第29話 回想・3

「それでは、魔王の指輪を」

「――……」


 戴冠式が終わり、メイアは一人魔王の間へと足を運んだ。無意識のうちに、自分の指に嵌る指輪に目がいく。つい先日まで父がつけていたものだ。


「……わたしはもう、お父様の可愛いメイアではないんだよ。魔王のメイアなんだよ」


 メイアは誰もいない魔王の間に向かって呟く。

 そこには余りにも父の面影が残っていて、今にも机の陰からむくりと、「いやぁー、仕事してたら今度は床で眠っちゃってたよ」なんて世話の焼けることを言いながら起き上がってくる父の姿が見えるような気もした。


 けれど無人の部屋はメイアの子どもじみた願望のようなそれを嘲笑うように、いつまでも空っぽのままで。

 その空っぽの前では、魔王になれた喜びや安堵など、とうに消し飛んでしまっていた。

あるのはメイアの小さな胸を吹き抜ける寂寥と、華奢な肩にのしかかるような重圧。


 思えばメイアは、決して魔王になりたいわけではなかったのだ。

 ただ、必死に勉強をして魔王であった父と魔界の行く末について語り合う、その時間が大切で、愛おしかっただけなのだ。

 自分の目指す未来について、少年のように瞳を輝かせて語る父を見るのが好きだった。ただそれだけだったのだ。


 それだけだったのに。

 そんな父はもういない。けれど。

 彼の夢見た未来だけは、まだそこにあった。メイアはそれに手を伸ばす。それは今のメイアにとって唯一の、父と繋がっていられる術であった。


 メイアは石造りの玉座にそっと指先を走らせる。そこにかつて座った者などいないかのように、ひんやりとした感触がいつまでも指に残った。




「……メイア様、何をなさっているんですか?」

『ようこそ 勇者よ!』と大書された大判の紙を壁に貼り付けようと四苦八苦していたメイアはぱあっと顔を明るくして振り返る。


「いいところにきてくれた、ルシエ! この紙の反対側を持ってくれ。一人じゃなかなかうまく飾れなくて困ってたんだ」


 いそいそと立ち働くメイアに、ルシエは痛ましいものでも見るような視線を向ける。


「メイア様、差しでがましいかもしれませんが言わせて頂きます。勇者は敵です。こんな歓待などやるだけ無駄です。向こうだってきっとそう思うでしょう」


 諭すようなルシエの口調にもメイアは気づかない。


「何言ってるんだ、ルシエ。魔王であるわたしが手ずから歓迎の準備をしたのだ。万事抜かりない! きっと勇者は感激するだろうな! わたしにとっても初めて勇者と会うことになるから、多少緊張はしているが……大丈夫。これが魔界と人間界との和解の第一歩となるのだ!」


 魔王の間を無邪気に飾り付けるその目は、明るい未来しか映らないように純粋に輝いていた。


 けれどルシエには、それはいずれ曇ってしまうだけの無知な輝きにしか見えなかった。




「メイア様、お茶を――あら、会議机、ですか?」

「あぁ、ルシエ、ちょうどいいところに。この机の反対側を持ってくれ……いやぁ長過ぎて困ってたんだよ」


 魔王の間に即席の会議室を作り上げているメイアに、ルシエは物問いたげな視線を向けた。


「……いや、前回はさ、歓迎ムードを前面に出し過ぎてしまったなぁ、と反省したのだ。歓迎は大事だが、命がけで旅してきた勇者に対してアレは、確かに呑気過ぎたなぁ、と」


 困ったように眉を下げたメイアだったが、今回こそは! と笑みを浮かべる。


「だから今回はあくまで真剣な話し合いの場を設けることにしたのだ! 歓迎の意を伝えるのは、まぁ口頭で十分だろう。ここまできてくれた勇者に敬意を払うのを忘れなければきっと、向こうだって腹を割って話してくれるはずだ」


 完璧だろう、と得意げに笑うメイアだったが、それはどこか無理をしているようにも見えた。




 そうして多くの勇者が魔王城へとやってきた。

 その度にメイアは手を替え品を替え、勇者と話し合おうとした。

 けれどそんなメイアの行動が実を結ぶことはなかった。

 話し合いを、和解を、と口にするメイアを、多くの勇者は警戒し、嫌悪し、嘲笑した。


「誰が悪の魔王の甘言に耳を貸すものか」と。

 そうして戦いを挑んでくる勇者たちを、メイアは迎え討つしかなかった。

 けれど決して殺しはしなかった。

 ただ段々とメイアは、勇者を迎える準備をしなくなった。


 話し合いを求めなくなった。

 和解を、諦めた。

 父の夢見た未来に、蓋をした。


 そうして、数百年の歳月が流れた。

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