第4話 一章 うちの元魔王が隠居してから文句ばかりで困ってます(4)


「頼み、というのは他でもありません。目下、一番の問題である人間との戦争のことです」


平和そのものの牧歌的な風景を前に、議長から切り出された戦争の話はどうにも不釣合いであった。しかし、厳然たる事実として戦争は存在する。メイアたちの現在の境遇こそが非現実的で、再三メイアも騒いでいたように、この地の平和っぷりは異常なほどであった。


「今もっとも争いが激しいのは西の国境線です。そのうえ、先日人間界から西の国境線に向けて勇者が進軍を開始したと、密偵が報せを寄越したのです。これがどういう意味か、長年魔王であったあなたならわかりますよね?」


「……国境線は突破されるだろうな。さらに人間の主力軍が魔界になだれ込む、というわけか」


「話が早くて助かります」


にこり、と笑うと議長は言葉を継いだ。


「現在、我々は早急な勇者への対応を迫られている状況。しかし魔王職を始めとする諸改革に伴って、国内事業もその多くが見直されており、対外政策まで手が回らないのが正直なところなのです」


「ふん、やはりそんなことか」


メイアはつまらなそうに鼻を鳴らすと、今度は唇の端に意地の悪そうな笑みを浮かべた。


「そういえば、貴様ら議会がわたしを魔王の座から引きずり下ろすのに使った方便の中に、『長年にわたる人間界との戦争の膠着状態の不改善』というものがあったな。どうやら膠着状態は脱せそうじゃないか。良かったな」


「そんな嫌味を言っている場合ではないのですよ!」議長は憮然とする。


「嫌味な性格のくせに自分が言われると怒るのか」


釈然としないメイアに向かって議長は胸を張って言う。


「言うのは好きですが、言われるのは嫌いなのです」


「何を偉そうに開き直っているのだ」


メイアと議長のやり取りには、いつの間にやらまたぐだぐたした空気が流れている。


いつになったら用件とやらが聞けるのかしら、とルシエは思ったが、口出しは控えておいた。侍女の身であまり差し出がましいことを言うのが憚られたというのもあるが、話の流れから議長の頼みというものが何やら物騒なものである気がしてきたからでもあった。


侍女としてメイアに仕える身ではあるが、ルシエ個人としては危なっかしい妹を見守る姉のような気持ちでずっとメイアに接してきた。


魔王としてのメイア。


ただの一人の少女であるメイア。


どっちの姿も見てきたルシエだからこそ、メイアがそのギャップに苦しみながらこの数百年過ごしてきたことを知っている。数百年と言うと膨大な時間のように感じられるかもしれないが、長命な種族の多い魔界において数百歳などまだまだ幼く、未熟であった。


メイアは魔界を統べる者として恥じることのないよう振舞いながらも、時に一介の少女である自分の無力さに涙することもあったのだ。


そんなメイアが魔王の座を退いて隠居することになった時――メイアが石造りの荘厳な玉座から下り、魔王の証である指輪を外した時、ルシエは何よりも先に安堵してしまったのだ。ようやくメイアが魔王という重荷から解放される、と。


その退位はメイアにとって受け入れ難かったはずであった。


けれど、玉座から下り魔王の間を去るまで、彼女は一度も振り返らなかった。


「これからセカンドライフとやらが始まるのだ。さあ、何をしようか」


まるで楽しくて仕方がないとでもいうように語るメイアは、しかし、先ほどまで指輪の嵌っていた指をぎゅっと握りしめていた。


ルシエはそれに気付きながらも、見ないふりをした。


もう十分だと、ルシエは思ったのだ。


魔界の全てなど、メイアのその小さな肩には過ぎた重荷であると。


数百年ずっと、メイアがそれに押し潰されそうになる度に、ルシエもまた自分の無力さを呪ってきた。


「……メイア様は十分頑張りました。もう、ゆっくり休んでください」


ルシエが優しく頭を撫でると、メイアは「そうか」と笑いながらぽろぽろと涙を零した。


ルシエはメイアがまだ諦めきれていないとわかっていた。もしルシエが魔王の座を取り戻すようメイアの背中を押せば、彼女はきっともう一度戦っただろう。けれどルシエは主の気持ちより、メイアに傷ついてほしくないという自分の気持ちを優先したのだ。


ルシエはただ、メイアがこれ以上傷つくことも涙することもなくなるのならば、彼女が魔王でなくても良いと思っただけだった。


そんな思いからある意味メイアの隠居を喜んでいたルシエは、議長が戦争の話を始めたことに嫌な予感を持ったのだ。


(もしメイア様が危険な目に遭うような頼みごとなら、断固として私が断らなければ!)

ルシエは心の中でだけ拳を握りしめた。

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