単に「漢字がなかった」と解釈すべきではないのか?
「食事の準備が出来たわよ」
と、階下の母から声がかかった。さっさと下りて一〇分足らずで一気に夕食を平らげ、再び自室に籠もる。
雄治がグループウェア掲示板に、様々な参考情報サイトを紹介してくれているので、あたしはそれを片っ端から読み漁った。
昨晩の会話の中で、「古史古伝」という言葉が何度も出てきた。雄治情報によると、要するに学者が「本物」と認める「記紀」……つまり古事記と日本書紀
竹内文書、先代
記紀編纂以前から、古代日本にも幾つかの歴史書が存在していたことは、明白である。記紀はまさに、それらを元に編纂されている。日本書紀にいたっては本文の途中途中に、
「一書にいわく……」
と、参考文献からの引用が為されている。またその一方で、正史たる日本書紀以外の歴史書の「焚書」を行ったことが記録にハッキリ残っており、既に何も現存していないことになっている。
ところが、実は一部が焚書を逃れ、後世になって世に現れたらしい。先代
なぜか。
それらが(もしくはそれらの原典が)「
「古代の日本は未開国だぞ。漢字伝来より前に、我が国に文字なんぞある筈ね~べ(ワラ)」
というのが学者先生方のコンセンサスである。何故なら大陸の歴史書に、
「倭国には文字がない」
と書かれているからである。平安貴族の
「上古の世、未だ文字あらず」
と書いている。
――だから神代文字なんてモノは偽物だ。当然、神代文字で書かれたと称する古史古伝の類いも、全部偽物だ。
と言うロジックである。
しかし現実はどうか。日本全国に、神代文字が様々な形で残存しているのである。
例えば伊勢神宮には、藤原不比等や稗田阿礼、源頼朝や義経兄弟といった有名人の奉納文が残っている。それらは漢字とは全く異なる、謎の書体で書かれている。
また、
「文字はなかった」
というのは、単に「漢字がなかった」と解釈すべきではないのか?
(面白い。日本の古代史、面白過ぎる……)
あたしは目をショボショボさせつつ、気が付けば夜更けまで諸サイトの記事を漁っていた。
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