chapter6「知らない温もり」

6-1

 私が持っている一番古い記憶は。ある大学生の女性バイカーに拾われたところから始まる。


 あの時も多分自殺をしていたのだろう。肩を揺さぶられて目覚めた私がいたのは、車が行き交う山道の端だった。


 私を見た女性は驚いた様な表情を見せて、「リオ……?」と誰かの名前を呼んだ。


 誰だろう……もしかして、私? えっ、でも私の名前って……えっ?


 そこで、私は記憶がなくなっていることに気づいた。家族のこと、自分自身のこと、今までのこと。


 パニックになっている私を無理矢理背後に乗せて、その人は走り出した。ヘルメットも無しで、危険な走行。普通なら、通報だったりして後は任せるのが一番なのに。彼女は、最終的に自身のアパートまで私を運んだ。


「本当に……全部覚えて無いの?」


 頷いた私に対して、彼女はため息を吐いた。でも、どこか安心している様な。そんな感じだった。


「私の名前を知っているんですか?」


「うわっ、敬語っ。本当に、記憶ないんだ……。まぁ、うん。知っているよ。あなたの名前は、『リオ』。私が通っていた高校の後輩で、今は二年生のはず。学校には、去年のこの時期くらいから来なくなっていたね」


 私はホッとした。良かった。全部わかりそうだ。学校がわかれば、身元がわかる。身元がわかれば家族がわかる。


「私、家族のもとに……あっ、あれ?」


「帰りたい」と言おうとした瞬間。私は震え出していた。何これ?


「うっ……」


 吐き気がこみ上げてきて口を押さえる。女性に連れられてトイレまで行き、そこで思いっきり吐き出した。でも、吐き出したものは真水の様に透明な液体だった。


 隣で背中をさすってくれていた女性も、驚きの声を上げて、それを見た。見ないで欲しかったけど、文句は言えない。


 その後、水を渡されたけどあまり飲む気にはなれずに、濡れたコップをもてあそんで黙ったまま下を向いていた。


「『樋口 リオ』。それがあなたの名前。私は知っているから言うけど、あなたの親はロクでもない奴らだから。思い出さなくてもいい。私も、思い出して欲しくない。だからさ、私の事は「バイカーのお姉さん」て認識でおっけい。名前も教えない。一応、仲は良かったからね。あの頃の呼び方をしただけで思い出してしまうかもだから」


 彼女は、決してそれらの言葉を矢継ぎ早しに放ったわけじゃない。私の様子を見ながら探り探りに丁寧に言ってくれた。


 私は頷く事しかできなかった。でも、『樋口 リオ』って名前はどうもしっくり来ない。多分、嘘だろう。リオって名前はどうだろうか。本当かもしれないし何かしらのあだ名かもしれない。


 でも、私は考えるのをすぐにめてしまう。思い出さない方がいいって言うのかこの身体もわかっているんだ。無理に探る必要もない。


 彼女が、通報せずに私を運んだのも友達だったからと考えれば。まぁ、納得いくかもしれない。


「色々とショックだろうからね。少し寝たら? 私も、今日は大学行く気失せたし。二度寝しようかな?」


『家から持ってきた大きめのやつだから、大丈夫』なんて言われて、二人で一つのベッドで寝ることになった。


 フカフカのベッドの感覚は、どこか懐かしく。でも、二人で使うということに少しだけ恐怖を覚えていた。


 また、震えていたのかもしれない。少し、夢うつつの状態になっていた時、女性は私の顔を優しく抱き寄せてくれた。


 でも、涙は出なかった。代わりに女性が泣いていた。この人は、何で泣いてくれているのだろうか?


 この人は、私の友達で私の家族のことを知っていて。ロクでもないというところも知っている。私は、この人にそれを愚痴ぐちっていたのかな……?


 でも、彼女の腕の中は妙に落ち着かない。多分、こんなことをする人ではなかったのだろう。私が、こんなことされる様なやつじゃなかったのかもしれない。


 でも、それだけじゃない。私が感じたとこのない。多分、記憶がなくなる前にも味わったことのない温もりがそこにはあった。私はそれがわからないから、泣けないのだろう。


 眠りについた私が見たのは、不思議な夢だった。夢らしからぬ夢だ。記憶に残り、感じ、感情を揺さぶられる夢。


 一人の男の子から、殺される夢。殺された瞬間は何ともない。でも、その後私は暗闇の中にいてその少年のことをにくんだり、うらんだりしている。私は蛇だった。夢の中では当たり前のように私は蛇でいて、少年に対してのろいをかけて笑っていた。起きる瞬間まで私は蛇だった。


 それから、毎日その子の夢を見るようになるし、まれに成長した彼らしき人物が悲しそうな表情で呆然とこちらを見つめてくるなんて夢も見た。それは、中学生だったり、高校生だったり日によって違った。そして、この夢ともう一つ私を苦しめるものがあった。それは、強い『死』への願望だった。自殺願望ではなく、死ぬことなら何でもよかった。


 女性バイカーのアパートで共に暮らし始めて、3日目。気がつくと、私はビルの上から落ちていた。


 私がそれに気づいたのは、落ちた後だった。本来なら気づけるはずがない。死んでいるはずなのだ。でも、私は生きていて。周囲で騒ぐ何人かの人達がまた人を呼び、呆然とする私に群がってきていた。


 訳がわからず、私は逃げ出した。結局、どこにたどり着いたのかは忘れたけど、夜遅くにバイカーの女性が見つけてくれて。また、後ろ席に座って家に帰った。

 

 次の日、私は彼女の前で包丁を自分の胸に刺していた。流れ出ていたのは血ではなく、透明な液体。


 この頃はまだ、受け入れられてなかったんだろう。気づくのはいつも手遅れになってからだった。


 女性は、逃げることも聞くこともせずに、また泣きながら私を抱きしめてきた。そんな彼女に向かって「死にたいの……なぜかわからないけど」なんて言葉を漏らしたものだから、私って救えないな、なんて思えた。


 落ち着いた私は、彼女にあらかたの説明をした。気づかないうちに自殺をしていること、なぜか死なないこと。自殺する前は死にたいって思いでどうしようもなくなること。


 女性は全部聞いてくれた。とっても悲しそうな顔だった。


「辛いことをリオはずっと耐えてきたはずなのにね……。こんなことになるなんて、残酷だよ……」


 彼女はまるで私であるかの様に泣いてくれた。この人はよく泣く。私が思っている以上にこの人は弱く、暗く、危ない。だからこそ、大きな趣味で着飾り、私への優しさで自分を救おうとしていたのかもしれない。


 でも、それを本人も自覚している。自分を救うために私を利用しているという事実に対して彼女はまた傷を作っている。


 私は、この人と一緒にいるべきじゃないかもしれない。この人と一緒にいる限り私は彼女を傷つけ続ける。


「大丈夫。私が、協力してあがるから。一緒にいてあげるから」


 彼女の声は力強いものだった。なんでこの人は、私に対してここまでしんに向き合おうとするのだろうか。


 私なんて、バケモノじゃないか。


 そんな会話があった次の日からは、私の意思とは関係なく自殺するということがなくなった。ただ、無性に死にたくてたまらなくなって。それ以外が考えられない様になった。


 そんな私を彼女は、バイクの後ろに乗せて山奥に向かった。人気のないそこに存在することに意味があるのかもわからない駐車場。そこでバイクを止めた。夜景が微妙に綺麗だけれど、彼女の顔を見るにただのロマンストではなさそうだった。


「そこの柵あるでしょ。ほら、変な看板が立てられていところ。そこさ、有名な自殺スポットなんだ。下に大きな岩があって。まぁ、確実な感じ。でも、特に柵を大きくしたり、この場所をなくしたりなんかせずに、看板一つしか置いていない。私さ、ここを通るたびに、想像してしまうんだ。ここを飛び降りる自分を」


私もそれを想像していた。やっと死ねる。そう確信して、なんのためらいもなく。看板を見ることもなく、私は飛び降りた。

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