第3話 一章 うちの元魔王が隠居してから文句ばかりで困ってます(3)


「――あと、そうだな」


後悔の種をまた一つ思い出したように、メイアは顔を歪める。


「今になって悔やまれるのは魔王の間の調度品のことだな。あれ全部経費で買ったから一つも手元に残らなかったんだよなぁ……」


「メイア様……」


深い悔恨に沈んだままの表情でのたまうメイアに、ルシエは呆れたような視線を送った。


「さっきまでいい話をしていたのに、最後に台無しですわ……」


元来メイアは真面目であった。が、普通に俗物であった。


ルシエはそれを失念していた自分を心の中で罵った。


「というかあれだな、普通に退屈だ。何もやることがないし、生活に張りがない。周りにはつまらない大草原とずっと草を食ってる魔牛しかいないじゃないか。牧場でも経営しろと?」


メイアはもはや愚痴文句は全部言ってしまおうとでも思っているようであった。


「いいんじゃないですか? 牧場経営も」


ルシエはもう諦めたように肩を竦めた。


「いやいや、魔牛の世話なんてムリムリ。だってあいつらいつも口の中でゲロ吐いてるんだぞ。気持ち悪過ぎるだろ」


メイアはおえー、と舌を出してみせる。


「もう、またメイア様ははしたないことを!」


ぴしゃりと言うとルシエは彼女の主に舌をしまわせた。


メイアはぶちぶちと文句を言う。


「こんなところでまで体裁を気にしおって……どうせルシエは魔牛にも『ごきげんよう』だなんて優雅な挨拶でもしているのだろうな……ご苦労なことだ」


「――あら、いらっしゃいませ。ごきげんよう」


「ええっ、ホントに魔牛に挨拶しているのか⁉︎」


驚愕の事実にメイアが勢いよく振り返ると、


「誰が魔牛ですか?」


そこには魔牛ではなくかっちりとした服を着込んだ男が立っていた。


「おっと、失敬。誰かと思えば議長殿であったか。ごきげんよう」


「元、魔王殿は随分とご機嫌斜めなようで」


議長と呼ばれた男はくすくすと忍び笑いを漏らした。


「なんだと、この七三!」


ガバリと立ち上がるメイア。


「どうどう、メイア様」と血の気の多い主を宥めるルシエ。


「まったく、わたしの機嫌が悪いのは貴様ら議会のせいだというのに。よくのこのこと顔を出せたものだ」


メイアは腹立たしげに腕組みをしながら言う。


議長はそれには応えず、きょろきょろと辺りを見回すと、


「それにしても暇そうですね」


にこやかに言い放った。


「――誰のせいで暇を持て余していると思う?」


メイアもまた笑顔でそう問いかける。しかし、額には今にも破裂しそうなほど血管が浮き出ており、面白くて笑っているわけではなさそうであった。


「いやいや、他意はないのですよ。ここのところ首が回らないほど忙しくて、ちょっとその暇を分けて頂きたいなぁ、などと思っただけで」


愉快そうに笑う議長を無言で殴ろうとするメイアを「まあまあまあまあ」とルシエが押しとどめる。


「止めるなルシエ! わたしはこいつを殴る!」


「もうっ、メイア様はすぐかっとなる。悪いところですわ」


「たとえわたしが聖人君子の器であったとしてもこいつは殴る」


「あまり意地を張るんじゃありません」


「あうっ」


ぴしり、とルシエにおでこを指で弾かれ、メイアは渋々引き下がった。


「ふん、わたしのばあやに免じて殴るのは延期してやる。さっさと用件を言って帰れ」


ぶすったれたままメイアは議長を促す。


「これは手厳しいですね。まぁわたしはあなたと違って忙しいので、もとより長居する気もないのですが……うーん、これはファーストフラッシュですね? とても美味しい」


いつのまにか空いていたデッキチェアに座り込んでティーカップを傾けながら、議長はそう嘯いた。


「おい、くつろぎながら言うな。というか誰に断って茶なぞ飲んでいるのだ」


「そちらの見目麗しいお嬢さんが出してくれましたよ」


「ルシエ! こんな奴に茶なんて出さなくていいのに!」


「まあ、客人にお茶も出さないのは失礼ですっ、メイア様」


議長はむむむー、と睨み合う主と侍女を面白そうに見遣る。


「いや、気立ても器量も良くて大変しっかりしていらっしゃる。わたしのところの侍女に来てほしいくらいですよ」


「あら、私が世界一の侍女だなんてそんな。照れてしまいますわ」


ルシエはぽっ、と頬を朱に染める。


「いや、言ってないぞ……というか何を満更でもなさそうにしているのだ。まさかこんな七三野郎のところに行く気じゃないだろうな?」


じとり、とメイアはしなを作って照れているルシエを睨んだ。


ルシエは口許に手を当てて、考え込む。


「うーん、それもいいですわね。メイア様はせっかくお茶をお淹れしても文句ばかり言うんですもの。尽くしがいのないことといったら、もう」


「うっ、それは……」


狼狽えるメイアを横目で見ながら、ルシエはふふ、と微笑んだ。


「冗談ですよ。メイア様。私はメイア様以外に仕える気などありませんから」


慈愛に満ちた微笑みを浮かべるルシエの言葉に、メイアは胸を突かれたようにはっとする。


「――そんなにわたしのことを想ってくれていたんだな、ばあや」


「でも、ばあやはおやめくださいね」


にっこりとクギを刺すことは忘れなかった。


「おや、どうやら振られてしまったようですね。残念です」


議長はさして残念でもなさそうに首を振る。


それを胡乱げに見遣りながらメイアは少し語気を強めて言う。


「お忙しい議長殿が、まさかわたしの侍女をスカウトしにわざわざ来たわけではあるまい。そろそろ本題に入ったらどうだ?」


メイアの纏う空気が変わったことを感じたのか、議長の目の色が変わる。それまでの軽薄そうな印象は鳴りを潜め、どこか鋭利な刃物を思わせる視線をメイアに向けた。


「では、単刀直入に言いましょう」


「最初からそうしろと言っている」


漂い出した不穏な気配にルシエはおろおろしながら二人を見比べた。下手をしたらここで一戦が勃発しそうですらある。ルシエとて元魔王に仕える身。それなりに腕に覚えはあるが、この議長の放つ不気味な力の気配には言い知れぬ恐怖のようなものを感じた。

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