chapter4「被害者・加害者」

4-1

 時刻は二十三時。かなりの時間気を失っていたようだ。首に痛みを感じる。頭はイマイチ回転しない。


 ここは僕の部屋で間違いはない。こんな趣味の色合いがない部屋は他にはないだろう。他人の部屋というものはどうなのかは知らないが、テレビ番組で写されるタレントの家は大体、その人らしさがある。まぁ、何もないのが僕らしさなのかもしれない。


 そんな無個性で陰鬱いんうつな空気の部屋の中に不釣り合いな派手な格好の少女が目の前で水を飲むように酒を飲んでいる。見た目は高校生くらいで、酒を飲んでいるのもそうだが、ここにいる事すら危なげに見える。


 そんな彼女は『君も飲む?』なんて言って、これまた水感覚でグラスに注いだ日本酒を目の前に置いてきた。


 意識がハッキリしてなかったのはむしろ良かったのかもしれない。身体に染み付き残った恐怖心に従ってそのグラスを受け取り。軽く口をつける。


 熱いものが喉を伝わり、全身に広がってくる。思ったよりも飲みやすいなーなんて思っているあたり、僕は現実から逃避しようとしているのかもしれない。


「私、樋口ひぐちリオって名前。君は?」

「……寺沢てらざわルイ」

 

 やっぱり、名前を聞いてもピンとこない。というか、彼女は今僕に名前を聞いてきた。知らずに殺そうとしたのか?


「理由を教えて欲しんだけど。知る権利とか、僕にはあるだろうし」


 いきなり殺そうとしてきた相手に権利なんか主張しても意味はないのかもしれない。それに、理由なんて実は正直どうでもよかった。ただ、聞かないと彼女はずっとここにいるような気がしたからだ。この空気もまま進展がないのはきつい。


「私さ、いっつも同じ夢を見るんだ。君に大きな石で頭を潰されて死んじゃう夢」


「なにを言っているんだ?」


「君さ、昔蛇を殺したことあるでしょ?」


 その言葉によって僕の目線はグラスから彼女の顔に向かう。試すような瞳とぶつかり、再びそれる。お酒のせいもあるのか思ったが、以上にその言葉は僕を狼狽ろうばいさせてきた。


「ある……。小学生の頃に。でも、それと何か関係が?」


 そもそも、蛇を殺したことがある人なんてそう少なくはないと思う。それこそ、小学生の時の話だが、副校長先生がマムシを瓶に詰めて飾っていたこともあった。彼女は占い師のように、何かしらの心理戦を持ち掛けているのだろうか?


 そんなわけはない。だって、分からないわけはないだろ。僕だってつい最近にもそれに苦しめられたんだけら。僕と蛇。それを結びつける決定的なものがある。彼女はそこに関係してくるのだろう。


「ハッキリ言うけど、寺沢ルイ。君はね、その時殺した蛇にのろわれてしまっているの。君がどんな人生を歩んできたのかは知らないけど、思い当たりはあるんじゃない?」


「だから、それと僕が殺されそうになったことに何の意味があるんだよ」


 流石に、彼女のまさしくな発言に僕は察するしかなかった。彼女は本気で僕を殺そうとして、人違いでは決してないことに。そして、この『樋口リオ』もまた、何かしらの異常を宿しているのだろうと。電車の中で目が合った時の安心感はそこから来たのかもしれない。


「……見てもらった方が早いかな。丁度今、そんな気分だったし」


 そう言って彼女は立ち上がると、浴室の方に向かった。途中、キッチンから包丁を取り出した。やばいと思って身構えたが、そんな僕を無視するように彼女は浴室の中に入っていった。


「なにしてるの? 早く来てよ」


 顔を出して、腑抜ふぬけた表情で彼女はそういったものの、僕は警戒心が解けずにいた。それでも、恐る恐る近づいて中を覗き込む。その瞬間、ほほあたりに液体が飛びねてきて思わず飛びさがってしまった。


 でも、そんな事より。見てしまった。


 少女は何を思ったか、手に持った包丁で自身の胸を突いたのだ。


 僕の頬に付着したのは彼女の血液。確認するように手でそれをぬぐう。しかし、その液体は赤ではなかった。不気味なくらい透明でドロッとした何かだ。


「どう? キモイでしょ?」


 声を聴いて彼女の方に目を向ける。

 僕は、手品でも見せられたのか?


「信じられない……」


「信じてもらわないと困るよ。君のせいで私はこんな体になったんだから」


 体に傷一つないどころか、衣服すら破れでいない。さっきは刺さる瞬間を見ていたはずなのに、今はあまり自信がなくなってしまっている。


「もう一回見せようか」

「いや、いいよ」


 逃げるように部屋に戻り、グラスに残っていた少量の酒を口に含ませる。僕の後を追って浴室から出てきた彼女も戻ってきて、ベッドに腰かけた。


 僕も、デスクチェアに座り、彼女の話を聞く体制に入った。あれだけのものを見せられたんだ。もう、そこまで驚くようなことはないだろうし、見ておいて知らないってのもどうかと思う。


 僕が聞く気になったのを悟ったのだろう。彼女は枕横のクッションを抱き寄せて、目線を窓に移した。そして、空気が少し冷えていく中彼女はゆっくりと語り始める。


「君が蛇に呪われているみたいに、私は蛇に憑依されているの。今、私という存在は半分が『樋口リオ』もう半分は君が殺した『蛇』でできている」


 『蛇付き』というやつだろうか。僕も呪いを宿している身だ。利用しようとも考えているくらいだから、蛇についての話や、オカルトな話題まで目を通したことがある。見るものによって大体似たようででも、ところどころが違っていた。そんな中で見つけた『蛇付き』というワード。


 蛇の悪霊に憑かれたら性格が変わり、人を寄せ付けて、ひどい自殺願望を持つなんて書いて本もあったような。大体の本は呪いよりも、そっちの方が書かれている場合が多かったような気もする。

 

 オカルトな話だ。信じるわけもなく、妄想の触媒のような役目でしか取り込んでなかった。それでも、傷が治るといったような内容は見たことはない。とにかく、彼女は僕という存在以上に異質な存在ということは間違いなさそうだ。


「でも、僕は『樋口リオ』て人物は知らない。蛇のことはわかるけど、何で君に蛇が憑いたんだろう?」


「知らないよ、そんなの」


 依然いぜん彼女は窓の外に広がる冷えた闇を見つめている。その目はどこかうつろで、悲しそうに見える。


 僕の中で、彼女に対しての同情の気持ちが芽生めばえている。生きている自分や、不思議な現象を見た興奮もそれに影響しているのかもしれない。


 樋口リオが僕を殺そうとしていたことは確かだ。そして、彼女はまた僕を殺そうとしてくるかもしれない。それが彼女ではなく、彼女の半身に宿る蛇であろうと、肉体は一緒だ。分けて考えることは難しい。


 でも、今のところ話を聞いている中で樋口リオという少女は僕と蛇の因縁いんねんには全く関係していないのだ。なのに、彼女は蛇を見に宿し、他人を殺そうとしてしまっていた。


「君は、僕を殺したいのか?」


 一瞬彼女は僕の方を向いた。でも、すぐに窓に戻る。少しの沈黙ちんもくが続いたけど、そこまで苦には思わなかった。なかなかしゃべってくれない彼女を置いてテーブルの上に置いていたケータイに手を伸ばす。


 手にもって、画面に視線が移動した瞬間。彼女は話し始めた。


「君さ、今日私がビルの上から飛び降りるところを見たんでしょ? だから、あそこに現れた」


「あぁ」


 真っ暗な画面に移された自分の瞳を見ながら、呟いた。やっぱり、あれは彼女だったのか。


「私は、死にたいんだよね。それは、心の底から願っていることなの。本当に死にたいし、というか何度も死んできたし。だけど、蛇のせいで私は死ねない」


 そこで話はいったん区切られる。続きをうながすように、僕は画面から彼女の方に視線を向ける。彼女も僕の方を見ていた。視線はぶつかり、話は結論に進み始める。


「君を殺せば、私は解放されるのかな……」


 その声音と困惑こんわくするような瞳で僕は勝手に『樋口リオ』の中に存在する葛藤かっとうを想像してしまう。彼女は多分、僕を殺せば解放されると考えていたんだろう。死ぬことができると考えていたんだろう。でも、ふとそのときになって思い浮かべる。本当に、解放されるのか? 解放されなければ自分はただの人殺しになってしまう。


 自分殺しの彼女にそんな倫理が残っているなら、それ以上に恐ろしいことはないはずだ。人を殺した罪を背負ったまま、死なずに生き続けなければならない。更に毎夜毎夜殺した男から頭を潰される夢を見る。彼女は僕を殺せなかったのだ。


「……ごめん。やっぱり私は君を殺すよ。それしか、もう残ってないし。だからさ、殺す理由を見つけようと思う。君は殺される前にやりたいこととかあれば言ってよ。後悔はお互いしてくないでしょ?」


 彼女は笑っていた。悲し気な笑みだ。そして、僕の返答を待たずして、彼女は玄関の方へ走り出して、出ていった。吐き出すのを我慢する様な、飛び出しそうな何かを押さえつけて逃げるような。そんな様子だった。


 部屋に残された僕は呆然ぼうぜんとしていた。立ち上がり、彼女が出ていったドアの方を見つめる。


「あぁ、そうか。自殺しに……」


 呟いた言葉がやけに鋭く僕を突き刺す。一瞬だけ彼女のために死を選んでもいいような気がして、心が揺らいだ。でも、僕は生きたいんだ。ドアから目をらし、ベッドに腰かけて横に倒れる。先程つけることができなかったケータイの画面を着けて少しだけ現実逃避をすることにした。




 彼女が帰ってきたのは一時間もたたないくらいだった。シャワーを終えて、寝る前にアズサのことについての記事を読み漁っていたら、インターホンが鳴った。


 彼女だということはわかっている。戻ってくるだろうとは思っていた。でも、また中に入れていいのかは悩む。入れるという行為は別にいい。でも、その行為が殺されることに対しての肯定的な回答と勘違いされるかもしれない。自分はつくづく面倒な人物だとはおもう。わざわざ、鍵をかけないで彼女を待っていたのは自分なのだから。


 少ししてから、彼女がドアを開けて入ってくる音がした。


 何も言わずに彼女は部屋の隅に座る。僕は立ち上がると、ドアの方に向かい鍵を閉めた後、部屋の電気を消してベットに横になった。


「おやすみ」と、優し気に彼女が言った。返そうと思ったけど、なんか気恥ずかしくて返さなかった。


「もう少しさ、お互いリラックスして接するべきだと私は思うの。私だって、急に殺したりなんかしないからさ。これから、君もやりたいことをやっていくうえで、その邪魔にはなりたくないの」


 暗闇の中、背中に彼女の声が届く。なるほど、彼女はこのどこか探り合うような張り詰めた空気を好ましくは思っていないようだ。急に『おやすみ』なんて言ってきたのもそのためなのかもしれない。


「ルイって呼ぶから、私のことはリオって呼んでよ。同い年だしさ」


「わかったよ、おやすみ。リオ」


 お酒のお陰だろうか。僕の放った一言はいつもなら呪いのもとになるようなことなのに。ちょっと恥ずかしさを覚えるくらいで収まった。


「うん、おやすみ。ルイ」


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