14◇15 リアンナ②
◇◇九話◇◇
マルコライスの剣がロイに向かって突き出された。
鋭い一撃は、防御を跳ね除け直進する。
ロイは体を捻って躱そうとするが、バランスを崩して転倒。
間髪入れず。マルコライスは追撃を振り上げた。
――その表情には強い殺意が浮き出ている。
それが稽古用の木剣であろうと。
低い位置への振り下ろし。大怪我を免れない一撃だ。
「そこまで!」
兵士たちが二人。
マルコライスとロイの間に体を滑り込ませ、対戦を中断させた。
「……フゥ! ……フゥ!」
マルコライスは呼吸を荒らげ。二人の顔、周囲、ロイと見渡し。
まるで、たったいま状況を理解したかのように。
「ああ、そうか……」と、呟いた。
稽古中、このように。
マルコライスが激情から本気になってしまうことが度々あった。
この時の彼は我を忘れてしまい。事故を起こしかねない。
その為、必ず二人以上の介添人を同行させるようにしている。
「大丈夫ですか、ロイ様」
「平気、です……」
兵士のひとりがロイを助けおこし、怪我の有無を確認した。
「ロイ。お前、変な癖がついているな。
剣を置きに行ったり、待ち構えたり。怖気ずいているのか?
修正しろ、それでは人は斬れん」
マルコライスはそう指導し。
直後、激しく咳き込み始める。
「父上、今日はこれくらいで。お身体に障ります」
マルコライスは高齢に加え。長年、城にこもりきりの生活だ。
体力は著しく衰えていた。
躁鬱の激しさや、突発的な奇行もある。
若くから戦争に身を置き。心身ともに酷使してきた彼だ。
それが現在は、玉座に座っているだけの日々。
その落差でどうかしてしまったのだと。
皆、疑問を持たずにいた。
「そうか……。ところで、道化師はいずこかな?」
「存じません。見かけたら、駆けつけるようにと伝えます」
思考があちこちに飛び、意味不明なことを言い始めたりもする。
それに合わせ、適当なジョークで場を和ませることが出来たのは。
道化師のイウだけなのだ。
「年は取りたくないな……」
帝国の英雄は、寂しげに呟いた。
マルコライスは英雄である。
数百年と続いた旧王国は、彼の率いる帝国軍によって滅んだ。
現在、騎士団長こそ別の人物が務めているが。
立場を度外視し、もっとも優れた騎士は誰かと問われれば。
皆、ジェスター将軍かマルコライスの名を思い浮かべるだろう。
そんな二人のうち、方や国境警備の隊長との冷遇を受けているのは。
その影響力を恐れた騎士団長の采配によるところが大きい。
偏狭なマルコライスは。
前皇帝の死後、現在の居城に引きこもり。
長らく、首都とは絶縁状態にある。
領地の運営さえ順調であるならばと。
今日まで干渉もされなかった。
そういう経緯から。今回、将軍が来訪したのは査察。
あるいは警告を与えるためだと考えられた。
対応を誤れば、権限の剥奪も有りうると兄弟たちは危惧していた。
それ故、当主の交代は必要だとも。
――夜半過ぎ。
いつもの泉の前で。ロイとリアンナの密会が行われる。
時間の指定もない。待ち合わせもない。
いるかもしれないし。いないかもしれない。
ただ、今日も何度目かの『またね』の約束は果たされた。
「騎士かぁ、考えたことないかも。既定路線というか、うちは家系だから」
『騎士とはなにか――』
そうリアンナに問われ、ロイは回答に窮した。
「そんなものかもしれないねぇ」
正式にはまだ騎士ではなく。戦争経験もない。
無自覚なのも当たり前。
「お嫁さん探しはしないの?」
リアンナに問われても。
「兄さんたちに悪いよ。いや、それ以前に俺なんかに務まるわけがないんだけど」
ロイは、このように消極的で。
今回の後継者争いにも興味を示してはいない様子だった。
「俺のこと、情けないと思う?」
「別に。キミの人生じゃん?」
彼女は自分のことを話さない。
正体を追求しない約束だから、訊ねることもできない。
必然、ロイが延々と身のうえ話をするしかないのだけれど。
リアンナは飽きた素振りも見せずに。熱心に話に聞き入ってくれた。
よく茶化しはするけれど。
基本的に。怒ったり、否定したりすることもなく。
ただ、首を縦に振ってくれる。
彼女にとって、この時間がなんなのか。
なぜ、自分なんかと会ってくれるのか。
ロイには不思議だった。
不可解だけれど、心地がよかった。
「ロイくんさ、自分だけ母親が違うのを気にしてる?」
「どうかな……。それで、兄さん達に気負うところは無いと思う。
でも、旧王国民とのハーフであることで、領民の目は気になるかな」
ロイの母親は帝国民ではなく、旧王国民の女性だった。
当時はまだ開戦前で、事情は今ほど複雑ではなかった。
旧国の滅亡後。
旧国民は領内での生活を許されたが、被支配階級に甘んじている。
帝国民を上級国民。旧王国民を下級国民と分類される中で。
ロイが双方からどう見られているか。
大手を振って、出歩けるものではなかった。
「いっそ、もっと遠くに行ってみるとかね」
「ええっ?」
ロイが引きこもっている理由が、複雑な生い立ちにあると知って。
リアンナは提案してみた。
「そしたら、誰もハーフだなんて気にしないよ」
「でも、逃げ出したって醜聞が立たつでしょ……」
平民の家じゃない。帝国を代表する名家なのだ。
「逃げちゃえ、逃げちゃえ。
そんなの気にしてたら時間だけが過ぎていっちゃうよ。
それよりは、ずっと、キミの為になるんじゃないかな」
それは判らない。
裕福な環境を手放して、自立したとして。
失敗しないとは限らない。
ロイの複雑な事情に、家族は同情的だ。
約立たずな寄生虫だと、自分を割り切ってしまえば。
生きていくのに不自由はしないだろう。
ただ、それで終えてしまっては――。
「一度きりの人生が勿体ない」と、リアンナは付け加えた。
「ははは」と、ロイは誤魔化して笑う。
帝国民からは見下され。
旧王国民からは裏切り者の烙印を押されている。
家族の中でも、自分だけ境遇が違う。
ロイは孤独だった――。
それでも、現状を正当化するための言い訳を口にしてしまう。
「知っている人が誰もいない所に行くのは、怖いね」
「あたしがいるよ?」
リアンナの一言は、ロイを困惑させる。
「えっ、それって、どういう……」
「仕事を終えたら、ここを出ていくからね。
城門の外。領土の外。外の世界のどこかにあたしがいるよ」
「ああ、そういうことか」
期待していた答えと違い、ロイは恥ずかしくなってしまう。
リアンナはいつか、ここを去る。
明日か、明後日か。
永遠に続くはずがない。それは当たり前のことだ。
それがどうしようもなく、残念に思える。
「あたしに会いたくなったら。引きこもりを辞めて、今度は外まで探しに来てね」
そうやって優しく諭してはくれるが。
正体を追求しない都合。
去ってしまった彼女にたどり着く手がかりを、彼は何も持たない。
――なんだか、意地悪だな。
ロイは、思い切って質問してみた。
「じゃあ、好きな異性のタイプとか聞いていい?」
引きこもり脱却の話は一方的で分が悪かったし。
正体を探ることに抵触せず、彼女のことを知るのに良いと考えた。
その質問がどこに刺さったのか。リアンナは一瞬硬直し。
「なになに、突然!?」と、珍しく狼狽えた。
ささやかな反撃が効果を得たようだ。
「俺のことばかりでズルいなと思って」
「ええ〜っ」と、不平を唱え。
バツが悪そうにしながらも、リアンナは答える。
「んーっ……。頑張ってる人、かな。
気高く胸を張って、困難に立ち向かえる人」
言いながら。髪をかきあげ、火照る顔面を手で扇ぐ。
ロイは思った。――考えすぎだろうか。
好みのタイプを語るときとは違う。
特定の誰かを想定した回答のようだった。
「それだと、俺は対象外だね」
ロイは誤魔化し笑いを交えて言った。
リアンナと、どうこうなりたい訳じゃない。
ただ、彼女との会話は楽しく。
孤独が少し紛れる気がしていた。
そもそも、こんな自分が誰かに何かを期待するだなんて。
おこがましい話じゃないか。
「遅くないよ。未来は変えられるよ。
その気になれば、どんな風にだって変われる。間に合うよ」
「…………そう、かもね」
彼女の言う通りだろう。
そして、それは早い方が良いに違いなかった。
ただ、今すぐという訳にはいかない。
今回の後継者問題など、全ての気がかりが解決したら。
その時に改めて考えようと、ロイは思う。
――自身の旅立ちを。
「ロイくんは? 好みのタイプ」
当然の流れとして。
リアンナは同様の質問をロイに返した。
相手が答えた以上、自らも責任を果たさなければなるまい。
ロイは、正直に言った。
「年下かな」
「それ、あたし対象外だし。努力の予知がないよね?」
気の利かない答えだが。
ロイは誠実さを貫くべく、真実を優先した。
「身長は百三十センチくらいで」
「具体的。てか、ちっちゃくない!?」
貧乳派だとか、そんなレベルの話ではなかった。
「九才の女子で」
「どこで道を踏み外したっ!!」
リアンナは「うわぁーっ」と言って、頭を抱える。
「なんでだろう! 孤独をこじらせて、大人が怖くなっちゃった?!
猫とか拾ってきて、殺してないよね!」
「そんなこと、しないよっ!!」
不本意な言われようだ。
憧れと現実の区別はついているつもりだった。
家族内では、むしろ。
模範的な立ち振る舞いを心がけている方だと自負している。
「六歳差の夫婦なんて、珍しくもないだろ?」
「それとこれとは、違うと思うなぁ……。
とにかく、勘違いして人前とかでは言わない方がよいよ?」
なんにも面白くないよ?
運命を即死させるよ?
楽園を不毛の大地に変えるよ?
目の前の女性との可能性を、一瞬で摘み取ってもおかしくない。
そうリアンナは説いた。
特に、次男パトリッケスには知られない方が身のためだろう。
自分の意思とは無関係に、引きこもり生活は終焉を迎えるだろう。
「誰の前でも言わないよ。泉の妖精に聞かせる独り言みたいなものだから」
誠実に答えたつもりが、思ったより強く拒絶されたので。
ロイは慌てて取り繕ったが、手遅れ。
「そんな独り言を聞かされる泉の妖精とか、複雑だろうね……。って、あたしか!?」
その日以来。
泉の妖精は、しばらく姿を眩ませてしまったのだった。
◇十話、ヤズムート兵士長②
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