第16話 二章 倒した勇者が弱いくせにしつこくて困っているのだが(10)

 村の風上に位置する丘で、自称勇者一行は村人の避難誘導、安否確認を行っていた。


「全員無事みたいだな……ったく、なんで俺たちが元魔王に従わなきゃならんのだ」


 ぶつぶつ言いながらも自称勇者は任された仕事をきっちりこなしていた。

 しばらくして、遠目からでも村の火が消し止められた様子がわかりほっとしていると、突然轟音と共に火柱が立ち昇る。


「なっ、なんだあ⁉︎」


 村人と共に怯えた声を上げる自称勇者一行。

 一難去ってまた一難か、と誰もが怯えた表情を浮かべている。


「あぁ、メイちゃん……ルーちゃん……どうか、どうか無事で――」


 自称勇者の耳にそんな震え声が飛び込んでくる。

 側では恰幅のいい女性がくずおれるようにして両手を合わせていた。

 横では夫らしき人物が背中をさすってやっている。


「ご婦人、あの――えーと、少女……? たちと知り合いですか?」


 自称勇者はその痛ましい姿に思わず声をかける。女性はがばっと身を起こすと、自称勇者に詰め寄った。


「あんた! あの子たちがどこにいたか知ってるのかい?」

「どこって……恐らくあっちに」


 自称勇者は馬鹿正直に火柱が上がった方を指差す。

 女性は血相を変えると、つんのめるように駆け出した。

 夫らしき男性も慌てて後を追いかける。


「あっ、ちょっと、どこへ行くんです⁉︎」


 女性は呼びかけにも振り返らず、真っ直ぐに村の方へと向かって行く。


「あぁ! まったく!」


 村人の安全確保を任されている自称勇者は仕方なく二人を追いかけた。




 一方その頃、メイアはと言えば、


「ふはははははははっ!」


 燃え盛る炎の中で高笑いしていた。炎に巻かれながら高笑う少女の姿とは、一種壮観である、とルシエは思った。


「ようやく本気を出せるぞ! 今までのまだるっこしいチャンバラごっこの鬱憤を存分に晴らしてくれるわ!」


 そして高笑い。噴き上がる炎。もはや完全に悪の魔王といった風情である。


「……けっ! 何が真の力だ? ただの虚仮威しの火遊びじゃねぇか!」


 傲岸な口調こそ崩しはしないが、勇者の瞳孔は大きく開いている。相対している少女への底知れぬ恐怖が、彼の心に忍び込んできていた。


「虚仮威しかどうか、試してみるか?」


 メイアはいやに優しく尋ねると、答えを待たずに凛と通る声で何かを唱え始める。

 それは妙なる調べのようでありながら、聴く者の臓腑を冷えた手で撫でるような、美しくもぞっとする何かであった。


 勇者は手元でカチカチと鳴る音にふと下を見る。剣を握るのも覚束ない程震える自分の手があった。


「く……っそがぁぁ」


 湧き上がる恐怖に抗うように、勇者は無理矢理に剣を構え突進した。

 しかし、メイアの周りに渦巻く炎と熱波に阻まれ後退を余儀なくされる。


 そしてメイアの詠唱が止む。一瞬訪れる沈黙。やがて、ゆっくりと彼女の周りの炎が揺らめいて凝集し、意思を持ったように形を取り始めた。メイアの十倍程の体長に膨れ上がったそれは、燃え盛る鉤爪と牙を持つ炎鬼。


 メイアは片手を広げ、その掌を勇者へと向ける。それに呼応するように炎鬼はゆっくりと勇者へと近づいて行く。その渦巻く炎の腕を勇者目がけて振り上げた。


「くっ――ぉおおお!」


 しゃにむに飛びかかろうとした勇者の体に、振り下ろされた炎鬼の一撃が炸裂した。巻き起こる爆炎。立ち込める煙。焼け焦げた匂い。


 やがて煙が晴れると、炎に巻かれた体を抱えてうずくまる勇者の姿が現れた。


「どうやら勝負あったようだな」


 自分の口にしたのと全く同じ言葉を投げかけられ、勇者の顔が屈辱に歪む。


「……この手は使うつもりはなかったが……くそっ」


 勇者は苦痛と屈辱に顔を歪めたまま吐き捨てるように言うと、腕輪の中央に嵌る宝玉に手をかざす。と、それは微かに発光し始めたかと思うと瞬く間に眩い程の光となり勇者の体を包んだ。


「いったい何事だ⁉︎」


 メイアは光を直視できずに顔を背けながら叫んだ。


「……この借りはいずれ必ず返す」


 どす黒い憎悪を孕んだ勇者の声が聞こえた次の瞬間にはもう、光は収まっており、そこに勇者の姿はなかった。




 喧騒が去ると、黒ずんだ家の亡骸が佇む村に人々が少しずつ戻ってきた。

 ルシエはメイアにこの場を離れた方が良いのではないか、と提案したが、メイアは静かに首を振った。


「いいのだ。わたしのせいでこんなことになってしまった。もう素性を隠してまでここにはいられない」


 真っ先に戻ってきたのはロイとハンネ夫妻、そして自称勇者であった。

 彼女は黒焦げの四つ辻に立ち尽くすメイアたちの姿を見つけると、一目散に駆け寄って何も言わずに強く抱きしめた。

 ルシエも黙って彼女の背中に腕を回した。


「……無事で良かった、ハンネ。ロイも」


 メイアはじっとハンネの胸に抱かれながらぽつり、と漏らした。それはただ一人の少女であるメイアの偽らざる本音であるように響いた。


「こっちのセリフだよ! あんたたちが火事に巻き込まれたんじゃないかって、死ぬ程心配したんだよ!」

「……違うんだ、ハンネ。巻き込んだのはわたしの方なんだよ」


 そう言ったメイアはハンネの胸の中でくしゃり、と泣きそうに顔を歪めた。


「どういうことだい?」

「それは今から話す。できれば村の皆に聞いてもらいたい」


 メイアは優しくハンネの腕を外しながら言った。

 

 その後、四つ辻に集まった村の人々にメイアは語った。


 自分が元魔王であることを。


 最初は誰も信じなかったが、メイアが空に向けて火柱を上げると皆神妙な顔をして黙り込んだ。こんな魔界の南端でも『深紅の炎』の二つ名は余りにも有名であった。


 そして、今回の火事は自分を狙う者が起こしたことを話すと、メイアは迷うように一度言葉を切った。傍らのルシエを見、ロイとハンネ夫妻を見る。そして迷いを断ち切るように唇を一度引き結ぶ。


「……わたしがここにいる限り、今後もこのようなことが起こらないとは言い切れない。だからわたしはこの地を去ろうと思う。その前に二言、別れと感謝の言葉を言いたかったのだ」


 聡いメイアには、彼女たちがこの地を去ると聞いて安堵の表情を浮かべた者が少なからずいたことがわかっていた。


(……仕方のないことだろう。元魔王なんて素性の奴が近くにいたら誰だって厭わしく思うというものだ。そのせいで自分たちの住む村の平和が脅かされたのだからなおさらだろう)


 気丈にそう思おうとしながら、メイアは胸の内の、このところずっと温かな感情がこんこんと湧き出ていた泉が凍てついていくような心持ちがしていた。


 なんだかとても空寒い気がした。

 それでも、メイアはその頬に笑みを浮かべて言う。


「今まで、こんな素性の知れないわたしたちと仲良くしてくれて、ありがとう。この地で過ごした時間は短いものではあったが、わたしにとって他の何物にも代えがたいものであった」

 

 そして。メイアは言葉を切る。意図的ではなく、ただ胸がずきりと痛んだからであった。

 

「さようなら」

 

 頬に浮かべたはずの笑みはとうに歪んでいて、それを見られまいと、メイアは踵を返す。

 

 メイアはそのまま振り返らずに歩いた。丘を越え、ここまで来れば振り返っても見えるものは何もない、というところまで歩いてようやく振り返る。すると――

 

「――メイア様ああぁぁぁうあぁぁ」

 

 号泣しているルシエの顔が見えた。

 

「うわあ、なんだお前は! 汚いだろうが!」

 

 顔中ぐしょぐしょのまま抱きついてこようとする侍女を、メイアは腕を突っ張って押しとどめる。

 

「だってぇ、メイア様がせっかく仲良くなれた人たちとお別れしなくてはいけないなんてぇぇぇ」

「鬱陶しいな、このお節介ばあやめ!」

「ばあやじゃないですぅぅ」

「はぁ…………もういいからさっさと顔の汁を拭け。行くぞ」

「……ぐしっ、行くってどちらへ?」

 

 びしょびしょの顔をハンカチで拭ってルシエは尋ねる。

 

「取り敢えず、ここではないどこかへ」

「……今さら思春期ですか?」

「やかましい!」

 

 やんややんやと二人で言い合っていると、「おーい」と丘の上から呼ぶ声がした。

 

「この声は」

「ええ、あの無免許の」

 

 二人は顔を見合わせどちらからともなく早足で歩き始める。

 

「おいっ! ちょっと、俺だよ! 待てって! ちょ……お願いします待ってください!」

 

 構わずに歩を進めるメイアたちに追いつこうと、自称勇者とその一行は転がるように丘を駆け下りてくる。

 

「はぁ……ちょお、待ってって何度も……言ったじゃん……」

 

 ようやく追いついた自称勇者は膝に手を当てて呼吸を整える。

 

「なにか用か? 身分詐称男」

「ひどい!」

「それ、ブーメランですよ。メイア様」

「……おいルシエ、傷心の主に対して配慮が足りないぞ」

「笑い話にしてしまった方が傷も浅いかと思いまして」

「ははは、それもそうだな」

「おい! 俺の存在を忘れたように話し込むなよ!」

 

 メイアはげんなりした顔を自称勇者に向ける。

 

「遠回しに『いなくなれ』と言っているのがわからんのか」

「いや直接言っちゃったよ!」

「つい」

「どんだけ俺のこと嫌いなんだよ!」

「まあ好きではないな」

「初対面ですし」


 にべもない元魔王とその侍女に、自称勇者は地団駄を踏んだ。


「俺の話を聞け!」

「聞いたら帰るか?」


 メイアは真剣な顔で尋ねる。


「帰したがり過ぎだろ!」


 ひとしきり騒いで疲れたのか、自称勇者は自分を落ち着かせるように深呼吸した。


「ときに元魔王。これからどこへ行くのか決まっているのか?」

「おいおい、話を聞いてやろうとしたら即脱線か? どんな育ち方をしたらそんな人間になるんだ?」

「……頼むから、少しだけ素直に俺と接してくれないか?」

「しょうがない、三分だけだぞ」

「短いなっ。まぁいい。それで、どうなんだ?」

「決まっていてもお前に教える義理はない!」

「素直とは⁉︎」


 まあまあ、と睨み合う二人を宥めるようにルシエが間に割って入る。


「落ち込んでいる時のメイア様は、ちょっとだけ他人に対する当たりがキツくなるんです。繊細な女の子の気持ちを推し量って、どうかお許しください」

「これでちょっとだけ⁉︎」

「はい。普段から当たりはキツい方ですので。あと、行き先ですがまだ決まっていませんよね、メイア様?」

「そうだな。どこへ行こうかルシエ」


 侍女には素直なメイアに、自称勇者はぷるぷると拳を震わせる。

 なんとか意思の力で怒りを鎮めると、自称勇者はにやり、と意味ありげな笑みを浮かべた。


「それなら俺と取り引きしないか?」

「取り引きだと? 却下だ」


 メイアはばっさりいった。


「せめて内容は聞きましょう」


 ルシエがとりなす。


「内容はこうだ。俺が目的地を決めてやる。その代わりに俺も一緒に連れて行け――あ痛」


 言い終わらぬうちにメイアの拳が飛んだ。


「なんでそんな偉そうなんだ貴様。目的地くらい自分で決める」

「違う違う、目的地を決めるのに役立つ情報をあげよっかなーっていう意味でっ」

「それなら最初からそう言え」


 またポカリと一発。


「メイア様、いじめっ子みたいなのでやめましょう」


 ルシエにたしなめられ、渋々拳を収めるメイア。


「で、情報とはなんなのだ?」


 自称勇者は待ってましたとばかりに勿体つけて口を開いた。


「どこから魔王メイアの情報が勇者に漏れたか」


 メイアとルシエはぴくり、と反応した。


「どうだ? これを教える代わりに俺も一緒に連れて行ってくれないか?」


 身を乗り出す自称勇者、引き気味のメイア。


「情報だけでいいのだが」

「もれなく俺がついてくる」

「いらないと思ったら返品は」

「不可だ」

「捨てても?」

「いつか持ち主の元へ返ってくるぞ」

「……呪いの人形か何かか、貴様?」

「どうする? 俺はしつこいぞ」


 どこか勝ち誇ったように胸を張る自称勇者。


「それだけはもう十分知っている」


 メイアは深い深いため息を吐いた。


「ルシエ」

「はい、メイア様のお気に召すままに」

「全然召さないのだが」


 にこり、と微笑むルシエにメイアは肩をすくめる。


「はぁ……おい、自称勇者! 名は?」


 突然のことに自称勇者はアホみたいな面をした。


「名前を訊いている。これから一緒に行動をするのにいつまでも自称勇者じゃ呼ぶのが面倒だろうが」


 ぶっきらぼうな承諾の言葉に、自称勇者は相好を崩した。


「俺の名はレイ! 勇者レイだ!」


 メイアは頷く。そして――


「そうか。おい、お前。さっさと行くぞ」

「名前を聞いた意味は⁉︎」

「呼ぶとは言っていない」

「メイア様は照れているんですよ」


 こうしてメイアは村での普通の幸せを失った代わりに、自称勇者――レイを仲間に加えたのであった。

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