第4話 愛してる人

 待ち合わせ場所で私を待つ嘉治さんの姿を見た瞬間、ドキン! と胸が跳ねた。

 嘉治さんにキスをされたあの日から、何かがおかしい。ふとした瞬間に嘉治さんの顔が浮かぶようになったし、智子さんと嬉しそうに私を呼ぶ声が離れなくなった。

 まさか自分は嘉治さんに惚れたのだろうかとも思ったが、何となくそれを認めたくなくて、それはないと結論付けていた。

 私に気が付いた嘉治さんが嬉しそうに笑って、智子さん、と私を呼んだ。私はこの人のこれに弱い。そんなことを思いながら嘉治さんに近付いて、彼に笑い返した。

 今日は嘉治さんと映画を見ることになっていた。

 映画館に移動した私達は並んで席に座った。程なくして映画が始まった。映画のストーリーは特筆することはなかったけれど、出演者の一人が何だか引っ掛かった。その引っ掛かりの正体は映画が終わった後の嘉治さんの感想で分かった。

「あの出演者、何だか父さんに似てたな」

 そう呟く嘉治さんは心ここにあらずといった感じで、映画が終わって暫くしても彼は席を立たなかった。

「嘉治さん」

 私が名前を呼ぶと、彼は漸く我に返った様子になって、席を立った。

 映画館を出た私は気まずいものを感じながら隣にいる嘉治さんを見た。彼は遠い目をしていた。おそらく一彦さんのことを思い出しているのだろう。

 何だか腹立たしい気持ちになった。今一緒にいるのは私なのに、他の人のことを考えるなんて。でも、彼を責めることなど出来なかった。

「……私、帰るね」

 そう告げて嘉治さんから離れようとした時、腕を掴まれて引き寄せられた。

「智子さん、行かないで」

 彼の胸に顔があたって、ドキン! と胸が高鳴った。

「僕の傍にいてください……」

 嘉治さんの声は震えていた。私は彼が捨てられた子犬のように思えて、彼を抱きしめ返した。

「大丈夫だから」

 そう声をかけると、彼は甘えるように頬をすり寄せてきた。私は思わず顔を背けた。

「ここ、外だから。人が見てるから」

 嘉治さんは不満そうだったけれど、顔を離して私から離れた。

「……中なら、続きをしてもいいんですか?」

「……続きって……」

「もっと、智子さんに触れたい」

 嘉治さんは真っ直ぐに私を見ながら言った。

 ……この言葉にも、深い意味はないだろう。そう思って、口にしていた。

「じゃあ、私の家に行きましょう」

「え……」

 驚く嘉治さんを連れながら、私は自分の家に向かった。


 家に着いて嘉治さんを見ると、彼は緊張している様子だった。

「女性の家に入るのは、初めてです」

 その言葉に驚いた。

「初めてなの?」

「はい。恥ずかしい話、僕は誰かとちゃんとお付き合いしたことがないんです」

 私は複雑な気持ちになった。つまり、嘉治さんは一彦さんだけをずっと想い続けていたということなのだ。

 モヤモヤしたものを感じながら家にあがってリビングに移動すると、嘉治さんの腕が背中に廻った。

「……智子さん」

 嘉治さんが先程と同じように頬をすり寄せてくる。今度は顔を背けずにいると、頬に手が添えられてすっと撫でられた。ぞく、と体が震えるのが分かった。思わず目を閉じると、嘉治さんが声を上げて笑うのが分かった。

「智子さん、可愛いですね」

 カッと頬が熱くなる。私は目を開けて嘉治さんから顔を背けた。

「あなたを、抱いてもいいですか」

 嘉治さんが口にした言葉に、固まった。

「僕を家にあげたということは、OKということですよね」

 嘉治さんがそんなことを言うので、私はええ、と間抜けな声を上げてしまった。

「あなたは、お姉さんとして私が好きなんじゃ……」

 嘉治さんは眉を寄せた。

「確かに、お姉さんみたいだなとは思います。でも僕は、一人の女性としてあなたが好きなんです」

 嘉治さんの言葉に唖然とした。どうやら私は、大きな勘違いをしていたらしい。

「ま、待って。心の準備が……」

「もう、待てません」

 嘉治さんが私を抱きしめて、私の唇に口づけた。

「智子さん。好きです」

 彼のキスを受けて、彼の告白を聞いて、歓喜に打ち震えて、そんな自分の想いに気が付いた。

「……嘉治さん……私も、あなたが好き」

 嘉治さんは嬉しそうに笑った。

「智子さん。ありがとう」

 嗚呼、やっぱり私はこの人のこれに弱い。


 ベッドで嘉治さんと抱き合って、私は裸になった彼の腕にある傷跡に触れた。嘉治さんの体には幾つもの傷跡があった。嘉治さんはそれをSMプレイの跡ですよ、と笑って言っていたけれど、私は笑えなかった。

 嘉治さんが一彦さんにされたことを私は知らなかったけれど、その一片を知って、涙が溢れそうになった。

「父さんは、ちゃんと優しいところもあったから」

 不器用な人だったんですよ。と嘉治さんは悲しげに言った。

 一彦さんの存在は、嘉治さんの心にも体にも刻み込まれている。

 私はこれからも、嘉治さんに触れながら一彦さんの存在を思い知らされるのだろう。その度に彼に嫉妬して、怒りを覚えるのだろう。

「ごめんなさい」

 私を抱きしめながら、嘉治さんは謝った。

「こんな面倒な男に、関わらせてしまって」

 私は首を横に振った。

 嘉治さんと関われて、彼に会えて良かったと、心から思うから。

 嘉治さんの頭を抱いて、私は彼の唇にキスをした。

「愛してる」

 嘉治さんは目を見開いて、泣きそうな顔をして、それでも嬉しそうに微笑んだ。 

「智子さん。……僕もだよ」

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