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「どうぞお掛けください」

「あ……どうも……」

「失礼ですが、こちらまだ食事が済んでいないので、ご依頼についてはその後でよろしいですか?」

「え、えぇ……大丈夫だす」


 もじもじと手を擦りながら赤い顔でちょこんと椅子に座る。着ている服は年季が入り、クランの町民のようなデザイン重視ではなく丈夫さが重視されている。動き回るための機能的な装だ。殺風景な無地のスカートが、少しめくれているのも気にせぬまま座っていた。

 ここではない。どこか別の町……いや『村』が妥当か。言い方は悪いが田舎者。そんな気配を感じる。

 ハルトスは己の知識を検索していき、そしてつい最近に起きたとある事件に思い当たった。彼は、依頼人であるこのそばかすの少女が、マディル村からクランに逃げてきた村民の一人であると結論づけていた。


「ハルトスさん。スープが冷めてしまいますよ?」

「……お気遣いありがとうございます、師匠」


 アルカは、魔法でも使ったのだろうか一瞬にして着替えを済ませていた。黒いローブはボディラインを崩さないように細部まで気遣われた一級品で、サイドには金の刺繍で魔術言語が編み込まれている。黒い大きな帽子は先が尖り、その下にある顔は見たものをドキリとさせる微笑を常にたたえていた。

 アルカは、依頼人と会話をする際、このような装いをする。普段の姿を見られるのはさしもの彼女でも恥ずかしいらしい。ただし、これは自分を知らない依頼人の初見での対応で、それ以降はいつも通りだが。ハルトスは(気持ち悪い……)と師匠を一瞥しながら、自分の分の皿から肉を取ろうとする。

 グゥ。と腹が鳴った。

 依頼人の少女が赤い顔で自分の腹をさすった。


「ご、ごめんなさい!」


 椅子に座ったままでおさげの頭を下げる。だが体は正直なようで、グゥグゥと音が続いて鳴り、彼女の顔が羞恥でリンゴのように真っ赤っかになっていた。


「あらあら、うふふ。ハルトスさん、彼女にもスープをさしあげて?」

「い、いえ! お構いなく! そんな、悪いですから!」

「いいのよ。遠慮しなくても」


 優しく微笑みながら、アルカが少女の頬を撫でる。白い手つきは官能的で、少女は息を呑む。

『一つ目の巨人と一人で戦う魔法使いを見た』

『国を丸ごと魔法で洗脳してしまった魔女がいるらしい』

 村の大人たちが語っていた、魔法使いという存在。それが今、目の前にいることを少女は悟ったのだ。


「お名前は?」

「リ、リンと言います……」

「そ。リンちゃんって呼んでいいかしら?」

「は、はいぃ……」


 先ほどとは違う感情で赤くなるリンの目の前に、白い皿がドスンと置かれる。差し出したハルトスが何か言いたげな視線を注いでいたが、リンには何のことだかわからなかった。

 皿には、大ぶりのもも肉やその他雑多な部位が半透明のスープの上に浮かんでいる。香草らしきものも一緒に入っているが、なんだか得体のしれない香りが料理から漂っていた。


「で、では……いただきます」


 リンは頂き物を遠慮できる性格ではなかった。受け取ったフォークを手に、恐る恐る肉の切れはしを刺す。なぜか妙な弾力があった。肉のそれよりは、焼いた魚の目玉が近いかもしれない。ボソボソで硬いのが食べる前からでもわかる。祈りを捧げながら口に入れ、噛んでいくと、どういうわけだか妙に生臭い風味がした。水が悪いわけではなく、肉そのものの繊維から滲んでくるようだった。


「あの……これ何の肉ですか?」


 リンが訊くと、ハルトスは肉を咀嚼しながら「スカイコッコ」と答える。

 それを理解した瞬間、リンは口の中の物を噴出した。「ブフゥッ!!」といい音がして、机の上に飛沫が散る。素早い反応でアルカたちは皿を持ち上げて躱していた。


「なにしてんのよ汚いわね!」

「ゴエッフ! ゴホッ! ……え?」

「あ、いや……いけないわよリンちゃん。女の子がおつゆ飛ばすなんて、はしたない」


 アルカに一瞬素が出た。取り繕うように余所行き口調でたしなめるが、リンは信じられないものを見るような眼をしている。ただ、それはアルカの素の口調に気づいたわけではなく、食べた料理にあるようだった。


「だ、だって……スカイコッコですよ! あれ、ゴミを穿り出して食べる汚い鳥じゃないですか! 私の村でも食べませんよ!」

「…………ふふふ、魔女はね、貴方たち普通の人と同じ食べ物は食べないの」

「金がないだけですよ。ちなみに一緒に入ってる草はその辺の雑草です」

「お黙りなさいハルトス」


 口についた汁をハンカチで拭い、彼らを見る。テーブルを綺麗にしたあと、何事もなかったかのように平然と料理を口に運んでいた。あんな汚い鳥を食べるなんて。身震いを覚え、彼らが超人であるという確信を強める。


「ところで……リンちゃん? 依頼があるということみたいだけど、そろそろ聞かせてはくれないかしら」


 肉の最後の一切れを飲み込み、口を拭きながらアルカが問う。本題に入ることを知り、リンの肩がビクリと震えた。そこに怯えの感情が眠ることを二人が察知する。こういう場合、往々にしてその内容は『退治』となる。得意分野の依頼であると知り、アルカはハンカチで隠した口をニヤリと歪ませる。


「もしかして、あの事件のことかな? 君はもしかして、マディル村出身なんじゃないかな」

「は、はい。そうだす。でもなんで、それがわかったんだす……?」

「魔法使いにはね、いろいろと情報網があるものなんだよ」


『友人のミシェルにまだ新聞に刷っていない情報をこっそり流してもらっているだけ』というタネを大げさに表現しながら、ハルトスが己の推理を展開していく。


「ボーンイーター。そういう名前の魔物が、マディル村周辺に現れた。村民三名が死亡。四名が安否不明。まぁ、亡くなられただろうけど。で、危険性を察知した村長の判断でマディルを出て、道中でクランへと向かうキャラバンに拾われ、現在は西区の一区画に仮住まいをしている、と。これが一週間前の出来事」

「……はい」

「その間、クランの正規魔術師連合が大きな行動をとった例はないね。依頼をしていないということはないだろう。受け入れられてはいるけど、はっきり言って貴方たちは余所者だし、国に討伐依頼をしても後回しにされてる。ってところかな」

「頭が固いですからね彼らは。全く動いてくれないクランに痺れを切らし、野良魔法使いである私たちの事務所に来た。そういうわけですね」

「……そうだす」


 スゥ。と深呼吸。拳を握りしめながら、リンは言った。


「ボーンイーターを退治しでください」

「よろしいでしょう。お引き受けいたします」


 あっさりと承諾したアルカは、優雅な仕草でスープに沈んだ骨を一本取った。それを指の動きだけでポンと投げ上げる。天井スレスレまで到達した骨が重力に従って落ちていき、アルカの眼前に来た。

 スバン! と綺麗な音。常人並みであるリンの動体視力では、アルカがその細い腕を高速で振ったことに気づくことはできなかっただろう。コンと軽い音をたてて落ちた骨は、一見すると何も起きていないように見える。

 アルカはもったいぶった動きで骨をつまみ、もう一方の指先で骨をピンとはじいた。

 すると、その骨はまるで紐がほどけてしまった荷造りの荷物のように、パラパラと薄くはがれて落ちていった。切断したのだ。どんな術を使えば、どんな武器をどれほどの速さで振れば、軽い骨を空中で薄くスライスできるというのだろうか。


「差し支えなければ、ボーンイーターが現れたその日について、詳しいお話を聞かせていただけるかしら?」


 アルカの笑顔に無言でおずおずとうなずく。それと同時に、ハルトスがほとんどお湯と変わらないような薄い紅茶を彼女の前に差し出した。




「切っ掛けも何もなぐ、本当に唐突に……私たちは村を追われました」


 出された薄いお茶を飲みながら、つらつらと語っていった。


「お兄ちゃん……といっでも、実の兄というわけでなぐ、小さいころから遊んでぐれていただけの友達ですが、仲はよかっだです。でも、死にましだ。ヤツに殺されましだ」


 ふう。とため息を吐く姿は、歳不相応に大人びて見える。彼女の言葉通りに友人が死んだ割には、どうにも落ち着いて見えた。ドライな性格なのか、あるいは、直面した現実があまりにも過酷で、心が反応することを拒絶しているのかもしれない。

 彼女が紡ぐ言葉に、アルカたちは大人しく聞き入っていた。

 深い森の香りを感じていた。




 クラン国より大きく東、山を越え広大な草原を超えた先にあるマディル村は貧しい小村だった。村名の由来となった『マディル』という樹木に囲まれた、森の中の小さな村。建築用の木材として用いられることもあるが、加工の難しさから代替建材に取って代わられ、村の中で細々と経済を回すだけとなっている。だが森の中という立地条件のため自然の恵みは充実しており、食には困ることがなかった。時折村の者がクランへ出稼ぎに出て戻ってこない以外は、穏やかな変わらぬ時間が流れている。そんな村だった。


「そっち行ったぞー!」


 村の青年たちがマディルを削り出した槍を手に、灰色猪を追いかけていた。幼いころから何度も遊んだ森の中、彼らの足取りは軽かった。むしろ獣の方がぎこちなく逃げ回っている。

 追い回される獣は誘導されていることに気づいているだろうか。彼の眼では、森の地面の一部、不自然に盛り上がった個所があることに気づけない。重い体重がそれを踏むと同時に、強力な力で足の一本を取られ、地面が遠ざかった。宙づりになったという状況を獣の脳では理解できないのだろう。暴れるでもなく叫ぶでもなく、ただ茫然と開いた口から涎を垂らすのみであった。


「っよし! 今夜は焼肉だべな!」

「毛皮もきちんとしとる。やっぱり罠が一番だなぁ。槍だと穴開いちゃうし」

「おいおい、それじゃ俺の立つ瀬がないべよ」


 楽し気に談笑しながら、男たちは千貫の準備を整える。手慣れた動きだ。

 と、ナイフで頸動脈を切断しようとした手が止まった。森の向こう、自分たちが通ってきた道を、スカートの裾を捲り上げながら息を切らせて走ってくる一人の少女。リンであった。


「はぁ……ちょっとみんな、足速すぎ……」

「て、リン! 本当についできたんか!?」

「だって、みんな絶対に連れてってやんねって……」

「馬鹿っ! 獣に襲われたらどうするつもりだったんだぁ!」

「だってぇ……」


 見下ろしながら怒鳴りつけるその顔には、心配の色が濃く出ていた。一回り年下の少女は、彼らの腰程度までしか身長がない。おどおどした仕草だが、裾が泥で汚れているのに全く気にしている様子がないのは、裁縫や料理よりも野山を走り回ることに興味が寄っている証左だった。


「ったく……お前のお転婆には参るよ」

「ごめんなさい」


 叱りつけられたリンの目に涙が浮かんでくる。三人の青年たちはバツが悪そうに顎を掻いた。


「んー、じゃあ、血抜き、見でくか? ちょいと気分悪くなるかもしれねえが」

「いいの!?」

「血抜きで喜ぶ女の子なんて珍しいなぁ、まったく」


 目を輝かせる少女を離れさせ、灰色猪のすっかり動かなくなった首にナイフを当てた。力をこめて、その熱い毛皮の向こう、命の源を断とうとする。


「ブゴッ」


 一瞬だった。そのか細い鳴き声を最後に、その猪は、消えた。目の前から一瞬にして、その姿が見えなくなる。


「すごい! チヌキって猪を消しちゃうの?」

「いや、そんなわけねぇ! なんだ、なにが起こっ」


 そこから先は、言葉にならなかった。

 頭頂部から顎まで、尖ったものをねじ込まれて喋れる存在など、魔法使いか化物くらいしかいないだろう。

 残念なことにそのどちらでもない彼は、顎先からせり出た脳と舌をぶちまけながら、ゆっくりとくずおれた。


「え……」


 年季の差だろう。絶句する少女に反し、残された二人の青年たちの反応は早かった。足は震えていたが。

 手の槍を構え、少女を挟むようにして周囲を警戒する。滲んだ手汗が槍を濡らしていた。


「なんだぁ今のは、槍なんか!?」

「いや違う。クランで銃を見たことがあるが、それでもねえ。見たことない武器だ……」


 地面にうつぶせる死体の後頭部、そこから生えていたのは、象牙色をした、尖った岩のようなごつごつした物体だった。そんなものが頭を貫通する。どれほどの速度があって成立する現象なのか。

 ガサガサ。葉の音色。頭上、マディルの枝が絡み合い、太陽の光を隠している。天然の屋根の中で、何か巨大なものが動いていることに今になって彼らは気づいた。猪をつないでいたロープは、その一角に延びている。影があった。爬虫類に似ている。口に当たる部分に、ロープがつながっていた。


「くっ、あれか!」

「待て! 刺激すんな!」


 だが、止める間もなく一人の男が槍を投げる。熟練された戦士のそれではなく、迫るいじめっ子に石を投げて抵抗する幼子のそれに似ていた。葉のはざまに吸い込まれた槍は、どこかに刺さるわけでも落ちるわけでもなかった。ただ、バリバリと何かを砕くような音が返るきりだ。

 反撃は苛烈なものだった。先ほど槍を投げた男の腹部が、丸ごと消えた。

 音すらも置き去りにする速さで射出された『なにか』は、そのままの勢いに土を剥がして大穴を掘る。まるで墓穴のような暗い穴に、物言わぬ男は落ちるように倒れていった。

 ギシュー! という鳴き声が、マディルの木々を揺らした。先ほどの槍に、木の上にいるなにかは怒り狂っているようだ。


「リン、逃げるぞ!」


 残された二人が弾かれたように振り向き、手を取り合って逃げていく。背後からは、なにか大きな物体が落ちるような鈍い音が聞こえてきた。


「先に走れ! とにかく走るんだぁ!」


 槍でスカートの裾を破り、リンの背中を押す。「エリック兄ちゃん!」と振り返ると、青い顔に震える足で、それでもなお立ちながら「早く行けって!」と叫んでいた。

 物語では、こういうとき「置いていけないよ」なんて叫んで、一緒に戦って勝利を収めるとか、そういう展開がよくある。だけど、直面している現実はもっと巨大でおぞましく、彼女の戦う意思などあっさりと踏みつぶしてしまう。


「逃げろーっ!」


 と叫ぶエリックを置き去りに、リンは泣きながらひたすらに走った。背後から聞こえる彼の叫び声が、悲鳴になっていくのを振り切りながら。必死で走っていたためだろう。後ろから飛んできてつま先に転がったものを、彼女は拾って無心に走り続けた。

 森の景色が徐々に薄れ、舗装された道らしきものにたどり着き、その先には日常が当たり前のようにそこにあった。農具を振って畑を耕している一人の村民が、丸い目でリンを見つめている。


「リ、リン! ど、どうしたんだそれぇ……!」

「大変なの! エリックお兄ちゃんたちが、化物に襲われで……!」

「そうじゃねえ、お前が今、手に持っている物は……」


 夢中だったのだ。か細い意識の中で転がってきた『それ』を、リンは大切なものとして無意識に持ち帰った。

 汗ばんだ意識が冴えていくにつれて、その正体が露になっていく。

 彼女が大事に抱えていたものが、泣き顔のままに固まったエリックの生首であることに気づいた瞬間、彼女はあっさりと失神した。

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