15-3
「あの子は……捨てちゃった……」
憑き物が取れたような、安堵のような、不気味な母の笑顔は何処か怪物じみていて、私は声が出なかった。
「このアパートの裏側に、山があるじゃない? 置いてきちゃった……」
信じられない。
私は父を殺したのに。それを棚に上げて、母を殴ろうとした。
自然な動作だった。殴ろうとしただけで、普通は抑えることができるだろう。でも、私は……。
「ごめんね……ごめんね……」
頬をゆすりながら、母は何処か薄ら笑いを浮かべていた。何が楽しいんだ?こっちは楽しくない。
……殴っちゃったじゃん。あの親父と何も変わってない。母が何処か嬉しそうなのも、そのせいなの?
私は、違う私は父と同じじゃない。と否定したかったのか。部屋に散らかるゴミを片付け始めた。
「なんで、きたの? あの人も来ているの?」
「来てない。私、家出したの。迷惑かけないから」
それから、私と母の二人だけの生活が始まった。殴られないし、犯されない。でも、私のことを考えてくれない、自分自身のことも考えているか怪しい母。そんな人とずっと一緒にいる日々はこの暗い人生の中で最も苦しい時間となった。
私は毎日、弟を探しに山に登った。もう、半月も前に捨てたんだと母は言った。関係ない、私はただこの部屋から出たかっただけだ。
でも、やっぱり諦めきれない。弟は生きているんじゃないか。この山は車道が通っているところがあり、多くの車が通る。上手く車道に出て拾われている可能性もある。
山の中で生き抜いている確率はゼロだろう。だったらせめて、弟の持っていた何かは見つけたい。
母は、あんな感じなのに毎日毎日息子の写真を撮っていた。愛があるのかないのかわからない。五歳の弟はしっかりと立ち上がって、体つきも決して悪いものではなかった。どうやら育児放棄はしてなかったようだ。存在そのものは放棄はしたようだけど……
「見よう見まねだけどね。お母さん頑張って見たんだ。この写真もなんだか、今時の母親って感じじゃない?」
やっぱり、この女は怪物だ。
弟の最後の写真はいたって特徴はない。普通のどこにでもいる子供って感じだ。でも、ひとつだけ異常なのは靴が左右違うものというところだろう。
「服も靴も古着屋で買ったの。安かったし靴は揃ってなかったけど、喜んでくれたのよ」
アルバムを見で振り返っている気になっているようだが、犯罪者がなぜ堂々とそんな真似ができるんだ?
……言えたことじゃないかもしれないけど。
母は家で訳もわからずボーッとしていて、私は山に登る日々。二人の犯罪者は肩を寄せ合うこともなく、利害的なものでもなく、ただ形だけの親子関係で保たれている。愛なんてない、空っぽの。
なぜかそんな日々が一年も続いた。見つけられる訳もない弟を探す。母は相変わらず、食う寝るボーッとするを続けて。慣れれば怖いもので、普通になる。
あぁ、また普通を矯正する日が来るんだろうななんて思いながら、その日も山に登ろうとする。そんな私の背後で母が歌うように話す。
「そういえば、昨日警察の人が来たの。お父さん行方不明ですって」
「前からそんなもんでしょ」
一年間も気づかれなかった父。ザマァみろだ。そんな風に、罪の意識にも慣れてしまった私は。そのまま、家を出て行った。
そして、帰った時。今度は気づくこともなく、事は終わっていた。
母が死んでいた。
首を吊って。揺れていた。
私はそれをそのままにして。一夜を過ごし、次の日も山に登った。
これが最後。これで見つけられなかったら、私も消えてしまおう。
やっと、私を苦しめて来た父と母の両方がいなくなった。私はバイトの経験がある。ミレイのような頼れる人もいる。生きていけるはずなのに。これからなのに。
どうしようもなく死んでしまいたかった。
日が暮れの時間が来て、私は嬉々としてため息を吐いた。よし、死のうか。
でも、来た道を戻る中で。怪しい小屋にたどり着いてしまった。来た道を戻っただけなのに?
その時、聞こえるはずのない声が聞こえた。「おねぇちゃん」ってハッキリと。私は、弟の言葉を聞いたことがない。私と弟が別れた時はまだ「あぅ」ぐらいしか言ってなかったのに。でも、その声が弟だとわかった。
ここにいるの?
私は誘われるように敷地内に足を踏み入れた。小さな小屋の中に入ろうとしたけど、鍵がかかっていた。鍵というよりも、そこは扉の形をした壁のようだった。私は諦めて、またあの声が聞こえないかと、小屋の周りをウロつき始める。
そこで、気づいた。蛇だ。異様な数の蛇がこの建物の周りに潜んでいた。私が動くごとに、物珍しげに現れて来る。襲うこともなくただじっと観察して来る。
たまらず、私は境内から出た。
無理だ。蛇は苦手。というか、私には苦手なものがかなりある。虫もダメだし、猫も嫌いだったりする。犬は何ともないけど……。
動物があまり好きじゃない。その中でも、蛇は異様な形で異様な動き方、そして脱皮という異様な習性。それらが、無理だ。
だから、境内から出る寸前で肩に蛇が落ちて来た瞬間はパニックに陥ってしまった。
叫び声と、ケモノのように身体をゆすり、逃げるように走り出す。
訳もわからず走った。
そして、落ちた。
足元というか、前すら見てなかった。でも、そんなことってある? 崖とか……そんな高い山じゃなくない?
低いよね? 死なないよね?
走馬灯が見える。今までの思い出。
フラッシュバック=失ったもの
……でも、まぁ。死んでもいっか。
強い衝撃を受けた時、私の意識はふわっと浮き上がり、暗闇に消えた。その刹那、私は自分が死ななかったことを確信していた。
体の痛みは、そうでもなかった。起き上がった直後は……。
「あっ……無理」
起き上がれない。というか、体が異様に硬い。瞼が何とか空いて、ゆっくりと呼吸している自分を感じる。
次第に、異様なほど痛みを感じなくなっていく。自然回復ってレベルじゃない。もっと、ゲームみたいな。魔法の力とかで一瞬で回復するみたいな。
起き上がることができた。痛みはもう完全になくなっている。
でも、そんな事はすぐにどうでも良くなった。目が慣れて、視界に移ったものが、私の全てを奪っていく。
「見つけた……」
腐り、喰われ、啄まれ。それでも、特徴的な左右違う両靴は健在だ。写真じゃわからなかったけど、大きくなったんだなぁって……。
もう、原型はとどめてないけど、曖昧に散らかった衣類や、土まみれの骨。腐った肉でどうにか元の姿が想像できる。
旨の下あたりから、変な方向に曲がっている。靴を見らずに、全体としてみれば、人であることがわからなかったかもしれない。
この子も、落ちたんだ。おちたら、こんなことになるんだ。でも……。
生きている。
月明かりの下。私はゆっくりと歩いていた。いつ立ち上がって、いつ歩き出して、どこに向かおうとしているのだろう。
でも、たどり着いたその場所で全てを察する。どうやら、かなりの間気絶していたようで、夜の深い時間帯。山道を通る大型車は少なくはなかった。
私はや生物の様に飛び出した。
もう死ぬんだ。誰かに迷惑かけたっていいじゃん。今まで、奪われた分。私だって理不尽に奪われて来たんだから……。
そうして跳ねられた。でも、フラッシュバックは見なかった。なんか良くわからなかった。自分がわからなくて、過去なんて探しても見つからなかった。だから、何も見えないまま私は吹き飛ばされた。
その後、私はあのバイカーと出会い。自殺の旅を始める。今ならわかる。あのバイカーは樋口ミレイで、彼女は私のことが好きだった。彼女が、私の名前を知っていながらも自分の苗字を渡して来たのは紛れも無い「愛」だったのだ。
あの初めての温もりは「愛」だったのだ。それなのに私は自分も彼女も傷つけて、消えてしまった。
また、繰り返すのかな? 嫌だなそれは。私はルイが好きだ。だから、傷ついて欲しく無い。まだ、伝えきれていない。ルイから告白されたあの時の回答を。だって、私は死ぬことを諦めきれなかった。回答を出すということはそういうことだ。だから、先延ばしにしてきた。すべて話そう、私の過去も失ってきたものも。そして、もう一回彼があの顔をしてくれたら、あの言葉を吐いてくれたなら。
初めて『愛』を信じてみよう。
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