第4話 初日の夜

同日の晩刻――――


 中辛のカレーライスには、手こね牛肉ハンバーグ添え。

 甘海老のポタージュ。特製ドレッシングが三種類もある、野菜サラダ。


 ……想像したよりも豪勢な夕食に、素直に舌を巻く。張り切ったなぁ。


「今夜は御馳走ごちそうだな」

 いつも冷静沈着な父さんもたまらず感嘆の声を上げた。

 それを聞いて母さんは、とっても嬉しそうに笑う。


「フフフ、悠奈と陽一君が手伝ってくれたから、ね!」

 母さんの上機嫌な声でつむがれた言葉に、回復していた心がえぐられる。


 いや……待て。ここでいらついてどうするんだよ。

 大丈夫だって。俺が今日、手伝った事は事実なんだから。別に母さんや父さんが口に出さないからと言って、その事実が無かった事になっているわけじゃない……。


「ねえ、お兄ちゃん」

 しばらく話を振られることはないと思ったつか、俺は悠奈に話しかけられた。


「そのハンバーグ、私が形整えたんだよ? 上手くない!?」


 俺は、切り分けているハンバーグを改めて凝視ぎょうしする。

 悠奈が進言しなければ、誰が作ったのかなんて気にもしなかった。でも気にならなかったという事は、料理上手な母さんと同レベルで出来てるってことだ。


「ああ、そうなんだ?」


 素直に上手いなと言えば良かったのに。

 俺は恥ずかしさのあまり言葉を呑み込んでしまう。


「すごいね、悠奈ちゃん! めちゃくちゃ上手だよ!」


 俺の代わりに陽一が悠奈を褒めた。

 ストレートなめ言葉に、悠奈は珍しく赤面する。


「僕も自分の分を作ってみたんだけれどさ。

 僕なんか、ほらっ……つぶれたテニスボールみたいに不格好になっちゃってさ」


 陽一は自分のハンバーグを指差して、恥ずかしそうに笑った。

 夕食を作っていた時、一緒にいた母さんと悠奈が色々とフォローする。

 料理の盛り付けが上手かった、食器の準備が速かった、などなど……。


 その時、自室で寝ていた俺は何が何やらわからない。

 一緒に食卓を囲んでいるのに、疎外感が俺を襲う。

 いつもの夕食では感じない、感じる必要性のない不快な気持ち。


 あぁ、いつから俺は陽一について色々と考えるようになってしまったんだ。


 そもそも陽一に対して、苛立ちを覚えること自体、いけないこと。

 陽一は、此処ここに来たくて来たわけじゃない。成り行きでこうなってしまっただけ。

 ……陽一だって、本当の家族と一緒にこうやって夕食を囲みたかったはずだ。


※※※※※※※※※※※※


 陽一も両親と年離れた弟、明輝あきてる君の四人家族だった。

 明輝君は、生まれながらに病弱で入退院を繰り返していて、自宅での四人暮らしは合計しても一ヶ月も満たなかった。状態が安定したから一時帰宅が許されても、数日で具合が悪くなり病院にとんぼ帰りなんてざらだったらしい。


 何度目かの退院に、心躍らせていた陽一の父母と弟は、信号無視の大型トラックに衝突されてこの世を去った。


 俺には家族はいるけれど、陽一にはもういない。

 永遠に、いないのだ。

 だから……俺はもっと、彼を気遣わなければならない。

 それはわかってる。でも……。


 ――――俺は、安河内 陽一の事が少し苦手だった。


 苦手意識を持つようになったのは、ごく最近のこと。

 親戚付き合いが盛んだった昔は、陽一との仲は、良好以外の何物でもなかった。

 陽一は活発で茶目ちゃめのある笑顔を浮かべる楽しい奴で、クラスメートの誰よりも気が合った彼のことを親友、いや兄だと思って心から慕っていた時期もあった。


 追いかけっこ。早食い・大食い。かくれんぼ。

 遊びと称される競争の勝敗は記憶にないものの、どの遊びも、心の底から楽しんだ感情は、いつまでも心に残っている。


 半日があっという間に感じられるほど、実に充実した濃厚な時間を過ごし、遊びに遊び倒しても足りないくらいに大好きだった陽一と会わなくなったのは、彼の弟が生まれてからだ。

 明輝を治す為に、最先端医療を誇る総合病院がある他県へ頻繁ひんぱんに通うようになった陽一の両親には、とてもじゃないけれど親戚との親睦しんぼくを深める余裕がなくなった。


 そして……陽一とも会えなくなってしまった。


 父方の実家に向かっても、いつも会えていたはずの従兄の姿がない。

 それが悲しくて、寂しくて、辛かった時期もあったはず。


 それなのに、俺はいつから陽一が苦手に?


 ……そうだ。そもそも学校に通うようになってから、いつまでもお子様気分じゃいられなくなったんだ。

 俺は学区内にある公立学校に自動的に入学したが、陽一はお受験をした。

 そして、誰もが知る難関私立学校に見事合格した。

 お互いの入学祝いの時、親戚の誰かから教えて貰った事実。

 それを聞いた母さんは父さんとその日の夜、長く長く話し合いをして。

 それ以降……父さんも母さんも、事あるごとに、俺と陽一を比べた。


「陽一君は毎日、授業の予習復習をしているのよ」

「陽一君は一日、最低でも二時間は勉強するんだから」

「陽一君は率先して家の手伝いもしているんだ」

「陽一君はゲームばかりしていないぞ」

「陽一君は良い子だ」

「陽一君は……」「陽一君は……」「陽一君は……」


 両親からすれば、息子に発破はっぱを掛けているつもりなのだろうが。

 性格も育った環境も違うのに同じように出来るものと言われるのは苦痛だった。


※※※※※※※※※※※※


 そうやって、さんざん両親から比べられてきたから。

 いつも陽一ばかりを褒めて、俺をしかってきたから。

 気づいたら、苦手意識を持つようになってしまって……。


 これから一緒に暮らすのに仲良くやれるだろうか、とても不安だ。

 既に、両親のハートをがっちり掴んでいるし……これから些細ささいな違いですら比較されて怒られてしまうのでは?

 なまけ者で面倒臭がり屋な俺と、頭が良くて礼儀正しい陽一じゃあ、比べるまでもない。既に勝敗は決しているようなもの。

 あぁ、これだから嫌だったんだ。陽一と一緒に暮らすのは……!


「智輝君」


 そんな俺の心情も知らないで、陽一は無邪気な笑顔を向けて来た。


「夕食が終わったら、僕の部屋でカードゲームしない?」

「えっ」


 陽一の口から『ゲーム』という単語が出て、俺はポカンとしてしまう。

 夕食開始から初めて、彼の目を真っ向から見る。


「何をするって?」


 俺から返事があった事に、陽一は笑みをこぼして喜んでいた。


「そうだな……トランプって、色々遊べるからね。

 でも、まず初めは……王道のババ抜きからにしようか」


 ババ抜き、か。ずいぶん懐かしい。

 もうしばらくしていない。トランプだって何年も触ってない。テレビゲームは一人でも出来るけれど、トランプは誰かと一緒じゃないと出来ないからな。

 陽一はスプーンを置いて、身を伸し出す。


「僕ね、智輝君に、ずっと負け続けているの根に持ってるからねえ」


 え? 俺に負け続け?

 俺が覚えてない事を感じ取ったのか、悠奈がフォローを入れた。


「お兄ちゃん、陽一君の家に行く度にトランプしようって言って。

 他の遊びをするにも必ずトランプのババ抜きしてからじゃないと駄目で」


 そういや、そうだったような気がする。

 でも勝ち負けなんか覚えてなかった。俺、本当に陽一に勝ち続けていたのか?

 なかなか答えないのを気にして陽一君が媚びるように繰り返した。


「ねえ、久し振りにどうかな?」


 何だかいじめているみたいだ。俺は精一杯笑顔を浮かべた。


「あぁ、やろうぜ」

「わたしもやりたい!」


 俺が答えると同時に悠奈も手を挙げながら言った。

 7年ぶりの三人での遊び。

 俺達より、OKを貰えた陽一が一番嬉しそうだった。


「もちろんいいよ! じゃあ早くご飯食べて、やろうやろう!」


 このやり取りを客観的に見ると、仲が良い従兄弟同士に見えるのだろうか。

 どれだけ仲良さそうに振る舞えたとしても、俺は陽一と仲良くはなれない。

 何となく、そう思った。


※※※※※※※※※※※※


 最初は、乗り気じゃなかったババ抜き。

 しかしゲームが始まれば、俺の中でスイッチが切り変わったのか真剣に対戦するようになった。元々、ゲームは種類問わず大好きだったから。


 何度目かの、陽一との最後の一騎打ち。

 あっさりとペアのカードを引かれて手元にジョーカーが残る。

 描かれた道化師が俺の敗北を嘲笑っているようだった。


 俺は、カードを捨て場に投げ、思いっきり頭を掻き毟る。

 神様かナニカの計らいか、陽一と一対一の勝負をする場面が多いが……俺は今のところ全敗していた。昔の栄光も見事なまでに形無しだ。

 何でだ!? エスパーなのか!? カードが透けて見えてんのかぁ!?


 一騎打ちになると目を輝かせて、迷うことなく目当てのカードを奪った彼を、俺は畏怖の眼差しで見つめていた。

 その眼差しに気づいたのか、陽一は得意気な顔になった。

 くそっ、イケメンはどんな表情もサマになるからなぁ……。


「猛練習したってわけかよ。ちくしょー全っ然、勝てねぇ」


 負け続けた苛立ちから、嫌味ったらしく心情を吐き出した。

 すると陽一はカードをかき集めながら、ポツリと呟く。


「そうだよ。僕、二度と智輝君に負けないって決心したから」

「……へえ。それじゃあ、これから何度勝負しても、絶対に負けないって?」


 連敗していた苛立ちが俺に、嫌味ったらしい言葉を吐き出させた。

 数秒の沈黙の後……陽一は不敵な笑みを浮かべて答えた。


。そう決めたから」


 そこまで自信満々に断言されてしまったら、その高くなった鼻っ柱をへし折ってやりたいと思うのは自然のことのはずだ。

 俺は腕まくりをして、配られるトランプを睨みつけた。ぜってぇ陽一を負かす。


 しかし、俺が勝利の美酒を飲む事は、とうとう叶わなかった。

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