第5話 一章 うちの元魔王が隠居してから文句ばかりで困ってます(5)


「で、結局のところ用件はなんなのだ?」


ルシエが人知れず決心した傍らでは業を煮やしたメイアが議長に詰め寄っていた。


「長居はしないなどと言いながらさっきからうだうだと話を長引かせおって、貴様さてはわたしのことが好きなのか?」


「まったくひどい誤解ですね。さっきからそうやって話を逸らしてばかりなのはあなたのほうですよ。さては私が訪ねてきて嬉しいんでしょう?」


二人はなにやら思春期の子どものようなやり取りでヒートアップしている。


このぶんだと頼みというのも大したことないのかもしれない。


ルシエが内心ため息を吐いていると、議長はおもむろに切り出した。


「――頼みというのは、あなたに勇者討伐をお願いしたい、ということなのです」


予想だにしていなかった言葉にルシエは一瞬思考停止した。


「どういう意味だ」メイアは険しい表情で素早く聞き返す。


「そのままの意味ですよ。このまま西の国境線を破られるわけにはいかない。ならばどうするか? 勇者を排除する外にありません」


「はは、どうやら忙しさの余りうわ言を口走っているようだな。悪いことは言わん、休むのも仕事のうちだぞ」


口調こそ軽いものだが、メイアの目は笑っていない。議長が本気で言っているのか見極めるようにじっと視線を注いでいる。


「ご心配には及びません。睡眠はしっかり取っておりますので。気は確かですよ」


「……うわ言でないのなら、その方がよっぽど悪い」


メイアの目つきが据わった。ルシエは二人に気取られぬほど小さく身震いした。


メイアが子どもっぽい癇癪ではなく、本気で怒っている証拠だ。


「なあ、議長。魔王討伐に乗り出す勇者の話は太古の昔から語り継がれている。だがその逆は聞いたことがあるか?」


突然の問いかけに議長は首をひねる。


「勇者討伐に赴く魔王の話、ですか? 私の記憶にはありませんね」


「そうだろう。では、なぜ討伐の旅に出るのは魔王ではなく勇者なのか?」


「……あなたが言ったように、太古の昔から決まっていることだからでは?」


議長の言葉にメイアは首を振る。


「確かに今となってはそうかもしれないが、本来的な意味があるのだ」


話が掴めないのか、議長はルシエをちらりと窺う。しかし、ルシエもメイアが何を言わんとしているのかわからないようであった。


わからないか、とメイアは嘆息する。


「勇者が魔王を打ち倒そうとすることは、魔王に対する人間の恐怖心の現れだ。人間が魔王に恐怖するのはなぜか? 単純なことだ。人間という種は力で劣っているからだ。力で勝る者がいる限り、劣っている者は常にその生存を脅かされる危険性を抱えている。だからこそ人間は魔王に対抗し得る唯一の力――勇者を以て魔王を排除しようとするのだ」


そしてここからが重要だ、とメイアは語気を強くする。


「では魔王が勇者討伐に乗り出すことは何を意味するのか? それは『人間が魔王を恐れる』という力関係の逆転に他ならない。それまで勇者を待ち受けて撃退していた魔王が、自ら勇者討伐に乗り出すことは、魔王――延いては魔界全体が、勇者とその母体である人間を恐れていることと同義だ。こちらから勇者を討伐に向かうなど、自ら苦境に立たされていると公言するようなものだ。わたしはそんな愚策を打つ気などさらさらないぞ」


そう言ってメイアは講釈を締めくくった。


議長はなにやら黙考しており、ルシエは呆れたようにメイアを見つめている。


「ルシエ? 変な顔をしてどうしたのだ?」


「いえ、メイア様は本当にムラっ気があるなぁと思いまして」


「どういうことだ?」


「最近子どもっぽいところしか見ていなかったので、メイア様は頭が良かったということをすっかり失念していた、ということです」


「おいおい、これだけ近くにいながらわたしの聡明さを忘れるとは、このうっかりさんめ」


「あ、今のセリフは頭悪そうです」


「おい、主人になんてこと言うんだ!」


主従二人がやいのやいの言っていると、議長がふっと顔を上げた。


「失礼。あなたの言いたいことはわかりました。しかし、今回に限ってはその心配は無用であると判断させて頂きます」


「……ほう?」メイアの双眸が剣呑そうに細められる。


「仰る通り魔王自らが討伐に赴けば、それは魔界全体の総意であると捉えられかねません」


しかし、と議長は意味ありげに言葉を切る。


「あなたは魔王ではない。元、魔王だ。あなたの行動はもはや魔界を代表してなどいないのですよ。だから私たちはあなたを選んだのです。魔王の力量を持ちながら、今は何者でもない、あなたを」


議長は冷たい微笑みを浮かべた。


「……っ、そうか、だからわたしを魔王の座から退かせたのだな。議会がいいように利用するために……!」


ぎりっ、と音がするほどメイアは歯をくいしばる。けれどルシエはその表情を直視することができなかった。ひと目見ただけで全身に怖気が走るほどの怒りの表情を、メイアはその顔に浮かべていたのだ。


「利用するだなんて人聞きが悪い。勇者討伐の暁には、ゆっくり隠居して頂きたいと思っていますよ、元魔王様」


(それでは、戦争での利用価値がなくなれば後はもう用済み、ということ?)


議長の言葉の真意に気づいて、ルシエもかっと頭に血がのぼるのを感じた。ルシエが抗議しようと口を開くのと同時にメイアが右手を振り上げる。


「……! メイア様!」


とっさにルシエは制止しようと声を上げた。メイアが怒りに任せて議長を攻撃すると思ったのだ。


「もう、話すことなどない。帰れ」


しかしメイアは家の玄関を指差してそう言っただけであった。


ルシエはほっと胸をなで下ろす。


議長は億劫そうに玄関へと向かいながら、一度振り返った。


「引き受けては頂けないのですね。残念です」


「……わたしは隠居したのだ。わたしがすることなどもう何もないよ」


メイアは議長の方を見ずに静かに言う。それはむしろ自分に言い聞かせているような響きであった。

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