3話 私は今白に染まります

 小夜世 黒さよせ くろは鳥居で形作られた道を歩いている。

 黒の脳内に喋りかけてきた声の主は次で最後と言っていたが、嘘ではないようだ。明らかにこれまでとは毛色が違う。


 黒のいた世界には、鳥居が多く並んだ観光の名所があった。そこは異世界にいるかのような雰囲気を感じることが出来る場所だった。

 黒は何度足を運んだか覚えていない。もちろん、観光名所なので平日でも人が多い。黒は人込みを避けるため、出向くのはいつも雨の降る夜だった。聞こえるのは地面を打つ雨の音。石畳を踏みしめる自分の足音。静かで幻想的なその時間が、黒はとても大好きだった。


 なぜ今こんなことを思い出しているのかというと、鳥居が多く並んでいたから。だけではない。ここは洞窟の中だが、雨が降っているのだ。上を見上げると果てしない暗闇。先を照らすのは、一定間隔で灯る提灯の灯りのみ。歩を進めるたびに、今いるここは夢の中なのではないかと錯覚する。それほどまでに、この光景は妖艶だった。


 



 「はぁ...はぁ...」


 いったいどれほど歩いただろうか。未だ終わりは見えない。私は今ここに何をしに来たんだったか。頭が回らない。意識が遠くなる。

 そもそもなぜ私は歩いているのか。疲れているんだったら寝てしまえばいいではないか。きっと気持ちがいい。


 黒の足が止まる。そしてただ虚空を見つめる。



 そんな黒の様子を近くで見ている姿がある。この迷宮の主である。


 (え...?なんじゃあやつ...めちゃくちゃ精神弱くない???)


 今の黒は状態異常にかかっている。しかし、黒には天使の加護があるので、並大抵の状態異常では無効化される。だが、それを破る状態異常は複数存在する。1つは黒化。そして今まさにかけられているもの、妖畏よういだ。この術が使えるものは、あやかし族の中でも上位のものだけである。これを防ぐ術は強き心。高い精神力しかない。故に無邪気な心を持つ子供、例えばアヤやマヤには効かないが、疲れ疲弊した心を持っている者には効果てきめんである。また、この術が畏れられる所以は、1度かかると1生幻の牢獄に閉じ込められてしまうという点である。


 「はぁ...まったく、驚かせおって。あのデタラメな強さは何だったというのじゃ...」


 暗闇から、すぅっと、愚痴を溢しながら黒の前に1つの影が降り立つ。


 黄金に煌めく長髪と、それをかき分けて頭上で存在を主張する尖った両耳。そして何よりも目を引くのは、両の手では抱きかかえられぬほどの太さを持つ9つの尾。見まがうこともなく、それは黒が求めていた狐娘であった。しかも、ちゃんと見た目はロリであった。


 しかし、黒は反応を示さない。示せない。薄く空いた口から唾液を垂らし、虚空を見つめるのみ。


 「さて、ワシに恥をかかせてくれた礼をせねばな?何をしてやろうか...」


 まさにゲスな笑みで整った顔を歪ませながら、黒に近づく。


 「そうじゃな~。人間は腹黒いと聞いたことがある。どれほどのものか見せてもらおうかの?」


 そう言うと、のじゃロリ狐娘(略:ロリ狐)は黒に近づくと、黒の腹を指でなぞる。


 「せいぜい自身の闇に喰われて死なぬようにな?」


 「がっ!?あっ!?」


 狐が言い終わると同時、黒の顔は苦悶の表情に包まれる。そしてそのまま、黒の内から湧き出た闇に飲まれ、黒の姿は見えなくなった。





 ◯●◯●



 セミの声が聞こえる。この鳴き声は何ゼミだったか。この声を聞くと夏の終わりを感じる。特に夏が好きなわけではないが、寂寥感が胸を占める。


 そんな黒の前には、1人の幼女が歩いている。黒色の髪を揺らし、背負う赤いランドセルは夕日が反射しより一層赤く染まっている。


 これは幼き頃の黒だ。この日は、寄り道をして河原で本を読んでいたので帰りが遅くなった。丁度私が自分の体質に気づき始めた頃。思えばこの頃から、1人でいることが多くなった気がする。


 今見ているこれは、記憶だろう。よりにもよって、こんな日を思い出すなんて最悪だ。出来るならば、忘れてしまいたい記憶。この日は黒のこれからの人生を左右した日。


 前から同じ年頃の子が数人走ってくる。幼い私はその姿を確認すると、横手にあった路地裏に入って身を隠した。この日は読んだ本がとても素晴らしかったので、余韻に浸っていたかったのだ。出来るだけ人に会いたくなかった。


 通り過ぎる音を耳で聞きながら、路地裏から出ようとする。しかし、幼い私は出てこない。


 私はこのあと、さらに路地裏の奥に向かう。嗅いだことのあるような、しかしそれが何だったか思い出せない不快な臭いがしたのだ。本の余韻に浸りたいんだから、引き返せばいいものを、幼い私はそれをしなかった。


 つい、手を伸ばしてしまう。そっちに行ってはいけないと。お願いだから行かないでくれと。


 そんな思いも虚しく、私の手は幼い私に届かない。


 

 ◯●◯●



 それから何度も過去を見た。いつしか私は暗い空間に座り込んでいた。


 疲れた。もう何もかも疲れてしまった。


 もう動きたくない。ここでこうしていれば、もう何もしなくていい気がする。


 私は自分の足に顔を埋める。微かに聞こえるのは、私の呼吸音と心臓の鼓動音。


 ここにはそれ以外の音はない。





 どれほどの時間、そうしていただろうか。


 気が付くと、私の前に誰かが立っている。


 見上げるが、顔が見えない。ただ黒い何かがそこにいる。



 そいつが私に言う。『君はもう眠っていい、あとは私に』


 そいつが私に言う。『もう苦しまなくていい。眠っていいんだ』


 そいつが私に言う。『さぁ早く。はやく。ハヤク...』



 そいつは私に向かって手を伸ばす。


 私はそいつの手を握ろうと、手を動かした。


 その時、何かが地面に落ちる。


 

 拾い上げて見てみると、それは鮮やかで、どこまでも透き通るような青色をした花。


 これは出発の日に、アヤとマヤから貰ったものだった。


 確かこの花の名前は。元々は、灰色の花なのだそうだが、大切に育てていると青色に変わるらしい。


 青色に変わったアオナリには、育てた人の心が宿ると言われている。


 花言葉は、未来、純真な心。


 



 視界が霞む。いつの間にか、黒は泣いていた。


 涙が止まらない。


 心の奥底から、何かが湧き上がってくる。


 それは一瞬のうちに心を満たし、尚も湧き続ける。


 収まり切らなくなったそれは、清流となり、黒の心から溢れ出す。


 顔を上げると、何もなかったはずの暗い部屋には、青空がどこまでも広がっていた。


 

 いつの間にか、黒い何かはもういなかった。


 

 溢れて止まらないこの感情は、いつも心の奥底にあった。

 これが何なのか、いつの間にか忘れてしまっていた。


 



 ーああ、私は楽しく生きたいんだー



 


 ◯●◯●


 闇に飲まれた黒をロリ狐は観察していた。


 「それにしても人間の身に秘めていたとは思えんほどの闇じゃな...」


 黒を包む闇は濃く、深い。常人の数百倍と言ってもいいだろう。普通はこんな状態で生きていられるとは思えなかった。


 「...?」


 「なっ!?」


 最初は小さな違和感だった。黒が白く光っているように見えたと思ったら、周りの闇を瞬時に飲み込む程の光の奔流となって、部屋を飲み込む。


 「な、なんじゃ!?」


 こんなことは初めてである。普通であれば、妖畏よういにかかった者は醜い出来そこないの妖になり果てるか、体が負荷に耐えられずに朽ちて消える。


 光が収まり、やっと視界を取り戻したロリ狐の前には、銀を帯びた純白の髪を持つ黒が立っていた。


 その姿を見たロリ狐は悟る。


 (やっぱダメっぽいの...)


 

 長く生きていると、諦めが早くなるものだ。特にワシの感は良く当たる。

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