第28話 四章 うちの元魔王が陰謀に巻き込まれてしまったようで困ってます(6)

 耳を――いや、脳をつんざくようなメイアの叫び声に顔をしかめたのも束の間、わずかに開いた隠し通路の入り口から眩い光が流れ込み、その光をこれでもか、とばかりに目に浴びたレイは思わず小さく苦悶の声を漏らした。


 急いで口と目を押さえ必死に耐えていると、例の不気味に明瞭な声が響く。


「おお、ようこそ。こちらが魔王の間です。どうです、ご感想は?」


 大仰なしゃべり方をするその声に応えたのは、レイにとっては聞き覚えのある低い、険のある声――勇者(大型免許)の声であった。


「無駄口を叩きにきたわけじゃねぇ。さっさとしろ」

「これは失礼、ではこちらに」


 二人分の足音が玉座に近づいてくる。

 聞こえてくる会話を脳内で反芻してメイアに中継していたレイは身を硬くした。

 二人の足音が玉座の前面に回る。


「これがそうか」

「ええ、こちらが例のアレです」

『……指示語が多いぞ』


 頭の中でメイアが文句を言うが、こればかりはレイにもどうしようもない。


『二人は今玉座の前にいる』


 レイが言うと、頭の中のメイアは息を呑んだように言葉に詰まった。


『まさか』


 メイアが恐る恐るというふうに言いかけたのと同時に、勇者もまた口を開いた。


『魔王の指輪を』

「魔王の指輪を」


 その声はレイがぞっとするような響きだった。


「魔王の力を俺によこせ……俺が魔王になる……!」

『なんだとぉ⁉︎』


 またしてもレイの頭の中でだけ響くメイアの大声。レイはなんだか頭痛がしてきた。


「……そうですね、あまり焦らすのも悪い。ですが一つだけ」


 頭痛に気を取られていたレイは、その声が余りにも近くから聞こえることに気づくのが遅れた。


 あっ、と言う間もなく隠し通路の入り口が取り払われる。突然の光で眩む視界の中、ぬっ、と伸びてくる手だけがレイの目に映った。次の瞬間、身体中に衝撃が走ったかと思うと天地が逆転していた。


「……なんでまたお前がいやがるんだぁ?」


 レイを見下ろしていたのは勇者(大型免許)と、


『誰だこの七三分けは』


 案の定メイアの叫びが木霊する。


『七三だとぉ⁉︎』


 頼むからもう黙っててくれ、とぼんやりした頭で思うレイであった。




「ルシエ! 大変なことになった!」


 さっきから一人で脳内絶叫を繰り返していたメイアは首がねじ切れそうな勢いで振り返る。


「ど、どうしました?」


 幾分常軌を逸している主人の様子に若干引きながらルシエは訊き返した。


「内通者の正体は七三分け野郎の議長で!」

「まぁ!」

「あの放火魔の勇者に魔王の指輪を渡そうとしてて!」

「なんてこと!」

「ついでにレイが捕まったっぽい」

「…………」

「…………どうしよ」

「もおぉぉぉぉぉぉ‼︎ メイア様ぁぁぁぁぁぁぁぁ⁉︎」


 今度はルシエが絶叫する番であった。脳内ではなく、文字通りに。


「やっっぱり、私の心配した通りになったじゃないですかあぁぁ! こんな行き当たりばったりな作戦で大丈夫ですか? って私訊きましたよね⁉︎ そしたらメイア様、『ふっ、この程度の作戦、百年前のウェザーテンの戦いに比べれば朝のティータイム前だ』って言ってたじゃないですかぁ!」

「そんな語呂の悪いセリフ言ったか⁉︎」

「言いましたよぅ! もぉもぉもぉもぉ!」

「ええい、モーモーうるさいっ。魔牛か、貴様は!」


 馬車の中は阿鼻叫喚の騒ぎであった。


『あの、取り込み中悪いんだけど』

『――っ生きていたか、レイ』

『うん。そして提案がある』

『なっ、打開策を見つけたというのか⁉︎』

『助けにきてください――』


 いっそ清々しい程の他力本願であった。

 メイアは通信を切った。

 そしてルシエを振り返る。


「提案があるんだが」

「打開策を見つけたのですか⁉︎」

「レイのことは忘れよう」


 清々しい笑顔であった。


「…………」

「…………ダメか」

「早く助けに行きますよ」

「わかったよ……」


 メイアは渋々重い腰を上げた。


『レイ、今から助けに向かう。できるだけ時間を稼げ』

『良かったあぁぁ、見捨てられたのかとぉぉ』


 メイアは、そのつもりであったということは敢えて言わなかった。




「お前、なんでこんなとこにいる?」


 レイはなんとか身を起こすと、勇者(大型免許)と向き合った。

 メイアに言われた通り、なんとか時間を稼ぐつもりであった。


「……それはこっちのセリフだ。お前こそ勇者のくせになぜ敵と通じている?」


 ギロリと勇者の目がレイを見据える。


「……どうした、答えられないのか?」


 口調こそ強気ではあるが、その実、頭の中ではメイアに『助けて超助けて』と言い続けている。


「まぁ、お前みたいな成り損ないがいたって関係ねぇか」


 勇者はそう言ってレイに背を向けた。


「おいおっさん、早く指輪をよこせ」


 背を向けた拍子にマントが翻り、その腕にあるはずの腕輪がないことにレイは気づいた。


「おい」


 それは、時間稼ぎではなく、レイの本心から出た言葉だった。


「お前、本当に勇者ではなくなるつもりか」


 勇者は振り向かない。


「……俺の兄を蹴落としてまで手に入れた勇者という称号を! そんな簡単に捨てるというのか……?」


 もとより勇者が兄にした仕打ちを、レイは許す気などなかった。けれど、兄を犠牲にしてまで――そうまでしてなりたかったはずの勇者という地位を、自分から捨てようとしているその姿を、レイは信じられなかった。信じたくなかった。歪んではいても、勇者になりたいという想いだけは、兄と変わらないと思っていたのに。それが、「魔王になる」だと?


 レイは海を渡った兄の顔を思い出す。大海原に漕ぎだす間際、「勇者の仕事はあいつに任せるさ」と言って笑った兄の顔を。


 その結果が、これか……!


 レイは血が滲むほど唇を噛んだ。


 余りにも、浮かばれないじゃないか!


 レイは自分でも気づかぬうちに走り出していた。


「貴様ぁぁぁぁぁ――っ‼︎」


 腰の剣を抜き放ち、怒りに身を任せて剣先を突き立て――


「……弱いんだよ、お前は」


 レイの渾身の一撃を振り向きもせずに剣で受け止めた勇者はそう呟いた。


「お前だけじゃない……俺だって弱い……それじゃダメなんだよ……俺はっ、誰よりも強くなけりゃあ……」


 ようやく振り向いた勇者の瞳は、狂気のような色を湛えていた。


「だから俺は魔王になる。そして今以上の力を手に入れて、俺を負かしたあいつを倒すんだよぉ‼︎」


 勇者の剣の一振りでレイは弾き飛ばされた。


『レイ、大丈夫か? レイっ!』


 メイアの声が遠くに聞こえた気がした。


「さぁ、それでは魔王の指輪を」


 議長が玉座から外した指輪を勇者の指に嵌める。


「願うのです、力を!」

「――この俺に、魔王の力を!」


 指輪の赤い宝玉が妖しく輝き、そして――


 真っ赤な光の洪水が、勇者を、議長を、そしてレイを呑み込んだ。

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