第20話 三章 元魔王の仲間にしてもらったけど扱いがひど過ぎて困っている(2)
メイアたちのいた南の地から王都までは、真っ直ぐに北上すれば馬車で五日程度の行程である。
しかし、丘陵地を抜けた先、交通の要衝である宿場町の北には広大な砂漠地帯が広がっている。その砂漠地帯には凶悪な大型の魔物の巣が多く存在するので、ほとんどの旅行者や商人は砂漠の外縁をぐるりと巡る迂回路を通ることになる。砂漠を突っ切って移動するのは重装備の軍隊くらいのものだ。そうして迂回して行くと、王都までは十日程で辿り着く。途中に設けられている外壁と内壁の砦を抜ければ、魔王城のお膝元・王都まであと一息といったところだ。
日も暮れかかる頃、起伏の多い丘陵地を結構な速度で駆け抜けた馬車の中で、レイは半死半生の体でぐったりとしていた。
「今日のところはこの先の宿場町で宿を取りましょう」
「そうだな、そうしよう」
ぼんやりと窓の外を眺めていたメイアは緩慢に頷いた。
レイはぐったりしている。
「どうしたのですか、メイア様?」
「いや……戦争をしているということを、内地の景色を見ていると忘れそうになるな、と。それくらい平和に見える」
宿場町に入り徐行する馬車の左右には商店や宿が軒を連ね、熱心に呼び込みや接客をしている。
ルシエは憂いを孕んだ主人の横顔をそっと見遣る。
「それは前線で敵の侵攻を食い止めているからですわ。一度突破されればここだけでなく平和そのものの南の地だって無事では済まないでしょう。魔王城内部に内通者がいるとわかった今、それも近い未来のことかもしれません」
「…………わかっているさ」
メイアは硬い顔で頷いた。
レイはぐったりしている。
しばらくして馬車はゆっくりと停止した。
「では、宿を探して参ります」
「わたしも探すぞ」
そう言って座席を立とうとするメイアを、ルシエは押しとどめた。
「いえ、メイア様はレイさんを見ていてあげてください」
「えぇ……」
「お願いしますね」
念押ししてルシエは雑踏の中に紛れ込んでいった。
残されたメイアはぐったりしたレイに目をやると、再び窓の外に顔を向ける。
「なぁ、レイ」
メイアは初めてレイの名を呼んだ。それは夕暮れの陽射しのように少し温かく響いた。
「……なんだ?」
「人間界はどんなところなんだ?」
レイは思わぬ質問に身を起こす。
「どんなところって…………どうして急にそんなことを」
「知りたいんだ。どんなところで、人々はどんなふうに暮らしている?」
メイアは真摯な目を町の風景に向けていた。
「……別に変わらないよ」
「えっ?」
レイも同じ様に窓の外の行き交う人々に目を向けながら答える。
「この町の人たちと変わらないよ。同じ様に働いて、飯食って、毎日を過ごしてる。ほんとに俺は魔界の風景を見ているのかと、信じられない気分だ。小さい頃から魔界は恐ろしいところだとずっと思っていたんだ」
レイは真剣な眼差しをひたとメイアに注ぐ。
「お前だってそうだ、元魔王」
「わたしがどうしたのだ?」
「俺は、魔王っていうのは残虐非道で極悪な化物だと思ってた。みんなそう聞かされて育ったんだ。それを倒す勇者こそ正義だと。ところがどうだ、お前なんてただの女の子じゃないか」
「おい貴様ケンカを売っているのか?」
すぅ、と目を細めるメイアに、レイは慌てて首を振る。
「違う、そうじゃない! そうじゃなくて俺が言いたいのは」
「なんなのだ」
「言いたいのは…………その、全然想像と違ってたってことだよ」
「それは、残虐非道で極悪な人の血肉を啜り骨を楊枝代わりにする化物ではなかったということか」
「そこまでグロい想像はしていないっ」
「……がっかりしたか? 元魔王がこんな小娘で。まぁこれでもお前より数百歳は歳上だが」
メイアはからかうような笑みを浮かべたが、そこにはほんの少しの寂しさのような色が混じっているようだった。
「がっかり……か。というよりも、なんだかよくわからなくなったのかもな」
ぽとり、とレイは小さく漏らした。その顔は幼い子どものように途方に暮れているようであった。
「だって悪の権化だと思っていた魔王が、小さな村のために必死になってて。そんな姿を見たら――大事なものを守ろうとするその姿を見たら、そんなの俺たち人間と何も変わらないって思っちゃうじゃないか。何を犠牲にしても倒さなきゃいけない程悪い奴だなんて、思えないだろ……」
レイは堰を切ったように言葉を吐き出し続けた。
メイアは彼がどんな想いで勇者を目指してきたのか知らない。けれど、これまでの価値観を真っ向から否定するようなものでも、彼はそれをしっかりと見つめていたのだ。悩んでいたのだ。
「……ほんとにお前は今までの勇者とは違うな」
メイアの呟きにレイは自嘲気味に笑う。
「なんせ無免許だ。きっと本当の勇者はこんなことでくよくよ悩んだりしないだろう。あいつのように。良くも悪くも真っ直ぐだ」
でも、とレイは強く言葉を継いだ。
「でも俺は、自分で考えて、悩んで、そうして出した答えを大事にしたい。そんな勇者に、俺はなりたいんだ」
馬車のすぐ外では人々が騒々しく行き交う。活気のある売り子の呼び声。ガラの悪い怒鳴り声。そんな日常の中でもきっと、誰もが悩みを抱えている。それは多分ちっぽけで、魔界や人間界という大きな尺度で見れば本当に取るに足らないもののように思える。
けれど、魔王も勇者も、そんなご大層な肩書きを持つ前にただ一人のちっぽけな存在なのだ。その点では魔王も勇者も、魔界も人間界も何一つ変わりはしないのかもしれない。
メイアは再び窓の外に目を凝らした。この風景と同じような営みが、争いいがみ合う地でも行われているのかと思うと、不思議な気持ちで胸がいっぱいになった。
きっと争い自体はそう易々とはなくならないだろう。けれど、メイアとレイが出会い感じたように、どこかでわかり合える日がくるのではないかと、そんな予感をメイアは抱いたのだ。
「自分で考えて悩む、か。ふふ、そんなかっこ悪い勇者がいてもいいかもしれないな」
メイアの笑顔は柔らかな夕暮れの陽射しと溶け合って、レイの胸に染み込んだ。
その温かさはきっと、勇者としての素質を否定され続けた自分を、少しだけ肯定してもらえたような気がしたからだったかもしれない。
「あっ、ルシエが帰ってきた」
窓越しに通りの向こうから手を振るルシエの姿を見つけて、メイアは声を上げた。
馬車の扉を開け、地面に降り立つ。これまで一枚隔てられていた喧騒が、ひしひしと押し寄せてくる。
メイアは振り返り、手を差し出した。
「行くぞ、レイ。ルシエが待っている」
「……ああ、メイア」
レイは頷いてその手を取った。
その瞬間に世界は、少しだけ大きく、色づいたのかもしれない。
それはきっと、二人が肩書きではなく互いの心に少しだけ触れた輝きだった。
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