第一幕 俺と陽一

第1話 晴れの日

 

 今日は、馬鹿みたいに晴れていた。

 

 濃すぎる青空には雲一つない、完璧な晴れ。気温も湿度も過ごしやすい、これから始まるゴールデンウィークを祝うような最高すぎる天気。

 この素晴らしい晴天は、しばらく続くらしい。


 ……まったくもって反吐へどが出る。


 晴れは清々すがすがしくて、気分が高揚して、外出が出来て……努力次第では充実した一日に出来る天気。だから晴れの日は、有効活用すべき!

 そんな威圧感を感じる。誰だ、そんな雰囲気を最初に作り出したリア充は。


 いくら素敵な陽気でも、家で怠惰たいだにゴロゴロしていたい筋金入りのインドア派の俺には関係ない。むしろ一日中ゴロゴロした後、夕食時に母さんから「せっかくの良い天気だったのに、無駄にして」と小言を言われるから、晴れは嫌いだ。


 晴れの日に、カーテン閉め切った部屋でゲーム三昧ざんまいする俺は失格者か?

 そりゃ、部屋に閉じこもって親の手伝いを何一つしなかったことは、少しは悪いとは思うが……ゲームを馬鹿にするな。ゲームは俺のいやしだ。全てだ。

 しかし俺は、一週間のうち五日は学校に通い、勉強を中心にしている。


 平日はゲーム一時間だけという決まりだ、あとの週末二日は特に規制はない。

 理論上からすると、俺は一日中ゲームをしていても怒られる筋合いはないはずだ。

 その主張を感情に任せて言い放つほど、俺は馬鹿じゃない。


 親の機嫌は大事だ。不機嫌にさせて得られるメリットなどない。

 親を困らせて喜ぶ不良ならいざ知らず、ごく普通の男子中学生は親に気を遣う。

 下手に反抗して怒らせ、一家の大黒柱である父さんが「ゲームを捨てる」と判決を下した後では、どんなに謝ろうが再審などあり得ないのは容易に想像できる。


 月におづかい三千円の俺が、何万円もするゲームソフトや十数万円するゲーム機なんか買えない。俺の部屋にあるゲームは全て、親にプレゼントされたものだ。

 俺しか遊んでいないけれども、所有権は購入者である親。

 つまり家に置いておくも捨てるも、親の裁量で決まる。

 愛しのゲームを守る為、俺は《良い子》である必要があるのだ。


 とはいえ、俺は自他共に認める面倒臭がり屋だ。努力という言葉が嫌いだ。

 そして、目先の楽しい事にすぐ手を伸ばしてしまう悪い癖がある。

 親のポイントを稼ぐ絶好の機会と最新のゲーム機が目の前に並べられたら、後先考えず真っ先にゲームのコントロール機の方を手に取る。そういう男だ。


 それでも……今まで致命的な失敗をした事はなく、自画自賛になるが上手くやってきた方だと思う。

 後期の期末テストも、塾の冬季集中講座に通ったおかげで点数と順位がアップ。

 その御褒美に欲しかったゲームソフトを買って貰ったばかりだ。

 だから俺は、ゴールデンウィークは気兼きがねなく、ゲーム攻略に費やすつもりだったのだ。


 それが、あの日――――珍しく父さんが早く帰って来た日。

 そして家族全員を召集して、とある決定事項を話した。それは、いつまでも変わることない生活が一変する衝撃的な内容だった。


 そしてゴールデンウィーク初日である今日が、我が佐野さの家の歴史が変わる重大な日であるのだが、俺はいちばちか……当初の予定通りに進めてみようと考えていた。


 朝から、どこかそわそわしている家族を尻目に、俺は朝飯を猛スピードで食べ終え、そそくさと二階の自室へ戻ってゲーム機の電源スイッチを押した。

 ゲームソフトの読み込みには少し時間が掛かる。


 次に、俺を起こしに来た妹が勝手に開けた窓に近づいた。


 窓の外は、少女漫画の女主人公が「今日は素敵な一日になりそう♪」って言いそうな天気だ。近くの電線に止まっているスズメの鳴き声、隣家に住む双子の幼稚園児のはしゃぐ声(もはや奇声だ)、そして野良猫のケンカしている声までが素敵なBGMと化している。


 窓を閉めて鍵を掛け、カーテンを引き直す。

 部屋を明るくするのは、天井の電灯で充分。晴れやかな陽光は目に毒だ。


 あーあ。今すぐに空には分厚い黒雲が立ち込め、あっという間に雨粒が弾丸のように降り注ぎ、強風が唸って荒ぶり、雷鳴が己を誇示するようにとどろく……そんな悪天候にならないだろうか? そうしたら朝からカーテンを完全に閉め切っていても、誰も文句を言わないはずだ。


 ゲームが始まる。

 オーケストラ特有の静かな曲の始まり。

 壮大な音楽に彩られ、美麗なグラフィックで作られた渾身こんしんのオープニングに心をたぎらせ、俺はコントローラーを握る両手に力を込めた。


 その時、無粋な荒々しく階段を駆け上って来る音がした。


 ――――うるせえな。

 高揚した気分が一瞬でしぼみ、代わりに苛立ちが泉の水のごとく湧き上がる。

 足音で上がってきたのが誰かわかっていたので、俺は怒鳴りつけようとした。


 しかしそれよりも早く部屋のドアが勢いよく開かれた。


「お兄ちゃん!」


 二歳年下の妹、悠奈ゆうなが、胡坐あぐらを掻いている俺の横に仁王立ちした。


「一人だけダラダラしないでよ! 降りて来て、手伝ってよ!」

「……食後、30分は休憩する主義だから」


 本当は一時間でも二時間でも足りないくらいだが、俺はゲームを早々に切り上げるという最大の譲歩を提示した。実際、食ったばかりで働きたくない。

 賢い妹なら、そこら辺を汲み取って引き下がって欲しかったが。


「そう言ってお兄ちゃん、ずぅっとゲームするんでしょ?」


 嫌味ったらしく「ずっと」を強調して、俺をさいなんだ。

 優しいお兄ちゃんも、カチンをくる時はある。

 それは言い掛かりをつけられた時だ。


「あのな、そう言うのはゲームをし続けた後に言えよ。

 勝手に決め付けやがって。お前、発言には責任持てよな。

 それじゃあ、もし俺が三十分でゲーム切り上げて手伝いをしたらどうすんだよ? お前は言い掛かりつけたってことになるだろ。

 あぁ? だいたいな、俺は『手伝わない』なんて言ってないんだぜ?

 腹がふくれて辛いから、三十分だけ休ませてくれって言ったんだ。

 そうしたら、その後は手伝いでも何でもするさ!

 お前は小食だから平気かもしれねえが、しっかり朝食べた俺は休みたいんだよ!」


 なかなか上手うまい切り返しが出来たんじゃなかろうか。

 内心、ほくそ笑んでいると悠奈の目つきが変わった。

 あ、こいつ本気になりやがった。


「……ふぅ~ん。じゃあ、お兄ちゃんも発言に責任、持ってね?

 さっき言ったね?

 『三十分だけ休ませてくれ、そしたら後は手伝いでも何でもする』って」


 妙に猫なで声の悠奈は、無言で返事を要求して来た。


「お、おう」


 答えた後でヤバいな、と思ったがもう後の祭りだった。

 悠奈は腹立つくらい可愛いと自覚している笑顔を浮かべてみせた。


「それじゃあ、私! お母さんとお父さんに言ってくるね!

 お兄ちゃんは食後三十分休めば、今日はずぅっと、お手伝いするって!

 ……そうだよねぇ!

 今日は、陽一君が来る日なんだから! 当たり前だよね!」


 アハハハハハハハ!

 とどめとして悠奈はほがらかに笑うと、大急ぎで部屋と飛び出していった。


「おいちょっと……」


 待て、と最後まで言わせて貰えなかった俺は硬直していた。

 慌てて部屋の壁に設置された時計に振り返る。

 食後から、もう十五分も経過してしまっている。

 今から三十分でもいいんじゃないか……なんて考えられない。

 悠奈は情け容赦なく、俺の逃げ道を完全に塞いでしまったのだから。


 悠奈め……まったく、妹だけあって俺のアキレス腱を心得ている。

 『お母さんとお父さんに言ってくるね!』が、それだ。

 母さんだけなら、まだなんとかなる。母さんは優しいところもあるから、例え俺がゲームに熱中していても「またか……」ぐらいで済む時もあるからだ。


 でも父さんは違う。父さんは生真面目で厳格だ。

 三十分といえば三十分きっちり。一分一秒でも過ぎる事は許さない。

 父さんが一緒の時は、母さんも感化されて同様に厳しくなる。

 どうしようもなく面倒臭がり屋な俺が、そこそこちゃんと生きてこれたのは両親の影響が大きい。つまり、否応なしにしっかりせざるおえない環境だったからだ。


 俺は「あーあ」と声に出して、完全なる負けを認めた。

 ……やっぱり、今日はダメだったか。

 自室にいるとサボりたくなってしまうから、俺は後ろ髪を引かれる思いでゲームの電源を切った。そしてカーテンをきちんと開けて、窓を開けた。


 明るい太陽の光が差し込んだ俺の部屋は、何だか別の部屋のように見えた。

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