第11話 二章 倒した勇者が弱いくせにしつこくて困っているのだが(5)


 こいつは本当に勇者なのか?

 メイアとしてはまずそこが疑問であった。


 先日の議長の話では、勇者は西の国境線に向かっているはずである。それなのに遥かに南に位置するこの地に勇者を名乗る男が現れた。不可解であった。


(もしや議長の掴んだ情報は目くらましで、勇者は人知れずこの地に迫っていたのか? ありそうなことではあるが、しかし……)


 メイアは釈然としない様子で考え込んだ。


「メイア様、もしかすると人間たちは知らないのかもしれませんね。メイア様が魔王を引退なされたことを」横からルシエがそっと耳打ちする。


 これまで魔王の引退とはすなわち、勇者に打ち倒される、ということであった。無論、勇者はこの報を持ち帰り、人間界に知らしめる。それに対し魔界では、まず先代魔王の息子あるいは娘を即位させ、戴冠式を執り行う。この式の様子は投影魔法によって人間界に強制的に中継される。これは、人間にとって恐怖の象徴である魔王が新しく誕生したぞ、というアピールに他ならない。しかし同時に、このサイクルによって人間は魔王を認識していたとも言える。


 その点において、魔王メイアの引退・隠居はイレギュラーであった。勇者に倒されもせず、新魔王の戴冠式も未だに行われていない。そんな状況ではメイアがまだ魔王の地位にあると、人間たちが認識していてもおかしくない。そうであるならば勇者がこうして現れるのも納得がいく。しかし。


「うーむ、だとしたら困ったな……」

 メイアは小声で唸った。


 もはや魔王でないメイアには勇者と戦う理由はない。勇者の方も元魔王を倒したところで、戦局の優位性も富も名声も、何一つ手に入らない。不毛にも程がある。


(取り敢えずこの場は適当にしらばっくれてやり過ごそう)


(仰せのままに、メイア様)


(わたしたちはただの村娘だ、いいな)


(御意)


 メイアとルシエはアイコンタクトで勇者への対応を定める。


 メイアは目の前の勇者をそっと窺った。高らかに名乗りを上げたそいつは、メイアたちがどんな反応をしてくれるのか、というふうに期待を込めた眼差しで見つめてくる。「きゃー、勇者? すごーい!」とでも言ってほしいのだろうか。だとしたら全然そんな気分じゃないので他をあたってほしい、とメイアは思った。

 

「あれぇ、勇者とかあんまり興味ないかな……?」


 メイアたちの反応がまるで芳しくないので、勇者はがっくりと肩を落とす。

 

「あぁ、いや……勇者は西の国境線に向かっていると聞いていたから驚いただけなんだ」

 

 余りにも落胆しているので気の毒に思ったメイアはフォローするように言った。途端、

 

(ちょ、メイア様! 何言ってるんですか⁉ ただの村娘がそんな戦略的な情報を知っているなんておかしいでしょう?)

 ルシエはバシバシと非難の視線を送る。

 

(あ、しまった)メイアは『やっちまった』という顔をした。


「……なぜそのことを知っている?」

 勇者も不審げである。


「えーと、あの、なんか風の噂で……」

 メイアはしどろもどろであった。


「怪しいな……いったい何者だ?」


 勇者はジトーッと目を細める。後ろの三人もなにやらひそひそ話し合っている。


「あー……ぐっ――」


 ルシエは口を開きかけたメイアの脇腹を肘打ちして黙らせた。そしてにっこりと顔面に笑みを貼り付ける。


「私たちはただの村娘ですわ。村って意外と色んな情報が入ってきますのよ?」


「そういうものか」


 納得した様子の勇者に二人はほっとした。が、勇者の後ろからひょい、と仲間の女が顔を出す。


「村娘にしては高そうな服着てない? あと言葉遣いとか仕草とかもいいとこのお嬢様っぽい」

 

女はルシエをじろじろと値踏みするように言う。


「おい、ルシエ」

 今度はメイアがどつく番であった。

「お洒落するのは構わないが、時と場所は選んだ方がいいぞ」


「すみません、メイア様」


「……なんでちょっと嬉しそうなのだ?」


「お嬢様みたいって褒められてしまったので」


 片頬に手を添えて上品に微笑むルシエ。確かにこんな村娘はいない。メイアは己の浅薄さを呪った。


「――待てよ。メイアに、ルシエだと?」


 勇者は何かに気づいたように声を上げる。


「ちょ、メイア様! なんで名前を言っちゃうんですか⁉︎」


「ええい、わたしのせいにするな! ルシエだってわたしの名前を呼んでただろうが!」


 醜い責任の押し付け合いを横目に、勇者は、はっ、と顔を上げた。


「思い出したぞ! その名前、『深紅の炎』の二つ名を持つ魔王メイア! そして『翻る死のドレープ』の異名を持つ魔界の狂戦士ルシエだ!」


「くっ、なぜバレたのだ!」


 メイアは悔しそうに歯軋りした。自分たちでボロを出しまくったのだから当然である。


 そしてルシエもまた悔しさと恥ずかしさで顔を真っ赤にしていた。


「な、なんなんですか、その死ぬほど恥ずかしい異名は⁉︎ あと狂戦士ってなんですか⁉︎ 狂戦士って! どう考えたって尾ひれが付いてますよね? 下手したら背びれも胸びれも! まったく失礼にも程がありますっ!」


「かっこいいじゃないか。なんだっけ、『引っかかる。木にドレープ』だっけ?」


「なんで倒置法なんですか⁉︎ 全然違います! それだとただ服が木に引っかかってる間抜けな奴みたいじゃないですか!」


「あれー、ここに来る時に服を色んなところに引っかけて文句言ってたのはどこの誰だったかなぁ?」


「う、それはもういいじゃないですか……もう、ここぞとばかりにバカにしないでくださいよぅ……」


 ルシエは顔を両手で覆ってしゃがみこんでしまった。自分のあずかり知らぬところで変な異名を付けられていたことが余程応えたようであった。


「でもどう見ても普通の女の子たちだよなぁ……」


「同名の別人……?」


 額を寄せ合って相談していた勇者一行だったが、とうとう結論が出たらしい。勇者は改めてメイアたちに向き直る。


「わかったぞ、魔王! 貴様らはそうやって可憐な少女の姿に身をやつし、俺たちが油断したところをザックリやるつもりだったんだな! なんと卑劣な! そのいたいけな仮面の下になんと恐ろしい本性を隠し持っていることか!」


 勇者は仰々しくメイアたちを断罪した。まったくの冤罪であった。


「ふっ、愚かな……勇者よ! 我の話をとくと聞け!」


「……メイア様、なんでそんなノリノリなんですか?」


 勇者に対し芝居がかった声音で応じるメイアにルシエは冷めた視線を送る。


「はっ、魔王時代のくせが……ほらっ、勇者と話す時はどうしてもかっこつけてしまうのだ……」


 我に返ったメイアは恥ずかしそうに髪の毛をいじる。


「じゃあとりあえずお茶でも飲みながら話すか」


 さすがに呑気過ぎる提案であった。


「おい! 俺たちは友達か⁉︎ 違うだろう! 魔王と勇者がすることと言ったら一つしかないだろう!」


「うーん、なんだろう……あ、自己紹介だな! まだちゃんとやってはいなかったからな」


 メイアの答えはやはり呑気であった。


「ちがーーう! 魔王のくせに勇者と馴れ合おうとするなよ! 戦えよ!」


 勇者は咆哮した。


 しかしメイアは沈痛な面持ちで応える。


「もう、わたしは戦えないのだ……」


 その余りにも痛ましげな表情に勇者は何かを察した。


「はっ、もしや魔王、お前怪我か病気で……」


「いや、至って健康だ」

 メイアはあっさり否定した。


「じゃあ戦えよ!」

 勇者は再び吠える。


「それはできない」


「……なぜだ?」


「隠居したからだ」


 一瞬の沈黙。そして勇者は困惑したように口を開く。


「……冗談だろ? 魔王が隠居?」


「うむ。だから元魔王だ」


「いやいや、騙されないぞ。そんなこと言って本当は人間を滅ぼすための準備とかをしてるんだろう!」


「そうだな……最近はもっぱら散歩と畑仕事と料理をしている」


「ただのスローライフじゃないか!」

 叫ぶ勇者。


「隠居だからな」

 当たり前だ、とばかりにメイアは頷く。


「そもそもなぜ隠居している?」


「国民の投票で決められたからだ」


「……あ、そう」


 勇者はしばらく困った様子で頭をかきむしったりしていた。


 メイアとしては言うことは言ったのでこのままどこへでもお帰り頂きたいところであった。しかし、その気持ちは勇者には届かなかった。


「――っ、このままおめおめと引き返すわけにはいかない! 俺は魔王を倒さないといけないんだ……!」


 そう言って腰の剣を抜き放つ勇者の顔には、悲壮な決意の色が滲んでいた。


 それを見たメイアもまた、息をぐっと呑み込むと静かに剣を構える。


「メイア様! あなたが戦う必要はありません!」


 ルシエの制止にメイアはかぶりを振った。


「いいや、必要なのだ。結局勇者と対話する方法など、わたしはこれしか知らないのだから。数百年、ずっとそうであったように」


「よく言った、魔王!」


 勇者は腰を落とし剣を水平に構えた。


「元、魔王だ」


 メイアも剣先を下に向けぐっと体に引き寄せた。闘争心が溢れ、みなぎる力に歓喜するようにメイアの四肢が粟立つ。


「いくぞ、元魔王!」


「こい、勇者!」


 二人の足が大地を蹴り、飛翔する。


 風を切り唸る刃が響かせる剣戟の音が、穏やかな南の空を引き裂いた。

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