18話:闇に抱かれて

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 ――くすっ、くすくす。

 みょうに、からみ付く程、甘い甘い、笑い声。

 蜂蜜はちみつ煮詰につめた甜菜てんさいの根のしぼじるをたっぷりとそそいだ程、それは甘美かんびまさ甘露かんろ

 その笑い声――

 ――まさかッ!?


 氷柱ひょうちゅうに閉ざされ絶命したはずの、そう都合良つごうよく思い込んでいた筈だった、ティキの姿を見る。

 そこには、確かに氷柩ひょうきゅうが。無論、彼女はにいる。

 しかし――

 一体いったいなんなのだ!?

 氷膜グレーズの向こうにあるは一体?


 人形!?

 磁器人形ビスク・ドール――か。

 なぜ、がそこに……


「ビックリしちゃった、お兄さん?」


 振り返りざま

「逃げおおせたのであれば、それで済むものを。

 目をらさせなければ、それが磁器人形ビスク・ドールと分からぬままだと云うのに」


「違うよ、球節人容ドルフィーだし。夢幻胎児ゴーレムってうものだし」


 変わり空蝉うつせみ、分身、にえ……そのたぐいか。

 どうやったのか、いつそうしたのか、全く分からない。気付かなかった。

 もし、これが武芸者や暗殺者といった連中と対峙たいじしていたとしたら、冷や汗ものだったに違いない。

 実力差――

 さとってしまい 戦々恐々せんせんきょうきょう、体がすくんじまう。

 良かったよ、相手がおまえさん、で。


 術者じゅつしゃ――魔術に自信を持つ者、って奴は、どうしても“かざる”。その傾向が強い。

 いや、それは傾向なのではなく、自然、なのか。

 呪文、その詠唱、術式、その様式、身振り手振り、そして、発現、効果、具象化ぐしょうか、その表現。

 つむぐ言葉は台詞せりふまがい、芝居しばいがかった身振り手振りは伝統芸能の舞踊ぶようさながら。

 それは信仰魔術も魔道魔術も大差なく、あらゆる形態の魔術に共通する。

 もっとも、俺の戦闘ブイバーニャ魔術・マギヤにそんなすっとろいスローリーなものは不要いらないが。


「そっれじゃぁ~お兄さん、イックよぉ~?すべてなるものヨッド・へー・ヴァウ・へー一なるものアドナイ在りて在ろうものエヘイエ汝は偉大にして永遠なり我が主よアーグーラー…」


 ――おそい。

 遅過おそすぎるぞ、少女。

 その長大な詠唱えいしょう、西方出身者特有。

 このかんに多くの戦闘魔術を仕込しこめる。

 <筋力>、<早足はやあし>、<研磨けんま>……


「我が前にレアファル、我が後ろにレイルバグ、我が馬手めてにレアハイム、我が弓手ゆんでにレイルウアー、我が四囲しい五芒星ごぼうせい燃え上がり、我が頭上に六芒星ろくぼうせいかがやけり。

 アテー王国にマルクト峻厳とヴェ・ゲブラー荘厳とヴェ・ゲドゥラー永遠にル・オーラム・エイメン!」


 <抵抗>、<熱狂ねっきょう>、<回避>、<愕縅おどし>、<合気あいき>、<無我むが>、<理合りあい>。

 戦闘魔術投射とうしゃ、反映確認、戦闘力向上知覚ちかく、『十忋じっかい仕込しこみ完了。

 魔粒子オドの収束を感じる。少女やつの魔術も前段取まえだんどりを終えたか。


 、な――


「遅いぞ、ティキ!闘技システマ悲しき月明かり舞うゴーリェ・ルーンヌィ・スヴィエト自ずと振るわれる剣・シヤーチ・サモショーク>!!」


 段平だんびらは、ぬるり、と振るわれる。

 凍気とうきまとった刀身が淡く白い輝きを放ち、縦横無尽じゅうおうむじんぐ。

 数多あまた月相げっそうを思わせる無数の斬撃ざんげき朝靄あさもやを切り裂き、少女を襲う。


 ――ザシュッ、ザグッ、ドシューッ。

 とらえた。

 少女の血が桜舞さくらまうかのように散る。

 たいを入れ替え、少女の背に抜ける。

 段平だんびら正眼せいがんまま、手の内で回転させ、鉄槌てっついつかを打ち血振ちぶり、逆手さかてに持ち替え、さやおさめる。

 ドサリ――

 背中越せなかごしに、少女の倒れる音を聞く。


 ――終わったか。

 いや――

 まだ、か。

 背後で聞いたその音。やけに、重くにぶい。

 そうか――あの、人形。変わり身、か。

 どうりで、みょう手応てごたえだった。

 柄に、右手の示指ひとさしゆび丈高指なかゆびをそっとえ、息をひそめる。


 ――くすくす。

 背筋に寒気さむけが走る。

 その甘過ぎる笑い声。ねっとりと絡み付くように。


「イヨ・イヨ・ザバディー・ラキラキ、聖なるかなおぞましき同胞はらから、黒き大蛇おろち。エコ・エコ・アザラキ、ほのおよ燃えろ、エコ・エコ・ザメラキ、そらまでがせ。イオ・イオ・ザラキー・イヤァオー・ラキラキ、よこしまなるかなあさましきやからくらきにちろし!」


 足許あしもとから黒煙こくえんが舞い散り、周囲を黒い炎が吹きすさぶ。

 二重螺旋らせんにのように燃え立つ炎は反時計回りに回転し、グインを取り囲み、激しく天をく。

 黒い炎は漆黒しっこくの輝きと、沼田打のたうつ影を落とし、すみ瀑布ばくふ彷彿ほうふつとさせる。

 始めに冷たさが、こごえる程の冷気が襲い、やがて、灼熱しゃくねつび、肌を焦がす。

 吐く息は白く、しかし、たぎる程に熱い。

 この冷たい炎は、痛覚として熱を感じ、その実、凍えさす魔力のすエネルギー。


 ――なんてこと、だ。

 これは……まぎれもない。“闇”の炎。地獄の業火ごうか、そのもの。

 なぜ?

 なぜ、少女やつが?

 なぜ、闇の、闇の部族でさえ、その一部しか知り得ない闇の炎を使うんだ!

 この少女は――一体……


 しいが――

 闇精シェイドを召喚。

 にくらしい、闇の精霊、を呼び寄せる。

 闇に生きるこの精霊は、闇の炎をものともしない。

 その冷たさは、てつく闇の炎よりはるかにし。

 呼び寄せた闇精シェイドを体内に取り込み、また、体表にまとい、寒さから身を守る。


 なんて、忌々いまいましい。

 闇精シェイドたよるとは。

 こんなけがらわしい闇精シェイドなんかに。

 それ以前に、冷気を、凍気とうきを操る俺が、凍える羽目はめになるとは。

 少女やつは、明らかに狙ってきたんだ、俺の属性の、俺の特技を、俺の特性に。


 彼女は――

 彼女は、明らかに、

 ――強い。

 めていた訳ではなかったんだ。

 俺を?

 いや、国士無双制覇グラン・ランブルを。


 忌々いまいましいが、使わざるを得ない。

 ――闇の力。

 取りつくろって勝てるような相手ではない。して、手を抜けるような状況ですらない。

 もう――


 後悔は、

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