力マナとして存在するそれは、テリアと契約を交わした魂の同胞はらから――使い魔ファミリアである。


『なにか温かいものでも作りましょうか?』

「大丈夫よ。先に休んでて」

『あまり無理はなさらぬよう』

「ええ、ありがとう。おやすみ」

『おやすみなさいませ、ご主人様マイロード


 マズの気配が去ると、テリアは口端に自嘲の笑いを佩いた。


 無理をするなですって……?


 そのほうが土台無理な話だ。


 術者のめいを守るだけの使い魔には解らないだろう。

 主に従えるだけの奴隷が理解するには、彼女の負った責任はあまりにも重すぎる。

 彼女の双肩には、この世に生きるすべての人々の、あるいはこれから誕生する命すべての存亡がかかっているのだ。


 タクァの闇を晴らすことができるのは、〝英雄〟のみである。魔物を殺すことはできても、一兵士がその元凶まで絶つことはできない。


 しかし〝英雄〟は、この世に生を受けたときからすでに〝英雄〟なのではない。また自らそれに気付くこともない。過去には〝英雄〟の資質をもちながら、剣を握ることなく鍬を振るっていた者もあった。


 それを見定めることができるのは、ある一族をおいて他にない。

 タクァの空に初めての闇夜が訪れた頃、彼らは選ばれし者に勝利の訪れを告げたことから〝預言者〟と呼ばれた。

 後に王城へと招かれ重用を賜った一族の名をウォルシュモンドという。


 中でも、古くから代々受け継がれてきた使い魔――マオルゾフとハギルゼとの間に契りを交わすことのできた者だけが、真にその力を認められる。〝英雄〟の来臨を世に告げる者として、〝宣告者〟と呼ばれることを許されるのだ。


 そしてこの少女テリアこそが――テュールノエ・ウォルシュモンド。

 二柱の使い魔に見初められ、その力を認められた当代の〝宣告者〟である。


 ゆえに彼女は〝英雄〟を見出さねばならない。

 すでに空の半分を喰われ、空白の歴史が一年刻まれた今なお、彼女は諦めることを許されないでいる。


 〝英雄〟の実在も、己の力の真偽も確信できぬままに。

 彼女の呟きは、闇へと呑まれてゆくのだった。


「今なお種火が燃えていると、誰が証明できるというの……」

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