第21話 三章 元魔王の仲間にしてもらったけど扱いがひど過ぎて困っている(3)

翌日、一行は進路を真北に取り大型の魔物のようようよいる砂漠地帯へ向かおうとしていた。


 レイは最後まで安全な迂回路を取ることを強く主張したが、メイアとルシエの数の暴力の前では無力であった。


「なぜ避けられるリスクをわざわざ背負うんだ! 意味がわからない! 元魔王のくせにリスクマネジメント能力もないのか⁉︎ いいか、俺は断固として迂回する方を選ぶぞ!」

「わかった。それじゃあ一人で迂回していろ」

「短い間でしたが、どうかお達者で」

「おぉい! なに自然に別れようとしてるんだ! 俺が一人で生きていけるわけないだろ!」

「そろそろ自分のクズさ加減を隠さなくなってきたな」

「いっそ清々しいですね。クズですけど」


 もはや息をするようにレイを罵倒するメイアとルシエである。


「俺はクズなんかじゃ――」

「クズでないと言うのなら」


 メイアは蔑むようにレイを見下す。


「昨晩わたしが払ったお前の分の食事代と宿代、即刻払ってもらおうか?」

「――クズなんかじゃないと思ったけど、他人からそう見えるのならやっぱりクズかもしれないよね。そして俺は無一文なんだよね」


 レイは飄々とのたまった。


「普通にクズですね」


 外面の良いルシエですら、レイに対して言葉のナイフを振るうことにためらいがなくなっていた。


「ええい、今は金を払う払わないの話をしているのではない! 無駄にリスクを背負うことはないという話だ!」

「金の話になるとあからさまに話題を逸らす。最低の男だ」

「無一文ですからね。そうやってのらりくらりと支払いを先延ばしにする手口です」


 ひそひそと聞こえるようにメイアとルシエはレイをこき下ろした。


「本人の目の前で陰口を叩くな!」


 この後も延々と脱線した話が元の軌道に戻るのにかなりの時間を要した。




「リスクリスクとお前は言うが、いったい何をそんなに恐れているのだ」


 魔物の住みやすい地域ナンバーワンの砂漠地帯を迂回するか否か? という本題に戻ってきたメイアは、解せぬ、といった表情でレイに問いかけた。


「いやだって大型の魔物がたくさんいて、軍隊でもない限り普通は通らないって、お前たちが言ったんじゃないか!」


 そう、王都までの事前情報としてメイアたちは軽く魔界事情をレイにレクチャーしていた。

 

 そして現在目と鼻の先にある砂漠地帯は、実に危険な場所であるかのような口振りで説明されていたのだ。レイとしては当然避けて通ることになると思っていた。

 

 が、今朝宿を出て馬車に乗り、御者に指示を出す段になって「進路はこのまま北に。砂漠を突っ切って行きます」などと、ルシエが涼しい顔で言うものだから「ちょ、ちょっと待ったあぁぁ」とレイは割り込まざるを得なくなったのであった。


「なんなんだ、お前たちは! あれだけ危険だの、踏み入れたが最後常人は死ぬだの、さんざん俺のことを精神的に追い込んでおいて! 今度はそんな死地に俺を追い込もうというのか⁉︎ この魔王めっ、やはり魔王は悪だっ!」


 レイはまるで親の仇のようにメイアたちを睨む。


「……どうやら精神的に追い詰められたせいで情緒が不安定になってしまっていますね」


 ルシエは冷静に荒ぶるレイを分析する。


「いや、ストレス耐性なさ過ぎだろう……」

「とにかくっ! 砂漠を突っ切るのは絶対に反対だっ!」


 呆れ返るメイアに向かって、レイは吠えた。さながら怯えた子犬のようであった。


 全身の毛を逆立てて威嚇する子犬と化したレイに向かって、メイアは無慈悲な声で告げる。


「お前は今わたしに対して負債を抱えている。つまりわたしの方が立場は上だ。これが何を意味するかわかるか?」

「ぐるるるるぅっ」

 

 文字通りレイは唸った。


「昨日の夜、お前が尻尾を振ってわたしの財布から出た夕食にありついた時点で、お前に拒否権などないのだ……! せいぜい過去の自分のいじましさでも呪うがいい!」


 その顔に悪の権化のような表情を浮かべ、メイアはレイを見下ろす。


 レイの耳にはそれは死刑宣告のように残酷に響いた。


「……くぅ」


 悲しげに一声鳴いてうなだれたレイを詰め込んで、かくして危険な砂漠地帯へと馬車は乗り出していったのであった。




 馬車に揺られること数時間、一行は、レイの懸念をよそに何事もなく穏便に砂漠を進めていた。

 この頃になるとようやくレイにも余裕が生まれてきたのか、「一面砂で埋め尽くされているというのもなかなか乙なものだな」などと旅行気分丸出しの言葉を吐いたりしている。


「ところで、あとどのくらいで砂漠を抜けるんだ?」

 

 レイは振り返って尋ねる。

 対面でぼんやりとしていたメイアは「そうだな」と顎に手を当てた。

 

「まあ、明日中には抜けるんじゃないか?」

「そんなにかかるのか⁉」

 

 おおらかな回答にレイは目を剥いた。

 

「……ずっと一面の砂景色なんてうんざりするな」

「さっきと言ってることが真逆だぞ」

「だってずっと変化がないのが続くんだろう? 退屈だ」

 

 と、その時であった。

 ぴくり、とメイアの片眉が跳ねた。

 

「……これは」

 

 メイアが小さく呟くのと同時に、下――砂の海の中を、大きな何かが蠢いてでもいるような振動が馬車に伝わってくる。

 

「え……も、もしかして。魔物、か……?」

 レイは途端に色をなくしてごくり、と大きく喉を鳴らした。

 

「お前が変化がなくて退屈だっていうから、遊びに来てくれたみたいだぞ。良かったな」

 

 顔面蒼白なレイとは対照的に、メイアはゆったりと座席に背中を預けながら言った。

 

「ぜ、全っっ然良くないぞ! なんでそんなに余裕ぶってるんだ⁉ ほらっ、どんどん揺れが大きくなってる!」

 

 見れば、レイは舌を噛みそうなほどがくがく揺れている。

 

「安心しろ、単にお前が震えているだけだ」

 

 魔物が起こす揺れよりも大きな身震いであった。

 

「あ、あれ、なんか揺れが小さくなってないか?」

 

 レイは口にすればそれが真実になる、とでも言うようにメイアとルシエを交互に見遣る。

 

「……そうですね、恐らくそろそろ」

 

 ルシエがそう言って馬車の前方に目を向けた瞬間――

 

 ドッッ――‼ と大きな砂の柱が噴き上がり、馬車は急旋回して勢いよく停車した。

 

 そこから現れたのは馬車の五倍程もある巨大なサソリのような魔物であった。鋭い棘の付いた尾が激しくしなる。

 

「なんだよほおぉぉ……」

 

 遠心力で窓にべっとりと顔を押しつけられながら、レイは空気の漏れたタイヤのような情けない声を上げた。

 

「良かったな。友だちのお出ましだぞ」

 

 メイアが元気づけるように言うが、全然効果はないようだった。

 

「……俺には友達はもういないんだよぉ」

 

 その声にはもう悲しみしかなかった。

 レイは諦めたように座席で体を丸めて怯えている。

 

「なあ、レイ」

 

 メイアは座席に沈み込むレイに静かに語りかける。

 

「お前は勇者を目指しているんじゃなかったのか? 大事なものを守るために戦うんじゃないのか? こんなところで何もせずに怯えているのが、お前の戦いなのか」

 

 メイアの言葉にレイの縮こまった方が微かに震えた。

 

「…………わかってるんだよ、本当は。俺は強くもないし、立派な人間でもない。メイアが言っていたように一人じゃ何もできないダメな奴だ。あんなでっかい魔物になんか勝てっこないし、そもそも立ち向かえる気もしない」

 

 でも、とレイは俯いていた顔を上げる。唇は震え、怯えたように歪んだ表情。けれど、その目には恐怖でも拭い去れない光が宿っていた。

 

「でもっ、こんな怖くて震えてる今でもっ! 想像してるんだ、頭の中では。あんな化け物にだって堂々と立ち向かっていける自分を――目の前に立ち塞がるどんな障害も乗り越えていける強い自分をっ!」

 

 声は震え、体も震えている。それでもメイアは――

 

「立て。レイ」

 

 全身に力が入らないぐにゃぐにゃのレイを引っ張り起こす。

 

「でも」

「なりたい自分がいるのだろう」

 

 メイアはレイの瞳の奥を覗き込んだ。強い、眼差しであった。レイは一瞬息を止められたような気になる。

 

「なりたい自分になるにはどうすればいいと思う?」

「……なりたくても自分じゃどうにもならないこともある」

 

 バチン、と大きな音が響き、ゆっくりと近づいてきている大サソリの様子を窺っていたルシエが何事かと振り返る。

 

 メイアはレイの頬を両手で強く打っていた。

 

「ひたひ」

 

 顔を左右から挟まれながらレイは俯く。

 それをメイアは力ずくで上を向かせる。

 

「どうにもならないことなんてない。お前は本当にそう思っているのか?」

「……俺は勇者の器なんかじゃないって、今までずっとそう言われてきたんだ」

「――っ、だから、それがなんだというのだ! お前がなるべきお前を、他人の評価になんか任せるな! お前自身で選んで、そうやってなりたい自分になっていくんだろうが!」


 一言一言を刻み込むように、メイアは言葉を紡いだ。

 そしてしゃべり疲れたように大きく肩で息をする。

 

「メイア……」


 レイは驚いたように瞳を大きくした。

 

「なんだ」

「俺のことをさんざんバカにしてきたお前がそんなこと言っても、全然説得力ないぞ」

「この空気で普通にダメ出しをするな!」

 

 メイアはボカリとレイを殴る。


「いや、でもメイアの言う通りかもしれないな。俺は、勇者になりたいって言いながらも、どこか諦めていた気がする。でもそれじゃダメなんだよな」


 今度はしっかりと自分の足でレイは立った。


「弱くても、心まで弱いままじゃいられない。だって、勇者になりたいと思ったのは――選んだのは自分なんだから」


 レイは馬車を降り、そのまま大サソリの元へと向かっていく。


「うぉおおおお‼︎」


 腰の剣を抜き放ち、レイは突進した。


「……いいんですか、メイア様?」


  ルシエはメイアを振り返る。


「いいんだ。これがあいつの選んだ答えなのだから」


 メイアの双眸は優しげな色を湛えて、一歩踏み出したレイの背中を見つめていた。


「いや、あの、そういう精神的なことではなく」


 ルシエは大変言いにくそうに、だがスパリと言う。


「弱いので普通に死にます」

「ぎゃああぁぁぁうぁぁ!」


 真顔でルシエが言い切ったのと同時に、レイの悲鳴が響き渡った。


 二人が見ると、大サソリの鋏で掴まれ今にも捕食されそうであった。


「やっぱ弱いのは致命的だな……」


 メイアはがっかりと肩を落とした。


「文句言ってないで助けますよ、焚きつけたのはメイア様なんですからっ」

「しようがないなぁ」


 ぶうたれながらメイアは馬車を降り、中空に手をかざす。そのまま凛と透き通る声で詠唱を始めたところで、


「メイア様メイア様っ! 悠長に詠唱なんかしてたら食べられちゃいますよ! ほらっ、レイさんがもう完全に諦めきっていっそ安らかな顔してます!」


 ルシエに急かされ、メイアは渋々詠唱を取りやめた。

 実はこの詠唱はあってもなくても関係ないもので、単純にあった方がかっこいいという理由だけで、メイアがわざわざ考案したものであった。


「まったく世話をかけさせおって。お前を安らかに死なせてたまるかっ!」


 詠唱を邪魔されたメイアは代わりに物騒なセリフを吐きながら炎の槍を顕現させ、今にもレイを丸呑みしようと開かれた大サソリの口に、過たず投擲した。


 大サソリに当たった瞬間、炎の槍は大サソリを巻き込んで爆散した。


 爆風で人形のように宙に舞い上がるレイ。


「おー、お見事ですメイア様」

「うん、後は頼んだ」


 パチパチと賛辞を送るルシエに手を振るとメイアは馬車へと戻っていく。


 ルシエは予測した落下地点までとっとっとっ、と駆けていくとドレープを広げて落ちてくるレイをキャッチした。


「お怪我はありませんか?」


 優雅に微笑むルシエの言葉に、レイは顔を覆った。


「こころがいたい」

「じゃあ大丈夫ですねっ」


 満面の笑みであった。

 その後馬車は再び走り出し、暮れかかる砂漠を進んでいった。そしてレイの心は辺りの景色のように乾ききっていた。

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