第32話 五章 『自称』だったり『元』だったり、勇者も魔王も面倒くさくて困るのだが(2)
メイアの作戦とは、
「――もしお前にわたしと戦う度胸があるのなら、ここまで上がって来い――っ!」
わかりやすい挑発であった。もはや作戦とも言えないお粗末な代物ではあるが、一応元勇者を魔王城の屋根の上におびき出す、という目的は果たした。が、
(いやいやいや、なに人んちの窓粉々に吹き飛ばしてんの⁉)
魔王城への被害を抑える、という目的は見事に粉砕された。
元勇者の剣の一振りは、メイアの精神と魔王城の財政に大ダメージを与えていたのである。メイアの中で、元勇者を許せない理由に『村への放火』の他に『他所様の窓ガラスを割る』が追加された。
無自覚に先制攻撃でクリティカルを決めていた元勇者は、その赤い双眸を妖しく光らせ、メイアと対峙する。
メイアも、ともすれば泣きそうになる目元にぐっと力を込めて元勇者を睨み返した。
「よぉ、約束通り借りを返しにきたぜぇ」
「約束なんてした覚えはないが……まあ、この間は途中で逃げられてしまったから丁度いい。火遊びが過ぎる悪い子にはお灸をすえてやらないとな」
掌に炎を揺らめかせ、メイアは片頬を歪める。
「――っ、ほざけっ!」
元勇者は吐き捨てると、一瞬で間合いを詰め白刃を閃かせた。
「おっと――」
即座に跳びすさりながら、メイアは片手に炎を凝集させ元勇者めがけ放出する。
ところが元勇者は剣を一振りして難なく炎を消し飛ばした。
「なっ、豚なら一頭丸焼きにできるくらいの火力だぞ!」
「誰が豚だぁ⁉」
「うわ、別に他意はないっ」
斬りかかってきたところを紙一重でかわし、今度は至近距離から熱波を噴出させる。以前の勇者なら軽く吹き飛ばせた程の威力であった。しかし――
「この程度、ちょっとしたサウナだぜ」
もろに熱波を浴びたはずの元勇者は、一瞬攻撃の手が緩んだだけですぐさま鋭い斬撃を繰り出してきた。
(避けきれない――っ)
無機質な刃の閃きがメイアの細首に到達する寸前、中空から出現させた剣で受け止める。
「……ぅぐっ!」
想像を遥かに上回る衝撃を殺しきれず、メイアは横っ跳びに跳んでなんとか体勢を立て直した。
(……これは、まずいかもしれないな)
メイアは十分に間合いを取り、剣を構え直す。
ちらり、と元勇者の指で血に濡れたように輝く指輪に目を遣って、胸の内で歯噛みした。
(魔王の指輪の力がこれほどとは……完全に舐めていた)
「どうしたぁ、さっきまでの余裕ぶった態度がなくなってるぜ?」
元勇者の双眸がちらちらと赤く揺れる。
「……貴様をどうやって料理するか考えていたのだ。丸焼きとロースト、どっちがいい?」
「人を豚扱いするんじゃねぇっ!」
豚を串刺しにしそうな勢いで元勇者は突きを繰り出す。余りの速さと力に、メイアはいなしきれずじりじりと後退した。しばらく近接しての打ち合いが続く。
「うっ――くぅ!」
だが指輪の力を得た元勇者と真っ向から打ち合うのは分が悪かった。互いの剣が火花を散らす度、メイアの腕には痺れるような痛みが走る。
「こ、の! 馬鹿力がっ!」
渾身の力を込めて、メイアは元勇者の斬撃を横薙ぎに弾き返す。それはほんのわずかに元勇者の体勢を崩しただけだったが、メイアはすかさず距離を取り炎を揺らめかせた。そのまま掌を上に掲げ、身の丈の三倍ほどの長さの炎の槍を顕現させる。
それは大型の魔物ですら一瞬にして爆散させる程の高威力を誇る魔法であった。
「――丸焼きになれっ!」
物騒なセリフとともにメイアは炎の槍を投擲する。
空気を焦がしながら飛んでくるそれに向かって、元勇者は大上段に振りかぶった剣を打ち下ろした。
攻城砲にも耐えうる屋根の外装が悲鳴を上げる程の剣圧、その前に炎の槍はあっけなく霧散する。
「……おい、嘘だろう」
メイアの顎をつぅ、と大粒の汗が伝った。
一方、魔王城内部を上へ上へと向かっていたルシエ。そのカモシカのようにしなやかな脚力で一度は魔王の間へと辿り着いたが、時既に遅く部屋はもぬけの殻であった。
微かに争ったような形跡のある調度品に目を遣り、ルシエは思案する。時折天井が激しい衝撃に耐えかねたように軋んだ。その後、沈黙が訪れる。と、その時。
ルシエの鋭敏な耳が微かに何かが割れる音を捉えた。頭上ではなく、階下からであった。
ルシエは解放感溢れる窓際から身を乗り出し、真下の階を覗き込んだ。
その目に映ったのは、廊下にある花瓶やら燭台やらを手当たり次第にぶん投げては疾走するレイの姿。そしてそれを悠々と追いかける七三分けの男――議長であった。手にはレイの剣を持ち、次第にその距離を詰めている。
「ビンゴですね。レイさん、待っていてくださいっ」
呟くと、ルシエは窓の傍らに束ねられていた長いカーテンをほどく。
「すみません、後程弁償しますので」
律儀に謝りながら手早くカーテンを裂き、先端を結び合わせ、即席のロープ代わりとした。そして片端を重量感のある玉座にしっかりと結ぶ。
「んっ――」
即席のロープをしっかり握り、小さく息を吐くとルシエは窓の外に身を躍らせた。勢いよく風を切り、一度大きく外側へと揺れる。
そしてその反動で弧を描くように加速し、そのまま階下の分厚い窓ガラスを蹴破って転がり込んだ。
飛び込んだ先は剣を振り上げた議長とレイの丁度真ん中。その刹那、足に括りつけていた短剣を素早く抜き放ち、振り下ろされた剣を頭上で受け止めた。
「るっ、ルシエさん!」
突然の出来事に廊下に倒れ込んだレイは、驚いたようにルシエの名を呼んだ。
「お待たせしました、レイさん。お怪我はないですか?」
「……あ、はい。お陰様で」
剣を受け止めた姿勢のまま、にこり、と常と変わらぬ笑顔を見せたルシエにレイは内心舌を巻いた。
対照的に驚きが冷めやらぬ、といった表情で議長が口を開く。
「……あなたは元魔王殿の侍女でしたかな。これは、可憐な姿に似合わぬ武闘派のようですね」
「あら、可憐な花だってその身を守るために棘や毒を持つものですわ」
淑やかに、それでいて一抹の毒々しさを孕んだ笑顔でルシエは応じた。
「おぉ、なるほど――では毒と棘は抜いてしまわなければね――っ!」
穏やかな微笑を浮かべ、議長は剣を振るったのと反対の袖口に隠し持っていた短剣でルシエの首元に斬りつけた。しかし――
「ふふ、素人が下手に手を出すと怪我をします。……綺麗な花にはお手を触れない方がよろしいかと」
ルシエは何事もなかったかのようにそう嘯いた。
何が起こったのかわからない、といったふうに議長は自分の手と、ルシエの首筋を見比べる。斬りつけられたはずのルシエは無傷で、斬りつけたはずの自分の手が血まみれであることをようやく認識すると、
「あぁ、うあぁぁぁ!」
議長は負傷した手を抱えて廊下にうずくまった。
血の付いた短剣を拭い、ルシエはレイに向き直る。
「さ、レイさん。立てますか?」
「あ、ああ……ルシエさん、お強いんですね」
呆然としていたレイはそこではっと我に返った。
「それよりもルシエさん! 元勇者は⁉ 今どこに⁉」
「へっ? あぁ、今はメイア様と屋根の上で戦っている最中ですが」
「連れて行ってください! 俺を、あいつのところへ!」
レイは急いで聖剣を拾い上げると、ルシエに詰め寄った。
「は、はあ。わかりました……」
気圧されるようにルシエは頷いた。
「えっと、ではこっちです」
先に立って廊下を進みながら、ルシエはレイに見えないようにむくれていた。
「……せっかく助けてあげたのに。もうちょっとお礼とかあってもいいと思うんですけどっ」
「何か言いましたか、ルシエさん?」
「いーえっ、なんにもっ。急ぎますよ」
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