見えずとも、確かにそこに、愛はある

「ふざけるな」


 言葉とは裏腹に、弟切はやはり朗らかな口調だった。


「枝垂はあくまで対テロ部隊の一員。人質に利用されたのなら、即切り捨てるのみ」


 弟切の言葉に、単衣は絶望した。最愛の人が助からない。それが確定してしまったのだ。


「お、とぎり、さん」


 どうか考え直してくれと、懸命に言葉を発する単衣。


「ごめんね、八意君」


 絶望する単衣を宥めるように、弟切は言った。


「ふむ。なるほど。しかし、人質は枝垂だけではない。観客席を見よ」


 弟切と単衣は観客席を見た。逃げ遅れた客たちが、シリエルが召喚したドローンによって拘束されていた。


「どうだ。枝垂とその他大勢が死ぬ。手が出せるかな」


 勝ち誇ったようにノウンは言った。


「確かに、これじゃあ手が出せないな」


 ぼそっと弟切は呟いた。ノウンに聞こえない程度の声量だったが、単衣は確かに聞き取っていた。


「単衣ぇ、単衣ぇ!」


 泣き叫ぶ林。その獣のような紅い目から、大粒の涙がポロポロと流れていた。単衣はその様子を見て、ひどく胸を痛んだ。最愛の人がこんなにも苦しんでいる。それがこんなにも辛い。単衣はただそんなことを痛感していた。


「八意。しかと見るのだ。貴様らが培ってきた愛など、この程度でしかない」


 単衣はショックのあまり、ぐったりと倒れた。地面に頬をつけながら、それでも必死に林の方を向いて、手を伸ばす。


「単衣ぇ、どこですかあ! 単衣ぇ!」


 最愛の人を見失った林の、悲痛な叫び。


「見たまえ。貴様らの愛があまりに希薄な故、愛する人を見つけることすら叶わない。情けない」


 無様に泣き叫ぶ林を見下しながら、ノウンは言った。


(もう、何もかもお終いなのか)


 単衣は自分に問いかけた。


(僕はまだ、林の隣に立てていないのに)


 そして、全身を駆け巡る嫌悪感。身体が拒否していた。諦めることを。最愛の人を見捨てることを。


「ま、まだだ。ノウン!」


 単衣が声を張り上げた。枯れ果てたその声は、かろうじてノウンの元に届く。


「まだ、僕の心は折れてないぞ!」


 その声は先程より大きく響いた。言葉にすれば、不思議と力が湧いてくる気がした。


「どんなに希薄でも、僕らの愛は確かにある」


 血まみれの単衣は、最後の力を振り絞って立ち上がった。突風が吹いた。それが追い風となって、単衣の背中が押された気がした。


「見えずとも、聞こえずとも、確かに愛はある!」


 そう声を張り上げた瞬間、単衣は吐血した。そしてがくりと片膝をつく。


「くだらぬ。もはや枝垂に愛などない。貴様の名を呼んでいることでさえ、ごく僅かに残った人間の意識の、その本能によるものでしかないのだ」


 ノウンは吐き捨てるように言った。しかし違和感を感じたノウンは、足元にいるはずの林を見た。そこにいるはずの林は、少し進んだところで這っていた。


「単衣? 単衣!」


 林の声色に変化があって、単衣は見た。


「林? 林!」


 単衣は思わず涙をこぼした。目が見えずとも、耳が聞こえずとも、林はしっかりと単衣の方を向いていた。両手足の自由が封じられていてもなお、懸命に単衣のもとに向かっていた。


「馬鹿な! このっ!」


 ノウンは慌てて、魔法による拘束を強めた。


「離せ! そこに、そこにあるのです。私の大切だったものが。かけがえのないものが」


 林は暴れた。


「見えずとも、確かにそこに、愛はある!」


 その言葉は、紛れもなく人間である林の意思だった。


「馬鹿な。何故わかる」


 林がはっきりと単衣を捉えているのを理解したノウンは、ひどく狼狽えた。


「愛の力だ!」


 単衣は言い放つ。単衣は気付いていた。何故、林が自分を捉えることが出来たのか。


――ふふ。単衣の匂い。覚えちゃいました。


 林の言葉を単衣は何度も反芻する。


(はは、全く。本当に犬みたいだ)


 単衣はそして、再度地面に突っ伏す。力が出なかった。


「不愉快だ」


 ノウンがとても腹立たしそうに言った。


「何が愛の力だ。貴様らの愛の力では、枝垂は取り戻せん。シリエル」

「はい」

「興覚めだ。枝垂は手に入った。帰還しろ」


 傍にいたシリエルに言うと、ノウンは消失した。ホログラムの表示を切ったのだ。


「単衣! やだ、離せっ! 単衣ぇ!」


 拘束されていた林をハオが抱えた。林はそれに抵抗するために暴れる。


「じゃあね、単衣。また会いましょう」


 シリエルが楽しそうに言った。


「林、林!」


 単衣は最後の力を振り絞って、その手を伸ばした。林も同様に手を伸ばす。そこにあるはずだと確信して。


「ばいばい!」


 シリエルがそう言った瞬間。ハオとシリエルの足元に魔法陣が輝く。そして、林もろとも、瞬く間に消失したのだった。


「り……ん……」


 ついに身体の限界を迎えた単衣。真っすぐ伸ばした手をぐったりと地面に落として、やがて気を失った。

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