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 予想通り、終わりの日は訪れた。前々から、ぼんには親戚で集まる席に参加することになっていた。小学生の女の子と遊びたいから帰らないなんて言えるわけはない。ほんの三日間ほど、僕は実家に帰省きせいしていた。


 実家に置いている高校時代にハマっていた本を数冊持ち帰って、アズサに読ませてみようなんて思ったりして、離れていても僕は彼女のことを考えていた。


 夜に帰り着いて、そのまま疲れを抱えて眠る。次の日に、目がめたのは聞きなれないインターホンの簡素かんそひびきと、力強くドアをノックする音だった。


 目をこすりながら、ドアを開けると渋く濃い顔の二人の警察官が立っていた。


 ついに、世間公認の不審者になってしまったかな。なんて、心の中で冗談を言えたのも、アズサがいれば何とかなるなんて思っていたからに違いない。


 向こうの要件もわかるし、僕は余裕をもってその二人と向かい合った。


「おはようございます。朝早くにすみません。少しお話をうかがいたくて」


「何のことですか?」


 まぁ、さすがに「子供たちを観察していることですね」なんて言わない。相手がマニュアル通りの台詞せりふを言うように、こっちもマニュアル通りに台詞を並べるだけだ。一体何のマニュアルだか知らないけど。


「例の藤井アズサちゃんの自殺じさつの件についてです」


「えっ?」


 向こうはまだ台詞を読むだけの簡素な芝居しばいの中にいたが、僕はその言葉で一気に舞台ぶたいから蹴り落された気分になっている。こんなの台本にないぞって感じだ。


「アズサが……自殺?」


「……一応、結構なニュースになっているんですけどね。なんたって小学五年生の女の子が突然飛び降りたんですから」


 男は「ニュースも見ないのか、最近の若いものは」みたいな目で僕を写しながらそう呟く。


「昨日のお昼頃に、アズサちゃんは住んでいたアパートの四階から飛び降りたんです。家には誰もいなかったし、飛び降りた瞬間を目撃した人もいました。完全な自殺です」


 もう一人の警察官が付け足すようにキリッとした顔で言ってきた。


 ――僕は、静かに扉を閉めた。


 流石に、そんな行動に出るとは思わなかったのだろう。男二人は何の抵抗ていこうもせずに、僕との間に物理的な壁が生まれることを許してしまう。


 慌てたような声と共にノックされる扉の前で、僕は呆然ぼうぜんと立ち尽くしてしまっていた。僕にとって今この瞬間は、先程感じていた通り、つまらない芝居を見せられているかのようだった。


 男たちの、切り取ったような態度や発言。そして、予想外な何の面白みのない発言。それがつまらないと思ったから席を立った。そんなつもりで、ドアを閉めたのに、これは現実だと言わんばかりの暴力的なノックの音が耳をつんざく。


「アズサちゃんは遺書も何も書いていないんです。学校では孤立していたみたいですが、いじめを受けていたわけじゃない。両親もぎゃくたいの噂なんて一つも流れていないような方です。最近、貴方がアズサちゃんとよく一緒にいたという情報があるんですよ。少し、話を聞くだけです。無駄な行為は、悪い結果を生むだけですから!」


 おどしの要素も入っていたのだろうが、それは単なる懇願こんがんの声に聞こえた。貴方なら何か知っているんじゃないですか? もう、いよいよ手詰まりなんです。そんな、声が聞こえてきそうだ。


 大きく深呼吸をして、扉を開ける。


「すみません。少し驚いて……。でも、僕はアズサと出会ったばかりですし、彼女のこともよくわかりません。もちろん、自殺の理由も」


 本当のことを言った。これで解放されるとは思ってなかったけど、それから自宅に入り込まれ、二時間ほど僕の時間は彼らにうばわれた。途中、アズサと待ち合わせの時間になって、時計に何度も目が奪われた。


 本当に彼女は自殺したのだろうか。僕はそれを早く確認したかった。男たちの話を聞くよりも、携帯のニュースアプリを開くよりも。テレビを見るよりも、自分をわからせることのできる方法がある。


 男たちが帰った後、僕は急いで待ち合わせ場所の公園に走った。やけに静かなその場所は、今日に限って子供一人の姿もない。


 ――もちろん、アズサの姿も。


 ベンチに腰かけて、何をするわけもなくボーとする。あの子が声を掛けてくれるんじゃないか。そう思ってやまなかった。


 何時間でもこのベンチに座っていようと考えていた。でも、座り始めてから数分。僕の足元にへびってきたのを見て飛びあがってしまった。情けない声をあげて、蛇から離れる。


 堂々と這いまわり、器用に体を動かす蛇。

 蛇は陣取るようにベンチの上で止まって動かなくなった。その様子を見てひどく切ない思いを抱いてしまう。


「――また、蛇か」


 そう呟いた瞬間、幼い頃の記憶が脳内を駆けめぐった。遠い過去の映像なのに、たまに頭の中にき出ては何かをうったえかけてくる。無邪気な記憶。


 小学生の頃。何年生だったかは忘れたけど、多分高学年だ。


僕が住んでいた地区には同級生がいなくて、たいてい遊び相手は三つ上の兄とその友達。あの頃はじゅんすいで、恐ろしかったものだ。下校中に道路に飛び出すふりをして車を驚かしたり、玉入れのように小石を屋根の上に投げ飛ばして窓を割ったり。近所の駄菓子屋で万引きをしたこともあった。


 結局全部バレて、僕たちは度々頭にたんこぶを作っていた。両親はもう、げんこつのプロの領域りょういきに達していただろう。


 上の遊び相手がいなくなった僕は、学校から帰った後ではほとんど孤独な状態だった。一人になった僕は途端に良い子になる。というか、悪いことができなくなった。


 一人でしかられるのが怖くなったのだ。


 そんな中でやった一つだけの悪事。今までで一番恐ろしいものだったのに、誰からも叱られなかったつみ


 ――僕は、一匹の蛇を殺した。


 目の前に何気なく現れて、悠然ゆうぜんと目の前を横切ろうとする蛇。その蛇の頭を僕は自分の顔ぐらいある大きさの石でつぶした。なんども、なんども。


 それは、何かを思っての行動じゃなかった。純情な子供心だった。常識的じゃなくても、少年にとっての普通。


 でも、つぶされながらも目の前で8の字を描いた蛇を見て幼い僕は、恐怖を覚えた。親から叱られるよりも、げんこつを喰らうよりも、それは恐ろしかった。


 たまらず僕は逃げ出した。それだけの記憶。


 それまで、僕にとっての蛇は日常の中で何気なく見かける存在だった。でも、その出来事の後から、蛇を見ることがめっきりなくなる。ただ、何か不幸なことが起きた時、あざ笑うように僕の前に蛇は現れるのだ。


 僕は蛇にのろわれたのだ。人間嫌いも、ある条件で襲い掛かってくる気持ちの悪い時間も。このことから始まったのだ。


 つまり、今僕の目の前で蛇が思い出のベンチをせんりょうしているこの状況は、そういうことなんだろうと理解した。蛇は、アズサを失った僕を笑いに来たのだ。


 ようやく僕は携帯の画面をつけて、小学五年生の少女が自殺したという記事を探した。たくさん見つかった。祭り騒ぎのように拡散され、推理され、あることないこと言われていた。


 その中に、僕のことらしきものも書かれてあって、何だかすべてのやる気をなくした。

 蛇に背を向けて、僕は自宅に戻ることを決めた。


 そんなことがあって、数週間。まだまだ、アズサのニュースは残暑のごとく熱を覚まさない。遺書もなしに自殺した少女。彼女は一体何を伝えたかったのか? そんな記事を見かけるたびに僕はため息が出てしまう。


 アズサは本当に死んでしまった。誰にも何も伝えないまま、存在そのものがうそだったかのように、僕の前から消えてしまった。


 それでも未だに、アズサのことを考えてしまう僕がいる。彼女はどんな世界に今の僕を写してくれていたんだろうか。彼女の世界に写らない僕は、生きている意味があるのだろうか。


 それでも、僕は生きるのだろう。意味なんてなくたって、僕は生を諦めきれない。だから、アズサのことが分からない。「私と貴方は似ている気がする」。あの時は変に納得したその言葉が。今になってどうしようもないくらい理解できない。なんでもっと深く追求しようと思わなかったのだろうか。


 少しだけ傷がえていることに、また傷つきながら僕は小さな少女との日々を思い返すばかり。そんな中で生まれた、どうしようもない思い。ここから始まり、僕の非日常はそくしていく。

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