第9話 二章 倒した勇者が弱いくせにしつこくて困っているのだが(3)

 それからというもの、村を訪れるのがメイアの日課となった。特にロイとハンネ夫妻とは何度も食卓を囲んで親しくなった。子どものいない彼らはメイアたちを我が子のように可愛がったのだ。そしてメイアも、彼らといる時は自分が元魔王であることを忘れ、屈託なく過ごすことができた。


 ロイの畑仕事を手伝い、ハンネに料理を教わり、笑顔の彼らと食卓を囲む。メイアはこんな生活も悪くない、と感じていた。魔王時代とは違った種類の、それでいて同じくらいの充実を感じ始めていたのだ。それはおそらく、普通の幸せのようなものであった。


 しかし、程よい疲れと満腹感に満たされて眠りに就く間際、メイアは時折どうしようもない程の焦燥に苛まれた。こんな平和はまやかしであると、内なる自分の声が意地悪く囁くのだ。


 全体的に見れば魔界は戦争で疲弊している。メイアのいる南の地には未だ戦火が及んでいないだけなのだ。それなのに安穏とした暮らしを享受しているのは、現実から目を逸らしているだけではないのか、と。


「わたしはもう魔王ではない。ただのメイアだ。魔界の行く末など、わたしにはどうしようもないのだ」


 そう、自分に言い聞かせるように布団を頭から被る。茶葉の香りが鼻腔いっぱいに広がり、メイアは顔をしかめた。


「何がリラックス効果だ、全然眠れないではないか。ルシエの嘘つきめ」


 お茶の葉の匂いのせいでむずむずする、と言い訳のような言葉を漏らし、メイアはすん、すん、と鼻をすすった。




 ところが、程なくして平和なメイアの隠居生活に不穏な影が落ちた。


「……不審者?」


「そう! なんか今日この辺りをうろうろしてたって。あんたたちは大丈夫だったかい?」


 いつも通りのロイの家での夕食の時間、ハンネがそんなことを口にした。


 メイアとルシエは顔を見合わせる。


「今知ったくらいだから大丈夫だ」


 メイアがそう答えてもハンネの表情は心配そうに曇ったままだ。


「でも女の子の二人暮らしなんて心配だよ」


「いやぁでも、魔王を探してるとか言ってたから俺らはそんなに心配することないんじゃないか?」


 ロイの言葉にメイアの喉がごくり、と大きな音を立てる。そしてルシエとそっと目配せすると小さく頷いた。


「魔王を探しているということは、この辺りに魔王がいるのだろうか?」


 メイアは慎重に言葉を選んで尋ねる。


 ロイは自信なさげに首をかきながら、


「いや、俺も聞いたのは人づてだからなぁ。魔王が人知れず隠遁してこの辺りで暮らしてる、とかなんとか。まぁ眉唾もんだな」


 いやドンピシャじゃないか! メイアはポーカーフェイスを装いつつも、心の中ではかなり動揺していた。


 乱れる心を落ち着かせようと、メイアはミルクの入ったコップを傾けた。はずだったが実際掴んでいたのはサラダボウルだった。ひどく動揺している。


 魔王が退位した、ということはすっかり知れ渡っているが、その魔王がその後どこへ行ってしまったのか、という点についてはごく一部の者しか知らない。


 そもそも歴代の魔王は生涯現役であったため、生きながらに魔王を退いた例はメイアが初めてであった。よってその後の処置も前例がなく、あまりおおっぴらにすることは避けた方が良い、という判断に至ったのだ。そうして隠居の手はずはひっそりと整えられた。

 メイアの素顔を知る者などほとんどいないため(魔王在職中は、指輪の効力でメイアの姿は誰の目にもおっかないものとして映っていた)、隠居さえしてしまえば素性がバレることなどないと思われていたのだ。


 メイアはいったいどういうことか、と思考を巡らせる。


(議会の連中なら先日の議長のように直接訪ねてくるはずだ。しかしそれ以外に隠居先を知らせていた者などいない。よもや人間側に情報が漏れるはずもないし……)


 考えたところで一向にわからなかったので、メイアは思考を放棄した。


(ま、なるようになるだろう)


 ここしばらくですっかり平和ボケしたメイアはとことん楽観的であった。


 逆にルシエは不安そうで、家路を辿る最中もあからさまに警戒していた。


「なぁルシエ」


 数十メートル進むごとにいちいち立ち止まっては探知の魔法で周囲を探るルシエに、メイアはうんざりしたような声を上げる。


「そんなことしてたら帰るまでに夜が明けちゃうぞ」


「これもメイア様の安全のためなんですから、我慢してください」


「大丈夫だよ。これでも元魔王だ。わたしより強い奴なんてそうそういないさ」


「それはそうですが……得体の知れない者がメイア様を探していると思うと、ゾッとします」ルシエは言いながらぶるりと身震いした。


「ふぅむ。それなら得体が知れればいいんだな?」


 メイアはなんでもないことのように言う。

 ルシエは目を剥いて訊き返した。


「それはつまり、不審者の正体を突き止めると」


「そうだな」


「どうやって?」


「直接会ってみるしかないな」


「ぜっったい、ダメです」


 ルシエはメイアの行く手を遮るように、腰に手を当てて仁王立ちした。


「そんな危険なこと、絶対に許しませんからねっ」


 びしり、とメイアの顔に指を突きつけてくる。こうなったルシエは頑固である、とメイアは知っていた。しかし、こうも間近で気を張られていては落ち着かないのも事実である。


「ルシエ、これは他でもない村の人々のためだ」


 真面目くさったメイアの言葉に、ルシエははっとする。


「今日の村の不安そうな空気を感じただろう? わたしは彼らの不安を取り除いてやりたいのだ」


 本当は面倒ごとはさっさと片付けたかっただけだが、村の人々を引き合いに出したのが効いたのか、ルシエは渋々といった様子で頷いた。


「そういうことでしたら……ですが、私もご一緒しますからね」


「過保護だなぁ……」


「当たり前です。メイア様は世間知らずなんですから」


「まぁいいか。それじゃあ早速明日にでも不審者を突き止めてやろう」


「無理はしないでくださいね」


 ルシエはやっぱり心配そうにメイアのことを見つめていた。

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