青春ブタ野郎は迷子の後輩の夢を見ない

蜃気楼

第1話

『これをもちまして、平成31年度 小里川おりがわ高等学校 入学式を終了いたします』

雄一は入学式の終了を告げるアナウンスを空き教室から聞いていた。

数分後、『ガラガラ』という音が教室内に響いた。

雄一は音のする教室前方の扉に目を向けた。

その視線の先には美少女が居た。


「えっ?」

「ん?」


2人が驚く声が重なった。

その後5秒程は静寂が場を支配した。

互いが相手の出方を探る、そんな膠着こうちゃくした現状を打開すべく行動を起こしたのは雄一だった。


「君は...新入生?」

「あの...えっと...はい」


どこか距離を感じる返答。

『体の距離は心の距離』

雄一はいつぞやかに読んだある本のフレーズを不意に思い出した。

彼が感じた距離の原因は2人の間にある物理的な距離だったというわけだ。


「中入ってきたら?そこじゃ話しにくいし」


彼は入り口で立っていた少女を教室の中に招き入れた。


「失礼します...」


彼女は会釈をしてから雄一の座っている席の近くまで来た。

しかし近くまで来たが一向に椅子に座ろうとしない。

見かねた雄一は余っている椅子を右手で示し「どうぞ座って」と勧めた。

すると「あっ、ありがとうございます...」と言いゆっくりと座った。

彼女が座るのを見てから一呼吸おいて彼の方から会話を再開した。


「どうしてこんな所に?新入生は入学式の後にホームルームがあるんじゃない?」


雄一は率直に気になっていた事を彼女に訊いてみた。

すると彼女は


「そうなんですけど、教室に向かう途中でクラスメイトとはぐれてしまって」


と少し恥ずかしそうな笑顔で答えた。

その笑顔には先程までの距離は微塵も感じられなかった。


「そっか、なら教室まで案内しようか?」


それはほんの親切心から出た言葉だった。

しかし彼女から返ってきた答えは限りなく『No』に近いものだった。


「でも、先輩もお忙しいでしょうし...」


彼女の視線は机の上に乱雑に広げられた勉強道具に向けられていた。

その視線で彼女の言いたいことは大体分かった。


「あぁこれね。そろそろ終わって帰ろうと思っていたんだ。もうお昼だしね」


そう言いながらノートを閉じる。

この言葉に嘘はない。

現在時刻は12時を少し過ぎたくらい。

昼食を持ってきていない彼の腹の虫は今にも悲鳴をあげそうだ。

この辺で切り上げて家に帰るのが賢明だろう。


「本当ですか?私に気を使ってとかじゃなく?」

「うん、ここから玄関までの道のりに教室があるから、別に遠回りでもないし」

「じゃ...じゃあ案内をお願いします」

「わかった、準備するからちょっと待ってて」

「ご面倒をおかけしてすいません...」

「後輩を助けてあげるのが先輩の役目だからね」


彼女をフォローしながら勉強道具を鞄に納め、2人で空き教室を後にした。

その後は特に変わったこともなく学校についての話などをしながら教室まで送り届けた。

もう少しで教室に着くという所で


「あっ、岩村陽子さんね?もうホームルーム始まるわよ」


教室から出てきた担任らしき人物が手招きしながら呼んでいる。

雄一は彼女の名前をこの時初めて知った。

(この子、岩村陽子っていうのか)

心のメモ帳にそっとその名前を書き足した。


「今行きます!」


陽子はよく通る声で担任に答えると。

こちらへ振り返り


「あの先輩...今日はありがとうございました。このお礼はいつかちゃんとしますから」


とまくし立てるように言ったあと柔らかに微笑んで見せた。

(可愛い笑顔だな)

雄一は心の中でそう思った。

すると少女は周りをキョロキョロ見渡して雄一にこう言った。


「あの...なにか言いましたか?」


雄一は自らの行動を顧みて「いや、なにも言ってないけど」と答えた。。

陽子はとても不思議そうな顔をしていた。


「そうですか...誰かの声が聞こえた気がしたんですけど...」


頭の中で過去の記憶と現在の状況を重ねある一つの原因に思い至る。


(またやってしまったのか...)


雄一には少し人と変わった所がある。

それは外見的なものではなく、心理的なもの。


『思春期症候群』


雄一はそんな病に罹っている。

簡単に言えば『人の声が聞こえた』とか『人格が入れ替わった』といったにわかには信じがたい都市伝説の一つ。

数年前まではかなりマイナーな都市伝説で知っている者はほとんどいなかった。

だが、近年その存在を知る者が徐々に増えてきた。

そのきっかけは一巻のライトノベル。

ある少年が『思春期症候群』と向き合うといった内容のそれはアニメ化され反響を呼んだ。

当時のSNSでは『俺も思春期症候群かもしれないww』『デジャビュとかもそうなのかな』など様々な意見や憶測が飛び交い

一時的ではあるが急上昇ワードにも乗る程の白熱ぶりだった。

かくして『思春期症候群』はマイナーな都市伝説からメジャーな都市伝説へと変わっていった。

それでも所詮は都市伝説大半の人は存在を信用してはいなかった。

しかし雄一は存在を確信している。

自らの体が何よりもの証拠だ。

雄一の思春期症候群は『心の声が周りに聞こえてしまう』と言ったもの。


「先輩?あの~、大丈夫ですか?」


陽子の声と目の前に翳された手で意識が現実に引き戻される。


「あぁ、ごめん。ちょっとボーっとしてた」

「気を付けてくださいよ?教室行かないとそろそろ先生怒りだすかもしれないので」

「そうだな、じゃ頑張って」

「はい、今日はありがとうございました」


そうして後輩を教室まで案内した後は家に帰り昼食を食べ、午後は家に遊びに来た友人と今日の出来事について話した。


「へぇ~、その後輩って可愛いの?」


友人の大井正人が興味あるのか無いのか分からない口調で訊いてくる。


「どうだろうな、俺は可愛いと思ったけど」


実際あんなに可愛い子はここいらの高校じゃ見たことがない。


「マジか、ちょっと紹介してくれ」

「一回あった程度で紹介なんかできるかよ」

「だよな~」


元から期待はしていなかったのかすぐに引き下がる正人。

特に盛り上がることなく話は終わり、正人は5時ごろ帰っていった。

1人になった後は、いつものように勉強をして過ごし、午後11時にはベッドに入った。

夜は更けていき春休み最後の日は終わりを告げた。

次の日の朝はいつもより少し早めに家を出た。

特に理由はない、強いて言えば寝覚めがよかったからだろう。

いつものように教室で授業を受けノートを取り放課後には図書館に向かう。

なにも特筆すべきことはない日常。

ただ図書室には既に先客がいた。

入り口からではその人物の背中しか見えない。

小柄で華奢な体躯たいく

件の人物は読んでいた本を閉じると


「ふぅ~いい本だった...」


と感嘆を口にしていた。

雄一はその声に聞き覚えがあった。

昨日の今日で忘れるはずもない。

本を返しに行こうとしたのか立ち上がって歩き出したとき目が合う。


「あっ、先輩。また会いましたね」


陽子は嬉しそうに微笑みかけてきた。


「そうだね、今日は読書かい?」


雄一も少しだけ口角を上げて笑顔をつくって答えた。


「はい、先輩は勉強ですか?」

「うん、日課だからね」


雄一は放課後の部活動の時間を図書館で過ごすのが日課だった。

しかし小里川おりがわ高校は部活動に必ず入らなくてはいけないという校則がある。

その為、文芸部を自ら創部し図書館を使っている。

部員は雄一と人数合わせの友人 大井正人の2人。

正人は野球部と掛け持ちなのでこちらには殆ど顔を出さない。

実質、雄一だけの部活と言ってもいい。

雄一自身は読書がさほど好きではない、どちらかというと文字を読むより計算式を解いている方が好きだ。

そんな話を陽子としていると


「私、文芸部に入りたいです。まだ部活決めてなくて、ここなら沢山本が読めそうなので」


雄一としては部員が増えるのはありがたい限りだ正人は掛け持ちしなくてもよくなるし、部日も少しは増える。

しかし入学して2日でそんな簡単に決めてしまって後悔しないだろうか。

そんな思いが雄一の中で生まれた。

すると彼の心の声が聞こえたかのように陽子は言葉を選びながら話し始めた。


「私、人が苦手なんです。嘘や悪口を平気で言う。でも本はいつでも優しく私を受け入れてくれるんです」と。


人が苦手というのは雄一にも少しは分かる。

実際、彼には正人以外に友達と言える人物はそれほど多くないからだ。

自分の為に作った部活だが誰かのためになるのならと彼は陽子を部員に迎え入れた。

その日から二人は放課後になると図書館で一緒に過ごすようになった。

互いが互いを尊重しあい相手の邪魔をしない。

たまに陽子の宿題を手伝ったり、陽子のおススメの小説読んで感想を共有したりした。

そうして毎日のように過ごした二人の時間は、陽子の閉ざされた心を徐々に溶かしていき、彼女は雄一に惹かれていった。

入学式からおよそ8か月後の12月中旬、その日の6限目が終わった後正人から


「岩村陽子ちゃんだっけ?その子からお前に渡してほしいって頼まれた」


と言われ白い封筒を渡された。

中を見ると1枚だけ便箋が入っており。


『放課後屋上で待ってます』


と綺麗な文字で書かれていた。

手紙を読んでからすぐに雄一は屋上に向かった。

普段は滅多に立ち入ることのない屋上。

そこにはすでに陽子が待っていた。

後ろ姿しか見えないが半年以上の一緒に居た、見間違えるはずもない。


「早かったですね、先輩」


開けた扉の音で気付いたのか陽子が背中越しに話しかけてくる。


「まぁ、あんな手紙貰ったら急ぎもするだろ」


少しづつ陽子に歩み寄る。

あと3mの所まで近づいたとき陽子が不意に振り返った。


「先輩、私...先輩の事が好きです!付き合ってください!」


いつもとは違う決意のこもった力強い声。

薄々気づいてはいた、でもそんなことは無いだろうと目を背け続けていた。

しかし彼女は雄一に好意以上の愛を抱いていた。

恐らくその愛は紛う事なき本物だろう、だからこそ彼はこの告白を受けるわけにはいかなかった。

自分の心の中には『思春期症候群』が潜んでいる。

今は症状が軽いからいいもののこの先彼女に危害が及ばないとも限らない。

出来る事なら雄一も彼女と付き合いたい、だがそれは過ぎた願い。

雄一は陽子以上の決意のこもった声で


「付き合うことはできない」


とだけいった。

その瞬間陽子の顔から生気が消え去った。


「なんでですか...私はこんなに先輩の事が好きなのに...」

「ごめん...」

「こんな気持ちになるならあの時あの教室で出会わなければよかったのに」


彼女がそう言った瞬間、雄一の意識は黒い闇に呑まれた。

目を覚ますとそこは空き教室だった。


『これをもちまして、平成31年度 小里川高等学校 入学式を終了いたします』


入学式が終わったようだ、そろそろ帰り支度をして帰らないとな。

荷物をまとめ廊下を歩いていると美少女とすれ違った。

どこか懐かしさを感じるがよく思い出せない。


雄一は自分だけが『思春期症候群』だと思い込んでいたが

実際には陽子もそうだったのだ。

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