第34話 五章 『自称』だったり『元』だったり、勇者も魔王も面倒くさくて困るのだが(4)・終
「メイア様、お茶をお淹れしましたよ」
「ああ、ありがとう、ルシエ」
机の上に山と積まれた書類をかき分けてメイアが顔を出す。疲れてはいるが、どこか晴れ晴れとした表情だ。
「もう、メイア様ったら。魔王職に復帰なされた途端に働き詰めで。私はメイア様が過労死しないか心配です」
「いやあ、やることがいっぱいで時間がいくらあっても足りないくらいなのだ。やっぱりわたしには平和な隠居よりも忙しくしている方が性に合っているのだろうな」
メイアはルシエからティーカップを受け取りながら笑みを浮かべた。
魔王の間には、応急で取りつけられたすりガラス越しに柔らかな光が差し込んでいた。
議長と元勇者の起こした騒動から早五日。議長の行き過ぎた行いによって議会は解体された。皮肉にも国民投票による結果であった。
過激派の急先鋒であった議長は、穏健寄りの魔王であったメイアを排除し、また人間界に攻め込むための大義名分を作り上げることを目論んでいた。そのため、元勇者にメイアを倒させるよう仕向けたり、元勇者を魔王城に呼び寄せることで国民の危機感を煽ろうとしていたのだ。
「――それにしても、やっぱりメイア様の魔王解任は議会の不正によるものだったのですね。まったく、まだお腹がムカムカしますよっ」
ルシエは思い出したようにぷりぷりと怒り出す。
民意を尊重するという名目で行われたメイアへの不信任投票は、やはり開票の段階で議会による改ざんを受けていた。今回の一件で議会への不信感が噴出し、有志団体が有権者に対して調査を行った結果、当時の魔王メイアへの支持率は九十パーセントオーバーであった、という驚異の事実が明るみに出たのだ。
騒動が収まり再び隠居しようとしていたメイアに、魔王職に復帰してほしいという趣旨の署名が馬車一台分も届けられたという話は、まだ王都の民の間では記憶に新しい。
「それよりも、議会の奴ら、ろくに仕事していなかったと見える。あれもこれもわたしのやりかけの状態で止まっているのだ。無責任が過ぎるぞ!」
文句を言いながらもメイアの顔は活き活きとしていて、ルシエも唇が自然とほころぶのを感じた。
その時、こんこん、と魔王の間の扉を叩く音が二人の耳に届いた。
「どうぞー」
扉が開いて姿を現したのはレイだった。
「あら、レイさん。どうなさったんですか?」
「こんにちは、ルシエさん。――いえ、元勇者の奴が目を醒ましたので、その報告をしておこうかと」
速やかに用意されたティーカップを受け取りながらレイは答える。ここ五日程、レイは魔王城の一室に寝泊まりしていた。メイアの好意で――というわけでは勿論なく、城内の雑用にさんざんこきつかわれていた。
そして、今回の騒ぎの主犯の一人である元勇者もまた、魔王城にいた。その存在が明るみに出れば、即刻魔界から追放すべきだと思われたかもしれないが、彼の場合は魔王の指輪の力による肉体的な疲弊が著しく、目を醒ますまでは仕方ないから置いといてやろうという処置であった。
「そうか、まあ良かったな」
メイアは渋いお茶を飲んだような顔をした。メイアにとって元勇者とはあまり良い思い出がないから仕方がないのかもしれない。
「はは……俺だってそんな嬉しい! って気分じゃないさ。でも、俺があいつを正すってメイアと約束したしな。幸い意識も体の方も特に問題はないみたいだから、明日の朝早くに人間界に帰るよ」
「……そうか、達者でな」
「……ああ」
「…………」
「……え、それだけか⁉」
レイは信じられない、というふうに目を剥いた。
「なんだ、うるさいな」
メイアはというと、既に書類に目を通そうとしており、鬱陶しそうに顔を上げる。
「いやいやいや、仮にもしばらく行動を共にした仲間じゃないか! その俺が明日帰るよ、って言ってるのに淡白すぎるだろう!」
「そうだな、これが最後かもしれないんだよな……――伝えておこうか」
メイアはつ、と顔を上げてレイの目を覗き込んだ。そして、
「いっそ清々するな!」
爽やかに言い切った。
「嘘じゃん⁉ ――あ、もしかしてアレかな? 本当は別れが悲しいけれど涙は敢えて見せない的な」
「いや、心の底からそう思っている。今夜は祝杯を挙げたい気分だ」
「帰したがり過ぎだろ!」
ルシエはそんな二人のやりとりを微笑ましく見守っていたが、ふ、と隙間風のような寂しさを感じた。
「……本当に、これでお別れなんですね」
ぽつり、と小さく漏らしたルシエに、言い合っていた二人は困ったように顔を見合わせる。
「大丈夫だ、ルシエ。この男はわたしに借金がある。ちゃんと書面にしてあるから、いずれ返済しにきた時に会えるさ」
「そんな再会の約束は嫌だ!」
「わがままか。それなら好きに約束すればいいだろうが」
メイアはぷいとそっぽを向く。
レイは困ったような照れたような変顔をし、そして決心したようにルシエに向き直った。
「あのっ、ルシエさん」
「はい、なんでしょう?」
小首を傾げてレイを不思議そうに見遣る。
「あのっ……その、お、俺と――」
「レイさんと?」
「お、俺とっ! ――結婚してくださいっ!」
一瞬、魔王の間の時が止まった。
その死のような静寂を破ったのはガタリ、と音を立てて立ち上がったメイアであった。
「おい、いきなり何を言うのだ貴様はぁ!」
すごい剣幕でレイを睨みつける。
「そ、そおですよっ! 突然そんなこと言われても困るじゃないですかっ」
顔を赤らめながらルシエも抗議した。が、
「最初はお付き合いからじゃなければ認めんぞ!」
メイアの怒りはきちんとした交際の段階を踏まなかったことに対する――いわばお父さん的な怒りであった。
「ちょ、メイア様まで何を⁉」
思わぬ展開に、ルシエは耳まで真っ赤になっておろおろしている。
「そうか……じゃあ俺と付き合ってください!」
「じゃあって何⁉」
素直に言い直したレイに、ルシエはほとんど悲鳴のような声を上げた。
数百年、魔王の側近・あるいは侍女としてその身を捧げてきたルシエ。未だ恋を知らない乙女であった。
「あの時――ルシエさんが颯爽と俺を助けにきてくれた時、実はすごく胸がキュンとして、『あ、これが恋なんだな』って思ったんです!」
勇者に憧れる男レイ。その思考は恋を知ったばかりの乙女であった。
「――っ! ごめんなさい!」
真っ赤な顔を隠すように、ルシエは勢いよく頭を下げる。
ここに一つの恋が終わりを告げた。
翌朝、朝靄の中一台の馬車が魔王城の前に停まっていた。
「じゃあ、メイア。今まで世話になった」
「本当だ。世話代も借金に入れとくからな」
「あくどい!」
別れの朝がきても相変わらず、メイアとレイは悪友のように軽口を叩きあった。
「ルシエさんも、今までありがとうございました」
「どういたしまして」
ルシエはつん、と差し出されたレイの手を無視した。
「つれない……――でも、いつか再会した時にはもう一度想いを伝えます。だから、その時はどうかこの手をとってください」
「……その時までにあなたがメイア様より強くなっていたら考えます」
つんとしたまま、けれどうっすら耳を朱に染めてルシエは応えた。
「ふ、きざったらしいな」
「ほっとけ!」
きざに決めたが色よい返事がもらえずに内心泣きそうなレイであった。
そんな三人に御者が歩み寄ってきてそろそろ出発の時間だと告げる。
「……じゃあ、もう行くよ」
レイは馬車に乗り込もうと背を向けた。
「――レイ!」
少し離れた背中に、メイアは呼びかける。
「お前の言った通り、魔王としてわたしが選んだ道は間違っていなかった! お前が、そして民が、わたしに教えてくれた!」
だから、とメイアは大きく息を吸った。
「だからわたしは、これからも魔王を続けていく! わたしが正しいと思う魔王になる! それがわたしが選ぶ、なるべきわたしだ!」
ぐっ、とメイアはレイに向かって拳を突きつける。
「――、それなら俺たちは遠からず再会することになるだろうな」
レイは不敵に笑ってみせた。
「今度こそ、自称じゃなく、本物の勇者になる! そして魔王のお前に会いにくるさ!」
覚悟していろ。
レイは拳を掲げ、そう言い放った。
「ふん、お茶でも用意して待っているさ」
「お前といるとお茶ばかりだ」
笑いながらそう言い残すと、レイは馬車に乗り込んだ。
ゆっくりと、馬が嘶き、車輪が回りだす。
次第に遠ざかるその影が地平線に隠れて見えなくなるまで、二人は黙って立っていた。
「……さぁて、今日も仕事が山積みだぞ、ルシエ」
メイアは嬉しそうに伸びをする。
「この分だと次の隠居は随分先になりそうですね」
からかうようなルシエの言葉に、メイアは大きく頷いた。
「短い隠居生活だったな」
そう言って、メイアは笑った。
隠居魔王の成り行き勇者討伐 倒した勇者達が仲間になりたそうにこちらを見ている! 悠木りん @rin-yuki
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