6話 私は今試してみます
「んぅ...?」
木に寄り掛かったまま寝てしまったらしい。身体の節々が痛い。しかし、寝る前に身体を支配していた倦怠感や強烈な痛みはない。その事実に黒はほっとした。
それにしても、先ほどから鳴っているこの音はなんだろうか。
黒は音の鳴る方に視線を向けて、固まる。
そこには、
タヌキと言っても、黒が知っている普通のタヌキとは違う。大きく膨らんだ腹を叩きながら直立している。大きさはだいたい1メートルほどだろうか。結構な迫力があった。タヌキは黒を直視し、ひたすらお腹を叩いている。
「えっと...え?」
正直この状況が謎すぎて、黒は固まってしまう。一旦、頭の中を整理しようとこれまでのことを思い出す。
異世界に来て、ドラゴンに飲み込まれた。そしてなんだかんだあって脱出し、疲れて眠ってしまったのだ。思い出したら思い出したで、かなり困惑する内容であった。そもそも、どれぐらい寝ていたかも分からない。
眠りにつく前は、まだ空は明るかった。今は、そのころよりも明るい感じがする。となると、ほぼ丸1日眠ってしまっていたのだろうか。
元いた世界で、外で寝るようなことをしたら何をされるか分かったものではない。そう思って、黒は気づく。ここは異世界で森の中なのだ。異世界と言えば、魔物や怪物のようなものが住んでいると相場が決まっている。ドラゴンのこともある。何事もなく今生きていられるのは、奇跡なのではないだろうか。黒は身体を震わせた。
となると、今私の目の前にいるタヌキ?のようなこの生物が魔物なのだろうか。それにしては、襲ってくる気配がない。
「......」
ひたすら見つめ合う。その間もタヌキはひたすらにお腹を叩いて音を鳴らしている。
「よしっ...」
少し落ち着いて気がついたが、黒はかなり空腹であった。丸1日寝ていたとしたら、ほぼ2日なにも食べていないことになる。喉も乾いているし、正直このままでは生命活動をする上で非常によろしくない。
意を決して黒は立ち上がる。すると、その様子を確認したタヌキは腹を叩くのをやめ、二足歩行で森の奥に歩き去っていった。
「えぇ...」
正直、拍子抜けした。最悪戦闘することも考えていたのだが、なにもすることなく立ち去るとは思っていなかった。
「まぁ...顔は可愛かったし...戦わずに済んでよかったけど...」
釈然としない気持ちが残ったが、それよりも飲食である。それに、お風呂にも入りたい。汗や泥、胃液に塗れたせいだろう、かなり臭っている。しかし、こんな状態でもこのワンピースは綺麗な状態だし、少しだけだが、花のようないい香りがする。このワンピースを普通にくれたアリシアには本当に感謝だ。
「でも...そもそも、ここどこ...」
◯●◯●
歩くのが別段嫌いじゃない黒は、とにかく歩きながら考えようと、適当に森の中を進んでいた。
「そういえば、私の今のステータスって...」
眠りにつく前に一度確認したが、しっかりと見ていなかった。改めてステータスを見ようとする。
「えっと...」
ステータスを出そうと頭の中でイメージする。そうすると、頭の中でステータスが浮き上がる。正直この動作には慣れていないので、結構疲れる。黒化状態のときはスムーズに出来ていたが、普段だとちょっと手こずる。それでも、1度出した感覚は覚えているので出せなくはない。
━━━━━━━━━━━━━━
筋力:82
魔力:132
魔量:1320
精神力:26
物理耐久力:82
魔力耐久力:132
俊敏力:82
━━━━━━━━━━━━━━
スキル:共感覚A 天使の加護-
特殊パラメータ:黒力50
レベルが結構上がっていた。どうやら、経験値的な概念があるらしく、ドラゴンを倒したことが要因となっているらしい。
「魔量を除けば、1レベルに2ずつパラメータが上昇するのかな...?」
ステータスについては、文字からそれぞれのパラメータがどんな意味を表しているのかが予測できるのが救いだろう。だが、この値がこの世界においてどれほどのものなのかが分からないのが不便である。やはり、比較対象を見つけないことには深く知ることができない。
「そもそも文字が分かるっていうのがありがたい...」
黒のいた世界と同じ文字でステータスが表記されていることも、黒にとって救いであった。そうなると、黒の話す言葉がこの世界にいるであろう人々に伝わる可能性も考えられるため、喜ばしいことであった。
「そういえば魔法使えたんだよね...食べ物出す魔法とかないのかな...」
あの時はいろいろと普通じゃなかった。そもそもなんで魔法が使えたのか謎である。ちなみにあの時使った剣は壊れてしまったため、ドラゴンと共に置いてきた。
「やってみたらできたりして」
やってみなければ分からない。いろいろな事を試そうとするのは、黒が大学院で研究しているということもあるが、そもそも楽しそうなことを調べるのは好きなのである。流されるままにやっていた院での研究はつまらなく、やる気が全く起きなかったというのは黒の心の中だけの本音であるが。
「えっと...リンゴ、でろ!!」
適当な掛け声と共に右手を突き出してみる。しかし、何も起こらない。何故リンゴなのかというと、ふと思いついたのがリンゴだっただけだ。
「う~ん...」
魔法を使ったときのことを思い出す。あの時は剣をより固く、強くしようと思っていた。それが言葉となって、口を出たのだ。また、詠唱と同時に心にある活力みたいなものが剣に流れていったのを感じた。もしかしたら、今も胸の内に感じるこれは魔力的な何かなのだろうか。
そうだとしたら、イメージとかが重要なのではないかと思った。試すほかない。もう一度やってみる。
「リンゴ...でろ!!!」
やはり、なにも起こらない。一応ステータスを確認するが、なにも変化はなかった。
「う~ん...やっぱり無理なのかな...」
そもそも、黒のやったことのあるゲームなどの知識では魔法とは、レベルやイベントで覚えたものを選択することによって発動する。しかし、この世界に来て黒は何も覚えていないし、選択画面など存在しない。そう考えると、そもそも使えるはずがないように思う。
「でも使えたし...」
考えていて、見落としていた点に気づいた。魔法名のようなものを述べていなかったのである。さすがに『リンゴ...でろ!!』が魔法名とは言い難い。
「えっと...」
魔法名を考えて、黒はもう一度試してみる。
「
叫ぶと同時に、黒の胸の内から活力のようなものが流れていくのを感じる。その奔流は突き出した右手を通り、空中でリンゴを形作る。1秒も待たずに、黒が思い描いたリンゴが右手に収まっていた。
「おぉ...」
使えるか使えないかは半分半分だったため、実際に使うことができて黒は感動した。
「...」
黒は喉を鳴らしながら、リンゴを見つめる。そもそも、魔法を使って生み出したものだ。食べられるのか謎である。それでも、黒のお腹は早く食わせろと暴虐の限りを尽くして暴れている。これが講義中の教室の中だったら、恥ずかしくて途中退室するレベルである。
意を決して、黒はリンゴを食べてみる。
「...!!」
結果としては、普通に食べられた。触感もしっかりと食べたことのあるリンゴである。だが...
「味が...ない...」
そう。味がなかった。加えて言えば、匂いもなかった。これでは、栄養があるのかどうかすら怪しい。イメージでは、蜜を含んだみずみずしいリンゴの様子や味を記憶の限り思い出したはずである。それでも、結果がこれということは、魔法で食べ物を作りだすことは不可能ということなのだろうか。やはり、そうそうおいしい話はなかったということか。食べ物なだけに。
黒は自分で考えておきながら、絶望的に落ち込んだ。
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