第6話 回想・1
「メイア、こっちへおいで」
庭の片隅、お気に入りのベンチで本を広げていたメイアは名前を呼ばれて顔を上げた。
声のした方を見上げると、整えられた生垣の上から父親がひょっこりと顔だけ覗かせている。
「なぁに、パパ?」
メイアの父親はいつも仕事で忙しく、時々こうして構ってくれることが幼いメイアにはひどく嬉しかった。
メイアがとてとてと駆け寄ると、父親は満面の笑みで後ろ手に隠し持っていた本を差し出す。
「珍しい本を手に入れたから、メイアに見せてあげようと思ってね。なんと人間界の本だよ!」
「にんげん! わたし知ってる! えっとね、パパがおしごとでやっつけている人たちのことでしょ」
メイアは父親に褒めてもらいたくて、自分の知識を披露した。
「うーん、やっつけている、か。まぁ間違ってはいないけどね……」
父親は困ったような笑顔を浮かべた。メイアはせっかく披露した知識を褒めてもらえなくてがっかりしたが、それはそれとして人間界の本にはとても興味を惹かれた。
「ねぇパパ、その本はどんなおはなしなの?」
メイアは我慢できないというふうに父親の服の裾を引っ張って催促する。
「これはねぇ、勇者と魔王のお話なんだよ」
「ゆうしゃと、パパのおはなし?」
笑顔で答える父親に、メイアはびっくりして訊き返す。
「ああ、いや。このお話の魔王はパパよりうーんと昔の魔王のことだよ」
「……? パパはむかしからまおうなんじゃないの?」
「それよりもーっと昔の話さ」
「ふーーん」
幼いメイアにとって魔王とは父親のことを指す言葉だったが、どうやら父親以外にも魔王は存在したらしいと、この時初めて知ったのであった。
「おっと、そろそろ仕事に戻らないと! じゃあね、メイア。読み終わったら感想を聞かせておくれ」
父親はメイアの髪をくしゃりと撫でると、慌ただしく立ち去っていった。
メイアはその瞬間にとても寂しい気持ちになったのだが、わざわざ自分に会いに仕事を抜け出してきてくれていることを知っているので、もっと一緒にいてほしいなどとは口が裂けても言えなかったのだ。
そうしてメイアは一人お気に入りのベンチに座り直し、父親からもらった本を開く。
「……よめない」
メイアはまったく見たことのない文字の羅列に首を捻った。後にわかったことだが、まだ共通語が広まる前に書かれた本のようであった。しかし、挿絵がふんだんに使われた絵物語であったから、おおまかな話の輪郭は掴むことができた。細部の足りない部分は彼女の豊かな想像力によって補われた。
そうして読み解いたお話に、メイアは疑問を抱いた。
「パパはどこかしら……?」
メイアは父親の仕事場である魔王城に来ていた。
変化に乏しい石造りの廊下を歩きながら父親の姿を探す。しかしいつまで経っても父親は見つからず、だだっ広い魔王城の中でメイアはついに迷子になってしまった。
心細くなったメイアが冷たい石廊に座り込んでしゃくりあげていると、遠くの方から話し声が石壁に反響して聞こえてくる。その中に聞き慣れた声を見つけ、メイアはごしごしと涙をぬぐうとそちらへと駆けていった。
「――パパ!」
角を曲がった先でメイアの方へと向かってくる一団がいた。その中のひときわ屈強そうな鎧に身を包んだ強面の男へ、メイアは大声で呼びかける。
「えっ、パパ?」
「ってことは魔王様の娘さん? 可愛いですね!」
「それより魔王様、パパって呼ばれてるんすね!」
「泣く子も黙る魔王様がパパって! なんか可愛いっすね!」
突然のメイアの登場に沸く一団。
「っ、わたしは君のパパなどではないぞ? 人違いではないかな?」
メイアの父親はとっさに他人のふりをした。職場の同僚に家庭内での顔を知られるのが恥ずかしかったのだ。しかし、その言葉を真に受けたメイアは幼い顔をくしゃりと歪める。
「パパはメイアのパパじゃないの……?」
「――! ごめんね、メイア! パパは一生メイアのパパだよ」
涙声で問いかけるメイアを、父親は他人のふりを速攻で中止して抱き上げた。
「パパだ」「やっぱりパパなんだ」「微笑ま」などと、ひそひそ言い合う部下たちを父親は睨みつける。
「お前たちが茶化すからメイアが泣いちゃっただろうが!」
「ええっ、泣いちゃったのは魔王様が変な嘘ついたからじゃ……」
「わたしがそうだと言ったらそうなのだ。罰としてわたしの代わりに会議に出ておくように」
理不尽な魔王命令に部下たちは釈然としない様子で尋ねる。
「俺たちを会議に出させて、その間魔王様はなにしてるんすか?」
「メイアと遊ぶに決まっているだろうが!」
メイアの父親は清々しく言い切ると、その場から遁走した。
「あ、魔王様!」「まったくいいパパですね!」「子どもは大切にしてくださいよ!」
部下も大概いい奴らであった。
「メイア、今日はどうしたんだい? 魔王城に来るなんて珍しいじゃないか」
魔王の間で抱き上げていたメイアをそっと下ろすと、父親は優しく問いかけた。
「うん、パパにききたいことがあったの」
「なんだい? 言ってごらん」
「……でもパパのそのかおはキライだからやだ」
メイアの爆弾発言に父親は卒倒した。
「はっ、そうか!」
石造りの床に倒れ込んだ衝撃で意識を取り戻した父親は、何かに気付くと急いで指輪を外す。その途端、強面の相貌がいつもの優しげな顔へと戻った。
魔王の証である指輪は、付けている間外見をいかにも魔王然としたいかつい風貌に見せる力を持っているのであった。
「これでいいかい?」
恐る恐るメイアに確認すると、「うん、そのかおがすきー!」とメイアはにっこりした。
「くっ、天使か……?」父親は目頭を押さえてうずくまる。
「……? あのね、パパ。この本がね、なんだかヘンなの」
父親の奇矯な行動にきょとんとしながら、メイアは父親からもらった本を見せる。
「何が変なんだい? パパには普通の本に見えるけれど」
父親の言葉にメイアは首を振った。
「そうじゃなくって。えっとね、この本、まおうが悪者みたいに描いてあるの」
真っすぐなメイアの眼差しに、父親ははっとする。
「そうか……メイアは魔王が悪者だと思うかい?」
父親の問いかけにメイアは一生懸命に首を振って否定した。
「おもわないわ! だってパパもまおうだけれど、悪いことなんてぜったいにしないもの!」
メイアは不器用に言葉を紡ぐ。
「それにママが言ってたの。パパはまかいを良くするためにがんばっておしごとをしているって。それをじゃまするゆうしゃは悪者だって。なのにこの本では逆なの!」
言い募るメイアの頭を父親はくしゃりと撫でた。そして優しげに細めた目でメイアを見つめる。
「メイア。魔王も勇者もね、どちらも正義であり、悪でもあるんだ」
「……どういうこと?」
「絶対的な悪なんて存在しないんだよ、本当はね。魔王も勇者も守るべきものがあって、そのために戦わなければならない。けれど、同じ様な立場にあればどうしたって相手の気持ちがわかってしまう。そんな相手を倒したって、辛いし、素直に喜べないだろう。これで良かったのだろうか、と思ってしまう。自分が正しいことをしたのかわからなくなってしまう。だからね、このお話は嘘のお話なのさ。このお話が作られた後に生まれる勇者のための、優しい嘘のお話」
「やさしい、嘘?」
父親の話は幼いメイアには難しく思えたが、その言葉はやけにメイアの小さな胸に留まっていた。
「そう。魔王は悪者なんだと教えることで、勇者が悩まずにいられるように、ってね」
「……じゃあ、パパも悪者だとおもわれているの?」
ふと気になってメイアは尋ねた。
「人間たちにはそう思われているだろうね」
父親はどこか寂しそうに笑う。
メイアにはその笑顔がたまらなく悲しく思えて、父親をぎゅっと抱きしめた。
「それならわたしが、パパは悪者じゃないよ、ってにんげんにおしえてあげるわ。やさしい嘘なんかじゃなくて、ほんとうのやさしいパパを信じてもらいたいの」
父親はメイアの小さな体を大事そうにぎゅっと抱きしめ返した。
「……ありがとう、メイア。いつかきっとそうやってわかり合える日が来ると、信じているよ……」
幼いメイアの心に、この日の父親との会話は強く焼き付いた。けれど、彼女が魔王になることを決意するのは、まだ当分先の話だ。
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