第14話 二章 倒した勇者が弱いくせにしつこくて困っているのだが(8)

村は燃え盛る炎と混乱に包まれていた。


「おい! 水持ってこい!」

「無理だ! 火の回りが早過ぎる!」

「家が! 崩れる……!」


 辺りに悲鳴と怒号が飛び交う。


「おい、ルシエ! 消火だ! 急げ!」


 村の惨状を目にしたメイアは夢中でルシエに指示を飛ばした。


「けれど、メイア様! ここで魔法を使えば私たちの正体がバレてしまうかもしれません!」


「そんなことを気にしていられる状況か!」

 

 メイアは大声で怒鳴る。


「そうなったら、もう今までのようにこの村の人たちと接することができなくなるかもしれないんですよ? いいのですか、メイア様?」


 ルシエの言葉にメイアは一瞬、迷うように視線を泳がせる。村人たちは井戸水を桶に汲んでは必死に消火活動をしているが、その程度で消えるような規模の火事ではない。メイアは覚悟を決めるようにぐっと歯をくいしばった。


「今この村を救えるのはわたしたちだけだ! ここで動かなければ、それこそ村の者たちに合わせる顔がないだろうが!」


「……わかりました。ただちに消火にあたります!」


 ルシエは一度唇を引き結ぶと、三々五々動き回っている村人たちに向かって声を張り上げる。


「みな聞きなさい! 今消火活動を行なっている者は即刻中止し、怪我をしている者や一人では動くのが困難な者を連れて、火の回っていない風上に避難しなさい!」


 最前線の戦場でも轟く彼女の声に村人たちは呆気にとられたように動きを止める。


「ルーちゃんか……?」

「急にどうしたんだ……」


 村人たちは戸惑ったようにルシエを見る。


「何をしているのです! 早く言われた通りに動きなさい!」


 しかし再びルシエが声を張り上げると、村人たちは慌ただしく動き出した。

 今のルシエの顔は愛想の良い侍女のそれではなく、戦場の指揮官を思わせる厳格な表情を浮かべていた。


 村人を避難させたルシエは一番火の手が強い民家に向けて両手をかざす。


「――っ!」


 ルシエが深い呼吸とともに力を込めると、燃え盛る民家を一瞬にして水の膜が包み込み、蒸気を上げながら瞬く間に火を鎮めた。

 大気中の僅かな水分を凝集させ、増幅する彼女の水魔法の高等技術だ。


「さすがルシエだ。この調子でどんどん消火するぞ! わたしも手伝う」


 メイアも同じ術式で消火しようとするが、ルシエよりも苦戦しているようであった。


「メイア様は水魔法が苦手なのですから、私にお任せください」

「苦手でも多少はできる! 桶で水を掛けるよりはマシだろう――」


 そう言ってルシエの方へ顔を向けたメイアは驚いたように目を瞠る。


「メイア様――?」


 ルシエが口を開きかけた一瞬のうちにメイアは腰の剣を抜き放ち、一足でルシエとの距離を詰め――


 ガッッ――‼︎ と何者かによって背後からルシエめがけて振り下ろされた刃を、すんでのところで受け止めた。刃と刃のぶつかり合ったところから火花が散り、先程の自称勇者の突きを防いだ時とは比べものにならない程の鋭い衝撃がメイアの腕を貫く。


 メイアはそのまま剣を握る手に力を込めると正体不明の襲撃者を間合いの数メートル先まで弾き飛ばした。振り返ったルシエは驚いたように目を見開く。


「……メイア様、助けて頂いてありがとうございます」

「ああ……しかしいきなり斬りかかってきたところを見ると、どうやら消火活動のお手伝いに来てくれたわけではなさそうだな」


 そう言ってメイアは剣をぐっと体に引き寄せると、炎の生み出す陰影に沈んだ襲撃者に向かって声を張り上げる。


「貴様、何者だ! 火事に乗じて良からぬことを企てる不届き者か、あるいはこの火事を引き起こした者ではなかろうな?」


 メイアの瞳が射抜くように襲撃者を睨めつける。

 しかし襲撃者は肩を震わせ、くつくつと面白そうに笑った。


「あの男、不気味ですね……」

「まったくだ……おい! 聞こえなかったのか? 何者かと訊いている!」

「おいおい、人に尋ねる前にまず自分から名乗るのが礼儀ってものじゃないのか?」


 傲岸そうな口調で応えた襲撃者は数歩、メイアたちとの距離を詰める。炎が照らし出した男の姿はシンプルながら上質そうなマントに包まれていて、一見してこの辺りの者ではないとわかった。

 男は面白そうに言葉を継ぐ。


「いや、もう名乗ってもらわなくてもいいんだけどな。さっき、剣を交えてわかった」


 男の口がにたり、と笑みを作る。

 それを見たルシエは全身に怖気が立つのを感じた。


「――お前、魔王メイアだな?」


 そう言って男はマントを大きく払った。

 その腕には炎に照らされて輝く腕輪が――


「貴様、本物の勇者か⁉︎」


 その腕輪の輝きは遠目にもはっきりと本物だとメイアにはわかった。


「本物だぁ? どっかに偽者でもいるような口振りだなぁ――」

「おいっ、元魔王! お前、急に飛んでいくとかズルいだろう! ……って、お前は!」


 そこに自称勇者一行が息を切らして到着した。自称勇者は勇者の姿を見つけると、狼狽え怯えたような声を上げる。


「あ? なんで勇者でもないお前がこんなところにいるんだ?」


 勇者はギロリと自称勇者を睨みつける。

 現場には元魔王、勇者、自称勇者、という謎の三つ巴の図式が出来上がってしまった。

 どうやら面識があるような二人にメイアは困惑した。

 勇者はちらりと自称勇者の腰の剣に目を遣る。そして――


「まさかお前、魔王討伐に来たのか? 勇者になれなかった、落ちこぼれのお前がぁ?」


 嘲るような笑みを自称勇者に向けた。

 自称勇者は何も言わずに俯いたまま、ぐっと拳を握りしめる。


「……言い返さないのか? 事情は知らんがバカにされてるのだろう」


 メイアの問いかけにも自称勇者は何も言わずに、何かに耐えるように俯いている。


「言い返すことなんかないよなぁ? 俺が言っているのは事実だ! 俺が勇者で、お前は勇者になれなかった! それだけだ」


 勇者は唇を歪め吐き捨てる。


「落ちこぼれは落ちこぼれらしく、俺が魔王を倒すのでも眺めてな」

「やはり貴様もこの地に魔王がいると聞いていたのか?」


 メイアは勇者の注意を引く。


「あぁ。だが村人に訊いても知らないみたいだったからな。こうして騒ぎを起こしたら出てくるんじゃないかと思ったが、まんまと引っかかってくれて助かったぜ」


 勇者の言葉にメイアはピクリと身を震わせた。


「……つまり、貴様が村に火を放ったのだな?」


 押し殺したような静かな口調ではあったが、剣を持つ手は小刻みに震えている。怒りが、抑えられないというように。


「……? そうだが」


 勇者はそれがどうした、とでも言いたげに髪の毛をかき上げた。その余りにもどうでもよさそうな態度にメイアはギリッと奥歯を噛み締める。


「何の関係もない村人を巻き添えにすることに、貴様は何も感じなかったのか……?」

「弱者は強者に巻かれる。そして俺は強者だ。ただそれだけだろ?」


 勇者は傲慢な理論を掲げた。いや、それが傲慢であることにも気づいていないようですらあった。

 メイアは傍らのルシエに向き直る。その顔に浮かんだ怒りの表情に、ルシエは気圧された。


「ルシエ。お前は引き続き消火にあたれ。わたしはこいつの相手をする」


 ルシエは頷くと十分な距離を取り消火活動を再開した。


「おい、自称勇者一行! お前たちもぼさっとしてないでルシエを手伝え! 全ての住居に取り残されている者がいないか確認しろ!」


 メイアの有無を言わせぬ命令に一行はバタバタと走っていく。自称勇者は去り際にメイアに物問いたげな視線を送ったが何も言わずに駆けて行った。


「これで邪魔者はいなくなったなぁ」


 勇者は肩書きに似つかわしくない猟奇的な表情を浮かべる。


「……一つ確認しておく。わたしは魔王ではない。隠居して今では元魔王だ。だからわたしを倒しても得るものはない。それでも剣を収める気はないか」

「何をわけのわからないことを言ってやがる? もしや俺に恐れをなしたのか?」


 勇者はこれ見よがしに腕輪を掲げる。


「この腕輪はそこら辺の勇者が付けられるような普通免許じゃねぇ。勇者の中でも選ばれた者しか付けることを許されない大型免許だからな」

「いや、剣を収める気がないのならそれでいい。わたしも戦う気のない奴を手にかけるのは憚られると思っただけだ。貴様がその気ならわたしも気兼ねなく力を振るえるというものだ」

「……随分と上からだなぁ? 俺に勝てるとでも思っているのか?」


 勇者は不愉快そうに眉をぴくりと引きつらせた。


「貴様のような奴に負けることはないだろうな」


 口調は冷静だが、メイアの目には現役時代と同じく闘志の炎が燃えていた。


「……もういい。その口閉じてな。じゃないと舌噛むぜっ――!」


 ギラリ、と勇者の剣が不穏に閃き、メイアに向けて振り下ろされる。


「――っく!」


 メイアは打ち下ろされた刃を受け止め、真っ向から組み合った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る