第25話 四章 うちの元魔王が陰謀に巻き込まれてしまったようで困ってます(3)

 その日のうちに外壁街、その翌日には内壁街を、一行はほとんど何事もなく通過し、ついに目指す王都へと辿り着いた。まったく、ではなく、ほとんど、ではあったが。


「ねぇママ? もうママって呼ばなくてもいい?」

「はい、結構です」


 謎の甘ったるい声とあどけない表情で覗き込んでくるメイアに、ルシエは淡白に返事をする。途端にメイアはうっへりとした顔で大きく嘆息した。


「うへええぇぇ、疲れたぁぁ」

「お疲れ様です。ですが、完全に盲点でしたね。メイア様が身分証を持っていなかったなんて」


 メイアとルシエが母娘ごっこに興じる羽目になったその発端は、外壁街に入る者を検査する砦でのことであった。決して、彼女たちの趣味ではない。




「さて、そろそろ外壁街の砦に到着する頃ですので、レイさんにはこちらをお渡ししておきますね」


 そう言ってルシエが差し出したのは一枚のカードのようなものであった。


 レイは受け取りながら「これは?」と尋ねる。


「外壁街、内壁街、そして王都に入るには、それぞれの砦で身分証を提示しなければなりません。魔界の民であれば何も問題はないのですが、そうでないレイさんにはこちらの偽造した身分証を提示して頂きます」

「つくづく偽造に縁のある男だ」


 メイアは冷やかすように笑った。

 しかし、レイは聞こえていないかのように喜びの表情を浮かべていた。


「……ルシエさんからのプレゼントっ」

「偽造品をもらって喜ぶ男……」


 メイアは気持ち悪そうに胸を押さえた。あげた当人のルシエですら引いた。


 気を取り直すようにルシエは咳払いをする。


「っ、とにかく。それを見せれば問題なく通過できますので、よろしくお願いしますね」


 そんなことを言っているうちに、馬車は砦に到着する。


 実際、レイの偽造身分証は難なく検査を通過した。なんでもこなす奴だとは思っていたが、こいつが犯罪に手を染めたら大変なことになりそうだ、とメイアは内心肝を冷やした。


 しかし、レイとルシエが身分証を提示した後、同じようにメイアにも身分証の提示を求めた検査官に彼女が放った言葉に、今度はルシエが肝を冷やす番であった。


「わたしは身分証など持っていないが」


 余りにも平然と、当たり前のようにメイアが言うので、検査官も一瞬そのまま通しそうな素振りを見せた。が、当然そんなわけもなく、


「……え、身分証がないとお嬢ちゃんだけ通れないよ?」


 と、困り顔でメイアを見、そしてルシエとレイにも「どうすんの?」みたいな視線を送ってきた。


 その段になってようやくメイアとルシエ、両者とも気づく。


 幼少時代よりずっと王都で暮らしていたメイアは、身分証の提示が求められるような場面など経験がなく、また魔王になってからはどこへ行くにも顔パス――つまり生涯を通じて一度たりとも身分証明の必要性を感じることがなかったのだと。


 よってメイアには身分証を持ち歩く習慣などなく、魔王を引退した後の身分証に至っては発行すらしてもらっていない。まさに万事休すであった。


 しかし、これまでも世間知らずの主のフォローをこなしてきた侍女・ルシエは、ここでも驚異的な順応性を発揮する。


 検査官の顔が困惑から警戒に変わる前のその刹那、ルシエは隣のメイアを抱き寄せると体のどこから出ているのかわからないような猫撫で声を発した。


「あらぁ、ごめんねぇメイアちゃん。ママったらメイアちゃんはまだ身分証を持ってないって、忘れてたわぁ」


 その言葉に検査官は納得の表情を浮かべる。


「あぁ、もしかしてまだ未就学のお子さんでしたか。その割には随分と大人びていますね」

「うふふふ、よく言われるんですー」


 ルシエは腕の中で固まるメイアにしきりに目配せを飛ばす。


 メイアは突然抱き寄せられ、ぞっとするような猫撫で声をかけられたせいで悪寒に打ち震えていたが、なんとかルシエの意図を察して小さく頷いた。


 そして元魔王であるというプライドもかなぐり捨て、メイアは精一杯のあどけない少女の顔を作る。


「もうっ、ママったらっ。うっかりさんなんだからぁ」


 対面で必死に吐き気を堪えているレイのことは、極力見ないようにした。


「ははっ、今回はうっかりということで通しますが、次回からはこちらの未就学児用の書類にしっかり記入しておいてくださいね」


 親切にも書類を渡してくれる検査官にお礼を言いながら、メイアたちを乗せた馬車はなんとか外壁街へと入ることができたのであった。


「もう、メイアちゃんたら、持ってないなら先に言っておいてくれないと」

「いやいや、ママ。そういうところに気を回すのがママの仕事だろう。詰めが甘いんじゃないのか?」


 真顔で言い合う偽造母娘に、レイは砂漠でグロテスクな魔物を見た時と同じ表情をした。


「まぁ取り敢えず王都に入るまでは私たちは母娘ですからね、メイアちゃん」

「うむ、わかったぞママ」

「そんな亭主関白な未就学児がいますかっ」

「ごめんねぇママ」


 王都の中へ入るまで、人目につく場所では健気に幼子を演じる元魔王であった。

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