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「……気が付いたら、私は馬車に揺られていました。ギチギチに詰まって。でも村の人たちは、私をしきりに心配してくれていました」

「なるほど、ね」

「聞いた話だと、エリック兄ちゃんたちを探すためって、村の力自慢たちが森に入っていって……。でも、一晩たっても全員帰ってこなかったそうだす。だから、クランに助けを求めましだ。最初は村のみんなも、敵討ちに必死でした。でも、さっきおっしゃった通り、すぐに動いてはくれなくて……。余所者の私たちのために、魔法使いが動いてくれるのは、ずっとずっと後。いや、もしかしたら一生その日は来ないかもしれねえと、みんな薄々気づいたんです」

「ボーンイーターは大規模移動をしないからね。それに、マディル周辺には人が住んでいるところはないし、マディルと交易を結ぶ者もいない。独立した村だ。今すぐに倒す必要性は、正直なところない」


 下手にボーンイーターを排除して村へ帰すより、体力のある彼らを確保して労働力に使うという考えもあるのだろう。

 そうハルトスは考えたが、口にはしなかった。


「それに、ボーンイーターを倒したとしで、そのあとの村で平穏に暮らしていけるんかってみんなが。生活基盤も整えてくれるとクランの偉い人が言ってくれで、ならそれに甘えるのもいいんじゃないだろうか。犠牲になった人はここで弔って、もう近づかないで忘れてしまえばいいんじゃないかって。そんな空気になり始めているんです」

「あなたは、どう思っているの? なぜあなたは、魔法使いの事務所をわざわざ探して、一人で依頼に来たのかしら」


 アルカの紅い瞳が、真正面からリンを見据えた。

 リンの心に貼りついたメッキが剥がれ落ち、内側に眠る本心を引き出そうとしているように見えた。見ないふりをしていた現実に直面させる。それは残酷だが、彼女なりの優しさでもあった。


「……エリック兄ちゃんたちはじめ、犠牲になった人の家族は何としても退治してやろうって。でも、村長さんたちは今は自分たちのことに専念しようって……」

「そうじゃないわよ。リンちゃん、あなた自身はどうしたいのか聞いてるの」

「私は……」


 リンは、押し黙った。握りしめた両こぶしの震えが、テーブルをカタカタと揺らしている。目からは涙が零れ落ちていく。二人は、それをただ見守っている。


「……懲らしめでやりたい。村に戻るのが難しくても、敵は討っでやりたいです」


 ぽたりぽたりと垂れた雫が、机の上に水たまりを作っていた。


「エリック兄ちゃんだぢは、友達だっだんでず」


 最後の方は、訛りではなく涙声だった。




 ようやく落ち着いたリンが、真っ赤に腫れた目でアルカを見つめる。何か考えているように髪をいじる魔女に、心の中に抱いていた提案を彼女はぶつけていく。


「……私も、お二人と一緒についでいっちゃ、ダメですか?」


 少女の提案は、二人を絶句させるのに十分だった。


「はぁ!? リンさん、君はいったい何を言って」


 まくしたてようと詰め寄るハルトスを、アルカが腕で制する。微笑ではなく、裁判員のような厳しい目になっていた。


「リンちゃん、貴方は魔法使いでもなければ、銃も剣も扱えない。それでも、着いていくというの?」

「……はい。私は、魔法もできなきゃ槍も使えない、本当になにもできねえ臆病者の田舎娘です。でも、どうか私を一緒に連れて行ってください。村の人たちには黙っていきます。死んだのなら、そこで潔く死にます。大切な村を奪った化物が死ぬところを、この目で見たいんだす。だからどうか、お願いします」


 机に額をぶつける勢いで、リンが頭を下げた。だが、ハルトスはその後頭部に声をかけることができない。

 彼女に向かい合って座るアルカの紅い瞳が、より深い色に変わっていく。自堕落な女の擬態であるはずの彼女が、今は誇りある偉大な魔女であることをハルトスは理解していた。


「いいでしょう。魔女アルカ・ラフィーナの名において、貴方の復讐の完遂をお約束いたします」

「あの、依頼料は……」

「あなたが払えるだけで構わないわ。そんなことは、復讐が終わった後に考えなさい」


 出発は明日、早朝よ。ここに来なさい。私がなんとかするから、村の人には絶対に黙っていること。とアルカは言った。優しい声だった。

 リンは何度も何度もお礼を言い、ドアを開けて出ていった。




「本当に連れていくつもりですかあの子。覚悟を決めたと彼女は思っているでしょうけど、アレは一時の気分で舞い上がっているだけですよ。俺たちにとっては負担でしかない」

「わかってるわよそんなこと。ならば私たちが守ってあげればいい」


 帽子を取り、白い髪を整えながらアルカは言った。


「そう依頼を受けたのなら、全力を尽くすべき。それに、過酷な現実に直面して彼女が変わるのなら、それを歓迎するべきじゃないかしら」

「……死んだら変わるもなにもあったもんじゃないでしょうに」


 ぶつくさと文句を言いながらも、彼女の意見に従うことに決めていた。普段は蔑ろにしていても、アルカ・ラフィーナという魔女は彼の師匠なのだ。


「ところでハルトス、気づいたかしら?」

「なににです?」


 真面目な顔がほころび、にやけた笑いに戻ったアルカが騒ぐ。


「アダマンタイトよアダマンタイト! あの子、服の下にネックレスを隠してたわ!」

「……ああ、そういえば丸い紫の宝石をあしらったネックレスをしてましたね」

「あのサイズなら売れば50万イセカにはなるわ! お酒とかお肉とかいっぱい食べられるじゃない!」


 どうやら彼らには透視のような能力があるようだった。あるいは金の臭いに敏いだけかもしれない。


「でも、資金は贅沢じゃなくて生活費に使いますよ。節約すれば三か月は保つ金額ですからね」

「ケチ!」


 二人がそんな会話をしていることも知らず、リンは帰路につきながら震えていた。服の上からペンダントを握り、明日の戦いに参戦することの恐ろしさの一端に、今になって感じ入っていた。




「おっ、来たね」


 ハルトスに連れられて事務所前に現れたリンに、アルカが気安く声をかけた。

 霧も深い早朝、彼女ら以外に人影はなく、ネズミらしきものが物陰でうごめくのを視界の端に認められる程度だ。

 アルカの服装は昨日事務所で見たものと変わらない。手ぶらで、長い髪の毛を手櫛で整えていた。


「それにしても、随分いいところに住んでたね。僕らの事務所はあのザマなのにさ」


 ハルトスが言う。嫌味ではなく、本心から羨ましがっているようだった。貧乏暮らしの原因をちらりと睨むと、アルカはバツが悪そうに紅い瞳を逸らして口笛を吹いた。ハルトスがハンチング帽を目深にかぶり、深い息を吐いた。

 彼は、薄茶色の半ズボンをサスペンダーで止めてその下に白いシャツを着こんでいた。斜め掛けにしたバッグの色は濃い茶色で、地味ながら見栄えのコントラストに気を配った洒落た装いだった。灰色のハンチング帽の脇から栗色のくせ毛が少し出ている。銀行員や新聞屋をそのまま子供にしたような、そんな印象。腰のホルスターに指した一丁の魔術駆動式銃を除けばだが。


「あの……本当に村の人たちには黙って出てきたんですけど、大丈夫でしょうか」

「心配ご無用ですわ。むしろそれが好都合。ハルトスさん」

「はいはい」


 ハルトスが差し出したカバンをアルカが漁ると、ゴソゴソと取り出したのは、真っ白な人形らしき魔道具だった。『らしき』というのは、それが人間状のシルエットをしているというだけで、目鼻や服などのパーツが何一つついていない、前後も判別できない代物であったためだ。大きさは十五センチ程度。振ると水の詰まった袋のようにぶにぶにと揺れる。


「リンちゃん、ちょいとこれに触ってみて?」

「え? それに、ですか」

「そ。いいからほら、怖がらずに」


 促されるままに、リンはおずおずとその人形らしきものにほんのちょっぴり指先で触れた。

 それだけでもよかったようだ。変化は急速に表れた。

 殺風景な姿の人形の表面が、まるで湖に石を投げ込んだみたいに波紋が浮かびあがる。それは触れた場所を中心として、人形の全身まで行き渡った。


「離れててね」


 ペキッ。と人形から軽い音がした。それは小動物の骨を折るような小さな音だったが徐々に頻度を増していき、大群の虫が鳴いているみたいに轟いていく。

 人形がアルカの手の中でもだえ苦しむように暴れ始めた。リンは驚いて腰を抜かしそうになっていたが、当の魔法使いコンビは「相変わらずちょっとうるさいわね」と涼しい顔をしている。

 握りしめたアルカの手から人形が這い出した。芋虫のような、全身を駆動させた動き。彼女は特に捕まえようとせず、そのまま地面に落ちるのを見守った。聞こえたのはベチャリといった生々しい肉の音だった。凍り付いた瞳で見つめるリンの前で、人形に起きている現象は最後の工程に突入していく。

 存在していなかった目鼻が盛り上がるように現れ、人間の顔になっていく。髪の毛がどんどん伸びていき、肩ほどの長さの茶髪になる。首から布状の物が形成される。虫の幼虫が繭で体を覆うみたいに、それが全身に巻き付いていく。布状の膜は様々な色彩がマーブル模様に絡み合った極彩色のものだった。

 人形は、見る間にどんどんとサイズを膨らませていった。絶句するリンの頭の高さまで成長していく。首から延びていた膜の色彩が安定し、規則的な模様のようなものを描いていた。それがついに首から千切れて、ふわりと体に纏われた。


「はい、完成」


 そこに立っていたのは、姿かたち服までもがリンと瓜二つになった、人形だった。


「『ドッペルゲンガー』という術式よ。触れた対象をコピーして日常生活を送らせる。だいたい悪用しかされないから規制されてて、バレたら即刻処罰対象ね」

「……大丈夫、なんですか?」

「バレなきゃ大丈夫。バレたら大丈夫じゃない。だから、依頼をきちんと片づけて帰らなきゃいけない。おわかりかしら?」


 リンは、その発言がアルカなりの発破であることを理解した。


「……ありがとう、ございます」

「よろしい。さて、善は急げと申しますし早速出発しましょう。これから馬車を用意するからちょっと待っててね」


 リンを少し離れさせ、ハルトスのカバンから一枚の紙を取り出す。呪文を唱えて青い発光体を紙から出現させながら、ぽつりとアルカが小声でつぶやいた。


「ま、ぶっちゃけると私ならバレたところで、色々面倒なだけでなんとでもなるけどね。世の中は『コネ』と『逃げ道』と『喧嘩の強さ』ってもんよ」

「ほんと、いい性格してますよね師匠は」


 師弟の会話は聞こえていないだろう。もっとも、それよりも大きな感動がリンを包んでいて、耳を傾ける余裕はなかった。

 青い発光体が馬の形になり、馬車の形になり、それが連結して一台の馬車になる。色彩が変化し、馬車の部分は赤を基調とした美しいデザインのものへと変わる。それを、青い魔法の馬が引くのだ。

 キィ。とひとりでに馬車の戸が開き、全員乗り込んで出発する。

 不思議なことに、蹄の音も車輪が石畳を削る音も聞こえない静かな走りだった。

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