5-2

 家に帰る前に、また図書館に寄った。アズサのこともあるが、普通に借りていた本を返すためでもある。


 特に収穫があるわけでもなく、外にある自販機横のベンチに二人で座る。喉は乾くようで、リオの分も飲み物を買う。何を話すわけでもなくただ二人並んで飲み続けた。


 実際、昼飯の後からリオは黙ったままだ。僕自身話すほうではなかったし、基本始まりはリオが僕に対して何か文句を言ったり、聞いて来たりするところから会話が始まる。


 こういった沈黙ちんもくは、普段ならばキツく、最悪の場合呪いを引き寄せる。でも、なぜか今はそうでもない。寧ろ少し心地がいい気がする。


 アズサや梶田とはそこまで話す回数が多くなかったからこういった沈黙が普通だった。だから、そこまで気にしたことはなかったが……。


「帰ろうか……」なんて、呟いてみると「んー」と短い返事が帰ってきた。





 家に帰っても、特にやることはない。ついつい気になってしまうこの沈黙の中、ただただ時間が過ぎるのを待つだけだった。


「……ちょっと散歩してくる」


 いきなりそう言ってリオは外に出て行ったのは、午後八時。僕は夕食をとっていて、リオはシャワーを終えた時だった。


「いってらっしゃい」と見送ろうと思ったけど、言葉を出さずに思い出す。彼女が出会ってから僕のそばを離れたのは一回だけだった。彼女が我慢する何かを吐き出すように出ていったとき。


「僕もついていくよ」


 リオは何か言いたげな顔を僕に向けた。でもすぐに何も聞かなかった様に家から出ていく。僕はその後を追った。


「見て楽しいものだと思うの?」


「少しでも君のことが知りたいんだ」


「なにそれ、告白?」


「リオが僕を殺す理由を探しているみたいに、僕もリオに殺される理由を見つけたいんだ。蛇のこともあるけど、僕を殺すのは蛇じゃなくて君だから」


 彼女は再び黙り、先を進む。駅近くに来た時、彼女は仕切りの上の方を見始めた。どうやら、高い建物を探しているようだ。


「ここら辺はにぎわっているね。飛び降りは見つかっちゃいそう。この前は深夜だったし、まだよかったんだけどなー」


 やっぱり、あの日の夜も自殺をするために家を飛び出したのか。彼女の軽い口調や表情を見ると、今から行われるであろう行為を疑いたくはなるが、それが彼女のとっての普通なのかもしれない。彼女はまぎれもなく異常な存在なのだから。


「いつも飛び降りているのか?」


「大体ね。ナイフで刺するくらいじゃ意識は飛んでくれないし、飛び出しは車に迷惑かかるし。単に死にたいって思いを抑え込むためにやっているからさ。パッとやって何もなかったように死ねるのが一番なの」


 ふと、彼女が初めに僕に自殺を見せてきた時のことを思い出す。あの時、リオは平然へいぜんとした様子だったけど、あのやり方は本人にとってはつらいやり方だったのではないだろうか?


「まぁ、いいか。今日はルイがいるしね」


 振り返ってリオは笑ってきた。悪いことを思いついた子供のように見えるその笑顔は無理に作られたような不気味さを宿している。


 そして、彼女は道路に飛び出した。僕の横をトラックが通り過ぎていく。目の前に彼女の姿はない。遅すぎるクラックションと急ブレーキの甲高い響きで僕は自分が逃げ出そうとしていることに気づいた。


 リオは、かなり遠くまで飛ばされていた。やっぱり、血は赤ではなく、捨てられた人形のような不気味な存在と化している。僕は急いでソレを担いで走り出した。トラックから誰かが降りて何か叫んできたけどお構いなしに逃げた。


 ボロボロになったリオの周りには銀色の糸のようなものがまとわり付いていて、それが丁寧に結ばれていく。だんだんと、彼女の形へと戻っている。


 正直、かなり不気味な光景だ。もし、彼女のことを全く知らなければ、そこらへんに放り投げてしまいそうだ。


 高架下の置いていかれた自転車の群れの横。コンクリートの壁には没個性なスプレーアートが描かれている。ほぼ、人の形に戻った彼女の背中をその壁に預ける。


 遅れて、一本の銀糸がやってきて彼女の中に入る。それで、完全に戻ったのだろうか。彼女は目を覚ました。その姿は、大学に行った時の僕のように弱々しくて、見たらまずいものを見てしまった気分になってしまう。


「迷惑かけてごめん。もう耐えられなくて……。あのまま何もしなかったら、ルイを殺していたかもしれない」


「いいよ。僕が勝手についてきたんだから。寧ろ謝らないといけないのは僕だ。……ごめん」


 彼女が一人で自殺に向かっていたのには理由があったんだろう。一つはこの弱々しい姿を見られたくないこと。もう一つは、我慢し過ぎると、僕を殺したくなるから。


 彼女は逃げていたんだ。できる限り遠くに行って。それなのに、僕はついてきて、彼女に無理をさせてしまった。


「別にいいよ。そういう、物好きは前にもいたし。……ねぇ、ルイ。少しだけ、私の話を聞いてもらってもいい?」


 やっぱり彼女は、相当弱っているようだ。今まで彼女の事について僕は何も知らなかった。彼女というか『樋口リオ』について。


 頷いて、彼女の横に腰を下ろす。


「私が、こんなバケモノになったのは3年前。高校二年のちょうどこの時期。実はさ、それより前の記憶がないんだよね。家族のこともそうだし、通っていた学校やその友達だったりも。だから、今から話すのは私がバケモノになってすぐの話」


 上の方で電車が通り過ぎる音が聞こえる。電車が完全に通り過ぎたと思ったら、もう一便走り去っていく。その間、無言のまま僕らは通り過ぎるのを待つ。


 せいじゃくが戻った時。彼女の冷静さも戻り、話すことを止めるのではというねんが浮かんでいたけど、彼女はため息を吐いてから語り始めた。彼女の今までと、彼女に『樋口リオ』という名前を与えた女性の話。

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