恋の病

「枝垂さんに魔獣の思念が封印されていることは知っているっけ」

「うん」


 単衣は答えた。A部隊リーダー、弟切から聞いたことだった。


「あれは、魔獣の思念を封印することによって、身体能力などが飛躍的に上昇するかどうかの実験だった。当時の研究者の一人の女性が優秀な男性の精子によって受精し、その受精卵に魔獣の思念を植え付けた。結果、枝垂林という盲目の女の子が産まれた」

「ちょっと待って」


 と単衣。


「林は、産まれたときから既に目が見えなかったの?」

「そうだよ」


 シリエルは言った。


「そして実験過程と結果のデータを、ノウンは盗み、改良した。そうして産まれたのが私。私の場合は魔獣によって頭脳がより発達した。視力も片方の目だけに済んだ。何より、ある程度成長したある日、魔獣の思念を取り除くことに成功した」


 単衣は呆然と彼女を見る。


「シリエルも林と同じだった……いやそれより、魔獣の思念を取り除けたの?」

「うん。そもそも魔獣の思念は目に封印するものだから。だから取り出すことも容易だった。ほら、私って片方義眼じゃない?」


 シリエルはほら、と左目を指さした。


「じゃあ、林も……!」


 単衣は一筋の希望を見出す。


「それは、無理」


 シリエルの声が酷く冷たいように、単衣は感じた。


「枝垂さんの場合は、目どころじゃない。もう魔獣の思念が絡みに絡まっちゃってる。混ざっていると言っていい。透明の水に、絵の具を溶かしちゃったような感じ。だからさ、単衣」


 シリエルはここで口をつぐむ。彼女自身、言うのを躊躇っている様に見えた。


「枝垂林は、もう殺すしかないよ」


 こんなに冷えた食卓は、初めてだった。





「単衣、起きてる?」


 不安そうな、弱々しいシリエルの声。


「うん」


 布団にくるまっていた単衣は短く答えた。


「ご飯、食べないの」

「うん」


 そういう気分ではなかった。出来ればシリエルとも話したくないと、単衣は思っていた。


「こうなると、わかってたんだ」


 弱々しく、シリエルは言う。


「だから、言わずにいられたら良いなって思ってたんだ」

「シリエル」


 単衣がシリエルの言葉を遮った。


「君の言葉は信用できない」


 単衣は言い放った。息を呑むような音が、扉越しに聞こえた。


「林がああなったのは、君の所為なんでしょ」


 単衣は言った。昼食の後、シリエルが告白した事実を思い出していた。


「シリエル。君は僕以外どうでも良いんだ。君にとって林はどうでも良い。だから君は、僕に邪魔な林を殺させようとしてるんだ」

「違うよ!」


 シリエルが叫ぶと、単衣は黙った。


「シリエル。君の所為で沢山の人が苦しんだ。僕と林も例外じゃない」


 と単衣。そして沈黙。


「ねえ、単衣」


 しばらくして、シリエルがまた口を開く。


「枝垂さんが単衣をずっと見てきたように、私も単衣と枝垂さんをずっと見てきた」


 シリエルの声は、先ほどよりも穏やかだった。


「モニターに映っていたのは、格好良いあなたが、不器用に枝垂さんを愛する姿」


 思い出しているかのように、シリエルは語る。


「私が好きになったのは、枝垂さんを愛するあなただよ、単衣」

「林を愛する……僕……」

「そう。だからさ、単衣」


 林は一呼吸入れると、こう言い放った。


「愛を知らなかった二人が、愛を知ったんでしょう? だったら、最後まで愛し合ってよ」


 シリエルの言葉は、単衣の心を強く揺らした。


「愛を貫いて、単衣」


 信用できる言葉だと、単衣は思った。


「シリエル。それでも君が林に対してやったことは許せない」


 単衣は言う。


「だから、僕たちに協力して。それでチャラだ」


 単衣の声は、大分明るくなった。


「ええ、もちろん」


 シリエルの声は少しうわずっていた。泣いているのは明らかだった。


「開けるね」


 単衣が返事する前に、シリエルは扉を開けて入ってきた。パジャマ姿のシリエルは、単衣のベットに腰かけると、単衣のイヤホン型デバイスを差し出す。


「荒木涼君。彼の連絡先を拝借しちゃった」

「また勝手な……」

「えへへ、ごめんね。でも、作戦に必要なの」

「作戦?」

「うん。ハゼスぶっ潰し作戦」


 単衣は、驚いた表情でシリエルを見た。


(シリエルは最初からそのつもりだったんだ)


 シリエルが自分の為に、とっくにハゼスを潰す覚悟でいたことに、単衣は気付く。


「その為にも、林は殺さないといけない。それは単衣が適任よ」


 シリエルは申し訳なさそうに言うが、活き活きした様子を隠しきれていない。


「10年。私が世界中のインフラを密かに、少しずつハッキングして国際情勢を微調整していく。そうしてハゼスの支援を少しずつ滞らせて、やがてゼロにする」

「10年? 途方もないなあ」

「でも、単衣が林を倒せるくらい強くなるのも、そのくらい必要でしょ?」


 しかし単衣は納得できない。


「単衣、冷静になって。今、あなたが飛び込んでもどうにもならないわ」

「そう……かもね……」


 まずは話を聞こう、と単衣は続きを促した。


「ノウンの正体はAI。だから入れ物のアンドロイドを破壊したところで、当然のように復活してしまう。だから私が乗り込んでハッキングする」

「今はできないんだね」

「そう。ハゼスは実は三カ国の支援を受けていて、セキュリティが堅牢なの。だからそれを断ち切らないと、無理」

「涼と連絡するのは?」

「彼には私のアドバイスを元に、ある程度の権力を持ってもらう。これは微調整に必要なの」

「それで、僕が林を殺すと」

「ノウンを倒すと、暴走した枝垂さんが野放しになる。現在、彼女を止められる人はいないわ」

「ノウンがやったように、林の弱点を突くのは?」

「ノウンが対策してる。そしてノウンを倒そうとすれば、枝垂さんが立ちはだかる。だから、彼女を真正面から倒せる実力が必要なの」


 単衣は押し黙った。そして、弱々しく口を開く。


「10年で、林を倒せるくらい強く……」

「出来るよ!」


 シリエルは励ますように言った。


「単衣にしか、出来ないんだよ」


 そう言ってシリエルは単衣の肩に手を置いた。お風呂上がりの女の子の匂いがした。


「出来るかはわからない。でも確かに、林の相手は僕がしたい」


 単衣は言った。


「わかったよ、シリエル。10年。その期間で林と渡り合える力をつける」


 花が咲いたような笑みをシリエルは浮かべた。そして思いきり単衣に抱き着く。


「ちょっと、シリエル!」


 驚いて声をあげる単衣。


「えへへ。良いじゃん今日くらい」

「駄目だって!」


 単衣はそう言ってシリエルを引きはがす。


(えっ)


 シリエルの花笑みが、林の幻影と重なった。


(まるで恋の病だ。重症だよ)


 単衣はきゅっと胸を押さえ、目を閉じる。


「シリエル」

「なあに」


 返事をしたシリエルの声はとても穏やかだった。きっと単衣がこれから言う言葉もわかっていた。


「僕は、林が好きだ」

「うん、そうだね」

「林が好きで好きで堪らない」

「うん。うん」

「林に会いたい。会いたい」

「うん」


 そしてシリエルは単衣の頭に手を乗せた。


「よしよし」


 そして撫でる。


「会いたい。会いたいよ、林」


 単衣は泣いた。会いたい、会いたいという言葉が、夜に溶けていった。

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