失明剣士の恋は盲目
馬鹿な、と単衣は思った。詠唱とはより強力な魔法を唱える為の準備である。長い呪文のようなものを口にして、魔法に必要なイメージ等を補う行為である。
当然、隙は大きい。戦闘中に、それも林を相手にする行為ではないはずだ。
「その美しい姿に、蜜のように香る匂いに、柔らかく純白な肌に、私の魂は震えた」
それは愛の祝詞。
(こんな詠唱があるなんて)
単衣は驚く。一方で林は何度も何度もノウンを斬っていた。しかし攻撃がノウンに効くことはない。林はそれでもむきになって、ただひたすらに刀を振るう。
「これが枝垂の弱点の一つ。滑稽ね」
いつの間にかシリエルが傍に寄っていた。
「どういうことだい?」
敵が近くにいてもなお、弟切はいつも通りの口調で言う。
「あれはホログラムよ。あのホログラムには、かつて枝垂が聞いたノウンの前の身体の駆動音と音声が発せられているの。だから林はそこにノウンがいると思って何度も斬っている。実際は、そこにノウンはいないのに」
林は斬ることに夢中で、シリエルの解説なんて聞こえていなかった。おおよそ冷静ではない。
それは当然だった。目が見えない林だからこそ、自分の聴覚を信頼して今まで行動してきた。なのに自分の耳を疑うような出来事が起こってしまっているのだ。今の林は自分の耳を信用して良いのかどうか、判断できないでいる。
「その笑顔は愛しくて、その泣き顔は切なくて、だからこそ、かけがえのないものであると実感する。私はそんな君を閉じ込める。私だけの君とするために。さあ受け入れたまえ、私の愛を。君の為の静寂を。君だけの時間を」
ついに詠唱は完了してしまった。
「ミュート」
そして魔法名をノウンが唱えた。
「な、なんだ! 何をした!」
魔法の影響だろうか。林の様子が途端におかしくなって、焦ったように叫ぶ。必死に辺りを見渡す。何かを探しているかのように。
「聞こえない! 何も聞こえない!」
林の悲鳴のような叫びに、ようやく単衣は林に起こっていることを理解したのだった。
「単衣! 弟切! 誰か、誰か返事をして! 誰か!」
そして林は両膝をつき、頭を抱え、天を仰いで発狂した。
「八意、これが枝垂のもう一つの弱点だ」
ノウンがそう言って語り掛ける。しかし虫の息の単衣に、もはや返事をする余裕はなかった。
「音とは、振動である。空気を振動させ、やがてその振動が耳に届き、ようやく人間はそれを音と認識する。つまり振動が耳に届かなければ、音を認識することは決して出来ない。枝垂の周りには、枝垂の耳に届く前に、振動を削除する魔法が掛けられている。だから今の枝垂は、視覚聴覚を失った完全な盲ろう状態である」
単衣は言葉を失った。完全に林が無力化されてしまったのだ。
「お、とぎり……さん……」
必死に単衣は弟切に手をかけた。
「林を……林を助けてください」
懇願。今の単衣には、最愛の人を助ける技量も、体力もなかった。
「わかってる。
弟切の呼びかけに、ノウンは顔をしかめた。
「ふむ。戦力が分散するように、各地で一斉に仕掛けたつもりだったが。まさかA部隊のスリートップが揃っているとは。AIが優れているのか。それとも」
「別に。もちろん他の場所の出動要請もあったから、今いないメンバーがそこを担当しているだけさ」
「まあ、良い」
ノウンはおもむろに、いまだ泣き叫ぶ林に近寄った。そして魔法を使って、林を拘束する。両手両足の身動きが取れなくなった林は、転ぶように地面に倒れた。
「な、なに! 単衣、単衣ぇっ!」
目が見えず耳も聞こえない林は、状況が判断出来ずに発狂した。
「枝垂の命が惜しければ、動くな」
ノウンは冷徹に言い放つ。単衣はその言葉を聞いて、血の気が引いた。
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