第8話 二章 倒した勇者が弱いくせにしつこくて困っているのだが(2)
「……何か始めろ、と言われてもなぁ」
翌日、メイアは朝食後のお茶を文句たらたら飲み干し、無言の圧力をかけてくるルシエの視線から逃れるように家を出た。思えば、隠居してから家の外に出るのは引っ越してきた時以来であった。
「さて、どうしようか」
取り敢えず外に出てみたものの、行くあても何もない。メイアの家の南側にはお馴染みの草原地帯が広がっており、それこそ魔牛と戯れるくらいしかすることはなさそうである。しかし、メイアにそんな気はさらさらなかったため進路は北に決定した。
「そういえば、近くに村があって買い物などでよく行くとルシエが言っていた気がするな。良い機会だし行ってみるか」
メイアは独りごちるとのんびり歩き出す。こんなふうに見知らぬ土地を一人で散策するという経験も幼い頃から王都で過ごしてきたメイアにとっては新鮮なものであった。
緩やかな坂道を辿り丘陵を二つほど越えると、程なく木造の質素な民家の点在する村が見えてきた。メイアが近づいていくと、畑仕事をしている農夫たちがちらほら視線を送ってくる。
「おーい、嬢ちゃん見ねぇ顔だけど旅の人かい?」
一人の農夫の男が鍬を置いて声を掛けてきた。メイアは「む」と立ち止まると、「嬢ちゃん、とはわたしのことか?」と男に訊き返す。
「他におらんやろう」
男は面白そうに笑った。
それをきっかけに他の村人たちもわらわらとメイアに近づいてくる。
「お嬢ちゃん、別嬪さんだねぇ」
「身なりもいいし、王都の人かい?」
予想以上の村人たちの反応に、メイアは少したじろいだ。
「王都から来たのは確かだが、旅の者ではない。ここから少し南に行ったところに住んでいるのだ」
メイアがそう説明すると、村人たちは「あぁ!」となにやら合点のいった表情を一様に浮かべた。
「とすると、あんたが最近王都から越して来たっていういいとこのお嬢様か」
「あの感じの良い女の子から色々と話は聞いてるよ」
「感じの良い子……ルシエのことか。わたしの侍女と懇意にしてもらっているようで感謝する」
メイアが礼を述べると、村人たちは、
「あらぁ、いいんだよ! 育ちは良さそうなのに変に上品ぶらないから話してて楽しいのさ!」
「にこにこ話を聞いてくれるから、あたしなんかいっつも亭主の愚痴言っちゃうのよ」
「あ、お前最近やけに話し込んでると思ったらそんなこと言ってやがったのか!」
かしましく喋る。メイアはさっきから棒立ちで発言者があっちへ移り、またこっちへ移りしているのを眺めていた。
(騒がしい奴らだな。今まで市井の者たちと関わることなどほとんどなかったから知らなかったが、どこでもみなこんな感じなのだろうか?)
「それにしても綺麗な子だねぇ。ルーちゃんの言ってた通りお人形さんみたいだよ」
「……ルーちゃん?」
「いやぁ俺は可愛い系だと思うね!」
「え……あ、ありがとう」
これまで魔王としての威厳を損なわないよう振舞ってきたメイアにとって、可愛いだの綺麗だの言われることは、実に数百年以来でなんだかまごまごしてしまった。少し顔が赤くなっているのが自分でもわかってしまって、それがなおさら恥ずかしい、という気持ちであった。手持ち無沙汰に髪の毛をいじっては恥ずかしさを紛らわせる。
「いやぁ照れちゃって、初々しいねえ」
「あたしも少女時代を思い出すよ」
「かかあに少女時代なんてあったのかよ!」
メイアは村人たちの好き勝手に喋らせていてはどうにも具合が悪いと思い、主導権を握ることにした。咳払いをして注目を集める。
「えー、改めて。引っ越してすぐに挨拶に伺うべきだったのだが、遅れてしまったことをお詫びする。わたしはメイア。もう知っているようだが侍女のルシエと二人で暮らしている。生まれてからほとんど王都から出たことがないので、良かったらこの辺りのことを教えてはくれないだろうか?」
可愛らしい少女の外見に似合わぬお堅い口上に村人たちは一瞬きょとんとしたが、すぐにまた破顔した。
「こりゃご丁寧にどうも! 挨拶なんて気が向いた時でいいさね!」
「いやあ、いいとこのお嬢様だっていうからお高くとまった貴族様みたいなのを想像してたんだがねぇ。礼儀正しい良い子じゃないか!」
最初にメイアに声を掛けてきた男はメイアの頭を少し乱暴な手つきで撫でる。メイアの深紅の髪がくしゃくしゃに乱れてしまったが、不思議と嫌な気持ちではなかった。男の日に焼けてシワの刻まれた顔が、似ても似つかないはずなのに記憶の中の父親の顔と重なって、メイアは気づく。
こんなふうに屈託なくメイアに接してくる者は、父親とルシエ以外では初めてなのだと。
「というか、ずっと立ち話じゃ嬢ちゃんも疲れちまうな。おーい、誰か椅子持ってこい」
「ああ、いやお構いなく……」
「子どもが遠慮せんでいいって。畑で採れた野菜、食うか?」
「そんな、申し訳ないし……」
「なんも気にせんでいいって。今朝搾ったばっかりのミルクもあるよ」
「――ミルク?」
それまであたふたと恐縮していたメイアだったが、その言葉にぴくりと反応した。
ここのところずっと淡白な味のお茶しか飲んでいなかったメイアに、その言葉は大変な魅力を伴って響いた。
「お、ミルクは好きかい? この辺りの魔牛はのびのび育ってるからミルクも良いのが搾れるんだよ」
いつの間にやら誰かが持ってきた木の椅子に座らされ、なみなみとミルクの注がれたコップを手渡されていた。足元には捧げ物のように野菜が積まれている。
なにやらおかしなことになったぞ、と思いながらもメイアは手元のコップに目を落とす。ずっと植物性の栄養素ばかり摂取していた今のメイアに動物性の栄養素は抗いがたい魅力であった。
村人たちもにこにことメイアを見つめている。ここまでされて断るのはなんだか心苦しい気もするし、とメイアは頭の中で誰にともなく言い訳をする。
(いけません、メイア様。ミルクなんて脂肪分の多い飲み物。それならお茶をお飲みになられる方が良いですよ)
なぜか頭の中でルシエがそう言い返すのが聞こえたが、努めて無視した。
「……それじゃあ、有り難く頂く」
そう言うとメイアは隠居して初めてお茶以外の飲み物を口にした。
「――っ、うまい」
大変美味であった。
「ははっ、嬢ちゃん、やっと笑ったなぁ」
「ほんと。表情の乏しい子だと思ってたけど、可愛らしく笑えるじゃないか」
そう言われてメイアはきょとんとした。
「……わたしはそんなに無表情だったかな?」
メイアの問いかけに村人たちは三々五々頷いた。
「顔は可愛いのにぶすっとしてたなぁ」
「あとは困った顔かねえ。それも可愛かったけど」
「う……その、こんなふうに人と接するのに慣れていないのだ……あと、その……可愛いとか言われるのも……」
メイアはまた少し赤くなりながら言う。魔王であった時とは余りにも勝手が違ってなんだか戸惑っていたのかもしれなかった。
「それならこれから慣れていけばいいさ。そうだ、よかったら今日はうちでご飯を食べていかないかい?」
「え、それは悪い……」
「いいから、いいから。ルーちゃんも呼んで、パーッと!」
「いや、ちょっと……」
「自慢のミルクをたっぷり使ってご馳走を作るよ」
「う、まあ、そこまで言ってくれるのに断るのも野暮というものだな……」
あからさまにミルクに釣られたメイアを村人たちは微笑ましく思った。
その晩は最初にメイアに声を掛けた農夫たち――夫はロイ、妻はハンネといった――の家で、メイアとルシエは彼らと共に食卓を囲んだ。
「メイア様がご近所付き合いをなさるなんて、わたし感激しました。引っ越してからこっち、ずっと家にこもりっきりでしたからね」
食事の間、ルシエはずっとご機嫌であった。
「どうしてお前が嬉しそうなんだ、ルーちゃん?」
「う……メイア様、誰に聞きました?」
「みんな呼んでいたぞ。これからはわたしも呼んでいいか?」
「いえっ、メイア様は私の主人なのですから呼び捨てて下さいまし!」
「ええー、結構気に入ったんだがな」
二人のやり取りにロイとハンネは目を細める。
「仲がいいんだねぇ、二人は」
「あら、メイア様は私をからかって楽しんでいるんですわ」
憮然と応えるルシエにハンネは吹き出した。
「きっとあんただけルーちゃんなんて呼ばれて羨ましいんだね。うーん……そしたらあんたはメイちゃんでどうだい?」
「げっ、勘弁してくれ……」
突然のメイちゃん呼びに元魔王はげんなりした表情を浮かべる。
「あら。可愛くていいですわね」
すかさず乗っかるルシエにメイアは責めるような視線を送る。が、ルシエはどこ吹く風であった。
「はは、なんだか可愛い娘が二人もできたみたいで嬉しいな」
温かな笑みを浮かべるロイの顔に、メイアはまたしても父親の面影を見た気がした。
「平和だな」そう言ってメイアはミルクベースのスープを一口飲む。父親がいなくなってから忘れていた家庭の団欒の味がした。
「……メイア様、またそんなことを」
ルシエは、メイアがまた平和過ぎて退屈だと言いだすのでは、と思いたしなめようとした。が、メイアは柔らかな微笑みを浮かべて言った。
「こんな平和なら悪くない」
その顔には、久しく見ないほど優しげな色が浮かんでいた。
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