ガスライティング

月光 美沙

序幕

「僕は、復讐には賛成です。

 他の人から何らかの被害を受けた人は、仕返しをする権利があるはずです。

 大昔の法律では『目には目を、歯には歯を』というものがありました。

 つまり、自分が受けた苦しみ以上の過剰な倍返しではない復讐は認められてもいいと、僕は考えます」


 その日、2年Aクラスでは、国語の授業で討論会が行われていた。

 事前に生徒一人一人がテーマを考え、公平にクジ引きで決めることになっている。

 決まった今日のテーマは『復讐に賛成か、反対か』だった――――。


「私は、復讐には断固、反対です!

 大昔は法律で復讐が許されていたのかもしれませんが、現代の日本にそんな法律はありません!

 法律で認められていない以上、復讐は大義名分にはなりえないのです。

 復讐をくわだて実行したが最後……被害者は、加害者になります。

 そして犯した犯罪が露見すれば警察に捕まり、司法で厳粛に裁かれるのです」


 反対派の女子一人の言葉に勇気づけられたのか、次々と手が上がる。


「『目には目を、歯には歯を』と、先程おっしゃいましたが、同じことをやり返した時点で、あなたも他者を傷つける相手と同レベルの人間ということになります」


「復讐を遂げたとしても、何の救済にもなりはしません。

 むしろマイナスになります。

 復讐に時間をくのは無意義です。復讐によって得られる充足感も無意味です。

 それよりも勉強など身に付けられる事をした方が得だと思います」


「もし、自分を傷つけたのが人ではなく、犬や猫ならどうするんですか?

 あなたは犬や猫にも復讐するんですか?」


 水を得た魚のようになった反対派の勢いに呑まれ、賛成派はぐうの音も出ない様子だった。

 その時、俯きがちの生徒が多い賛成派の中で、一つの手が挙がる。

 それを目ざとく見つけた教師は、生徒を名指しした。


「それでは、ない君。発言をどうぞ」


 彼――――安河内 陽一よういちは音もなく立ち上がると、ニコリと微笑み、話し始めた。


「賛成派の皆さんの主張は、どれも的を得ています。

 とても人間的で、良心的な、素晴らしい考えだと思います。

 理論的に話し合うとするならば、この討論会は賛成派の勝ちになるでしょう。

 何故なら賛成派の皆さんの主張の方が、道徳的で倫理的だからです。

 我々反対派は、最初から不利な土俵で戦わされているのです」


 中立の立場にいた教師は、目に見えて狼狽ろうばいし、発言した男子生徒の発言に割り込もうとした。だが陽一が、それよりも先に右手を上げて制した。


「失礼……しかし最終的な勝敗は既に決しているのですから、ここからは気を楽にして僕の主張を聞いて下さい、先生」


 口調こそ穏やかなものの眼光に敵意を交えて話す、クラス一の優等生。

 その顔は、いつのまにか真顔だった。

 陽一の気迫に押されたのか、教師は口を閉ざして黙る。

 邪魔をけた陽一は、再び上品な笑顔を浮かべてから、反対派へ視線を向けた。


「それでは……先程、賛成派の方々は散々『警察に捕まる』だとか『得る物はない』とか、おっしゃっていましたが。

 まず、得るものはあります。復讐は、これ以上ない愉悦を覚えることが出来ます。

 憎くて憎くて堪らない相手が、自分の講じた策に溺れて、もがき苦しむ様を見れることを想像するだけで胸が高鳴りますから。

 それに逮捕なんかされません。

 何故なら警察なんかには気づかれずに、僕は復讐しますから。

 警察どころか復讐相手の親にも、兄弟にも、友人にも!

 復讐相手本人以外は、誰も気づかないように復讐します。

 僕は復讐相手本人さえ苦しめば、それでいいのですから」


「あ、あなたが良くても、この国の法律では認められてないんですっ!」


 黙っていられなくなった反対派のリーダー格である女子が、発言する。

 陽一は浮かべていた笑みを、あざけりに露骨に変えた。


「法律、法律って……法律が、そんなに好きなんですか?

 僕だって大まかな法律くらい知っています。

 人を殺せば殺人罪、傷つければ傷害罪、侮辱すれば名誉棄損。

 罪には、それ相応の罰を与える。ただし、その罰には限界を設けておく。

 これが刑法の基礎であり、先程の彼が唱えた『目には目を、歯には歯を』にも起用されている規定ですね。

 しかし、私刑に法律は関係ありません。

 そもそも僕達は最初から、司法に委ねず、自分の手で復讐したいと主張しているのですよ? それを『法律では認められてない』って、いまさら主張されても『だからなんですか?』になります」


 女子に獲物を狙う猛禽類もうきんるいのような鋭い眼光を向けていた陽一は、ふっと嘘のように眼差しを一変させた。まるで、どこまでも穏やかな優しい兄のような眼差し。

 そして、その優しい表情に似合わない黒い言葉が、口から零れる。


「それに法律の穴なんて、簡単に見つけられます。法律は何十年も昔の人が作った決まりに過ぎないですし、法の番人も同じ人間なのですから、いくらでも欺けます。

 何の不利益を被ることなく、復讐を企て実行することは出来ます。

 そんな完璧な復讐が、僕には出来ます。

 ですから、たとえ世界中の人が復讐に反対したとしても。

 僕は……僕を苦しめた者には復讐します、必ず」


 陽一の弁論は終わったが、教師も同級生も、誰もが圧倒され、静まり返り、わずかな物音すら聞こえなった。

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