第33話 五章 『自称』だったり『元』だったり、勇者も魔王も面倒くさくて困るのだが(3)

「――――ふっ!」

 

 メイアは足元から燃え盛る炎の波を呼び起こし、大きく吐いた息と共に元勇者に向かって押し出す。炎の波は元勇者を飲み込んで、舐めるように屋根の上を流れていく。

 

「はぁっ、はぁっ」

 

 メイアは肩で大きく息をしながら伝い落ちる汗を拭った。

 

 しかし、そんなメイアを嘲笑うように、炎の波が歪に揺れ、次の瞬間剣圧で吹き飛ばされる。

 

「ぐっ……」

 

 その圧は炎だけでなく、メイアの体までもよろめかせる。

 

「どうしたぁ⁉︎ その程度か?」


 高らかに哄笑しメイアに迫る元勇者。


「こんなチャチな炎がお前の真の力か⁉︎」


 元勇者は笑いながら剣を振るう。

 受けるメイア。が、その剣圧に踏ん張りが利かずに後ろへ弾かれる。


「ははっ、すごい力だ! この力の前では魔王すら無力な赤子のようだなぁ!」

「……随分と嬉しそうだな。……そんなに力が欲しかったのか」


 荒い呼吸を整え、メイアは問うた。


「力が欲しいか、だと? 当たり前だ! 力こそ全てだ! 俺が一番強くなきゃ、そうじゃなきゃ俺じゃねぇ! だから俺より強い奴はどんな手を使ってでも力でねじ伏せるんだよぉ……!」


 その瞳が真っ赤に燃え上がり、醜く歪む。


「……力でしか己を肯定できない、か」


 メイアはその言葉をそっと口の中で転がした。言葉の響きとは裏腹に、なんと弱い心だろう。


 けれど、だからこそメイアにもその心は理解できるような気がした。


 同じだ。

 自分の正しさを父のそれで肯定しようとしたメイアと。


 違うのは、それを否定されても捨てられなかったことだ。


 父の思う正しさを否定されたメイアが、自分の正しさを自分で選び取ったように。

 こいつは強さに代わって自分を肯定してくれるものを見つけられなかっただけなのだ。


 その瞬間、メイアはどうしようもなくわかってしまったのだ。


 わかり合える、と思ってしまった。

 魔王も、勇者も。

 元も、今も。

 誰だって迷って、もがいているのだ。


 メイアにはそれがどうしようもなく悲しく、そして同時に愛おしく思えた。


「なぁ、元勇者よ。そんな力は所詮借り物だ。そんなもので自分を肯定しても意味なんかないだろう。自分が一番わかるはずだ。お前の本当の力でなければ、お前を支えることなんて、できないだろうが……」


 元勇者の赤い瞳は狂気に輝き、メイアの言葉など届いていないことは明らかだった。


 けれど、メイアは言わずにはいられなかったのだ。


 しかし、返ってきたのは言葉ではなく、容赦のない斬撃で。


 重い一撃を受けたメイアの剣が、彼女の手を離れ飛んでいった。


 弧を描いて宙を舞う剣の行方を目の端で追う。と、


「うわっ危なっ!」


 その声の主の方にメイアも元勇者も顔を向けた。


 そこには、空から降ってきた剣にビビるレイがいた。




「な、レイ、何をしているのだ?」

「何って、戦いを終わらせにきたに決まってるだろ」


 レイは不敵に笑う。


「いや、でもお前……」


 メイアはじっとりとした視線をレイに向けた。


「その体勢でか?」


 レイはぷるぷると震えながら屋根の縁にしがみついていた。辛うじて上半身だけが屋根の上に出ている状態である。


「レイさーん、重いので早く上がってもらっていいですかー?」


 下からげんなりしたルシエの声もする。


「お前、わたしの侍女を踏み台にしているのか……」


 はぁ、と大きなため息がメイアの口から自然と零れる。


「いや、これは合意の上で……」

「貴様、合意の上でルシエの上に乗っているというのか」

「ややこしいし、含みのある言い方をするな!」


 やいのやいの言っているうちに、レイはなんとか屋根の上に体を持ち上げることができた。


「よし。俺がきたからにはもう安心だぞ、メイア!」

「……不安要素がまた一つ増えた気しかしないのだが」


 話している間も、メイアは絶えず元勇者に気をつけていたが、どうやら様子がおかしいことに気づく。


(……警戒している? レイを……? そんなバカな)


 元勇者の視線の先にはレイがいる。いや、しかし――


(――レイ本人ではない。奴の剣か!)


 メイアは南の地で初めてレイと会った時を思い出した。あの時もレイの剣が頭の隅に引っかかっていたのだ。


「おい、レイ! その剣はなんだ? 思えば始めて見た時から見覚えがある気がしていたのだ!」

「そうだったのか……まぁそれもそうだろう、これは歴代の勇者も使ってきた、魔を祓うと言われる聖剣だからな!」


 メイアは雷に打たれたようにはっとした。


「お前、そんなものを…………どこで盗んだのだ?」

「俺ん家に代々伝わる聖剣だよ! 盗人扱いすんな!」

「あ、そうか。いや勇者でもないくせにそんなものを持っているから取り乱したのだ」


 しかし、メイアはようやく合点がいった。

 今の元勇者は魔王の力をその肉体に取り込んでいる。そんな状態で聖剣を相手にするのは危険だと、わかっているのだ。


「……限りなくお前の功績ではないが、ナイスプレーだぞ、レイ」

「嬉しくないな!」


 レイはへっぴり腰で屋根の上を移動し、メイアの隣に立った。途中で拾い上げておいたメイアの剣を渡す。そしてメイアの耳元で囁いた。


「……今のあいつは魔王の指輪に取り憑かれているような状態だ。だからこの聖剣で貫けば正気に戻るはずだ。協力してくれ、メイア」


 メイアは片眉をくっと持ち上げシニカルな表情を浮かべる。


「正気に戻ったところで、奴の考え方や価値観は変わらない。どうせまたどこかで同じようなことを繰り返すぞ」


 厳しい口調のメイアに、レイはそれでも真剣に応えた。


「……大丈夫、その時はこうやって俺が奴を正すから」


 予想外の答えだったのか、それとも予想通りだったのか。


 メイアはぶはっ、と大きく吹き出した。


「言うようになったなっ、この自称勇者め!」

「ちょっ、その呼び方はやめろ!」


 あたふたと抗議するレイに、ふっとメイアは目を細めた。


「そうだな。今この場に立っているお前は――あいつを救う選択をしたお前は――誰よりも勇者らしいぞ」

「メイア……」

「というわけで後は任せた」

「えっ、メイア⁉︎」

「わたしはもう限界だ。魔王の指輪の力が強過ぎた」

「いやいやっ、なおさら俺に任すな! どう考えても無理だ!」

「いや? そうでもないぞ」


 メイアは意味深な笑みを浮かべた。レイはわけがわからないというふうであった。


「さすがにおとなし過ぎると思わないか?」


 メイアは離れた場所の元勇者を示す。

 確かにさっきから二人に真っ赤な視線を注いだまま微動だにしない。


「最初は聖剣を警戒しているのかと思ったが……。違うだろう。お前はもうほとんど体を動かせないのだろう」


 メイアの呼びかけにも元勇者は応じなかった。しかしそれでも動かないことこそ、メイアの推測を裏付けるものであった。


「……どういうことだ?」

「魔王の指輪は確かに強大な力を持っている。だが、体の方がその力に耐えられなくなったのだろうな。恐らくこのまま放っておいたら死ぬ。レイ、早めに終わらせてやれ」


 メイアはレイの背中をぽん、と押した。

 よろけるように前に踏み出すレイ。

 聖剣を握りしめ、一歩一歩元勇者へと近づいていく。


 そして、真正面から元勇者と向かい合った。

 体は動かずとも、その真っ赤に燃える目だけでレイを威圧する。

 それでもレイは真っ直ぐに見つめ返した。


「……お前が兄にしたことは許せない。でも、お前が勇者になれたことは兄がいなくなったからじゃないだろ」

「…………」

「力では兄に及ばなかったかもしれない。けど、お前は誰よりも努力していただろう。誰よりも強くなるためにっ……確かに選んだ手段は褒められたものじゃない。でも、強くなろうとする意志は、本物だったはずだ」

「…………ぐっ」

「お前が勇者になったのは、誰よりも強かったからじゃない。誰よりも強くあろうとしたこと――それを認めた人がいたからだ……悔しいけど、許せないけど、俺だって認めていたんだ」 

「…………ぅう」

「お前は気づいていなかったのかもしれないが……、そんな力になんて頼らなくても、お前はそうやって肯定されていたんだ」

 

 レイの言葉に、真っ赤な瞳に宝石のような煌めきが浮かんで――零れた。

 

「うあああああああああああああああああああ――――」


 真っ赤な涙を零しながら咆哮する元勇者の胸に、レイは頭上高く振り上げた聖剣を突き立てた。

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