第5話 失敗続き

2016年 5月9日 月曜日


 十日振りの学校だった。

 昼休み開始のチャイムが鳴ると同時に、俺は図書室へ向かった。

 窓際の傍にある小さな丸い椅子へ座って、いつもの本を読んでいる幼馴染おさななじみ――――加瀬かせ 美玲みれいの目の前に立った。

 俺が声を掛ける前に、美玲の方が愛読書に目を落としたまま口を開いた。


「こんにちは、智輝ともき。十連休は楽しかったかい?」


 男口調なのに違和感がない女子、美玲。

 もし、女子高に進んだら確実に王子様になるだろう。

 女らしさが全く無いわけじゃないけれど、異性であることをそこまで意識しないで付き合える貴重な存在だった。

 俺は近くから椅子を持ってきて目の前に腰かけると、彼女の質問に答えた。


「……一言で表すなら、新鮮だったな」

「新鮮?」

「例の従兄が来たんだよ。そんで親も悠奈ゆうなも舞い上がっちゃってさ」

「ああ、前に話していたね。親戚の子を預かるって」


 ようやく美玲は本から顔を上げて目を合わせて来た。


「その従兄さんって、どんな人?」

「完璧超人」


 俺は、陽一について聞かれた時にはこう答えようと思っていた言葉を、即座に言い放ってみた。しかし美玲はクスリともせず、真顔のままだった。


「新しい四文字熟語かっつーの。

 それだけじゃ訳がわからないよ。詳しく教えてくれ」

「名前は安河あがない 陽一よういち。純粋な日本人。性別は男。十五歳、中学三年」

「完璧って言ったけれど、聞く限りじゃ普通の人だな」

「いや、クラスの女子に写真を見せたらカッコイイって全員が言うから」

「容姿端麗であると」


 美玲が無言で写真を見せろと威圧して来た。

 俺はポケットから携帯を取り出した。


「校則違反」


 そう言いながらも、慣れた手つきでフォルダから画像を出した。


「この人か? あー、なるほどね……」


 美玲は一目見て頷く。


「確かに美形だ。でもボクの好みじゃないな」

「そうなんだ」

「安心したかい?」

「なんでだよ!!」


 思わず大声を出した俺に、美玲は唇に綺麗な人差し指を当てて微笑んだ。


「まあ、外見だけで選り好みするつもりはないよ。今度、家に遊びに行っていい?」

「な、何だよ。直接会うのか?」

「対話して初めて、その人なりがわかる。智輝の都合の良い日で構わない」


 俺は、何と言って断るか結局思いつかず、美玲の訪問を許すことになった。


「それで話は変わるけれども、智輝。ゴールデンウィーク、お出掛けとかした?」


 美玲はタイミングよく話題を切り替えてくれた。


「あぁ、4日に家族全員でバーベキューに行ったんだ。

 これから一緒に暮らす従兄の歓迎会っていうか、親睦を深めるってやつ?

 だから河川敷に行って、テント張って……そんな本格的なやつでさ!」

 

 なるべく楽しかったように聞こえるように話す。

 でも、実際は俺は全然楽しくはなかった。


 久しぶりの大自然。澄み切った清流、マイナスイオン一杯の綺麗な空気。

 それは良かった。文句なし。インドア派の俺も、雄大な自然には心洗われたさ。

 でも、そう楽しい気分は続かなかった。


 陽一の気配り上手は外出先でも発揮した。

 テント張りから始まって、バーベキュー一式の準備、肉野菜を焼いて配分して……自ら率先して手伝いをして、俺の両親の期待に完璧に応えていた。


 もちろん、俺も手伝った。

 でも、俺は親の指示に従っただけ。そんなのは小学生だって出来ること。

 俺の評価を上げるには至らない……。

 結局、親睦どうこうなんかよりも、陽一の株が上昇する結果になった。

 俺はただ、久しぶりの外出に疲れ、蚊に血を吸われ、散々な目にあっただけ。


 美玲に思い出話を喋りながら、湧き上がる当時の不愉快な気持ちと戦う。


 確かに俺は――――陽一と比べると要領は悪い。

 いや、アイツが他者への気遣いにけているだけ。

 俺は……誰かの為に動くことなんて、今日までしてこなかった。

 目先の楽しい事に飛びついて、周囲なんか見ることも練習して来なかった。

 困っている人がいても、自分が迷惑被らなければ見なかったことに出来た。


 だから、実力の差はどうしようもない。

 これからその差を縮めるべく、努力しなければ俺は、ずっと不愉快を覚えることになる。もう面倒臭いとか言っていられないのだろう。

 努力嫌いな俺が、努力せざるおえない状況に追い込まれたことが、鬱陶うっとうしい。


 ……今回の件で唯一、俺が自画自賛出来るとしたら。

 俺が感じていたネガティブな思考、そして不愉快な気持ちを、バーベキューに同行した家族や陽一などに気づかれることなく隠し通せたこと……ぐらいだろう。


 俺の取り繕った話に違和感を覚えなかったらしい美玲は、微笑みながら頷く。


「でも、従兄さんと仲良くやっているようで安心したよ。

 彼が来る前は、あまり乗り気じゃなさそうだったからさ」


 家族に打ち明けられず、連休中はずっと一人で抱えていたネガティブな思考。

 それをわかってくれる存在と話せることが、俺は何よりも嬉しかった。


「だって考えてみろよ。ほとんど面識なかった親戚なんか他人も同然だろ?

 それがいきなり一緒に、同じ屋根の下で暮らすなんて」

「まあ、戸惑うだろうな」

「だろ!? 俺、けっこー大人の対応してると思うぜ!?」

「ふぅ~ん? 大人ねぇ……?」

「なんだよ!」


 美玲は笑いながら立ち上がると、本を本棚に片付けた。

 コイツは頭が良いから話していて楽しい事が多いが、時々、俺の事を小馬鹿にして遊ぶ悪い癖があるからなぁ! これさえ無ければ完璧なんだが……。

 本棚に陳列する本の背表紙を指でなぞりながら、次の本を探す美玲。

 その姿を目で追いながら、俺はお返しに質問を投げかける。


「美玲の方は、連休中はどうしてたんだ?」


 美玲は分厚い、小難しそうな本を大事そうに抱えて戻ってきた。


「ボク? 久しぶりに家族旅行に行ったよ!

 シンガポールに行って、あのマーライオンを見た」

「……おい」


 俺は、ボクっ娘でお嬢様の幼馴染の肩を軽く小突いた。


「ちょっと遠出して喜んでいたのが惨めになるような事、言うなよ!」

「え? いいじゃないか、バーベキュー」

「マーライオンの方が羨ましいだろ!!」

「コラコラ! 静かに、静かに! 図書室だから、ね?」


 今度は、美玲にしっかりと宥められて俺は口を閉じた。

 おもむろに差し出されたシンガポールの御土産を貰った。


「智輝には、マーライオン型のテッシュケースを買いたかったんだけどね。

 残念ながら売り切れだったんだ」

「あのマーライオンの口からテッシュが、出るのかよ!? 使いづらそうだなぁ」

「そうかなあ? ボクはユニークだと思うんだけれど……」


 俺には、マーライオンのキーホルダー。

 それと100パーセント植物性の石鹸だ。ココナッツのいい香りがするらしい。


「おい、お前コレ……大丈夫なのか?」


 使って、肌がかぶれたりしねえだろうな?

 外国製品に一抹の不安を覚え、眉を寄せてしまう。

 美玲は、俺の目を真っ向から見据え、大真面目に頷いて見せた。


「大丈夫だよ。きちんとお金を払って買ったからね」

「金払うのは当たり前だろ!

 シンガポールまで行って、万引きすんじゃねー!」


 ごく当たり前のことを大げさに言うものだから、俺は吹き出した。

 しかし美玲の表情が、ひどく怖いものに一変する。


「失礼極まりないな」


 声音もぐっと低くなり、不快感がわかりやすいほど感じられた。


「ボクは、ボクは……黙って取っていくことが《悪いこと》だって知ってる。

 だからしないようにしている。だから、きちんとお金を払って購入したよ」


 いや、お前……何、本気にしてんだよ。

 お前が万引きなんかしないことは、百も承知だよ。


 そう言おうとしたが、急速に乾いてしまった口から零れたのは、全然違う力無い言葉だった。


「…………ごめん」


 俺の軽はずみな言葉に、美玲は心底傷ついた顔で溜息を吐く。

 そしてくるりと背を向けると、図書室を出て行った。


 俺は、昼休み終了のチャイムが鳴るまで、教室に戻ることが出来なかった。

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